野崎城は慈眼寺の裏山の標高114.4m(111とも)・比高約80mの位地に築かれています。河内守護畠山氏の内紛の際に、畠山義豊が尚順の籠る野崎城を攻めたという記録があるようです。また若江城の支城として守護代の遊佐氏の一族が守っていたともされ、飯盛山城が築かれた後は、その支城(出城)となったようです。
また現地の案内板には「太平記」に、四条畷合戦(1348)において北朝方の縣下野守が、ここに陣を敷き、南朝方の楠正行と対峙したと記述があるとしています。主郭の西に二つの郭を持ち、主郭は二段になっていて、上下に展望所があります。主郭の南東には長さ10mほどの堀切が有り、そこから降って行くと、その先にも郭が有るようです。北西の尾根上にも郭があり、主郭の他に4の郭を持っています。
今回は吊り橋を渡って石造九重層塔のある郭に戻ってから下山しています。
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