【船上山城】
<駐車場他>船上山登山口展望駐車場に駐車しました。飲み物必須。
<交通手段>車
<見所>土塁・智積寺跡石垣
<感想>尼子十砦制覇旅1城目。船上山城は南北朝時代に伯耆守である名和長年が隠岐を脱出した後醍醐天皇を迎える為に行宮を築いたのがはじまりとされます。後醍醐天皇はここで幕府方の軍を迎え撃ち、80日間行在したそうです。
上記駐車場からは東のルートを登って行くことになります。駐車場の前に現地案内板があり登山口があります。途中に分かれ道があって、探勝道(横手道)の看板があり急峻で健脚向きとあります。あさんもチャレンジしたルートなので負けてられない、迷わず探勝道を選択して登りました。途中までの横道は屏風岩の真下の横道を通るので迫力がありますが、屏風岩からの正面登山道が急峻でハイキングレベルではありません。私も息があがりました。お勧めできないので、距離は長くなりますが、屏風岩を間近で見たい方は見たら、東ルートに戻って登るのを勧めます。
東ルートを登りつめると休憩所に出ます。山上は東西に長い平地になっていて、東端は武者溜まりのような平場になっています。西に向かって進むと智積寺跡と思われる石積み虎口跡があり、ここから先が曲輪・坊跡の土塁遺構が見られます。船上神社の手前に寺院跡の石垣遺構が見られます。行宮跡は船上神社本殿の裏手の小道を進むと奥の院がありますので、奥の院の数十メートル手前に案内があります。行宮は土塁囲みの曲輪になっていて虎口土塁には少し礫石があります。
時の帝が島流しになるのも平和な今となってはすごいことだし、また脱出してこんな急峻な山の上を御座所としてここから倒幕の綸旨を出して巻き返したのもすごいことだと思いました。歴史感じる場所でなかなか良かった。
<満足度>◆◆◇
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