さくらばさまじょう

桜生城

滋賀県野洲市


旧国名 : 近江

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①土塁と堀
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)18日目(最終日):桜生城 (2024/10/09 訪問)

辻町バス停から徒歩10分くらいで、日吉神社付近(35.071186、136.041070)に着きました。

桜生城の築城年代は、はっきりしないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)には澤弾正少弼清光が居住し、1593年(文禄2年)に廃城となったようです。

現在も澤氏の末裔の方が住んでいるそうで宅地を囲むように高土塁が巡り、北西側は水堀になっています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=永原城へは徒歩で向かいました。

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しんちゃん

訪問は最新の注意を払って (2024/02/11 訪問)

桜生城は六角氏家臣の沢氏の居城とされ、今でも子孫の方が住んでいるようです。土塁や水堀が往時をしのばせますが、これ全部私有地じゃないのかな。 申し訳ありませんが写真を掲載させていただきます。戦国末期のオーソドックスな平城のようで、僅かな微高地にはなりますが、この程度であれば平城という扱いになるわけですね。ご住居が主郭と見られ、隣接する扁平地も曲輪と見られます。

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カズサン

水堀、石垣、土塁が残って居ます (2024/06/23 訪問)

 滋賀県未踏の城廻りで野洲市の桜生城を初登城。

 駐車場:日吉神社参集所横の駐車エリア(35°04'16"N 136°02'28"E h=120m)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 日吉神社に参拝し、南は城郭エリアですが私有地で末裔の方の住居、水堀が虎口玄関左右に有り、護岸は石垣で守られている、北西側に折れの有る高土塁が虎口まで伸び、虎口から南に石垣・水堀、その南側に底部が石垣の土塁、腰巻石垣なのだが?曲輪が草に覆われてある。 
 野洲市歴史民俗博物館側居りひって来ましたので、角に銅鐸出土跡の碑が有り解説板と共に撮影、日本最大の銅鐸(134.7cm)が発掘されたそうです。
 雨小振りの中コンパクトカメラで撮影、雨、曇りで薄暗くなり本日の探訪は終了、宿泊先の八日市へ移動。
   

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todo94

近江の城めぐり⑧ (2024/03/09 訪問)

星ヶ崎城からバリケードに南京錠がかかっていて引き返した小堤城山城を経ての攻城です。日吉神社のお向かいに位置し、現在も末裔の方がお住いの城です。水濠と土塁が残っていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 沢清光
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 沢氏
廃城年 文禄2年(1593)
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)、横堀(空堀)、石垣
住所 滋賀県野洲市小篠原桜生
問い合わせ先 野洲市役所
問い合わせ先電話番号 077-587-1121