いいづめじょう

飯詰城

青森県五所川原市

別名 : 高楯城、高館城
旧国名 : 陸奥

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2郭に建つ城郭風建物
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カズサン

城郭風建物に満足して (2024/05/21 訪問)

 東北城探訪・青森県2日目、弘前のホテルを7時半に出発し五所川原市を目指し約30km程北上、飯詰城へ初登城。

 駐車場:妙龍寺山門斜め前に参拝者駐車場有り。私は妙龍寺より北西約250m程の交差点道路工事中のジャリ駐車エリア(40°49'40"N 140°29'26"E h=30m)を利用駐車。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 妙龍寺山門下の細い道を登って行く脇には山水が流れているが全体薄暗い、熊注意看板は無かったが鈴を鳴らして登って行くと高楯城址由来なる案内看板がある所へ進む、この看板は風化により見ずらい読みずらい、飯詰城は別称高楯城とも呼ばれているようです。
 登って果樹園に着き、斜め上へ登る道を進み、写真で見ていた赤瓦の城郭風建物の有る曲輪へ更に曲輪を東に進み石碑がある、良く観ると青年団賛歌の楽譜が刻まれている、城跡碑では無い、がここは二郭だそうです、草が茂って奥に進む状態でない、ここで登城を終了とする。
 帰って投稿時よく確認すると果樹園をそのまま東に進むと主郭にたどり着けたらしい。城郭風建物に満足し、草が茂ってと諦めた所で主郭への探訪が出来なかった次第。

 高楯城址由来看板が読めないので、城郭放浪記さんの歴史を借りると。
 城主は朝日右衛門尉と伝えられ、朝日氏は藤原藤房の末裔といわれる。天正6年(1578年)津軽為信は北畠氏を敗ったが、その後も飯詰城の朝日行安は津軽氏に抵抗し続けた。天正16年(1588年)になってようやく飯詰城も落城したという。
 
 飯詰城を終えて北上する事、約9km程の太宰治記念館斜陽館が、道々案内が有りあの有名な小説家太宰治の家か寄ってみました、又前の無料観光駐車場の売店前に今年の春場所に新入幕110年振り平幕優勝した尊富士関の応援看板イラストが有りチョットほっこり184cmの背比べ体験。写真投稿します。
 
 

 

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能登守利信

呟き (2017/09/04 訪問)

駅から徒歩で攻城。 やはり高楯城の認識でした。 山の名前が高楯山なのですね

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妙龍寺より (2021/11/04 訪問)

 妙龍寺の右側の道を上がって行くと昔資料館(公民館?)であった天守風の建物があります。さらに登って行くと鳥居が見えてきます。主郭や周辺は藪になっていました。堀切や帯曲輪も見ることができます。主郭の背後に東西に延びる堀があり、一番の見どころだと思います。

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dougen

2017.11.4登城 (2017/11/04 訪問)

中里城から国道399号を南下し、津軽鉄道津軽飯詰駅の東側に妙龍寺があり、妙龍寺の裏山に飯詰城址(高楯城址)があります。

妙龍寺の上に城郭風の建物がありますが、以前は資料館だった様ですが、現在は使用されていません。城址はそこからさらに奥の裏山に位置しており、郭や堀切が確認できます。

若干藪化していますが、一番の高台に城址の石碑があります。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 藤原景房
築城年 興国5年〔南朝〕/康永3年〔北朝〕(1344)
主な城主 朝日氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 青森県五所川原市飯詰字福泉