さいほういんざんじょう

西方院山城

奈良県奈良市

別名 : 瑜伽山城
旧国名 : 大和

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①二重の空堀
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:西方院山城 (2024/09/30 訪問)

鬼薗山城から徒歩1分くらいで、奈良ホテル駐車場の土手攻城口(34.679128、135.835128)に着き、その後、瑜伽(ゆうが)神社に向かいました。

1444年(文安元年)古市氏によって築かれました。
興福寺衆徒の古市氏が筒井氏に備えるために鬼薗山城築城が計画されていましたが、鬼薗山城のある丘陵が興福寺境内であったことから、東に隣接する西方院山城に計画が変更となり着工されたそうです。
しかし、わずか3ヶ月ほどで当初の計画どおりに鬼薗山城の築城が進められたため、西方院山城は未完成のままであったようです。
1479年(文明11年)越智氏、古市氏は筒井氏に備えて再び城を構えることになり、西方院山城が築かれました。
今度は完成して軍勢が配置された西方院山城でしたが、わずか3日後に筒井方の軍勢が押し寄せ、自焼して落城しました。

西方院山城は鬼薗山城の東側の丘陵に築かれていました。
瑜伽神社裏手の丘陵が城跡で、二重の空堀と堀切、土塁が確認できます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=古市城を目指す為、奈良交通の破石町バス停からバスで南古市バス停に向かいました。

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しんちゃん

いいのかな。 (2023/07/16 訪問)

西方院山城は瑜伽神社のある丘に築かれた城で、かつては
神社側からアクセスできたと思われますが、危険とのことで
施錠され立ち入ることができません。
乗り越えるわけにもいかず‥
かつて隣の鬼蘭山城とつながっていたということは
あっわかりやすい登り口が、二分後にはもう城域にいました。
登ってすぐ郭に到達し、堀切と土塁に土橋がかかっているので
それを渡ると主郭です。なかなか良く遺構が残り
東に二重の堀切があり、周囲も土塁が残ります。
遺構を見たらそそくさ退散。
奈良ホテルへ向かいます。

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小城小次郎

明瞭な二重堀は15世紀のものらしい (2023/01/20 訪問)

かつては神社の裏側の鍵が壊れていた時もあったようだが今はがっちり施錠され、城内に立ち入ってよいのかどうかは判然としない(ので入っていない)。15世紀構築と推測される二重堀を残す貴重なお城なのだが。

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ぴーかる

古都奈良の中心部に見事な二重空堀がある城跡 (2023/06/17 訪問)

【西方院山城】
<駐車場他>タイムズ東大寺転害門西24時間550円に駐車しそこから徒歩
<交通手段>車

<見所>竪堀・2重空堀
<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅2城目。西方院山城は1444年に古市氏が筒井氏に対抗するため鬼薗山城の代わりの城として築城を開始しましたが、一旦中断して鬼薗山城を完成させたために途中で放置されました。1478年に古市氏が西方院山城の築城を再開して完成させますが、城が完成して3日後に筒井勢に攻められた際に城兵が火を放ち焼失落城しました。
 2019年にすぐ隣にある奈良ホテルになっている鬼薗山城跡に行きこの西方院山城もチャレンジしようとしましたが、人の往来が激しくて市街地の中、山に入り込むを躊躇して断念しました。今回は先達方の投稿を参考に<34.679190, 135.835093>の土塁端からよじ登って登城しました。上記ポイントから登っていくと、主郭背後の土塁と池方向に落ちる竪堀があります。主郭は瑜伽神社とその裏にある広い削平地になります。主郭西側に大きい2重空堀が残り見応えがあります。空堀の最南上部に虎口跡があり数個石列が残ります。奈良公園のすぐ南、市街地の真ん中に土の遺構のある丘城跡があるのは珍しい。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 古市氏
築城年 文安元年(1444)
主な城主 古市氏
廃城年 文安元年(1444)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
住所 奈良県奈良市春日野町瑜伽山他