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赤い城

蓮福寺の背後に (2019/11/09 訪問)

本納駅から徒歩15分。蓮福寺の墓地の背後が城址になります。
里見氏と北条氏の間で争奪戦もあった城。
脆そうな土壌で切通のようになった先に主郭部があります。
主郭には石碑が立っていました。
痩せ尾根上を削った平場がありますが両脇は崖、落ちたらひと溜まりもありません。
藪の先にも進んでみたいような感じでした。

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だめなこ

明知城\('ω')/ (2019/11/10 訪問)

これ ホントに歩きやすくなってるの?w
ってぐらい険しい山すぎて
お城ってことを忘れてて
写真撮るのも忘れてた(´Д`|||)

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チャンミー

令和1年11月11日 (2019/11/11 訪問)

たまたま1並びの日に訪れることができたので、うれしくって載せてみた✌️

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だめなこ

御城印と五平餅だけ・・・ (2019/11/10 訪問)

夏に行った時はまだ御城印を集めてなかったので
他のお城に行く予定もあったし
今日は御城印をもらって五平餅を買って撤収('ω')

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シロマサ

鹿沢城 現在は本多公園 (2019/10/30 訪問)

傘内氏が築いた篠の丸城があったが、1580年(天正8年)羽柴秀吉に攻め落とされた。
その後、黒田官兵衛が秀吉からこの山崎に領土を与えられた時は、山上の篠の丸城を居城としていたようである。
木下勝俊が1587年(天正15年)に、現在の山崎城がある鹿沢の地に築いた。

江戸幕府になり、山崎藩は1615年(元和元年)鹿沢の山崎城を政庁として、池田輝政の4男輝澄が3万8千石で入封した。
その後、松井氏、池田氏、本多氏と、3度藩主交代を経て明治維新を迎えた。

廃藩置県後は、学校施設などが設置されたが、現在本丸跡は本多公園となり、幕末期の設置とされる紙屋門などが残る。

今回初めて山崎城を訪れたが、本丸跡は本多公園として整備されていて、石垣などは新しく整備されているが、当時偲ぶことができる。
本丸内に移築された山崎歴史民俗資料館(龍野治安裁判所山崎出張所)ある。
また、宍粟市立図書館の2階にある山崎歴史郷土館は、図書館の受付の人に声をかけて見学されてもらった。
そして駐車場は、図書館の南側を利用した。



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チェブ

ズッキーニ畑。 (2019/09/22 訪問)

長野県佐久市「根井氏館」に行きました。
ねのい、と読みます。
佐久市には続100名城の「龍岡城」を含め7城のお城が「お城を探す」に登録されています。
前日が雨だったので山側は後日リベンジするとして、「根井氏館」に向かいました。

木曽 義仲さんの四天王の一人、根井 行親さんの館です。
ちなみに四天王は根井さんの他に今井 兼平さん、樋口 兼光さん、楯 親忠さんです。
今井さんと樋口さんは兄弟。楯さんは根井さんの息子です。
そして樋口 兼光さんは直江 兼続さんのご先祖様になります。

正法寺辺りが館跡です。高い場所でもない、どちらかと言うと低い場所です。遺構もありません。
お寺さんとズッキーニ畑でした。

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だめなこ

やっぱり晴れた日に・・・ (2019/10/12 訪問)

台風の日
ググってみたら『営業中』ってなってたからポンチョ着て長靴め履いて行ってみたけど
臨時休業 だて貼り紙があって
お城の中には入れませんでした( •᷄⌓•᷅ )

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イオ

大坂の陣史跡めぐり (2019/10/09 訪問)

大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田信繁(幸村)が天王寺口の戦いに際して陣を置いた茶臼山陣城は、茶臼山古墳を利用したとも、奈良時代に和気清麻呂が排水・水運のため上町台地を開削した際の盛り土とも言われますが、現在では地形は大きく改変されており、陣城としての遺構は見られません(茶臼山南側の河底池が水堀かと思っていましたが、違うようです)。
ですが、茶臼山の麓や山頂には大坂の陣にちなんだ石碑や説明板が数多く建てられていて、歴史の大きな舞台となった地に立って、往時に思いを馳せるには絶好の場所かも知れません。特に山頂は「真田幸村という人」「英雄になった真田幸村」「真田幸村名言」などといった説明板に取り囲まれており、真田推しの方(私もその一人ですが)にとっては、一度は訪れる価値があると思います。

周辺にも大坂の陣関係の史跡は多く、茶臼山から北に徒歩約5分の安居神社は真田幸村最期の地と伝わり、戦死跡の石碑や座って休息する姿の銅像、最期を遂げたとされるさなだ松(の二代目)が見られます。
また、茶臼山北隣の一心寺には夏の陣で戦死した本多忠朝(本多忠勝の二男)の墓所がありますが、冬の陣の際に深酒により敗走して家康に叱責されたことにより、天王寺口の戦いでは汚名返上すべく先鋒として毛利勝永隊に突撃し奮戦するも、猛反撃を受けて戦死。死の間際に、自分のように酒で身を誤る者を救いたいと誓ったといわれることから、酒封じの神として酒で苦しむ人々の信仰を集めているんだとか。私も酒をやめたいとは思わないまでも、酒による小さな失敗は何度もありますし、身を誤らない程度に楽しく飲めるよう願って手を合わさせてもらいました。
あと、茶臼山や大坂の陣とは関係ないものの、天王寺公園内には中之島の黒田藩蔵屋敷から移築された長屋門がありますので、こちらもあわせてぜひ。

以下余談。
ここまで書いてきて、周辺史跡も含めてくろもりさんの投稿をなぞったかのように同じところをめぐってるなぁ、と。同じついでに申しますと、私も「じゃりン子チエ」は大好きで、くだんの歌は今でもそらで歌えます。それにしても、ひょうたん池は茶臼山の河底池がモデルだったんですね。
 

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しーげ

長大な「水城」 (2011/11/13 訪問)

水城は道路で分断されています。すべて回るのは難しいと思います。また、春日市には小水城が点在しています。

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しーげ

登りやすい城 (2016/04/30 訪問)

道が整備され、登りやすい城です。

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しーげ

道が変わっている (2016/12/30 訪問)

光源寺から新しい道がついているので、これまでと違うので要注意です。

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しーげ

イノシシ除けの柵に注意 (2016/08/07 訪問)

円通寺の奥のイノシシ除けの柵の出入り口から城跡に入ることが出来ます。

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しーげ

何とか石垣が見える (2018/04/29 訪問)

なかなかわかりにくいですが、石垣の列の一部を見ることが出来ます。

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カズサン

立体輪郭式の土の城 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り由利本荘市亀田陣屋を終わり秋田最後の本荘城を初登城、車は公園南西奥の公園駐車場に停めて南側奥より二の丸、本丸の櫓台に登り本丸修身館で本荘城の勉強、本丸廻り、二の丸北正面から石垣で整備された階段を降りて三の丸広場復元城門と左右の水堀を探訪、時期的に土塁上にはつつじが色とりどり色鮮やかに咲き誇って居ました、奇麗に公園管理されてます。
 この後国道107号線で横手市秋田道横手ICより岩手県の城廻りへ向う。

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暁月

最近の建築物 (2019/10/25 訪問)

石垣風の部分、セメント見えない方が良いなと…
11月から御城印出来た様です。。。

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カズサン

真田信繫五女「直」絡みの陣屋 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り能代市の檜山城を終えて高速秋田道、日本海東北道経由して松ヶ崎亀田ICを降り亀田陣屋初登城。
 車は模擬天守が建ってる天鷺村前の駐車場に停め、先ず陣屋跡地の旧亀田小学校、グランド、天鷺神社を探訪し小学校跡地には城郭風の佐藤八十八美術館、陣屋奥の山頂はワイナリーと成り高城山には中世城跡出羽赤尾津城跡として公園化、城石碑が在る。
 麓の模擬天守閣大手城門を控えた天鷺村は古民家、武家屋敷、史料館、歴史館が揃って居り歴史館では大河ドラマ真田丸に絡んで真田信繫五女「直」の展示が有り大変勉強になりました。
 佐竹義宣弟宣家と真田信繫五女直と結ばれ重隆を生み岩城氏亀田藩を継ぐ、佐竹宣家は岩城宣隆に改め藩主と認められ二代目、三代目は子息重隆と続き明治まで至る。

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カズサン

安東氏三城の一つ俊逸な城 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻りし能代に一泊、ホテルで食事後近くのスナックを紹介して貰い秋田美女とカラオケでリフレッシュ翌日、能代市檜山の檜山城を目指すその前に情報センター檜山崇徳館に依るが開館時間前、大きく安東愛李公の掲示がなされてる流石檜山安東氏の故郷。
 そのまま車で舗装の登城路を進行し三の丸、二の丸の間の狭い駐車エリアに停める、帰りバックして戻るに一苦労、歩いて城域、遺構を見ながら登るのが最適化も。 熊の心配もなく、草の茂も無く、その時期の投稿写真を見るとそのタイミングにゆっくりと観察探訪したい城です。
 熊注意も有り、草も茂って居り三の丸、二の丸、本丸、周辺を見渡し、眺望し下城、麓に一国一城制で多賀谷氏が築いた多賀谷居館跡を探訪、多賀谷氏は常陸下妻城主、佐竹氏に降り関ヶ原後佐竹氏と秋田に転封し檜山城に入る。
 下城後崇徳館に依り情報収取、資料を得る、担当の方から昨日檜山城に熊が出没したと聞きびっくり聞いて居たら登城しなかったかも。
 帰路檜山安東氏城館跡茶臼館跡を探し探訪、標柱、田圃あぜ道の奥に案内板有るが草深く遠望のみ。

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tsuchinari

消えた天才 (2019/10/26 訪問)

プロ野球のスター選手に高校時代「絶対に勝てない」と思わせた天才がいた。
しかしその天才はプロに進まず表舞台から姿を消した…
そしてその天才は現在…!

といった感じの某ドキュメンタリー番組に見覚えのある人も多いのでは。
膳所城はまさにこの「消えた天才」と言える。
関ヶ原の戦の翌年に築城されたこの城は、名古屋城や江戸城、安土城など、城好きならずとも誰もが知っているような超有名どころの城と肩を並べる名城であった。
・琵琶湖畔の城
・天下普請による築城
・藤堂高虎による縄張り
膳所城を連想するキーワードをざっとあげるとこの3点がある。
「琵琶湖畔」
戦国時代から琵琶湖畔には多くの城が築城された。安土城、彦根城、観音寺城、小谷城、長浜城、坂本城などなど。理由は琵琶湖が天然の堀の役目を担ったこと、東国と京を結ぶ交通の要所でもあったこと、関ヶ原の戦後は、大阪の豊臣家を監視する役目があったことなどが理由として挙げられる。
「天下普請」
関ヶ原の戦いに勝利し、事実上天下を取った徳川家康が全国の大名に号令を発し、築城させたのが天下普請で築かれた城である。名古屋城や大阪城、江戸城などもこれに含まれる。このような名だたるどの名城のなかで、最初に築かれた城が膳所城なのである。
「藤堂高虎」
築城名人と言われる武将の中で、築城数において群を抜くのが藤堂高虎である。三英傑に仕え築城の才能を開花させた。宇和島城、今治城、伊賀上野城などなど、押しも押されぬ名城が並ぶ。膳所城もこの中に含まれる。

このようなキーワードが揃うわりには今日の膳所城の知名度はあまりに低すぎるように感じる。あくまで推察だが、築城以来、特に大きな戦や歴史に残るような出来事がなかったことと、現在は遺構がほとんど残っていないことが考えられる。
膳所城は江戸時代を通じて存続する。この間何度も補修を繰り返した結果、膳所藩の財政を圧迫させた。これは琵琶湖畔だったため常に波風に晒されていたことが原因と考えられる。
そして明治維新を迎え、廃城令により城としての歴史に幕を閉じる。

現在は城ではなく、人々の憩いの場として親しまれている。姿形を変えて今も尚、人々から愛されているわけだ。これも城の魅力の一つだと思う。数少ない遺構である城門は周辺の寺院に移築されて現存している。現在の膳所城址公園からは400年前武将が見た景色と同じ景色を見ることができる。

「消えた天才」は、昔とは違った色の光を今も確かに放っている。

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カズサン

模擬天守閣が鎮座 (2017/05/24 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県男鹿市の脇本城を終えて秋田県五城目町の模擬天守閣の在る五城目城初登城、麓城下より山頂の天守が見えそのまま車で天守閣直下の駐車場に車を停める、熊注意の看板が怖そう、模擬天守の森林資料館は閉館時間直前で入館できず、管理の方が居ましたので資料だけは頂く。
 よくこの小さな町で模擬天守閣を建設したと感心しお陰で探訪する事も出来大変感謝です。
 天守、周辺を撮影して下城、その後隣町の八郎潟町の浦城を探訪へ近くのお寺まで行くのですが夕刻暗く駐車場が分らず城域全体を遠望し宿泊先の能代へ進行。

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todo94

2度目の続日本100名城スタンプラリー・スタート! (2019/11/02 訪問)

日本城郭協会発行の「続日本100名城に行こう」を手に入れてしまったので、富山城より2度目のスタンプラリーを始める事にしました。日本100名城の時に倣って、1回の旅で1個のスタンプのみ捺す1城縛りで進めていくつもりなので5年くらいかかりそうですが、ゆっくりと楽しんでいきたいと思います。富山市役所の展望室から初めて富山城を俯瞰してみました。

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