やばせじょう

八橋城

鳥取県東伯郡

別名 : 大江城
旧国名 : 伯耆

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登城口の説明板
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みんなの口コミ

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赤い城

駅近物件 (2025/11/25 訪問)

倉吉に所用があり、少し早めに着いたので足を伸ばしました。
山陰本線の八橋駅に車を置き、すぐ近くにある説明板のところから登っていきます。
すぐに2つの曲輪に到着、東側の郭には石垣も見えます。
2つの曲輪の間は高くなっていて神社が鎮座します。
櫓台でしょうか?
この北側が窪んでいて虎口だったとされます。
西側の曲輪には僅かに石積が残り、酒井片桐飛行殉難碑が立っています。
城は山陰本線の南側まで広がっていましたが鉄道により分断、南側には遺構は無さそうです。

ここで見学終了しましたがどうやら曲輪の北側にも石垣があるようです。
事前確認が漏れてました😅

【見どころ】
 ・(一部見てないが)石垣

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しんちゃん

石垣が残っている (2025/06/28 訪問)

八橋城はJR山陰線によって南北に分断された丘陵上に築かれています。行松氏によって築かれ、大永4年(1524)尼子経久によって攻略され、城番として吉田左京亮が置かれました。その尼子氏も毛利氏によって滅ぼされ、毛利氏は杉原盛重を置き守らせました。
元和3年(1617)池田光政が鳥取藩主になった後、一国一城令で廃城になりました。寛永9年(1632)池田光仲が伯耆に入ると、津田氏が八橋を領し、陣屋を置いて明治まで治めました。
大手は東に付いていたとされ、東の郭が二の丸、西の郭が本丸の跡とされ、周囲を堀が囲んでいたようです。二の丸の西側と、本丸の北側一帯の随所に石垣を確認しました。二の丸には土塁も残っていました。本丸北側斜面に張られたロープを伝って下に降りると、北側の石垣を良く確認できますが、北側の工場の敷地に出てきてしまいました。

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小城小次郎

めまぐるしい (2022/10/10 訪問)

伯耆国の真ん中なのに東伯郡というのが境目らしいというか尼子・毛利が争奪戦を行った挙句に織豊期にも毛利の飛び地だったのを南条が掠め取ったとかいろんなことがあって中村、市橋、池田、津田でやっと落ち着いたという・・。

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カズサン

八橋駅前 (2018/08/09 訪問)

 昨年の8月船上山城を終えて9号線まで北上し東進してJR山陰本線八橋駅へ車は八橋駅の空きスペースへ駐車。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 行松正盛
築城年 大永4年(1524)以前
主な城主 行松氏、吉田氏(尼子氏家臣)、杉原氏(毛利氏家臣)、南条氏、中村一栄、池田氏、津田氏
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 町史跡(八橋城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県東伯郡琴浦町八橋
問い合わせ先 琴浦町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0858-52-1161