みとやじょう

三刀屋城

島根県雲南市

別名 : 尾崎城、天神丸城
旧国名 : 出雲

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征3日目:三刀屋城(尼子十旗③ 2城目) (2026/05/13 訪問)

尼子十旗:出雲国尼子氏の主要な家臣団の十の居城
尼子十旗(①白鹿城②三沢城③三刀屋城④赤穴城⑤牛尾城⑥高瀬城⑦神西城⑧熊野城⑨馬木城(夕景城)⑩大西城)
日倉城から車で25分くらいで、浄土寺駐車場(35.291236、132.877241)に着き、三刀屋城移築復元門を確認した後、三刀屋城駐車場(35.292756、132.871426)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが三刀屋氏によって築かれました。
三刀屋氏は1221年(承久3年)の「承久の乱」で功のあった諏訪部扶長を祖とし、もともとは北側に位置する三刀屋じゃ山城(石丸城)を居城としており、三刀屋城はその支城でしたが、戦国時代に居城を移しています。
1542年(天文11年)周防大内氏が出雲の国人衆を率いて出雲に侵攻すると、三刀屋氏は降伏し大内氏と尼子氏の居城月山富田城へと侵攻します。
しかし、出雲国人衆は尼子氏に再び寝返り大内氏は嫡子義房を水死させる大敗を喫しました。
1562年(永禄5年)毛利氏が出雲に侵攻すると降伏し、以後毛利氏に属して各地で転戦します。
1588年(天正16年)三刀屋久扶は毛利輝元に随行して上洛した際、徳川家康と面会したため輝元から疑われ領地を没収されました。
その後、出雲に堀尾氏が入部すると支城の一つとして石垣造りの山城へと改修されたが、一国一城令によって廃城となりました。

現在城址は公園として整備されており、石垣や土塁などの遺構を確認することができます。
山頂の本丸まで舗装道がついていますが、山頂は舗装されていないので手前の駐車場に停めるのが無難だと思います。
山頂に主郭には崩れている石垣造りの天守台ともいわれる物見櫓台があります。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=三刀屋じゃ山城に向かいました。

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ダイエティシャン

御衣黄満開 (2026/04/21 訪問)

緑の桜【御意黄】が満開でした。

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ダイエティシャン

4月4日(土)5日(日)さくら祭り (2026/03/31 訪問)

周辺で4月4日(土)5日(日)さくら祭り開催。
3月31日は5~8部咲きでした。
2週間後には、三刀屋城の郭跡で、緑の桜【御衣黄】が咲きます。

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しんちゃん

尼子十旗の一つで、三刀屋氏の本城。 (2025/06/28 訪問)

三刀屋城は尼子十旗の一つで、三刀屋氏(もしくは祖である諏訪部扶長)によって築かれたとされています。三刀屋城を本拠として移る前には「じゃ山」の城を本拠としていたとされています。
城址は公園となっていて山頂の本丸まで車道が続いていますが、途中に幾つか駐車可能な場所があるので、適当な所から歩いて登りました。まあ、わざわざ本丸まで車で乗りつけなくても良かろうと思ったので。山頂に本丸があり東側に天守台か櫓台のような高まりがあります。草が生い茂っているが、石が積まれているようだ。
天守台を南側から迂回して東を目指すが先は閉ざされている。若い竹を食い散らしたような痕跡がある。近くに果実をつけた木も有る。イノシシかクマの仕業だろうが、フンなどの痕跡は無かった。
本丸の西側が二の丸で、解りやすく土塁で仕切ってある。土塁を確認できるのはここだけだった。車で走りながらでは良く解らなかったが、余湖さんの縄張り図を見ると、山全体に郭を設けてあるようだ。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 不明
築城主 三刀屋(諏訪部)扶長[すべて]
築城年 承久3年(1221)?
主な改修者 毛利氏、堀尾吉晴
主な城主 三刀屋氏、毛利氏、堀尾氏
遺構 曲輪、天守台、石垣、登石垣
指定文化財 県史跡(三刀屋じゃ山城跡及び三刀屋尾崎城跡)
再建造物 説明板
住所 島根県雲南市三刀屋町古城