さいほういんざんじょう

西方院山城

奈良県奈良市

別名 : 瑜伽山城
旧国名 : 大和

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西側堀切
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みんなの口コミ

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しんしんちゃん

いいのかな。 (2023/07/16 訪問)

西方院山城は瑜伽神社のある丘に築かれた城で、かつては
神社側からアクセスできたと思われますが、危険とのことで
施錠され立ち入ることができません。
乗り越えるわけにもいかず‥
かつて隣の鬼蘭山城とつながっていたということは
あっわかりやすい登り口が、二分後にはもう城域にいました。
登ってすぐ郭に到達し、堀切と土塁に土橋がかかっているので
それを渡ると主郭です。なかなか良く遺構が残り
東に二重の堀切があり、周囲も土塁が残ります。
遺構を見たらそそくさ退散。
奈良ホテルへ向かいます。

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小城小次郎

明瞭な二重堀は15世紀のものらしい (2023/01/20 訪問)

かつては神社の裏側の鍵が壊れていた時もあったようだが今はがっちり施錠され、城内に立ち入ってよいのかどうかは判然としない(ので入っていない)。15世紀構築と推測される二重堀を残す貴重なお城なのだが。

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ぴーかる

古都奈良の中心部に見事な二重空堀がある城跡 (2023/06/17 訪問)

【西方院山城】
<駐車場他>タイムズ東大寺転害門西24時間550円に駐車しそこから徒歩
<交通手段>車

<見所>竪堀・2重空堀
<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅2城目。西方院山城は1444年に古市氏が筒井氏に対抗するため鬼薗山城の代わりの城として築城を開始しましたが、一旦中断して鬼薗山城を完成させたために途中で放置されました。1478年に古市氏が西方院山城の築城を再開して完成させますが、城が完成して3日後に筒井勢に攻められた際に城兵が火を放ち焼失落城しました。
 2019年にすぐ隣にある奈良ホテルになっている鬼薗山城跡に行きこの西方院山城もチャレンジしようとしましたが、人の往来が激しくて市街地の中、山に入り込むを躊躇して断念しました。今回は先達方の投稿を参考に<34.679190, 135.835093>の土塁端からよじ登って登城しました。上記ポイントから登っていくと、主郭背後の土塁と池方向に落ちる竪堀があります。主郭は瑜伽神社とその裏にある広い削平地になります。主郭西側に大きい2重空堀が残り見応えがあります。空堀の最南上部に虎口跡があり数個石列が残ります。奈良公園のすぐ南、市街地の真ん中に土の遺構のある丘城跡があるのは珍しい。

<満足度>◆◆◇

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マダム卑弥呼 

奈良ホテルの向かいに (2021/10/22 訪問)

このお城の行き方は急な山道を(しかも全く整備されていない)登っていくしか方法がない。
ゆうがじんじゃの境内から入れた時期もあっただろうが、今は鍵がかかっており、無理。 それでも何とか写真に収めました。鍵を開けてくれるように頼んで開けてもらえるかどうかは分かりませんが、神社から入れるならそっちの方が安全かも・・。念のため、奈良ホテルのフロントで聞きましたが、全く山城の話は知らず、とりあえず(駐車場)敷地内に入ることは許してもらいました。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 古市氏
築城年 文安元年(1444)
主な城主 古市氏
廃城年 文安元年(1444)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
住所 奈良県奈良市春日野町瑜伽山他