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城びとに登録しました。

はじめまして。この度城びとに参加しました。52歳にして行った城は26城、生まれてから2年に1城のペースのひよっこですがよろしくお願いします!
苗木城に行って来ました。もしこれから行かれ予定があるなら、車がおススメです。わたしはバスで行きましたが、バス停から城に辿りつくまでの約30分間で脚が爆死しました(笑)甲冑を付けてこの城を往来してい武士達の人間離れした体力は、本当に想像しようがありません。。。見所の多い城だと思いますので、余裕をもって観察出来るよう、ぜひ車で!

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虹爺々

箱根ハイキングで偶然・・・ (2013/11/30 訪問)

箱根ハイキングのコースで度々通った鷹巣山(834m)が、山城跡だった。
箱根の鎌倉古道の湯坂路にも”湯坂城址”があったとの事だが、いずれも標識がないと気づかない!

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刑部

4度目の攻城 (2019/01/06 訪問)

1番最初に来た38年前くらい前は、城址の真ん中を電車が通っていて田畑の中に城址の石碑だけでしかありませんでした。 でも、今はこんなに整備されて見やすくなってます。

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ヒロケン

徳川・武田 激戦の城 (2019/01/03 訪問)

天正3年の攻防では、城を守る武田勢に対し、徳川勢は鳥羽山城に本陣を置き、二俣城の周囲に砦を築き包囲した。長篠の戦いで惨敗し、遠江での勢力を急速に失っていた武田勢は兵糧が底をつくと、7ヶ月で城を明け渡した。二俣城には家康の家臣・大久保忠世が入城し天正18年まで在城した。

二俣城は、北から北曲輪、本丸、二の曲輪、蔵屋敷、南曲輪がほぼ一直線に配置されている。天守台の石垣、本丸東側の石垣など主要部の石垣は、その後入城した浜松藩主・堀尾吉晴の弟・堀尾宗光によって、構築されたとされています。

徳川家康の嫡男、松平信康が切腹した話はあまりにも有名な話でありますが、(一説には1キロ程離れた二俣城の別郭一城の城、鳥羽山城とも)織田信長の命とは言えあまりにも残酷な話ですよね、奥さん(築山殿)と長男(信康)を同時に死なせる訳ですからね。
今回は時間の都合で(このあと鳥羽山城へ)寄りませんでしたが、二俣本町駅から10分程歩いた清瀧寺には、信康の墓所と再現された二俣城にあった井戸櫓が再現されています。

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刑部

主郭部は工場 (2019/01/06 訪問)

土塁を利用して工場の入口になつてます、城址の石碑・案内板は立派です!

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刑部

学校前の案内板 (2019/01/06 訪問)

城址は学校になっていることが多いです ここも。

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刑部

北条町を探索 (2019/01/06 訪問)

麓にある日向廃寺跡、ここも多気氏ゆかりのようです。 登り方が見つからず断念、その分麓の町を散策。

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織田晃司

細長い縄張り (2019/01/05 訪問)

旗立穴から姫落としまですべて見ようとすれば1kmは歩くようになります。

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織田晃司

侮るなかれ (2019/01/05 訪問)

天然の絶壁、岩盤と巨岩、石垣を駆使して築かれた城。
城の縄張りの妙もあって見ごたえのある城です。
説明板も随所にあり見落としも減ることでしょう。
続百名城に選ばれなかったのが不思議なくらい凄い城です。

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織田晃司

大村公園 (2019/01/05 訪問)

復元された板敷櫓を中心に遺構が残る。
新蔵波止やお船蔵は玖島城遺構の特徴。
3月末に桜、5月には菖蒲が咲き誇る。

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織田晃司

唐船城 (2019/01/05 訪問)

湾曲して流れる有田川を天然の堀として築城。
断崖の後ろ堅固の城。

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とみー

土の城の教科書!感動の城 (2018/10/07 訪問)

まずは、嵐山町役場で続日本100名城のスタンプと杉山城のパンフレットをゲット!パンフレットを見ながら現地へ行く前に「どんな城なのだろう?」と、想像することがたのしい!そしたら玉ノ岡中学校に向かいます。校内に入ると体育館の前に駐車場があります。そこに車をとめて「レッツ登城!」学校の裏山が杉山城です。まず目に飛び込んでくるのが大迫力の土塁です。そこでいきなり大興奮!そしてさらに登るとても深い空堀があり、その奥に郭があります。空堀の下を歩くこともできます。「敵に狙われているようで少しこわい!」攻め手になった気分です。主郭が、その上にあります。「防御最強」実際だったら主郭まで来るなんて防御が強いので不可能だと思います。さらに奥には、土橋があり、そのさらに奥には郭があります。だいたい4時間くらい見学をしたらたのしめます。

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織田晃司

倭寇のアジト (2019/01/04 訪問)

火山礫でできた石垣は独特の雰囲気を醸し出してます。

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miko

年末年始 (2018/12/30 訪問)

スタンプは佐久市役所臼田支所に

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織田晃司

別名、石田城 (2019/01/04 訪問)

幕末に外国からの脅威に対する防御として築城。
蹴出門は現存する遺構。

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miko

ぐすく (2018/08/12 訪問)

座喜味城

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チェブ

ぎょうぶ?けいぶ?おさかべ! (2018/12/30 訪問)

「刑部城」と「堀川城」を紹介します。「井伊谷城」の近くのお城です。
この二城、桶狭間の合戦後、遠江侵略を企む25歳位の若い家康さんがやっつけてしまいました。
「刑部城」はあっけなく落城しています。
刑部城の碑はないのですが「金襴の蛇」の説明板があります。
姫が恥をさらすならと池に入水したそうです。
この家康さんの侵略12月です。寒いんです!
「刑部城」鳥居をくぐるとお社があります。
竹やぶの中に当時の遺構を見る事ができるのでしょうが・・・。
城跡の右側に民家があり、仕切りもないので入って良いのか躊躇しました。(後でネットで調べたら遺構は残っているみたいです)

「堀川城」は「お城を探す」に出てきません。大河ドラマ「直虎」では気賀のお城と言われていました。
遺構もありません。が、首塚があります。
家康さん、籠城した女子供、老人みーんな処刑!
若いエネルギーって怖いっと思いました。イライラしていたんでしょうね。
二城とも車で行きました。どちらも遠慮がちに空いているスペースに止めました。
ちなみに「刑部城」、三方ヶ原で家康さんをやっつけた武田信玄公が年越ししています。
ほらっ、イライラしちゃダメですよ!家康さん!

たくさんの方々の命が家康さんの将来への礎になったと信じています。

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山口駿河守幻夢斎

寺山館跡 (2018/12/30 訪問)

水郡線の近津駅から15分くらいで登城口も、水郡線は、昼間は本数がほぼ皆無で、役に立たない。

ために新白河駅からバスで磐城棚倉駅、棚倉駅から徒歩45分くらいで登城口へ。セブンイレブンのある交差点を、踏切側に入り、踏み切りすぎてすぐ右側に民家の脇を進んでいくと、登城口へ。

登城道が整備されているものの、近年の荒天の影響か、倒木が多く、荒れている印象。

縄張り図を見つつ進むも、よくわからず、最も見どころの二重堀切を見落とした。

近々、再訪問の予定です。

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くろもり

馬上少年過ぐ (2013/08/17 訪問)

伊達政宗公の隠居城ですが、現在は宮城刑務所になっています。敵から守る為の堀や土塁のある城が刑務所に再利用されることは「なるほど経済的」とも思いますが、城好きからすると、そうなると中に入ることができなくなるわけで・・・遺構が消え去ってしまうよりはましですが(土塁なんてほぼ完全な状態?)、ある意味、一庶民は外から眺めるだけという往時のリアルな城を見る感覚を味わえました。

親戚が徒歩15分くらいの所に住んでいるので、徒歩で訪れましたが、観光地ではないので駐車場はありません。todo94さんのように河原町駅から歩くか、まっつんさんのようにレンタサイクルで訪れるのがいいと思います。

刑務所なので、捕まらないと中に入れない・・・と思いきや。親戚の話によると、1年に1度、10月か11月頃に刑務所の作業場の一般公開があり、中に入ることができるそうです。ネットで検索すると確かに作業場を見学した方のブログがありました。内部はもちろん写真・ビデオの撮影は厳禁のようですが、「ブラタモリ」でタモリさんが見たような景色を目に焼き付けることができそうです。

戦国の気風がバリバリ残る仙台城(青葉城)と比べると、この若林城は平時の平城で、政宗公が天下への野心を失ったことを物語っているように感じました。司馬遼太郎さんの短編「馬上少年過ぐ」で描かれていたような隠居生活をここで送っていたんでしょうか。

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朝田 辰兵衛

丸岡城の木造天守外観は… (2017/11/25 訪問)

雨に濡れたほうが重厚感が出て,威厳を感じるのではと思います。そうそう,お静さんが人柱になっているのは,入口から入って,中央3番目の柱だそうです。受付の女性の方に伺いました。

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