大井川を挟んで徳川と武田が睨みあっていた頃、両者が頻繁に小競り合いをした現場。勝頼くんも何度も「お見舞い」に来ています。
最後は徳川の手に渡ったのに模擬天守の展示も押しなべて武田寄りで非常に好感が持てます。個人的見解です。
信玄さんに仕えたのち勝頼くんを補佐した馬場美濃守信春さんの築城で、三重の三日月堀がきれいに残っていました。長篠での戦いぶりが信長公記でも絶賛されている美濃守さんの遺した強くて美しい作品。古くからの家臣を勝頼くんが疎んじたというのはちょっとはあるかもしれないけれど、ほんのちょっとだったと信じております。
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