続100名城スタンプラリー27番目に訪れました。
明智光秀大河ドラマ化で盛り上がっています。見所は天守台に多く使用されている一目で分かる転用石
本丸の石垣自体は転用石があまり使われていないので、一目見たときの存在感に圧倒されました
海抜より深い所まで掘ってあるその深さ50mを誇る豊磐井です。曰く「本丸にある井戸としては日本一の深さ」
ただ深いだけの井戸なら他にもあるという当時の日本の土木技術の水準の凄さにただただ驚くのみです
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2019/07/21 09:05
転用石が凄い天守台と海より深い井戸 (2019/07/14 訪問)
続100名城スタンプラリー27番目に訪れました。
明智光秀大河ドラマ化で盛り上がっています。見所は天守台に多く使用されている一目で分かる転用石
本丸の石垣自体は転用石があまり使われていないので、一目見たときの存在感に圧倒されました
海抜より深い所まで掘ってあるその深さ50mを誇る豊磐井です。曰く「本丸にある井戸としては日本一の深さ」
ただ深いだけの井戸なら他にもあるという当時の日本の土木技術の水準の凄さにただただ驚くのみです
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2019/07/21 08:36
「榎下城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★★★☆
榎下城は、鶴見川の支流である恩田川の南岸にあり、舌状台地を利用して築かれている。主郭の標高は約30m、比高は16m程度である。城は、南北に並ぶ3つの曲輪からなっている。戦国時代には小机衆の出城の役割を果たしたとされる。現在は、二の丸跡に舊城寺が建立されているが、三方に土塁が残されている。
<アクセス>
JR中山駅 徒歩15分
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2019/07/21 08:30
「成瀬城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
成瀬城は、鎌倉街道を北東に見下ろす立地に築城されている。現在は宅地開発により遺構は消滅しているが、発掘調査の結果、鉄砲玉や銭貨が出土している。空堀跡は分かりにくいが、縦堀(C)は城跡の出入口になっている。井戸跡が復元され、中世の城郭の面影を残している。
<アクセス>
JR成瀬駅 徒歩15分
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2019/07/21 08:30
2019/07/21 08:05
筑前さんの隠居城。 (2019/07/20 訪問)
行こうと思えば行けたのに、時間の都合などで結局遠くから眺めてるだけだった妻鹿城。
今回、ようやく訪城の運びとなりました。
妻鹿城はいろんな呼称がありますね。『甲山城』、『功山城』、『国府山城』…ややこしいのでとりあえず『妻鹿城』と呼ぶことにします。
その歴史は古く、南北朝時代に遡ります。太平記にも記載のある妻鹿孫三郎長宗が築城、居城としたようです。長宗は元弘の戦(1330年頃)の際には北朝方の赤松円心の下で武功をあげたことによって妻鹿周辺を与えられました。『功山』の呼称はここからきています。
時は下って戦国時代、黒田職隆が天正元年(1573)嫡男の官兵衛孝高に姫路城を譲って、自らは妻鹿城に移り居城としました。
天正八年(1580)三木城の別所長治を滅ぼした羽柴秀吉が三木城を播磨統治の拠点としようとした際、官兵衛は三木城の戦略的不備を進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に献上し、父職隆のいる妻鹿城に移りました。
天正十三年(1585)職隆が亡くなった後廃城となったようです。徳川の世になった頃にはもう無かったんですね。
登城にはまず麓の荒神社からスタート。そこからは鬱蒼とした山道がしばらく続きます。当時からこの道は大手道のルートだったようです。
そしてここからすでに藪蚊の猛攻が待っています。ヒーー。
所々にある小さな平坦地の跡を横目に、井戸の跡を少し行くと虎口跡があり、底からしばらく登ると平坦地に出ます。ここが『馬駆け』と呼ばれる郭の跡で、倉庫が建ち並んでいたそうです。郭の名前から馬場があったのかなとも思いますが、さてさて。
しかしこの一帯、笹藪でもうなにがなんだか判らない状況です。時期が時期だけにあまり長居したくない(笑)。
鉄塔を回り込んで道は二手に分かれます。左に行けば平安時代の経塚跡があり、麓の荒神社はここから出土した泥塔の同范(三宝荒神に見立てた)を祀ったところだとか。
右の山道を少し登るといよいよ中核部。人為的に削平された郭跡が数多く残っています。
石垣の設備は無いようですが、所々にある岩盤を上手く加工または利用して城の守りとしていたようです。
そして主郭跡。ここからは姫路の地形が北から西、そして播磨灘を一望できます。
お城の西麓には市川が流れていて、当時の水運をも把握できたことでしょう。ここから船で市川を北上すれば、姫路城の京口付近まで行くことが出来たそうです。
南方向には市川の河口がすぐに見えますが、当時は市川を天然の堀として南に広がる現在の妻鹿地区一帯をも要害化していたんだとか。
主郭跡からさらに北へ進むと、一際広い平坦地が奥に続いています。なんと庭園跡の石組が残っています。ここからは磁器などの陶器類が見つかっているようで、生活空間がここに存在していたのでしょうか。ふと『軍師官兵衛』の職隆往生のシーンを思い浮かべてしまいます。柴田恭兵さん、格好良かったなぁ…。
その庭園跡からさらに北へ。ここにはなんと磐座跡があります。明らかに人の手が入った跡らしきものもありますし、ここはやはり祭祀スペースとして特別な場所だったのでしょうか。
その後は下山して、『筑前さん』として地元の方々に大切に守られている黒田職隆廟所にお詣りしてフィニッシュとしました。
と、これから登城される方へ。帰り道の表示がありますが、来た道を引き返して下山された方が無難です。主郭跡東側の帯郭跡からのルートは藪が特に酷い状況です。それこそ道の痕跡さえ無いような。私もやむなく引き返しました。ヒーーー。
あと、やはりオススメは冬場でしょうか。少しは訪城しやすくなっているでしょうから…。
また、マイカーは極力避けた方がよいかもです。妻鹿城や職隆さんの廟所周辺には駐車場がありません。山陽電車を利用して妻鹿駅から歩いた方が吉かと思います。
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2019/07/21 04:11
大友公園 (2019/07/20 訪問)
台風5号の強風域に入っている中、無事大分空港に降り立つことができました。雨が降っていたので、うみたまごで時間を過ごし、雨の日に風情のある2つの豊後一宮・柞原八幡宮と西寒多神社を回って昼食も摂ってから大友別館へと向かいました。津久見は雨が上がっていました。大友公園となっていて、遺構は残っていませんが、大友宗麟が最晩年を過ごした地とのことです。折角ですので、久しぶりに大友宗麟の墓にも足を伸ばしてみました。
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2019/07/21 02:08
2019/07/20 23:23
鑁阿寺と足利学校 (2019/05/05 訪問)
一通り史跡をまわって、滞在1時間くらいでした。
もう少し人の少ない、
早い時間帯につけるように出直します。
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2019/07/20 22:36
東別院 (2019/07/19 訪問)
織田信秀により建てられた城です。東本願寺名古屋別院(東別院)周辺が城址で、城址碑、説明版があります。遺構はありません。地下鉄東別院駅より徒歩5分くらいの所にあります。
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2019/07/20 21:31
ひっそりと説明板が立っています (2019/07/20 訪問)
愛川町役場に車を停めさせて頂き徒歩で15分。
住宅地の奥から下る坂道の下りかけにありました。
説明板が立っていますが金網の中。
おそらく主郭部分と思われます。
2郭と思われる部分も畑で入れません。
遺構もあまり無さそうでした。
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2019/07/20 20:53
駿府城出土金箔瓦の秀吉の城説を考えると千田先生の新聞記事の現地確認 (2019/07/20 訪問)
奈良大学千田嘉博先生のお城探偵シリーズ産経新聞令和元年7月9日の記事にどきっとしまして当初より今回の駿府城天守台発掘調査で大御所の天守台の下に中村一氏の天守台発見と有り、合わせて多数の金箔瓦も発見、新聞、静岡文化財課の広報、配布資料も中村一氏、秀吉の城とうたい、てっきり秀吉の城の金箔瓦と思って居たのですが、信長の金箔瓦、秀吉の金箔瓦の違いも分かっていたのですが当初情報先入観か「秀吉の金箔瓦か」と思い込んでました。
千田先生の記事によると発見された金箔瓦が信長の金箔瓦の特徴があると凹面に金箔と有りと新聞写真に載って居り本日三の丸発掘現場説明会の帰りに展示して有る「発掘情報館きゃっしる」に寄って確認と寄ってきました、現地サンプルは数が少なく、金箔の残渣が少なく良く解りませんでしたが凹面にも金箔が残っており、凸面にも金箔が残ってるサンプルが有りました。
先生の説による家康が浜松城から駿府城に移った時期天正12年~13年から小田原征伐後の関東移封の天正18年の5年間に家康金箔瓦が有ったのではないか、当然信長の金箔瓦も家康は知ってると。
今後調査が進み益々精度が上がって来るでしょう、益々楽しみですし、今回の事も含め仮称駿府城博物館の完成が待たれます。
今回現地で見た金箔瓦はサンプルが少なく、金箔が薄く写真に撮り添付する事が出来ませんでした、文化財課に保管されてる金箔のよく残ってる瓦の展示がされる様になれば分るでしょう。
添付写真は天守台発掘調査現場の写真、二の丸御門、二の丸きた門を添付します。
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2019/07/20 20:21
2019/07/20 20:12
2019/07/20 20:09
2019/07/20 20:04
2019/07/20 19:57
2019/07/20 19:52
三の丸発掘現場説明会 (2019/07/20 訪問)
浜松から静岡へ朝駆けで地道R1号バイパスを使って午前10時の三の丸発掘調査調現場説明会に参加しました。
三の丸発掘現場は二の丸巽櫓の水堀、堀端道南側元青葉小学校跡地で駿府城博物館建設前に今年より発掘調査を始め先週12日に新聞報道が有り天正期の中村一氏、家康浜松城から駿府に移った時期当たりか、家康大御所時代の駿府城前の時代で、自然石の穴太積み石垣が基礎に土塁、土塀が築造されてた模様、挟んで30メートル、幅1間半の道が発見された、合わせて江戸期幕末駿府城代屋敷の根石も発見された。
今回の発見で駿府城博物館の建設をどの様にして今回の発見遺跡を保存管理、展示を叶えながら進めて頂ければありがたい、天守台の発掘調査中で有り大御所時代の天守台、中村一氏時代の天守台の保存管理、駿府城の情報発信、研究、保全等も有り博物館の建設は城好きファンとしてはありがたい。
駿府城跡天守台発掘調査「見える化」は現在進行中ですが2021年2月まで現場公開されるそうです。
駐車場は三の丸北側の体育館、文化会館の地下駐車場を利用。100円/30分です。
折角登城しましたので、東御門、巽櫓、坤櫓、三の丸大手門枡形石垣の写真を添付します。
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2019/07/20 19:41
踏切事故の影響大 (2019/07/13 訪問)
上の平城を見学後、沢駅でもう1城見学し、次に2駅先の木ノ下駅へ移動して箕輪城を訪問しました。
駅前はすぐ傍の神社を含むお祭りがある様で、屋台が沢山準備中でした。
その脇を進み目的地まで10分足らずで箕輪城のある養泰寺に到着。
その裏にある裏山の墓地域を含んだ場所が城域で、入口には箕輪城の案内版と解説版がありました。
墓域を散策するのは気が引けるので、ぱっと目に入った土塁だけを撮影しようとお墓が写りこまない撮影場所を探した所、なんとビックリ、奥に巨大な堀切があるじゃありませんか(驚)
どうも墓域が曲輪だったようで、その周りを土塁が囲んでおりますが、更にその外を地形を利用して堀と堀切が設置されていたみたいです。
・・・みたい・・・と書いたのは、ここで雨脚が強くなって散策処では無くなってきてしまったから・・・
堀切先の郭とその先・その周辺も確認したかったですが、この日既に結構歩いていたから、もう1ヶ所訪問する予定ではあったものの、まいっか状態でw
と言う事でちょっと早めに帰るかな~と、岡谷駅まで戻ったまでは良かったんですが・・・
特急券購入して30分後の電車で帰ろうとしたら・・・特急と車が踏切で接触して電車が遅れるとの放送が(-Д-;)
・・・踏切事故っていうのが嫌な感じだったのが予感的中し、17時予定の復旧が18時になり、更に復帰時間未定になり・・・
途中花岡城再訪とかで時間潰してましたが、他に帰る方法が無い様に思え、いよいよ岡谷で1泊の段取り必要?と思いましたが、たまたま岡谷駅前発の高速バスが地元の方まで走っているのに気付き、更に満席だったバスが出発時間に予約していた3名が来なかった事で偶然にも空き席が出来て無事帰る事が出来ました・・・予定より帰宅時間4時間かかってはしまいましたがw
後で確認したら22:00頃に復旧完了した様ですが・・・これではこの日帰れなかったね。。。結果オーライでした(汗)
(切符は次の日無事に払い戻し出来ました)
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2019/07/20 17:32
雨 (2019/07/20 訪問)
倒木で道を塞がれたぽい
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2019/07/20 17:00
水口城(みなくちじょう) (2019/05/25 訪問)
【水口城】
<駐車場他>城跡資料館無料あり
<交通手段>車
<感想>日帰り八幡山攻城の旅3城目。八幡山からは離れるが南下して予定の水口城跡へ。ご存じ徳川将軍家の上洛の際の宿館として築かれたが、家光が一度しか利用しなかった城。作事奉行は小堀遠州、城番管理下→その後2万石で加藤氏(加藤嘉明の孫)が水口藩を立藩、明治までほぼ加藤氏が続いたところだそう。加藤氏は本丸を居館として利用しなかったそうだし、名称も水口御茶屋だって、なんとも贅沢なことです。
本丸は水堀で囲まれた方形で、東に出丸(外枡形)北に内枡形の2箇所虎口がある。北の枡形虎口は完全に取り壊され、東の外枡形の虎口に再移築乾櫓の資料館がある。資料館内は水口城の館模型・城の遺物がある。水口古城のパンフレット200円で販売されてます。その外枡形は高麗門・移築櫓・大手門を造ってお金かけているので見応えあるが、乾櫓は立派な櫓台が残っているので元の場所に再移築して資料館にすればよかったのにと思う。
本丸内は高校のグランドとなっており、野球・サッカー共に使えるほど広い。本丸の堀を一周したが、出丸と乾櫓石垣を残して石垣は撤去され堀の上も土塁が残されているのみとなっていた。
乾櫓台石垣は立派な隅櫓で石垣は一風変わっていて写真の通り、下部が切込接ぎ布積み、上部が谷積みとなっていて見応えあり。乾櫓は野球場の観覧側になるので櫓台上まで入れます。
水口古城も登城する予定だったが、予想外の北之庄城でへとへとになり、午後5時だったので断念し、またの機会として日帰り旅終了とした。
<満足度>◆◆◇
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