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イオ

絢爛豪華 (2019/03/17 訪問)

小泉城から御土居をいくつか巡った後、目指すは二条城。昨年秋に訪れる予定だったのが、台風被害もあって延び延びになってしまい、4月から入城料が改定される(実質値上げ)前に行っておかねばという貧乏くさい理由です(あわせて京都御所の特別公開に行きたい、という真っ当な理由もありますが)。

開門の少し前に着いたので、反時計回りに外堀を一周してから、駐輪場に自転車を駐めて入城します。二条城に入るのは小学校の修学旅行以来で、当時の記憶といえば二の丸御殿の鶯張りの床くらいのものでしたが、唐門でいきなり圧倒されてしまいました。極彩色の彫物と金色の飾り金具で彩られた絢爛たる姿。あんぐりと口をあけてしばらく見上げていると、二条城に着いた頃から降り始めた雨が激しくなってきたので、二の丸御殿へ。そこでまた圧倒されてしまいました。まばゆいばかりの金碧障壁画に多彩かつ精緻な欄間彫刻や飾り金具。折上格天井、二重折上格天井で天井まで重厚に格調高く造られ、壮麗にして絢爛豪華、まさに国の宝にとどまらない世界の宝ですね。

二の丸御殿を出た後は、二の丸庭園を抜けて本丸に向かいます。小堀遠州の改修による二の丸庭園は、降り続く雨の中、静かに佇んでいました。
(続きます)

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前ちゃん

熊の彫刻がお出迎え (2019/03/12 訪問)

熊が歓迎

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とみー

世界に1660枚だけ!!

みなさんご存知かと思いますが尼崎城が築城400年になることを知っていますか?それを記念に「尼崎城築城400年記念」のフレーム切手が、2019年3月22日、0:15分から1660枚限定で発売されました。!!値段は、1300円+送料(1シート)郵便局のホームページに、売られています。ちなみにぼくも0:45分に起きて、買うことができました。 

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カズサン

素晴らしい土の城 (2019/03/01 訪問)

 茨城県北部方面太田城、額田城以外は登城無く佐竹氏に絡んだ城を探訪と那珂西城、山方城、瓜連城、南酒出城、石神城、北へ飛んで助川海防城を廻り、額田城と双璧を成すと思われる石神城を城びと常連のモトさんdougenさんtodo94さんの素晴らしい口コミと写真投稿は御座いますが感じた所の写真を投稿させて頂きます。
 今回佐竹氏に絡んだ城跡を探訪して秋田に移封され築城した近世城郭最大傑作土の城「久保田城」の壮大な土塁、切岸、堀、曲輪群はさも在りなんと納得然り。ワクワク感動しながら茨城北部巡りでした。
 足元の悪い処は皮の長靴安全靴を城郭放浪記さんのサイト口コミで情報を得まして数年前から購入し使用して重宝して居ります、勿論登山用厚手ソックスを二重履きズボンのすそをソックスの中に入れダニ対応も教わりました。
 駐車場はコミュニティセンターと二の丸入口付近に在り大変便利です。

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にのまる

眺めが好き (2019/03/16 訪問)

網代は熱海から伊豆急行線方面に入ったところですが、伊東まではJR区間で「18きっぷ」で行けるということを確認し(←ここ大事)、行ってみました。
「石積みが残る」という城びと情報に縋っての探索です。目指す教安寺は石段を上がった高台で海を望み、眼下には尾道を彷彿とさせる素敵な風景が広がっていました。
で、石積みですが、教安寺は石づくしのお寺なのですが、あの石もこの石もその石も…お城時代のものではありません。石垣ではなくて石積みと記載されていたので覚悟はしていましたが…。墓地の奥か山の中だな、きっと。帰りの電車の都合でここでゲームオーバーにしました。
それでも階段の途中に城址碑があったので満足です。碑には【菊池武敏ノ一族聞間七郎大夫實次ノ築城 天正十七年三月里見義頼來攻ノ事關八州古戰録ニ載ス】とありました。
里見義頼は天正15年に没していることになっているのですが…。

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くろもり

従四位 (2014/12/29 訪問)

秀吉による水攻めが有名な備中高松城。城の周囲は湿地になっており、水攻めの堤跡も少し離れていますが残っていたり、清水宗治公等の首塚等があるので散策には事欠きませんでした。

城兵の命と引き換えに自害した城主・清水宗治公の忠義ぶりに心が揺さぶられますが、首塚にあった『従四位』の文字を見て、少し思うところがありました。

従四位は宗治公の功績を称え、大正13年に贈られたそうですが、宗治公が自害した一日前、越中・魚津城で織田信長の軍勢に攻められた上杉家の吉江景資公らが自害したと伝えられています。景資公らにはもちろん従四位なんて官位は贈られていません。同じく主家の為に命をかけたのに・・・すいません、完全に個人的な愚痴です。

羽柴秀吉が本陣を構えた石井山まで足を伸ばすと、水攻めのイメージがつきやすいかもしれません。ドラマ等でよく見る、城から小舟で出て水上で舞ってから自刃する宗治公の姿が見えるような気がします。

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平成31年 (2019/01/26 訪問)

 何回も来ている城址ですが、冬に来ると観光客も少なく、写真を撮っていても人が入ることなく撮影できます。天守閣もいいのですが、この城の魅力は石垣だと思っています。高石垣あり、周囲には腰巻石垣、鉢巻き石垣あり、登り石垣も各所に認められます。

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カズサン

平成最後の外観復元天守閣、小天守、続櫓 (2019/01/20 訪問)

 復元天守が竣工公開される事を心待ちにしていた処、昨年末頃城びとの投稿欄に「勝野武士さん」「織田晃司さん」の投稿写真に復元された天守群が公開され早く見学したく関西で有る同窓会開始前に1番の新幹線に乗って1月20日午前中生憎の雨の中市立図書館の2階エントランスで雨がしのげる処を選んで写真撮影しました、雨空で撮影条件は良くありませんが投稿させて頂きます。
 今月末29日から一般公開のようですが桜と城と青空の大変良い城撮影日和に成って来ます、早速出掛けたい所ですが5月中頃に周辺城郭含めて登城計画中。

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カルビン

阿武隈川沿いに (2016/05/14 訪問)

JR福島駅から徒歩約15分くらい、阿武隈川沿いにある福島県庁が福島城跡になります。
上杉家が支配していた頃には水原親憲や本城繁長という曲者ではあるものの名将が詰めいてたという重要拠点になります。
対伊達と言う事で、それだけの武将が睨みをきかせる必要があったんですね。

県庁から延びる道には大手門跡碑が立ち、県庁入口には大きな解説と石碑があります。

遺構は開発によってほぼ消失してしまってます(県庁が建つくらいですからね(汗))が、県庁の脇にある紅葉山公園一帯が二ノ丸御外庭として再建されており、そこには出土された宝塔も置かれてます。

江戸時代初期には福島は幕府直轄地でしたが、後に初代福島藩主として本多氏が、その後堀田氏、板倉氏と徳川譜代が入れ替わり藩主になり、そのまま廃藩置県を迎えます。

最後の藩主・板倉氏を祀って福島城跡には板倉神社が建てられておりますが、そこからの阿武隈川の絶景は見逃せません。

ちなみにここから福島駅に向かう途中にある到岸寺には、福島城縁の史跡が数残されておりました。


福島は山形方面と宮城方面へ向かう際の拠点となる場所なので、行軍のついでにでも立ち寄られると良いでしょう。

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チェブ

やはり城攻めは寒い時期。 (2019/03/23 訪問)

二回目の「金山城」攻めです。
一回目はスタンプ帳、忘れました。
おまけに暑い時期でした。虫がまとわりついてきて、「うわー」なんて感動していたら口ん中に入る勢いでした。
「金山城」新田氏の一族、岩松 家純公が築城しました。
前回は新田神社を目指して虫を払いつつ汗だくで階段を上がって行った事しか記憶にありません。
今回は石垣、穴が開くほど見て回りました。前回は気が付きませんでしたが、堀切なども あったんですね。
石組みの日の池、月の池の精巧な作りが感動です。
プロが選ぶお城、「金山城」は何位だったのでしょうか?

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イオ

阪急レンタサイクル (2019/03/17 訪問)

先日の姫ちゃりに味をしめて、この日はレンタサイクルで京都市内の城めぐりです。調べてみると、中心部や観光地周辺で借りると高いですが、西院駅の阪急レンタサイクルなら一日たったの310円! この日は二条城(と京都御所)をメインに御土居めぐりもしたいので、西院というロケーションは悪くありません。

…ということで、始発で京都へ。阪急・西院(西口)で降りてレンタサイクルを借り、手始めは西院駅近くの小泉城です。早朝で少し肌寒いものの、よく整備された自転車は快適で、ついつい小泉城を通り過ぎてしまいました。というか、先人達の口コミにあるように、遺構はおろか石碑も説明板もないので、わからないんですよね…。城びとの位置情報に基づき、FRESCO西院店あたりで「行った」ことにさせていただきます。

ちなみに、帰宅してから調べたところでは、少し北東に行ったところにある西院春日神社も城域のようで、せめてそこくらいはおさえておくべきでした(事前のリサーチ不足)。

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勝野武士

今年は築城500年。 (2019/03/24 訪問)

やっと自分だけの時間が持てたし平成ももうすぐ終わりだしなー…ということで、近場のお城を攻めてみました。

んで、御着城。なんと約20年振りの再訪となりました。
昔の印象は、なんちゃって天守(姫路市役所東出張所)意外はただただ何もなかったなー…なんてもんだったんですが、改めて訪れてみると当時と比べてちょっと印象が違うというか、小綺麗に整備されてましたね。
説明板や案内板があちこちにあって超わかりやすい。おかげでいろいろ探索しやすかったです。
ってか、官兵衛関連の幟がいっぱいあるし顔出しパネルとか、黒田官兵衛の顕彰碑まであるし。やはり『軍師官兵衛』効果ですね。凄い。

さて、今年は御着城が築城されてからちょうど500年だそうですね。
1519年に小寺政隆によって築かれ、1579年に小寺政職(←『軍師官兵衛』で片岡鶴太郎さんが演じられてましたね)の代で織田方の攻撃により落城、廃城となりました。つまり70年程しか存在しなかったことになります。小寺氏の本拠地にしては意外に短いなと改めて思いました。

戦国期の平城の宿命か、城跡のほとんどは住宅地と化しており、辛うじて本丸跡と二ノ丸跡が痕跡をとどめています。周囲の地形と比べて少し高くなっているのはいかにも城跡の名残でしょう。
二ノ丸跡はグラウンドに、本丸跡は国道2号線で南北に分断されているものの、公園などの敷地として残っています。

あと、黒田家廟所(黒田官兵衛の祖父・重隆と、母の明石氏のお墓が並んで建ってます)と小寺大明神も必見ですよ!

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じゅんじん

図書館と資料館 (2019/03/24 訪問)

城址碑があったと今日判明(笑)あまりのインパクトに絶句しました。3月末まで無料ですがいった時間が遅かったです。

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じゅんじん

小学校 (2019/03/23 訪問)

川沿いの丘の上の小学校になります。入口には説明板。向かいの公園には陣屋の説明板とお社。小学校の構内には土塁もあるんだとか。もちろん進入してませんよ。

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こるまろ

ダムと共存共栄してる山城跡 (2019/03/07 訪問)

殿ダムのお隣にある山城跡です。 2011年に殿ダムが完成したことで周辺整備されとても登りやすくなっていました。 山腹からはロックフィル型ダムの殿ダムが望めます。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42645077/

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todo94

【平成12年】現存十二天守制覇の記念すべき城 (2000/11/24 訪問)

小学6年生の時の木版画で姫路城を彫ったり、中学美術の残ったスケッチブックに和歌山城の絵を描いたりしていましたので、子どもの頃からお城は好きでした。大学に入って松本城で遊び、研究室の旅行で松江城に行き、ワイド周遊券で弘前城と姫路城も訪れていました。未訪の国宝天守・犬山城と彦根城に行ってみたのが2000年3月。そこで現存十二天守の存在を知って一念発起して現存十二天守めぐりを進め、最後に残ったのが高知城。初めて高知を訪れるに当たって「竜馬がゆく」くらいは読んでいかなくてはと手に取ったことがきっかけで、現在に至るまで歴史小説にどっぷりと浸かってしまってもいます。追手門と天守をワンショットに収められること、本丸の遺構がほぼ完存していること、詰門の上を渡って本丸に入る複雑で面白い縄張など、すっかり高知城に魅せられてしまいました。年が明けた2001年に熊本城を訪れ、最も好きな城の座は熊本城に譲ってしまいましたが、今でも高知城は私が2番目に好きな思い出深き城であります。当時はまだコンデジを使っていて投稿写真は35万画素の低画質ですがご容赦下さい。

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朝田 辰兵衛

パネルに誤記アリ。 (2019/03/22 訪問)

登城口は,見附運動公園北側入口と対面しています。総持寺隣の元町神社裏手より登城します。見附変電所の交差点を東に約500m進むと,イメージできる光景に遭遇します。良く読むと,本丸パネルには誤記があります。御館の乱の説明に“長尾景虎”が登城してます。これは,上杉謙信のことになるハズ。上杉三郎景虎を学習しに,鮫ヶ尾城に移封せなあかんぞよ。
標高:約119m,比高:約80m。

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まっく

葵の御紋 (2019/03/18 訪問)

二の丸御殿の屋根飾りの破損により、発見された葵の御紋を見て来ました。修理されるまでしか見ることができないので、貴重な経験でした。

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中川藤兵衛尉

三木城 (2019/03/24 訪問)

本丸にあった『三木合戦図』が撤去されて石碑が建てられていました!

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にのまる

今日の真田濠 (2019/03/24 訪問)

総選挙11位の江戸城です。
現在の上智大学真田堀グラウンドがかつての真田濠で、真田信之らが普請を担当しています。名前だけでお腹いっぱいになります。
江戸城の遺構(廃城になっていないけど)はそこら中にあり、街歩きをしていてこんなに楽しいところはないかもしれません。(今日は仕事帰りの寄り道でした。)
真田濠と弁慶濠の間にある喰違見附は石垣も城門もない土塁の見附で、国史跡に指定されています。現在でもS字クランク状で見通しが悪く、写真も撮りづらいです。(写真4)
写真5は、近くの赤坂迎賓館東門(紀州徳川家中屋敷表門を移設)です。
真田濠の土塁は桜もきれいです。多くの花見客に備えてか、びっくりするくらい大きなゴミ箱(もはや箱ではない)がいくつも並んでいました。

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