さくらばさまじょう

桜生城

滋賀県野洲市


旧国名 : 近江

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北側の水堀
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カズサン

水堀、石垣、土塁が残って居ます (2024/06/23 訪問)

 滋賀県未踏の城廻りで野洲市の桜生城を初登城。

 駐車場:日吉神社参集所横の駐車エリア(35°04'16"N 136°02'28"E h=120m)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 日吉神社に参拝し、南は城郭エリアですが私有地で末裔の方の住居、水堀が虎口玄関左右に有り、護岸は石垣で守られている、北西側に折れの有る高土塁が虎口まで伸び、虎口から南に石垣・水堀、その南側に底部が石垣の土塁、腰巻石垣なのだが?曲輪が草に覆われてある。 
 野洲市歴史民俗博物館側居りひって来ましたので、角に銅鐸出土跡の碑が有り解説板と共に撮影、日本最大の銅鐸(134.7cm)が発掘されたそうです。
 雨小振りの中コンパクトカメラで撮影、雨、曇りで薄暗くなり本日の探訪は終了、宿泊先の八日市へ移動。
   

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todo94

近江の城めぐり⑧ (2024/03/09 訪問)

星ヶ崎城からバリケードに南京錠がかかっていて引き返した小堤城山城を経ての攻城です。日吉神社のお向かいに位置し、現在も末裔の方がお住いの城です。水濠と土塁が残っていました。

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イオ

土塁と堀に囲まれた現住居館 (2023/11/19 訪問)

築城時期等の詳細は不明ながら、戦国後期には澤氏の居城であり、織豊期に廃城となったとされますが、城跡には現在も子孫の方がお住まいのようです。

日吉神社の駐車場に駐めさせてもらって(まず参拝した上で)登城開始。桜生城は3つの曲輪で構成され、神社の南側道向かいの主郭には周囲を囲む土塁と堀が現存していますが、主郭内には普通に住居が建っていますので、周囲の道路から見学するに留めました。それでも北東部の虎口脇の土塁や北西辺の水堀と土塁、東隅の土塁(虎口?)などを確認することができました。2つめは主郭の南西に接する「矢場」と呼ばれる曲輪で、かつては周囲を土塁で囲まれていたようですが、現在は北西辺に土塁の基底部がわずかに遺るのみです。3つめは日吉神社の境内地で、北西辺に土塁とその外周に水堀が見られます。また、主郭と矢場の北西には「下屋敷」と呼ばれる屋敷地が広がり、下屋敷の南西には澤家の墓所がありました。

登城時には土塁は少なからず藪に覆われていましたが、先達の皆さまの写真では南西辺の土塁も綺麗に刈られているので、どうもタイミングが悪かったようです。すぐ隣まで車で来られるので、近くに来た際にはまた登城してみようと思います。
 

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ぴーかる

桜生城 (2022/09/04 訪問)

【桜生城】
<駐車場他>野洲市歴史民俗博物館駐車場(来館前提)
<交通手段>車

<感想>日帰り東近江ちょこ城巡りの旅2城目。桜生(さくらばさま)と呼びます。築城年代は定かではないが澤氏によって築城されました。現在も末裔の方の個人宅になっているようでそっと見てきました。水濠が良く残っています。西側の土塁は先達の方々の時より鬱蒼としていました。

<満足度>◆◇◇

<周辺観光>野洲市歴史民俗博物館は別名銅鐸博物館とも呼ばれ北西側にある大岩山から出土した銅鐸の現物と複製が沢山展示されています。この辺りの地域は昭和に発見された銅鐸が有名です。その大岩山古墳群からは日本最大の高さ134㎝の銅鐸も出土したそうです。圧巻です。2Fには城びと登録のある永原館の復元模型が展示されています。一般入館料200円。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 沢清光
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 沢氏
廃城年 文禄2年(1593)
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)、横堀(空堀)、石垣
住所 滋賀県野洲市小篠原桜生
問い合わせ先 野洲市役所
問い合わせ先電話番号 077-587-1121