せんじょうさんじょう

船上山城

鳥取県東伯郡

別名 : 船上山行宮(せんじょうさんあんぐう)
旧国名 : 伯耆

投稿する
屏風岩
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぴーかる

船上山城 (2025/06/07 訪問)

【船上山城】
<駐車場他>船上山登山口展望駐車場に駐車しました。飲み物必須。
<交通手段>車

<見所>土塁・智積寺跡石垣
<感想>尼子十砦制覇旅1城目。船上山城は南北朝時代に伯耆守である名和長年が隠岐を脱出した後醍醐天皇を迎える為に行宮を築いたのがはじまりとされます。後醍醐天皇はここで幕府方の軍を迎え撃ち、80日間行在したそうです。
上記駐車場からは東のルートを登って行くことになります。駐車場の前に現地案内板があり登山口があります。途中に分かれ道があって、探勝道(横手道)の看板があり急峻で健脚向きとあります。あさんもチャレンジしたルートなので負けてられない、迷わず探勝道を選択して登りました。途中までの横道は屏風岩の真下の横道を通るので迫力がありますが、屏風岩からの正面登山道が急峻でハイキングレベルではありません。私も息があがりました。お勧めできないので、距離は長くなりますが、屏風岩を間近で見たい方は見たら、東ルートに戻って登るのを勧めます。
 東ルートを登りつめると休憩所に出ます。山上は東西に長い平地になっていて、東端は武者溜まりのような平場になっています。西に向かって進むと智積寺跡と思われる石積み虎口跡があり、ここから先が曲輪・坊跡の土塁遺構が見られます。船上神社の手前に寺院跡の石垣遺構が見られます。行宮跡は船上神社本殿の裏手の小道を進むと奥の院がありますので、奥の院の数十メートル手前に案内があります。行宮は土塁囲みの曲輪になっていて虎口土塁には少し礫石があります。
 時の帝が島流しになるのも平和な今となってはすごいことだし、また脱出してこんな急峻な山の上を御座所としてここから倒幕の綸旨を出して巻き返したのもすごいことだと思いました。歴史感じる場所でなかなか良かった。

<満足度>◆◆◇
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

そうだったのか。モヤモヤも残る。 (2023/08/28 訪問)

9/1投稿の続きです。正面登山口から、屏風岩の上の台地に至りました。
船上山は、大山から流れ出た溶岩からなる、溶岩台地です。際はそそりたっていますが、台地上は、平坦で広かったです。後醍醐天皇の御座所跡(推定)へ向かいました。鎌倉時代、この台地には、山岳仏教が栄え、寺、僧坊が立ち並んでいたとのことで、土塁跡も見られます。推定御座所には、高い土塁が。
一地方豪族の名和氏が、船上山城のような大きな城を持っていたのが、不思議でしたが、山岳仏教の寺を借用したとわかり、納得。
幕府軍との戦いの有り様は、どうだったのでしょう。一ノ木戸まで攻め込まれたともありますが、今、一ノ木戸と言われている石垣、石段は、平坦な場所にあり、御座所まで近いです。ここまで攻められたらもうヤバイんとちゃう。また、石垣、石段は江戸時代のものと。
山上の説明板の地図(写真⑦)を見ると、船上山麓に、「船上山古戦場」と書かれています。また、東坂入り口の説明板には、「三日間の戦い」とあり、山上休憩所にあった琴浦町パンフには、「一日の戦いで」とあり、私本太平記には、「四日間の戦い」と。籠城・攻め込まれ&出撃と一筋縄でない戦いであったと思われますが、もやもやが残ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

山焼きしてるのかあ。当時は? (2023/08/28 訪問)

何かの本で船上山城のそそりたつ崖の写真を見て以来、行きたかったところです。草原の斜面の上に柱状節理の崖がそそりたってる写真です。
実際に来てみると、想像以上の規模でした。玄武洞や東尋坊の柱状節理よりもとても太い柱です。
駐車スペースに車を置いて、東坂を登っていくと、探勝道(横手道)の標識があり、「途中山頂に通じる道がありますが、急峻なため健脚向けです」と書いてありました。恐いもの見たさに、こちらに行ってみます。幅30〜40cmの踏み痕みたいな道が続きます。崖の下近くを通り、迫力があります。急斜面を横移動する細い道であり、笹をかき分け、足元を確認しないと進めないところも。標識の「途中山頂に通じる道」がなかなか現れません。だいぶん来てしまった、獣道みたいな道を戻りたくないし、一方、この先は、ずいぶん先の雄滝、雌滝まで行ってしまうのではないかと不安に。ままよと、進むと、正面登山口の標識が現れました。二つ並んだ崖(屏風岩)の間の崖が崩れたところを登って行くのですなあ。大石ゴロゴロの上をほぼ直登します。行宮碑の広場に出ました。
広場に休憩所・トイレがあり、パンフも置いてあります。パンフに、船上山斜面は、3年毎に、山焼きしているとありました。それで、この景観なんですね!後醍醐天皇が来られたときはどんなだったのでしょう。崖の上から崖下の幕府軍に矢をいかけるのでしょうから、当時も草原だったのでしょうか。(続く)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

後醍醐天皇を迎えた城 (2018/08/09 訪問)

 昨年の8月境台場、米子市美術館、山陰歴史館、赤崎台場を回って船上山へ、9号線を上り下りして良く大山、船上山は遠くから眺めて居ましたが行った事が有りませんでした話は親から先生から良く聞いており身近な感じでしたが今回赤崎から県道289号線を南下し船上山ダムを目指す、ダムを越して道は狭くなりますが舗装されて道標も有り船上山展望駐車場へ着、生憎の小雨模様で船上山は雲が掛りはっきり見えませんが柱状節理の岸壁は壮大です、今回は眺めるだけです。 
 鎌倉幕府軍も攻めあぐねたでしょう。
 展望駐車場からもう少し行くと登山口駐車場が案内パンフレットによると有るそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 名和長年
築城年 正慶2年〔北朝〕/元弘3年〔南朝〕(1333)
主な城主 後醍醐天皇
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(船上山行宮碑)
再建造物 石碑、説明板
住所 鳥取県東伯郡琴浦町山川
問い合わせ先 琴浦町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0858-52-1161