9/1投稿の続きです。正面登山口から、屏風岩の上の台地に至りました。
船上山は、大山から流れ出た溶岩からなる、溶岩台地です。際はそそりたっていますが、台地上は、平坦で広かったです。後醍醐天皇の御座所跡(推定)へ向かいました。鎌倉時代、この台地には、山岳仏教が栄え、寺、僧坊が立ち並んでいたとのことで、土塁跡も見られます。推定御座所には、高い土塁が。
一地方豪族の名和氏が、船上山城のような大きな城を持っていたのが、不思議でしたが、山岳仏教の寺を借用したとわかり、納得。
幕府軍との戦いの有り様は、どうだったのでしょう。一ノ木戸まで攻め込まれたともありますが、今、一ノ木戸と言われている石垣、石段は、平坦な場所にあり、御座所まで近いです。ここまで攻められたらもうヤバイんとちゃう。また、石垣、石段は江戸時代のものと。
山上の説明板の地図(写真⑦)を見ると、船上山麓に、「船上山古戦場」と書かれています。また、東坂入り口の説明板には、「三日間の戦い」とあり、山上休憩所にあった琴浦町パンフには、「一日の戦いで」とあり、私本太平記には、「四日間の戦い」と。籠城・攻め込まれ&出撃と一筋縄でない戦いであったと思われますが、もやもやが残ります。
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