おわだじょう

大和田城

奈良県奈良市


旧国名 : 大和

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しんちゃん

遺構はなかなか残っている。後はアクセスの方法が問題。 (2024/02/23 訪問)

大和田城は小和田氏の城とされますが、詳細のわからない謎の城です。周囲の道は狭く、なんとかポリスに捕まらない場所に車を置いて歩いて城址に向かいます。南側からアクセスしてみますが柵が行く手を遮ります。じゃあ「廃屋」から攻めてみようかと思ったら明かりがついてる。人いるじゃん‥。廃屋じゃないのかな? しょうがないので倉庫のあたりから直接城址に取りつきますが、なかなか急です。
結局直登のようになりましたが、上の方は曲輪のようになっていて帯曲輪が付いているようです。北側になかなか立派な土塁が付いていて櫓台のようになっている箇所もあり、土塁の先は堀切になっていました。
現状不審者以外の何物でもないので、物音ひとつ立てるのにも気を使います。長居は無用‥見るもの見たらさっさと立ち去るのでありました。

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todo94

奈良の城めぐり⑤ (2022/12/10 訪問)

大和郡山城からの転戦です。皆さん、攻城に苦労されているとおり、道の細い住宅地で駐車場所に難渋、獣よけフェンス、廃屋、倒竹と攻城を困難にするファクターがなかなかのてんこ盛り状態でした。

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イオ

藪を抜けた先には… (2022/01/15 訪問)

富雄川西岸の尾根の先端に位置する丘城で、詳細は不明ながら、室町期に筒井氏の傘下にあった小和田氏が築いたとされます。

北麓の大和田集落のため池近くの道幅が広くなったあたりに路駐して登城開始。先人の投稿を参考に北西側からアプローチするも防獣柵の扉を見つけられなかったので、縄張図であたりをつけて倉庫の背後の藪に突入。藪を抜けると北西部の池が広がっていました。

池の東側には主郭北辺の横堀が東西にのび、東端で折れて南(東辺)に続いています。横堀は幅も深さもあり、なかなかのものです。主郭北辺の土塁はかなりの厚みがあって、土塁上の北辺をさらに低い土塁がめぐり、中央部は櫓台状になっています。主郭西辺にも土塁がのび、土塁の外は西尾根を遮断する堀切になっていて、土塁が途切れたあたりに土橋が見られます。ここが虎口だったようです。

土橋を越えて西尾根を進むと廃屋があり、その先の防獣柵の扉から出ようとしましたが、内側から探してもやはり扉は見つけられず、やむなく主郭まで戻って藪を抜けて城を出ました。全く整備されていませんが、その分遺構は状態良く遺っていて、諦めずに藪を突破した甲斐がありました。
 

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倒竹だらけの竹林を越えて (2021/04/24 訪問)

大和郡山付近の城を巡るべく調べていると、2019年5月に訪問された、ぴーかるさんの投稿を発見。本郭に行こうとしたが、竹林や廃屋に阻まれたとのこと。恐いもの見たさに、行ってみました。
ぴーかるさんは、北北西から、アプローチされたとあったので、余湖さんのレポートを参照して南側からアプローチ。レポートどおり、犬が激しく哭いてました。結局、害獣避けの柵の扉は城域の西北しかなく、ぴーかるさんと同じ進入道に。
廃屋を右手に見つつ、倒竹だらけで、かつ、不燃ゴミ捨て場になっている地帯を40mほど東進。日差しが強い日で、竹林の中でもまだ明るかったので突破できました。
突破した先には、深い横堀!
余湖さんが、レポートしている、
「北側には土塁が盛られている。土塁は幅広の重厚なもので、土塁の上にさらに土塁が盛られるという二重構造のものとなっている。」も確認できました。さらにその北側には幅広の堀も。東側は、平地に向かう急斜面。一方、南側は、浅く緩い谷形状ながら、守りは弱そう。北側からの攻撃に備えているのでしょうか。
帰りに城域の北側、東側も歩いてみましたが、民家が建て込んでいて、西北からアプローチするしかなさそうでした。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 小和田氏
築城年 室町時代
主な城主 小和田氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 奈良県奈良市大和田町字城山