この山を矢倉山と呼ぶ。元々、鎌倉時代に矢倉神社が鎮座していたが、南北朝時代に
頂上に堅固な「矢倉畦城」が築かれた。初の城主は竹井氏であったが、元弘の乱頃は
田中氏が奪守して居城としていたらしい。室町から戦国時代に移ると戦乱が絶えず、
備中松山城の前衛城の役割を担っていたが、天正2年(1574)毛利氏に攻められて
松山城へと退いている。(案内板より)
他サイト情報から登城口<34.8419296,133.6922873> をナビに入力して着いたのが
案内板が立つ北登城入口<34.8470845,133.6874298>、車幅しかないが、舗装された
小道を進めば登城口と安心したのが大間違い、待っていたのは石コロ・小枝が積もる
約600mの悪路(上り坂)でした。
登城口に着くも駐車スペースは無し、登城口付近を確認しようと下りるとヤブ蚊群、
夕方で暗くなり、悪路を戻る根性は無く、そのまま悪路(下り坂)を約200m走り、
南登城入口<34.8421791,133.6948482>に辿り着きました。
南登城入口付近に路駐、冬に再登城です。
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