宿の近くの温泉施設で疲れを癒し、翌朝、目覚めたのは6時前。ぐっすり眠れたので疲れも眠気もなく体調万全。ホテルの駐車場は、チェックアウト後も次のチェックイン時間までなら引き続き駐車可とのことなので、ホテルのレンタサイクル(無料)を借り、会津若松の史跡めぐりに出発です!
会津若松城までの道中、まず訪れたのは髙巌寺北隣の蒲生忠郷公墓所と興徳寺北隣の蒲生氏郷公墓所。現在に続く会津若松の礎を築いたとして、今なお慕われていることがよくわかります。
続いては、会津若松城の外堀跡の史跡へ。甲賀町口門跡は大手門にあたる門だけに立派な石垣が残っています。東部の天寧寺町には住宅地の一区画分の規模の土塁が現存し、南部の南町口には外堀の名残の水路と橋脚の礎石があります。三ノ丸の堀跡を見たあたりで8時過ぎになったので、三ノ丸の駐輪場に自転車を駐めて城内へ(城内編は次の投稿で)。
城内をひととおり散策した後は、また周辺の史跡めぐりを再開しましたが、会津は東北と関東を結ぶ交通の要衝であり戦略上の要地だったことから、葦名にはじまり、伊達、蒲生、上杉、加藤、保科・松平と蒼々たる顔ぶれがこの地を治めており、それぞれに由来する史跡があちこちにあって、一日かけてもとてもめぐりきれそうにありません。
とりあえず、城周辺で会津藩校日新館の天文台跡、山鹿素行(後に赤穂藩に仕え、赤穂浪士の生みの親とされる)の生誕地、上杉時代の直江兼続屋敷跡、大河ドラマで有名になった新島八重と山本覚馬の生誕地(三ノ丸には新島八重の像も)、一族自刃の悲劇の地となった西郷頼母邸阯などをめぐり、自転車を返却して、車で白虎隊自刃の飯盛山や、法界寺(会津坂下町)の中野竹子の墓所などをめぐりました。
今回の福島行は、城めぐりに加えて戊辰戦争の史跡を辿るというのが主な目的ですが、棚倉城も白河小峰城も戦場となり、二本松藩では二本松少年隊、会津藩では白虎隊はもとより西郷頼母邸や中野竹子ら娘子隊の悲劇があり、いち早く新政府軍に降伏して戦火を避けた三春藩においても、奥羽越列藩同盟に出向いていた4名の藩士が裏切り者として殺害される(三春城本丸に慰霊碑あり)など、戦争の惨禍を見せつけられるようで、改めて平和な時代のありがたさを考えさせられました。
+ 続きを読む