八千代緑が丘駅から徒歩で40分くらい。
桑納川北岸の台地に位置します。
主郭部分は畑のようでその周辺に土塁や空堀と思われる遺構が残っています。
説明板や碑は立っていません。
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2019/07/18 21:06
説明板などはありません (2019/07/14 訪問)
八千代緑が丘駅から徒歩で40分くらい。
桑納川北岸の台地に位置します。
主郭部分は畑のようでその周辺に土塁や空堀と思われる遺構が残っています。
説明板や碑は立っていません。
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2019/07/18 21:05
2019/07/18 20:57
入封400年フォーラム 「水野勝成物語~戦国最強の武将による福山のまちづくり~」
初代藩主水野勝成入封400年を記念して入封400年フォーラムを開催します。
日時:2019年(令和元年)8月31日(土)13:00~16:00(開場12:30~)
場所:神辺文化会館
料金:入場無料(事前申込み)
☆お申込みフォームはこちら→https://fukuyama400.jp/join/apply-20190831
司会:歴史好きガール 生田未歩さん
オープニング:刈谷城盛上げ隊
記念講演:歴史コメンテーター金谷俊一郎さん
パネルディスカッション
コーディネーター:金谷俊一郎さん
パネラー:刈谷市歴史博物館学芸員 長澤慎二さん
大和郡山市主任技師 山川 均さん
福山城博物館学芸員 皿海弘樹さん
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2019/07/18 19:14
七沢温泉。 (2019/07/13 訪問)
神奈川県厚木市の「七沢城」に行きました。
扇谷上杉 定正さんの兄弟、七沢 朝昌さんの居城です。
太田 道灌さんが定正さんに謀殺され「長亨の乱」が始まります。
山内上杉 顕定さんに攻められ落城。朝昌さんも討死してしまいました。
「七沢城」、温泉地でした。
「七沢城」の説明板もいろんな場所にあります。
1、2の写真は七沢リハビリテーション病院の入口近くです。
3、4の写真は広沢寺で定正さんと鶴姫のお墓があるそうです。
5、6、7の写真は広沢寺から登山口(?)に向かう途中です。
一応、グーグルで「七沢城」の示す方に行ったら「進入禁止」でした。
地元の方に聞いたら、熊も怖いのですが夏は「ヤマビル」が出るので装備をきちんとした方が良いそうです。
雨ごときで退散する私は、どこの山城も難攻不落です。
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2019/07/18 17:22
2019/07/18 08:26
広いけど天守は小さめ弘前城 (2019/07/17 訪問)
弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信によって作られた津軽藩政の中心地だ。
五つの城門を持、三つの櫓が現存し、どれも重要文化財になっている。
ここは春に桜。夏に新緑。秋に銀杏。冬に雪。と一年中ロードショーだ。
天守閣の近くには枝垂桜が植えられている。
弘前公園は約49.2haと大きいが、天守閣は3階建てと少し小さめ。
公園内にある武徳院では、衣装の着付けができる。隣ではおいしいおいしい喫茶店があり、おやつ・ご飯にちょうどいい。
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2019/07/18 08:10
2019/07/18 07:53
星の形だ五稜郭 (2019/07/15 訪問)
五稜郭は五稜郭タワーを含む大きな星形の城だ。
まず五稜郭タワーを見る。
展望1階ではくつろぎながら五稜郭を見れる所になっている。
展望2階では幕末の名場面を人形で表したメモリアルポールがある。「箱館総攻撃」では脱走軍が箱館奪回に向かう様子がある。
さらに五稜郭復元模型では、当時の1/250で建物を表している。
その他に五稜郭ガイドや触れる模型などがある。
次に箱館奉行所を見ていく。
箱館奉行所は幕末の箱館開港により設置された江戸幕府の役所であり、安政四年に五稜郭の建築が始まり、元治元年に完成した。
そのことから箱館山のふもとにあった役所を移し五稜郭の中にしたという。
その後大政奉還により明治新政府に受け継がれたが、戊辰戦争の箱館戦争の舞台となった。戦争後は開拓使により全部が解体された。
しかし、復元工事が進められ再現された。再現ゾーンと歴史発見ゾーンと映像シアターと建築復元ゾーンに分かれている。
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2019/07/18 00:55
堂々。 (2019/06/29 訪問)
1年半ぶりの松本城です。
天守はそれほど混んでいなかったので、展示をゆっくり見たり窓の外を眺めたりしながら1時間以上籠城できました。
ここの天守構造はしっかり頭に入っているので、自分が今、国宝5棟のどこにいるのかを確かめながらまわるのが楽しかったです♪
この日は曇天で下見板張りの部分もグレー。次回は黒漆塗り替え直後…ではなくて作業中に来てみたいなと思いました。
お土産の天守石垣サブレが好評でした♫
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2019/07/17 23:58
2019/07/17 23:29
岡部五郎兵衛元信 (2019/06/22 訪問)
丹下砦から南に1km弱で徒歩10分程でした。名鉄鳴海駅からでも北に徒歩5分程です。
車の場合、駐車場はないので鳴海駅のコインパーキングに止めて行く事をお勧めします。
名鉄鳴海駅から庚申坂(こうしんさか)を登って行くと、東側に城址碑のある天神社があり、鳴海城の東の曲輪跡と伝わります。坂の西側に鳴海城跡公園があり、こちらが主郭跡と伝わります。
はっきりした遺構は残っていませんが、鳴海城跡公園の西側にある細い坂道を下った所にある東福院さんに鳴海城の廃材の梁(はり)を使用したと伝わる山門があります。
また、この細い坂道は「〔日本古城絵図〕 東海道之部(2). 35 鳴海古城図」でも、はっきりと確認できるので、往時からあった道だと思います。
遺構がなく、城巡りとしては満足できる要素は少ないかもしれませんが、桶狭間の合戦で今川義元公が落命した後、鳴海城に踏みとどまり、主君・義元公の御首級を織田軍から取り戻した(鳴海城の開城と引き換え)岡部元信公が城主を務めていた城なので、込み上げてくるものがあります。義元公死後、織田軍との最前線であった鳴海城に取り残された形となった元信公ですが、周囲の今川方が総崩れとなり退却する中、織田方に睨みをきかせ続け主君の御首級を取り返した働きは、さぞかし駿府の今川氏真公を安堵させたことかと想像できます。
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2019/07/17 21:54
諏訪の浮城 (2019/04/15 訪問)
高島城は、松江城・膳所城と並び日本三大湖城の一つに数えられています。
恥ずかしながら訪問するまで、諏訪湖畔に聳えるお城を想像していました。
徳川家康の関東入り後に、豊臣秀吉の家臣で築城の名手、日根野高吉が諏訪に赴任、七年の歳月をかけて諏訪湖に突き出る水城、三重五階の独立式望楼型天守を頂く、連郭式平城を完成させます。この普請は領民にとって過酷な労役だったようで他国に逃散するものが多くあったようです。
関ヶ原の戦いを経て、諏訪氏が旧領に復帰、逐電した民を呼び戻し、新田開発して領土の復興をはかります。それ以後も諏訪湖の干拓は進み、水城の面影が失われていったようです。
現在のお城は1970年に再建された復元天守です。資料館になっており、三階展望コーナーの眺望から、湖岸まで 800m も離れてしまっている事がわかります。
当時の諏訪の浮城の姿は、江戸時代の浮世絵を通して確認出来ます。渓斎英泉 木曽海道六十九次「塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望」の絵がいいですね。
歌川広重 冨士三十六景「信州諏訪之湖」
葛飾北斎 富嶽三十六景「信州諏訪湖」
などでも諏訪湖と富士山、そして高島城が描かれています。
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2019/07/17 21:41
一度目撤退、二度目攻略 (2019/04/21 訪問)
2015年の秋、車で近くを通りかかった際にゴルフ場に赴いて雷電神社への道を伺い、いざゲートの前まで来るも・・・突然のゲリラ雷雨で撤退。。。
車で坂上のゲート目前まで来ていたのでほぼ濡れなかったものの、急坂で車がスリップしやしないかどきどきキャンプ状態でしたw
今年の春、越生にある高取城及び岡崎氏館と、毛呂にある斎藤氏館を訪問した際に、毛呂駅から意外と近場にあった雷電神社こと竜ヶ谷城を攻略しに行きました。
駅から歩いて20分弱、自分でもよくツッコんだな・・・と思える雷電神社方向への道を歩き、前回撤退したゴルフ場のゲートへ。
今回は天候も良く(というか良すぎて暑かったw)、無事にゲートを空けて雷電神社へ向かいました。
ゴルフコース内にあると言う事で神社自体は大したものは無いと思っていましたが、意外と言っては失礼ですがしっかりと神社施設がありました。
恐らく先に神社があって、後に周辺の地形を利用してゴルフコースが出来たんでしょう。
コース内にある山(結構登りきつく、高いところだった)を10分程度で登った神社のエリアを一回り囲んだエリアが竜ヶ谷城域と思われ、断言はできないものの堀や虎口、犬走りのような地形が見受けられました。
頂上のお社があるエリアに段曲輪があり、そこに竜ヶ谷城の解説版もありました。。。意外や意外w
ゴルフコース内にある史跡は三増古戦場の武田信玄の旗立の松を見学した時以来2度目の訪問となりましたが、やはりコース内を横切るのって、許可を取っているにも関わらず何やら悪い事している感じになりますねwww
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2019/07/17 21:35
木山城
すぐ近くの赤井城と一対で機能したと思われる木山氏のお城。赤井城もろとも熊本地震の被害を受け、訪ねた時には復興工事の真っ最中だった。ちなみに木山惟久は朝鮮半島への途次難破した黒田熊之助と運命を共にしたとか。
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2019/07/17 21:09
八幡山城 (2019/05/25 訪問)
【続百名城35城目】
<駐車場他>日牟禮八幡宮前に無料あり
<交通手段>車
<見所>北の丸、二の丸、本丸の石垣・豊臣秀次居館跡・八幡堀
<感想>日帰り八幡山攻城の旅1城目。朝9時半到着し15分間隔で運航するロープウェイに乗り山上へ。スタンプは山頂駅にあります。二の丸跡に駅と展望館がある。展望館内には出土した軒丸瓦等の展示品がある。二の丸北側は門跡の石垣が見事、そこから本丸を一周する経路で西の丸跡→出丸跡は悪路の為立入禁止→北の丸、脇道を通り北の丸石垣も見事→本丸北側の帯曲輪を通ってこれで一周。各曲輪の石垣はほぼ残存していて、豊臣期の算木積未発達の野面積高石垣が見事で見応えある。本丸は瑞龍寺になっていて有料拝観できるが御城印のみ購入する。北の丸⇔北ノ庄城跡、麓に降りて豊臣秀次像→居館跡はほぼ竹林となっているが石垣が見事→八幡掘を散策して終了。城跡・居館跡・長い堀・近江商人の古い町と見所沢山のいいお城跡でした。これで百・続百名城の滋賀県制覇。
<満足度>★★★
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2019/07/17 19:25
山岳寺院を利用してます (2019/07/08 訪問)
松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、寺領7千石、寺坊300余名、僧兵は数千人を数えたらしく、山岳寺院を利用したのが松尾寺城であったらしい。織田信長は天正9年(1581)紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払ったが、豊臣秀頼によって再興されている。
松尾寺駐車場(2ヶ所:30台)を利用、麓から石段を途中まで上がると、左側の削平地は首堂(こうべどう)、案内板曰く「源義経が源平一の谷合戦で戦死した将士の首舟一槽を当寺へ送り、この地に葬り亡魂の菩提をねんごろに弔いました」と、将士の首舟一槽を想像してしまい、少しコワイ。さらに石段を上がると立派な山門と金堂、改変されているので遺構は良く分からないが、一番奥の春日神社裏に山城らしい地形が見られます。
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2019/07/17 18:59
山中城址? (2019/06/08 訪問)
神奈川県厚木市の「荻野山中陣屋」に行きました。
1783年に大久保家が駿河の沼津あたりにあった陣屋を江戸に近い「荻野山中陣屋」の場所に移しました。
参勤交代の費用を抑える狙いがあったそうです。
箱根越えやら大変だったのでしょうね。
♪箱根の山は天下の険♪ですもんね。
費用の件、違う理由かもしれませんけど、勝手に想像しました(笑)
幕末に薩摩藩の浪士により焼き討ちにあいました。
一番最初の写真には「山中城址」とあります。
もともとお城があった所に陣屋が引っ越ししてきたのかと思いました。
ネットで調べてみても「山中城」は「荻野山中陣屋」になってしまいました。
1615年の一国一城令で神奈川には「小田原城」があるので「山中城」と命名できなかったのでは?
本当は、お城の機能満載の陣屋にしたかったんじゃないのでしょうか。
そして「荻野山中陣屋」ではなく「山中城」と呼びたい!
、、、と、またしても勝手に想像してみました。
だって、「城びと」ですからね。
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2019/07/17 16:19
2019/07/17 12:41
七夕の登城と相成り候。 (2019/07/07 訪問)
またまた間隔が空いてしまった…orz
さて今回は、前々から気になっていた兵庫県加西市の山下城へ行ってまいりました。
山下城の歴史は、実は資料が少なく不明な点が多いようです。
城跡すぐ近くに建つ田冨山常行院の寺伝によると、建武年間頃に赤松氏の家臣であった浦上七郎左ェ門正久が寺領を奪い堂宇を焼き払い、その跡地に城を築いたそうです。エゲツナイ。
天正の三木合戦では、当時の城主浦上久松は兵を伴って三木城へ籠城しました。結果、別所氏と運命を共にし、この城も廃城となったようです。
てなわけで現地へ。
とりあえずマイカーは必須です。駐車場は常行院の道をはさんですぐ横にある広い駐車場を使わせていただきましょう。
そこからの道のりは、常行院門前に案内板がありますので、参考にさせていただきましょう。
案内板に従って3分ほど遊歩道(私道っぽいですが…)を歩きますと、右手にいかにも城跡だって感じの丘陵地が見えます。
比高約30mの小山の斜面には、明らかに人工的なテラスが多数見受けられます。
そして『山下城跡』と刻まれた小さめの石碑があります。ここからが本格的な登城ルートです。遊歩道としてある程度の整備がなされていて、とても歩きやすいです。
ちなみに、現在整備されているこのルートは、当時の搦手口だったようです。
その登城ルートを入ってすぐ右を見ますと、見事な大堀切が見えます。そして少し進んで左側には帯郭状の空間があります。その真上が本丸で、その直下の切岸はなかなか急勾配です。
それらを横目にまっすぐ進んでゆくと水の手跡があり、そこから3方向にルートが別れます。
右手に行くと多用広場、政所郭と呼ばれる広い空間があります。現在このあたりはそのまま畑地に転用されていて、実際、結構広いです。いかにも居住空間があったような、そんな雰囲気があります。
真ん中のルートは二の丸の直下を通り、西本郭と呼ばれるところへ行きます。ほとんどが竹藪と化していますが、郭の形や配置、堀切などほぼ良好に残っていてわかりやすいです。
南側には土塁や竪堀が残っているようですが、残念ながら藪化しすぎでよくわからず。
そして西本郭から西側に行くと当時の大手口だったようですが、竹藪と、明らかに私有地っぽい雰囲気だったので無念の引き返し。
それでは水の手跡から左に回り込むルートへ。見事な切岸を横目に登って行くと二の丸、さらに少し登った先が本丸です。
本丸…特に南方向の眺望は良く、麓の山下町の田園風景と、遠く南の彼方には善坊山が見えます。
善坊山上には善坊山城があります。同じ別所方のお城です。南から迫りくるであろう織田方の軍勢に備えて連携し合ってたんでしょうか。
手頃に登れて、全体的に郭跡が良好に残っていて見ごたえのある山下城ですが、探索に際しては、主郭部を除く大半は私有地かと思われますので地元の方々に対する配慮は必要かと思います。
そしてマムシ注意。
ここまで保存状況が良いお城なので、国や県の史跡に指定されていてもおかしくないぐらいに素晴らしいお城でした。
もっと知られてても良いんじゃないかと思わせてくれます。
他人にオススメしたい城がまた一つ増えました!
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