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ぴーかる

伊賀柏原城址(滝野城) (2019/09/16 訪問)

【柏原城】
<駐車場他>勝手神社P 周辺の道は狭いが近辺に行くと電柱に勝手神社の矢印看板がある。
<交通手段>車

<見所>曲輪・横堀
<感想>日帰り伊賀攻城の旅1城目。最初にお盆休みに購入し損ねた高取城の御城印を夢創館にて購入し、またまた道の駅大宇陀にて美味しかった農産物と新米を購入、一度行きたかった女人高野室生寺を拝観したのち、国道165号線を上りながらの攻城1城目。
 この城は第二次伊賀天正の乱の時伊賀衆の残存が集まって最後に立て籠もって戦った城です。城跡は単郭式の丘城で現在は3方は二重の横堀、西側は田んぼの用水路があるので、かつては小川を利用した水堀があったかもしれない。池の遺構も見受けられた。
 私はまず勝手神社に駐車させてもらい、お参り、神社正面鳥居横に添付写真の城跡碑があった。勝手神社から東に田んぼを挟んで城跡がある。現在の虎口もそのまま東側から主郭に入るが、虎口には何の細工もしておらず土塁を切ったような感じなので当時はここが虎口かどうかは分からない。主郭はそこそこ広く、取巻く土塁は2~3m程の高さ。1重目の横堀は深くて特に南側は5~6m程はあって見応えある。南側から山の方に登っていくので、特に深くしたのであろう。2重目の横堀は浅く数十㎝程だがしっかり残っている。案内板に東に堀切があるそうだが2重目の横堀から藪がきつくてマムシ注意なので行けなかった。
 しっかりと土塁と堀が残る遺構で見応えがあった。検索時誰も未投稿だったので行ってみても損はない城跡です。案内板に伊賀衆千六百人が籠って激戦したとあったので、信長軍に囲まれ最後まで戦った伊賀者魂を感じられた。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

田沼意次幻の城 (2017/01/28 訪問)

 平成29年は大河ドラマ「直虎」ブーム直虎母方の新野氏もドラマのエンディングで数分関連遺跡等紹介が有り新野郷の寺院、神社、城跡を見て廻り近くの何回も寄ってる相良城を久しぶりに探訪。
 本丸跡、同牧之原市相良資料館、相良高校の校門脇二の丸土塁、探訪はしませんでしたが仙台河岸(資料館より東200m程)ここは萩間川から相良港に繋がり往時は千石船も横付けされたそうです。

 相良城は武田氏、徳川氏と代わり鷹狩り用の御殿が在ったそうですが田沼意次老中に成って5万7千石で築城されたましたが失脚後破棄された意次幻の城です、城跡は残して欲しかった。
 後に意次の2男田沼意正が1万石で相良城二の丸に陣屋を築き明治まで続いた。

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北畠信雄の城 (2019/09/28 訪問)

 途中までは案内板がありますが、肝心の登城口にはなく地元の方に聞いて登城することができました。未整備な城址ですが、土塁と周囲を囲む空堀など、かなり残っていて見ごたえあります。主郭の周囲には薄い土塁で囲まれた場所がありました。櫓でもあった跡でしょうか。

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城好きのメガネ

「三浦氏の本拠地 衣笠城」 (2019/09/28 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
衣笠城は三浦氏の本拠地とされる。源平合戦では源氏方についた三浦義明が400余騎で籠城し、攻め手の平家方(追手口より江戸重長・河越重頼・金子家忠など2000余騎、搦手からは畠山重忠ら1000余騎)と激戦の末、壮絶な最期を遂げた地でもある。三浦一族は城主義明を残し、源頼朝と合流するため、安房に向かい、平家追討の功をあげた。三浦一族は鎌倉幕府内でも重要な位置を占め、再び衣笠城を拠点とし勢力を伸ばすが、宝治元年、三浦泰村が北条氏、安達氏との勢力争いに敗れ、源頼朝の墓所である法華堂(鎌倉市)で自刃した。その後、衣笠城は廃城となった。現在、遺構は物見岩と呼ばれる大岩が残されている。
*衣笠城に隣接する「衣笠山公園」は日本さくら名所100選にも選ばれているが、城跡ではないので注意。


<アクセス>
JR横須賀駅 バス 衣笠城址バス停下車 徒歩15分

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滝川雄利の城 (2019/09/28 訪問)

 美旗駅より徒歩にて登城しました。
城址はグラウンドになっています。土塁と周囲に堀が残っています。ただ堀の中には草木が茂り十分には見学しにくい状況でした。

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橋吉

城というよりは野戦陣地 (2019/08/27 訪問)

上ノ国勝山館、志苔館に訪れ、続日本100名城北海道編はコンプリートです。
しかし、飛行機の出発時間まではまだまだ余裕があるので、もうひとつ城跡を訪れてみました。
志苔館からクルマで30分のところにある四稜郭です。

四稜郭は五稜郭を援護する支城として、また東照宮を守護する為に北東約3キロメートル離れた丘陵上に洋式築城法により築かれました。

建設を指揮したのは大鳥圭介あるいはブリュネ大尉といわれています。

現在は史跡として保護されています。

史跡四稜郭
所在地: 北海道函館市陣川町59

わりと広い駐車場も設けられています。

虎口は、いちおう食い違いになっています。

城というよりは野戦陣地ですね。
大きさはサッカー場ぐらい
もっとも全体敵に斜面になっているので、サッカーは出来そうもありません。

建物は造られなかったそうです。
周囲は土塁によって囲まれています。
土塁の外側には堀が巡らされています。
ただ、それほど深くはありません。

四隅には砲座が配置されています。
兵士や近郷の百姓など300人で、昼夜兼行して築いたそうです。

もっとも、井戸も建物もなく、平地の真ん中に、この程度の土塁を築いただけの城では、籠城もできず、すぐに落城したらしいです。

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とりの子

能島に築かれた村上水軍の城 (2019/05/12 訪問)

5月12日に能島城へ行きました。西日本豪雨で被害をうけた能島は上陸禁止でした。村上水軍博物館の展示を見て、村上水軍のことを知りました。能島城へは行けなかったけど、いろんなことが知れました。

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とりの子

藤堂高虎が築いた城 (2019/05/12 訪問)

5月12日今治城に行きました。今治城は、ぼくの大好きな藤堂高虎が築いた城です。たくさんの櫓が復元されていました。日本初の桝形虎口があったそうです。この日は無料で天守に入ることができたのでうれしかったです。

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朝田 辰兵衛

ウネウネこれでもかぁ~ってぐらい続きます。 (2019/09/28 訪問)

登城口は3ヶ所。雷神社登城口,普済寺南側登城口と東側登城口。これらの案内板と駐車場が,大場沢公民館にあります。正面に普済寺が見えますのでつい足が向いてしまいますが,効率が良いのは雷神社登城口で登り,普済寺東側登城口からの下山かな…と思います。
標高:94m,比高:70m。村上城を含め,こちらも新潟・山形地震の風評被害を被ったエリアになります。

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マムシ注意 (2019/09/27 訪問)

 天正伊賀乱決戦之地です。主郭は高い土塁に囲まれ、東隅には「お滝女郎化粧井戸」という井戸が残っています。主郭の周囲には二重空堀を認め、東の尾根には堀切が設けられています。遺構はかなりいい状態にあり、ゆっくり散策したかったが藪になっている所もあり、また「マムシ注意」の立て札があり自然と急ぎ足になり、少し未練は残ったが早々に撤退しました。

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丹羽長秀の三男 (2019/09/28 訪問)

 名張小学校の前には藤堂家屋敷があり、その隣の寿栄神社には移築された太鼓門があります。

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裏切者 (2019/09/28 訪問)

 下山甲斐守の城は伊賀には、奈垣と比奈知の2ヶ所あります。奈垣の城址を散策しました。登城口から坂を上って行くと屋敷跡らしき広場にでます。そこを横目で見ながら登って行くと目の前に遺構が現れます。主郭の大土塁と周囲を囲む見事な空堀です。堀切は浅くなっていましたが、主郭周囲は非常にいい状態で残っていて見ごたえ十分です。9月の終わりでしたが雑草に悩まされることなく見学できました。
ただ行くまでが苦労しました。タクシーで行きましたが、知られていないようで地元の方にお世話になり辿り着くことができました。ネットで見た案内標識は朽ちていて文字が読み取れません。遺構はすばらしいもので苦労して行った甲斐があったと思います。

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伊賀では本格的な山城ですが (2019/09/27 訪問)

丸山駅より徒歩にて登城しました。
新しい標識があり、迷うことはありませんでした。
伊賀地方にしては本格的な山城ではないかと期待して登城しました。主郭の櫓台(天守台?)の所までは道は整備されていて石碑を見ることができます。ところが主郭周囲から北郭方面は草がぼうぼうで侵入も困難でした。二重空堀があるらしく見たかったのですが断念しました。西郭方面は問題なく行くことができました。

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伊賀上忍三家のひとり (2019/09/28 訪問)

上野市駅よりバスで行きました。喰代(ほおじろ)バス停で降りると5分くらいで城址に行くことができます。主郭周囲は整備されていて土塁や空堀を見る事できます。その背後の郭へ行くと歩く道はありますが草木も茂っています。井戸か池のような所まで行き周囲を散策しました。

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カズサン

後北条氏の陣屋 (2017/01/21 訪問)

 大阪に所用が有り電車を乗り継いで南海大阪狭山市駅下車、(情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん)徒歩で狭山市立東小学校県道198号線に在る長屋門の見学とそこから北に100mほどの所に狭山陣屋跡の小公園が在り案内解説板と石碑が在ります、そこを西に下ってその時点水は有りませんが水堀代わりの下池が在りぐるっと回りました。
 移築城門として堺市堺区新明町の本願寺堺別院に在り見学と参拝。

 狭山陣屋は秀吉に北条征伐で滅ぼされた北条氏が許され1万石の諸侯に列し明治まで続いた。

 近くに日本最古のため池狭山湖、淵に府立狭山湖博物館も見学。

 時間も有ったので戻って堺東から中学校修学旅行以来の仁徳天皇陵参拝、見学、同博物館もじっくりと見学しました世界遺産に成る前です。

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服部半蔵正成生誕の城 (2019/09/26 訪問)

 服部半蔵正成の生誕の城です。道路わきにある小さな石碑が目印です。城址には服部半蔵と藤堂家家老藤堂采女正の生誕の地とした石碑があります。3方向を土塁が囲み、背後には堀切を見ることができます。

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天正伊賀の乱激戦地のひとつ (2019/08/26 訪問)

  柏野公民館付近から行くと案内板も新しく迷うことなく城址へ辿り着けます。土塁と空堀に囲まれた単郭の城址に見えますが、周囲を散策すると郭のような地も確認できます。土塁、土橋、堀などは、少し藪になっている所もありますが、それなりに楽しめます。

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芭蕉公園 (2019/09/26 訪問)

石垣、土塁、空堀もそれなりに残っていて楽しむことができますが、空堀の中は草が多くよく見えません。

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ヒロケン

鉛玉 (2019/09/28 訪問)

久々利城は谷を挟んで東西の尾根に築かれており、東側の尾根に本丸、二の丸、三の丸等の主要な機構が残っています。本丸、二の丸、三の丸は階段状に平段が続き、その下に大手の虎口があり、枡形虎口となっています。

築城主、築城年代は定かではないそうですが、美濃国守護土岐氏の一族で土岐頼清の四男三河守悪五郎が城主であったと久々利城入口の説明板に書かれておりました。

盆休み後、5週連続6勤が終わり久しぶりの連休。疲れで体を休めたいが、城跡にも行きたいヽ(・∀・)ノということで、自宅から車で2時間圏内で行ける城を検索。来年の大河で賑わっている岐阜県を選定。まだ行ったことのない大洞城・久々利城・妻木城(敢えて明智城等は外す)の山城に決めました。

可児郷土歴史館の無料駐車場に車を駐車し、駐車場から歩いて1~2分で久々利城入口に。虎口、三の丸、二の丸、本丸を順に攻略し、本丸で一息入れているときに目に飛び込んできた丸い”石ころ”「んっ!」これは火縄銃の鉛玉では!!(°д°)一応、北曲輪、二重堀切を見学し、急いで、可児郷土歴史館に!「本丸でこんなもの拾ったんですけど」って歴史館の職員の方に!「これが何か調べます!」「結果を連絡しましょうか」と言われましたが、”鉛玉”であってほしいという願いから、連絡はしてもらわず歴史館をあとにしました。少しだけ戦国の歴史に触れた気がして胸が躍った時間を過ごすことができました。

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にのまる

ピカピカの石碑 (2019/09/23 訪問)

正面から撮ると自撮りー(≧∀≦)

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