ふかわじょう

布川城

茨城県北相馬郡

別名 : 府川城
旧国名 : 下総

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【城跡碑】徳満寺
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つね

御城印・関連施設等 (2026/02/27 訪問)

徳満寺・来見寺・布川神社・御城印

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つね

馬出曲輪・空堀・土塁が見所 (2026/02/27 訪問)

布川駅より徒歩約25分程の徳満寺が城跡。西側の金毘羅神社の敷地が馬出跡。その間の土橋と空堀がよく残っています。境内の西側と北西側にも土塁が残っています。町役場のある高台が二の丸跡。寺と役場の間の道路が空堀跡です。城跡のすぐ南東にある「酒のたかつや」で御城印を販売しています。縁のある来見寺・布川神社も徒歩圏内です。

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じゅんじん

お寺から役場にかけて (2023/03/21 訪問)

徳満寺、神社、利根町役場が城址になります。神社との間はお城あとらしく見えました
城址碑を見逃しました。

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チェブ

布川城の先人たち。 (2023/02/25 訪問)

茨城県の利根川沿い利根町にある「布川城」。もとは「府川城」、『府』の字を使っていたようです。

豊島 頼継さんが「布川城」を築きました。北条家に従っていたので、小田原征伐で滅亡する運命かと思ったら、、、
頼継さんの子 貞継さんは「小田原城」に籠り討伐後、北条 氏直さんと『高野山』で蟄居。
頼継さんの弟 頼重さんは「布川城」を開城した後、浅野 長政さんに下り「忍城」で討死しました。「忍城」攻め、複雑な心境だったのでしょうね。
頼継さんの弟 頼重さんの子 信満さんは徳川家に仕えましたが、刃傷事件をおこし自刃しました。

「布川城」は徳川家臣 松平 信一さんが入りましたが土浦に移封した後に廃城になります。

因みに、北条 氏直さんに従って、高野山に蟄居した人数は、約300人。大移動です。

利根町役場の駐車場を使用し『徳満寺』へ。
『徳満寺』が一ノ郭で、役場が二ノ郭です。二つの郭の間は、道路が通っていて空堀を利用しているようです。
『徳満寺』の裏側から入りました。この辺は土塁が残ってます。
境内に「布川城」の説明板がありましたが、その他、いろんな説明があり、「布川城」から脱線していきます。
手水舎にはカエルが。和みました。

いつか『高野山』で、先人たちに手を合わせたい と思っていましたが、何日かかるか心配になった「布川城」攻めでした。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 豊島頼継
築城年 永正16年(1519)頃
主な城主 豊島氏、松平氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(布川城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県北相馬郡利根町布川3004(徳満寺)
問い合わせ先 利根町生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0297-68-3263