飯盛山から南西にのびる支尾根上の八幡山に位置し、西麓に迫る深野池との間を走る東高野街道を抑える交通の要衝で、南北朝期には四条畷の戦いで北朝方の陣が置かれていますが、野崎城は室町中期に河内国守護・畠山氏の内紛に際して築かれたものと考えられ、その後、飯盛城の支城として機能し、飯盛城の廃城に伴って廃されたようです。
慈眼寺(野崎観音)の駐車場に車を駐めて登城開始。まず本堂にお参りして、左手奥の鐘楼の脇を抜けるとハイキングコースに入ります。登り始めてすぐに石造九重層塔の建つ郭があり、このあたりからが城域のようです。そこから階段状に曲輪群が設けられていますが、ハイキングコースや休憩所、展望所などにより改変を受けていると考えられ、旧状はよくわかりません。
西端の郭から15分ほどで本郭に到着。本郭には城址碑と説明板が建てられ、西方向の眺望が開けています。本郭から南東に下りて行くと飯盛城へと続く尾根筋が堀切で断ち切られていました。堀切から岩盤の切通道を抜けて南西に下りた先につり橋があり、その南西下には郭が広がっている…はずですが、藪に沈んでいてよくわかりませんでした。
…ということで、明瞭な遺構は堀切くらいのものですが、飯盛城へのハイキングコースの道中にありますので、ついでに訪れる価値はあるかと。
+ 続きを読む