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スミヤキ

戦国時代を終焉に導く一夜城 (2019/03/25 訪問)

天下人秀吉さんの凄さを体感できます。

1590年、関白豊臣秀吉が小田原征伐を決断、関東一円の北条家支配の支城群を落としながら、小田原城を陸海の四方から、大軍で包囲します。城下を一望できる南西に位置した笠懸山に密かに総石垣造りの城をわずか80日で完成させます。一夜にして城が出来たように演出して、敵将北条氏直以下、関東武士達の度胆を抜きます。

戦意喪失、想像できますよね。秀吉の動員力、技術力、経済力に圧倒されたのでは。石垣山城竣工してから、10日も経たずに北条家は降伏、戦国時代の終焉を迎えます。

以後、笠懸山はその石垣の景観から石垣山と認知され、城跡も現在、石垣山一夜城歴史公園となり整備されています。遺構として井戸曲輪や本城曲輪の石垣などは、見応えがあります。

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カルビン

前田利家が前田慶次に恐怖を感じた城(by花の慶次) (2015/12/29 訪問)

荒子城は2015年最後の遠征で訪問致しました。

漫画・花の慶次で、織田信長の肝煎りで兄を差し置いて前田家当主になった利家が、兄・利久の居城であった荒子城を引き渡す際に、利久の養子となった慶次との、お城引き渡しまでのエピソードで利家が慶次を恐れるようになったお城として気になっていたんです。

前田慶次、実際は滝川一益の甥・益氏の子とされており(いろいろ説がある)、実は養子縁組ではなく益氏と離縁した母が慶次を身篭ったまま前田利久と再婚して、そのまま前田利久の跡継ぎになったともされています(漫画では後者になってました)。


そんな思い入れのある荒子城へは名古屋駅からあおなみ線で荒子駅へ、そこから徒歩10分程度でたどり着けます。

現在荒子城跡は天満天神宮となっており、遺構は残っておりません。

そのかわり解説が充実しているので、遺構を楽しむというより歴史的バックボーンを感じて満足する場所になります(汗)


「城びと」には登録されておりませんが、荒子城から北東側にある地下鉄東山線高畑駅から3つ先の駅・中村公園駅より北にある、中村公園は豊臣秀吉誕生地(石碑・豊国神社・日吉丸像)及びその家臣・小出秀政宅跡(解説)となっており、その東に隣接する妙行寺が加藤清正誕生地(+加藤清正像)、その北に隣接する常泉寺には秀吉像が・・・(更にここか北北東には「城びと」に登録されている日比津城もある)等々、徒歩で散策できる範囲にお城好きな方なら外せないポイントが沢山あるので、是非一緒に訪問されたし。

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朝田 辰兵衛

金山城遺跡散策 2/2(願文山城)を。 (2019/03/24 訪問)

越後・金山城遺跡は,紫雲寺潟を見下ろす願文山を中心とした,高館城,カタツムリ山城,願文山城など金山地区に現存する城郭遺構の総称です。
JR金塚駅から金山地区へと進むと,まず高館城の登城口手前に居館跡があります。また,金山公民館ワキに下館跡。さらに進むと願文山城とカタツムリ山城登城道の分岐点に巨大な案内版があります。
願文山城は金山地区を通り越して山のほうへと進んでいき,白山神社から登城するのがメジャーな選択です。貝屋地区から大峰山を登破してたどり着くという,タフな登山者推薦ルートもあります。
標高:248m,比高:210m。雨天時の登城はおすすめしません…。

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朝田 辰兵衛

金山城遺跡散策 1/2(居館跡,下館跡,高館城,カタツムリ山城)を。 (2019/03/24 訪問)

越後・金山城遺跡は,紫雲寺潟を見下ろす願文山を中心とした,高館城,カタツムリ山城,願文山城など金山地区に現存する城郭遺構の総称です。
JR金塚駅から金山地区へと進むと,まず高館城の登城口手前に居館跡があります。また,金山公民館ワキに下館跡。さらに進むと願文山城とカタツムリ山城の登城道分岐点に巨大な案内版があります。
カタツムリ山城の登城道は整備が行き届いておらず,堀切には近づけず。しかも,自分の登りやすいところからヤブカキッシュで目指したという実情です。
願文山城については,続きの投稿にて…。

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チェブ

土塁に囲まれた公園とゲートボール場。 (2019/03/23 訪問)

別府と言っても大分県ではなく、埼玉県の「別府城」に行きました。
成田 助隆さん次男の行隆さんが築城しました。
埼玉県の成田さんと言ったら「忍城」の成田 長親さん 。
そうです、「のぼうの城」です。
成田一族の家祖が助隆さんです。

住宅街に「別府城」があります。
入って左手に神明社、右手にゲートボール場、奥に東別府神社があります。
って、探さなくても「別府城」の看板を見つけたら、みなさん虎口も土塁も掘も、すーぐ分かります!
広いはずなのですが「別府城」、神社や公園、庭園(?)もあり盛りだくさんでコンパクトに治まってます。
土曜日の午後、誰も遊んでいません。土塁に囲まれて中の様子が見えない公園はママ達、心配 ですもんね。

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イオ

リサーチ不足 (2019/03/17 訪問)

京都御所の特別公開を見学した後は、御土居めぐりを再開…する前に、その途上にある聚楽第へ。秀次切腹事件の後、徹底的に破却されたのは知っていましたので、石碑を2つ見ただけで満足してしまいましたが、帰宅してから調べてみると、他にも周辺には大名屋敷跡などいろいろあるようで、またしても事前のリサーチ不足でした…。

なお、聚楽第とは関係ありませんが、西濠跡の石碑から西に徒歩10分くらいの立本寺には島左近のものとされるお墓があります。関ヶ原の戦いの後、この寺の僧となり30年あまり生きたんだとか。見るからに普通のお墓ですが、島左近は好きな武将なので、手を合わせてきました。

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クロピー

2019-2 (2019/03/27 訪問)

道にはまだ残雪がありました。
本丸跡周辺はカタクリが咲いていました。

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とみー

幻なのか? (2019/03/28 訪問)

瀬田城の石碑を見に行きました。みなさんの投稿では、ゴルフ場の入口のそばに石碑があると書いてくださっていたので、地図を見ながらゴルフ場を目指したのですが、ゴルフ場だったらしい場所は、更地になっていて住宅ができる予定と、書かれていました。その後も石碑を探したのですが、見つけることができませんでした。工事をしていたので石碑を壊したりしたのか、それだったら幻の石碑ですね。

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カズサン

桜に覆われた土の城 (2017/04/13 訪問)

 桜の季節に成り一昨年4月13日に登城した後閑城の大変整備保全され時期的に桜に覆われた姿が余りにも脳裏に残ってますのでちょっと古いのですが投稿させて頂きます。
 道案内は城郭放浪記さんのサイトの情報でたどり着けました駐車場は西曲輪下に広くとって有り大変便利。

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にのまる

深い、大きい、美しい。 (2019/03/17 訪問)

水戸から3駅の東海駅から徒歩約30分。石神コミュニティセンターまで来ると案内表示が立っていて、ひと安心です。
城址公園入口から見上げる土のお山は、この先に感動があるに違いない感120パーセント。
がんばってセコい長旅してきてよかった、無事に入口に辿りつけてよかったという安堵と、どんな景色が広がっているんだろうという期待で幸せな気持ちになります。
この気持ちを味わいたくて飽くことなくあちこち出かけているのだと気づきました。なんて健全な幸せドーパミン分泌手段なんだ!

で、石神城ですが、一気に踏み込むのはもったいないのでじっくり味わいながら進みました。
美しい折れと重なりを持つ深い堀を堪能し、土橋を渡って広い三郭へ。郭を囲む土塁もしっかり残っています。桜が少しだけ開花していました。
三郭から二郭へも土橋で渡れます。
二郭の先には小さめの一郭。深い堀に囲まれていますが、ここには橋はありません。でも、進入禁止とはどこにも書いていないし、きっと何かあるはず…と目を凝らしてみると、土塁にうっすら虎口っぽい窪みがあり、その下の堀には人が歩いて出来たと思しき細い道がありました。写真7です。ここを慎重に下りて上って一郭に行くことができました。ただ、そこは長居は無用な雰囲気だったので隅っこまで走って堀を覗いてまたすぐに戻りました。

北関東のオススメ物件をたくさんご紹介くださっているモトさん、いつもありがとうございます。今回も大満足でした!

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バリィ

平成30年 (2018/12/28 訪問)

姫路城にはいろんな思い出がありますが、一番強烈だったのは朝から雲一つない良い天気だったのが「あっ、雲がある」と思っていると強烈な暴風が吹きだし、あっという間に雲が空を覆い尽くし、気温が急低下、猛吹雪に襲われました。
天守からみていると三ノ丸、備前丸では観光客が避難先を探して逃げ惑っていました。
30分くらいしてから外に出ると先ほどの騒ぎが嘘のように晴れていましたが備前丸から東を見るとダウンバーストのような下降気流を見ることができました。

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バリィ

平成30年 (2018/11/07 訪問)

このお城の前は何回も通っていますし、堀横にある駅から電車を乗り降りもしています。
近くのバスターミナルから異なる終点のバスにも何回か行き帰りしていますが正直、入るのは初めてのお城でした。
楽しかったです。
遺構にこだわる方は
現存、移築、復元を調べてから行かれることを努めます。

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じゅんじん

公民館 (2019/03/23 訪問)

街道沿いに城址碑がありました。公民館裏手は神社です。

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すっくと平地から立ち上がった姿が素敵です (2019/03/24 訪問)

西側は平地からすっくと山が立ち上がり、山体の容積感も適度で、とても好きな景観です。花崗閃緑岩の岩山で、麓から山頂まで大石がごろごろ。切り岸は、石垣か自然石か私には判然としない。主郭(TVアンテナ塔)〜三ノ丸の更に北西に続く尾根に屋敷跡と思われる平削地と100mほどもある土塀跡。主郭から東側に鞍部を挟んで大山構(出丸。こちらの方が少し高い)。
登頂ルートは、主郭直下の館跡・黒岡神社脇からと、西側若王子神社からの新道と、南側から車で途中まで登られる秀吉ルートがある。新道はアサヒスーパードライの緑の募金を活用したと。新道は花崗閃緑岩が風化した小石が一面にあり滑りやすいので注意。

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バリィ

平成30年 (2018/08/19 訪問)

幾度か行ったことがあるのですが、造りが複雑なので縄張り図を持って確認しながら見学するか、複数回にわたって行かないと全てを回るのは難しいかも知れません。
写真の枡形に続き、180°曲がるトリッキーな道。
まさしく平城を代表する城です。

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くろもり

鉄砲を初めて実戦で使用 (2014/12/30 訪問)

加治木城は日本で初めて鉄砲が実戦で使われたとされる加治木城の戦いの舞台です。鉄砲伝来から6年後の1549年のことで、種子島の領主・種子島時尭から鉄砲を贈られた島津軍が使用したそうです。

加治木城は、比高70~80m程のシラス台地上に築かれ、各曲輪を堀切で区切った連郭式の縄張りの城でした。切岸や曲輪跡等ははっきりと分かるのですが、手入れがされていないので、散策は少し苦労しました。本丸跡は私有地、西ノ丸の方へ向かうと「ザボン畑」になっていたので散策を諦めました。

車での訪問の場合、県道から長い坂を登った所に車一台分のスペースがあり、そこに縄張図もありました。

城びとさんに未登録ですが、加治木高校に加治木館跡があり、こちらが「鬼島津」と恐れられた島津義弘公が晩年を過ごした所と伝わります。石垣があるのですが、亀甲積みなのに石に穴がぼこぼこあいた軽石のような素材なので、ちょっと不思議な感じがしました。

1~5枚目が加治木城、6~9枚目が加治木館の写真です。

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カルビン

落雷の傷跡 (2014/03/15 訪問)

JR横浜線・橋本駅から三ヶ木行バスに乗り、津久井湖の水門の先のバス停が津久井城の登城口からすぐ近くになるのでそこで下車。

訪問したこの日、時間が圧してまして・・・到着したのが15:00頃
16:00には真っ暗になる為、その前に下山するように書いてあった為、めちゃくちゃ無理して登りましたww
この当時まだ山城はおろかお城見学自体駆け出しだった為、体力も体重も全然なっていなかった為に、山城の洗礼を始めて受けた訳で
(津久井城は今考えれば山城としては散策するのにまだまだ楽な部類ですし(汗))

無茶して登ったおかげで、かなり早いうちに高い場所まで到達したので、これで暗くて危険な山下りはなくなり一息 ε = (・Д・。)


まず最初に見られる遺構が宝ヶ池、そこから飯縄曲輪を経て大杉に到着。

今でこそ落雷で消失した大杉が普通に見れますが、当時は大杉が燃えてしまって時間が経っておらず、杉の木が燃えた生々しい状態が見られました(汗)
燃えて炭化した部分が光ってましたので・・・

その後は尾根沿いに堀切・虎口を通って本丸へ。

津久井城自体、遺構満載って訳では無いので(消失したわけではなく、元々遺構はボチボチだった模様)、登ってしまいさえすればそんなに散策に時間はかからないと思われ、同様に遺構がある場所は山の上の方に集中している為、散策でアップダウンで苦労する事も少ないと思います。


帰りは西の根古屋地区方面へ下山しましたが、登りの時の薄暗さはどこへやら・・・西日が差して夕方にもかかわらず明るかったですw
こちらからちょっと北に向かえばバスの通る国道413号線に出られるので、むしろ登り降りは西側からの方が良いかもしれません。

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チェブ

Googleマップに凸の形。 (2019/03/23 訪問)

「金山城」攻めの後で地図を確認していたら水堀がある凸形の場所がありました。
昨日、投稿した「江田館」と似た折があり怪しい形です。
「反町館」でした。
カズサンと同じように新田荘歴史探索をしました。
新田 義貞公の居館の「反町館」、現在は反町薬師という寺院です。
幅の広い水堀と土塁があります。
土塁には桜の木があったのでお花見シーズンは賑わうんじゃないでしょうか。
一応、寺院の裏手も行きましたが、こちらの遺構は分かりません。
私は東京の端っこに住んでます。新田 義貞公が大活躍した分倍河原の戦いの多摩川は近くです。
「反町館」近くの生品神社で挙兵した新田 義貞公。
分倍河原駅のロータリーには銅像があります。

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クロピー

続日本100名城 高田城 (2019/03/27 訪問)

今年初の城めぐりは高田城。
来週からの「高田城百万人観桜会」の準備で忙しそうでした。
桜はつぼみかたし。

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SIN

続日本100名城 No.180 岡豊城 (2019/03/24 訪問)

高知市のお隣にある南国市の岡豊(おこう)城へ行きました!
岡豊城は四国の覇者、長宗我部氏の居城として知られています。長宗我部国親は岡豊城を足掛かりに土佐の有力大名へと成長しました。その後、国親の子・元親があらたに浦戸城を築いて移ったため、廃城となりました。現在は石垣、曲輪、土塁、空堀、井戸などが残っています。かつて曲輪があった場所には県立歴史民俗資料館が建てられており、長宗我部氏関連の資料が展示されています(^_^)

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