ともじょう

鞆城

広島県福山市


旧国名 : 備後

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Kimoくん

ルーツを訪ねて鞆の浦~その1~ (2023/10/22 訪問)

6月の熊本以来久しぶりの城巡り。祖父のルーツの地鞆の浦を初めて訪問しました 天候にも恵まれ鞆城→大可島城登城と待ち歩きを満喫 石垣に刻まれた刻印を見て大感激!その後に訪れた地元の名産品「保命酒」のお店で思わぬ発見。顛末はこの後の福山城訪問記でお知らせしますので是非ご覧下さい。

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朝田 辰兵衛

大可島城から徒歩で。 (2023/03/20 訪問)

大可島城から,鞆の浦のシンボルとなっている常夜灯を経由して,鞆城へ。町並に風情があるので,ゆっくりと時間をかけて。
月曜日ということで,鞆の浦歴史民俗資料館は休館日でした。しかし,(雨男なので)天候に恵まれたのでよかったです。同伴の母が晴れ女なんだと思います。

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todo94

11年ぶりの鞆城 (2022/11/04 訪問)

大可島城を俯瞰するために鞆城にも脚を伸ばしてみました。2011年8月以来、11年ぶりの鞆城です。その間、大河ドラマで何度も足利義昭が描かれました。「麒麟がくる」の足利義昭は特に印象的でした。この後、対潮楼や桝屋清右衛門宅なども巡って鞆の浦を満喫させて頂きました。

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くらのり

鞆城 (2017/10/09 訪問)

前身となるのが1553年(天文22年)頃に毛利元就の命により備後地方の豪族である渡辺氏が市街中心部の丘陵に築いた鞆要害である。その規模・構造はよく分っていないが、1576年(天正4年)には京都を追われた足利義昭が毛利氏の庇護の下、この鞆要害で亡命政権を樹立した。
江戸時代に入ると安芸備後を与えられた福島正則により鞆要害の築城が開始され、鞆城と呼ばれ、丘陵部の本丸を中心に二の丸、三の丸が囲み、その城域は、南は鞆港、東は福禅寺、北は沼名前神社の参道まで達する大規模なものであった。この時、3層3階の天守も建てられたといわれている。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重3階/1600年頃/破却(一国一城令)]
築城主 毛利元就
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 毛利輝元、福島正則
主な城主 毛利氏、足利義昭、福島氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、帯曲輪、石垣
指定文化財 市史跡(鞆城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 広島県福山市鞆町後地
問い合わせ先 福山市文化課
問い合わせ先電話番号 084-928-1117