広島県福山市の鞆の浦へ。
鞆城があった場所は、現在歴史民俗資料館が建っており、石垣が一部復元されている。
城跡自体はそんなに大したことないけど、鞆の街は江戸時代からの建物や細い路地など古い町並みが残っており、歩いていて楽しい。
福山城の長屋門が残っていたり、重要文化財の安国寺、龍馬の隠れ部屋など歴史好きには見どころが多い。
また、瀬戸内海の景色を一望できるスポットもあり心が洗われる。歩ける距離に多くの見どころがあって、好きな街の一つになった(^^)
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2025/07/07 08:51
江戸情緒が残る街 (2025/07/04 訪問)
広島県福山市の鞆の浦へ。
鞆城があった場所は、現在歴史民俗資料館が建っており、石垣が一部復元されている。
城跡自体はそんなに大したことないけど、鞆の街は江戸時代からの建物や細い路地など古い町並みが残っており、歩いていて楽しい。
福山城の長屋門が残っていたり、重要文化財の安国寺、龍馬の隠れ部屋など歴史好きには見どころが多い。
また、瀬戸内海の景色を一望できるスポットもあり心が洗われる。歩ける距離に多くの見どころがあって、好きな街の一つになった(^^)
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2025/01/13 17:13
2024/03/24 18:05
福島正則の築こうとした総石垣の海城 (2024/01/04 訪問)
鞆城の始まりは元亀4年(1573)に織田信長によって京都を追われた足利義昭をかくまうために築かれた鞆要害とされています。足利義昭公は天正4年(1576)頃から当地に滞在しており要害もそのころに築かれたと思います。
現在の縄張りは関ヶ原の合戦の後に、安芸・備後国を領有した福島正則によって大改修されたもので、工事は慶長14年(1609)まで行われてましたが、完成を待たずに破却されています。
本丸跡は鞆の浦歴史民俗資料館になっていて周辺に石垣が残っています。特徴的な回の刻印のある石が複数見受けられ、三の丸の移築石垣にも回の刻印がありました。三の丸の石垣は病院建設時に23m北側の道路に面した場所に移されていますが、向きは180度近く変えられているようです。かつての石垣は海岸線に面し、福島氏改修時には軍船を係留できる海城であったことを示しているようです。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
天守構造 | 型式不明[3重3階/1600年頃/破却(一国一城令)] |
築城主 | 毛利元就 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な改修者 | 毛利輝元、福島正則 |
主な城主 | 毛利氏、足利義昭、福島氏 |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪、帯曲輪、石垣 |
指定文化財 | 市史跡(鞆城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 広島県福山市鞆町後地 |
問い合わせ先 | 福山市文化課 |
問い合わせ先電話番号 | 084-928-1117 |