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2019/06/01 00:23
土塁・空堀 (2019/05/22 訪問)
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2019/06/01 00:19
平成最後の築城です。 (2019/05/29 訪問)
お城EXPO2018で頑張って宣伝されていたので一度行ってみたかった平成最後に建ったお城尼崎城‼️
甲子園に行くついでに行ってきた‼️
まずは櫻井神社から。庄下川沿い西三ノ丸跡に鎮座しており、九曜紋の鬼瓦が見れる。
ここは嵐やミスチルのファンがチケット合格祈願に訪れるメッカだが、櫻井松平氏が祀られている社。因みに私のご友人も参りまくってインスタにあげまくっております(笑)
尼崎城は大阪夏の陣後、岸和田城とともに大坂城の守りとするため幕府から命じられ戸田氏鉄(ウジカネ)が築城し、青山氏、櫻井松平氏が藩主となり治めた。
元々尼崎に湊町があり、京都と大阪からの街道を押さえられる位置にと築かれた。
平成の天守は鉄筋コンクリート建てで四重天守+二重付櫓を再現。中はかなり面白い展示で飽きない。
天守には千鳥破風と唐破風が交互に重なる。
少し歩いて明城小学校南側に城址の石碑がある。ここは、本丸跡で伏見櫓があった辺りらしい。
工業の町、ダウンタウンの故郷しかイメージなかったけど、この町は面白そうだ。
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2019/05/31 23:16
復元情報を収集 (2019/05/30 訪問)
大浜陣屋碧南市を終わって高速代を節約して地道最短コースをナビで選択して帰路に途中西尾城がナビに写し出され以前2月の投稿でにのまるさんが西尾城二の丸丑寅櫓と屏風折れ続土塀の復元が今年から始まるとの情報が頭に残って居り時間も16時陽は高くちょい寄りしました。
写真は4,5年前復元された二の丸丑寅櫓台、続土塁、天守台を中心に、まあぁ寄ったので本丸丑寅櫓、大手門も採光に合わせ撮影、資料館に寄り情報収集、パンフレット入手、参加したかった昨年12月の西尾城シンポジウム(西尾城、岡崎城、刈谷城の復元活用)広島大の三浦先生講演の小冊子が販売されてましたので購入、資料館の人に情報確認、二の丸丑寅櫓と屏風折れ続土塀は今年の夏の祇園祭が終わってから着工し来年令和2年夏に完成予定との事でした。
大変待ち遠し事です。
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2019/05/31 22:42
羽城は大浜陣屋に (2019/05/30 訪問)
富貴城の次に東約10km三河湾入り江を渡り碧南市那根町へ羽城、大浜陣屋を探訪。
家康時代の羽城は水野氏に依って大浜陣屋として改築城、現在は大浜陣屋広場として整備されている、陣屋内に説明板を掲示して大浜陣屋の履歴が示されてます。
城下町の為か城下にお寺が多く存在してます、南500mの所に移築門が常行寺の門として残ってます、隣接のお東さん西方寺には二階建て太鼓櫓が現存。
車は大浜陣屋に3台ほどの駐車場が有りますが常用で無く閉鎖、陣屋の道北のスーパードミーさんの駐車場を利用させて頂きました。
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2019/05/31 22:10
2019/05/31 21:42
常滑城 常滑市市場町 (2019/05/30 訪問)
常滑市大野城の次に5km程南下して常滑市中心街、セントレア空港の対岸地常滑城を探訪。
西側は崖に成って居り素晴らしい防御力、崖上が公園化してますが狭い範囲、城名石碑と説明板のみ北側に隣接して水野氏をを祀ってる正法寺、敷地は草ぼうぼうで太陽パネルが施設され更に狭いカン益しまし。
車は崖下に月極駐車場が大きく占めてますが停められず崖下より50から100m西の県道252号線沿いのドラグストアの駐車場を理を入れて駐車、当然買い物はささやかに購入。
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2019/05/31 21:41
2019/05/31 21:17
常滑市の大野城 (2019/05/30 訪問)
大草城の次に南に1.5km程の常滑市の城山公園と成ってる大野城を探訪、城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報に依り国道155号線を南下し堀田の信号を左折100~200mに城山公園北側駐車場を目指す。
駐車場は北二段に分かれ10~15台可能。
駐車場から登り階段を3ヶ所腰曲輪まで、3曲輪まで、2曲輪まで登り本丸廻り坂道階段を登り本丸、展望台へ展望台からの眺望は絶景、大草城以上に眺望良好、伊勢湾鈴鹿山脈が良く見渡せます。
織田有楽斎が所領したが北に1.5km程大草城を築城し大野城は廃城と成る、独立丘陵地の城跡で公園化されてますが木々で欝蒼としやぶ蚊攻勢、春の桜の頃のやぶ蚊の居ない時期が探訪時期か?
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2019/05/31 21:08
風待ちの港がみえる城 (2019/04/29 訪問)
文献資料上、引田城に関わる記述が見えるのは、江戸時代編さんの軍記物語「南海通記」に応仁年間に国人・寒川氏が領したとあるのが初見です。引田は讃岐国の東端にあることから、戦国時代には阿波三好氏との攻防があり、引田の城主は何度か替わりました。
天正11年、土佐国の長宗我部元親による讃岐侵攻の際、長宗我部軍と豊臣秀吉方の仙石秀久がこの地で戦いました。その後、「生駒記」によれば天正15年に豊臣秀吉の家臣である生駒親正が播磨国赤穂から讃岐国に入部した折、引田城に入ったが、ほどなく引田を離れ、高松に高松城を築城したとあります。
引田城へのアクセス JR高徳線引田駅から徒歩約20分 車では高松自動車道引田ICから約10分
讃州井筒屋敷(水曜定休日)で「続日本100名城」スタンプをゲットし、車で5分程走ったところにある引田港登山口から登城。登城口から10分程で、本丸の石垣(*^^)v本丸・天守台へ続き、天守台から山を下り化粧池へ。化粧池を見て来た道を戻り、南二の丸を堪能し大手門跡、北二の丸を堪能。中でも北二の丸と南二の丸の5m~6m程の高石垣は圧巻ヮ(゚д゚)ォ!こんな山の上に、よくもまあこの石垣を積み上げたものだと関心。この城の見所は、この石垣と、天守台跡から見る風待ちの港だと思います。
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2019/05/31 20:37
有楽斎幻の城 (2019/05/30 訪問)
緒川城の次に知多半島の背骨の丘陵を横断して伊勢湾東側に位置する知多市大草、大草公園と成ってる大草城跡を探訪、欝蒼とした樹木の中に囲まれています、周りは田畑住宅地ですが良くここまで遺構が残ったなとの感想です、これには尾張藩重臣山澄淡路守の尽力の賜物(展望台内部の説明文に依る)
本丸、二の丸各囲みの大土塁、ぐるっと内堀水堀と残って居り二の丸土塁上には遊歩道が有りますが出来上がってから十年以上たって居り木々で欝蒼としています、昨夜の雨と暑さでやぶ蚊の攻撃に遭い露出部分は腫れあがり持参のキンカンで応急処置。
天守閣風の二層三階展望台は周辺の見晴らし絶景、伊勢湾越しに伊勢、鈴鹿山脈が見渡せます。
この城は織田有楽斎が隣の大野城を領有し直ぐに近世城郭として築城したが本能寺の変により中断し幻と成る、そのまま継続して居れば伊勢田丸城の様に石垣造り金箔瓦3層か5層の天守が出来上がってた事でしょう。
樹木で欝蒼としてますが見える化の景観整備をするとこんなに立派に残ってる城跡を更に知名度の上がる城に成る事でしょう知多市の踏ん張りに期待したいし応援も惜しみません。
駐車場は南側馬出曲輪跡に5~6台分
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2019/05/31 20:12
今治城 (2018/08/12 訪問)
【百名城39城目】
<駐車場他>城前に有料駐車場あり。また城の南東面に無料路上Pあり。
<交通手段>車
<見所>鉄御門・再建櫓・石垣・堀
<感想>伊予国攻城の旅6城目。この城も2度目の来城。模擬天守で縄張りもほぼ四角。1度目来た時にちゃんと見なかった鉄御門・櫓の再建建物を特に観察した。石灰岩の石垣の石は目を引いた。城内には海蝕跡の石灰岩もある。天守内と櫓内にも各々展示物があるが、甲冑が多い。じっくり見ているとそこで結構時間はとる。城内の敷地は神社と社務所が面積を占めていて遺構の見所は少ない。内堀は1周1㎞無いので1周して外観を鑑賞した。石垣は最大13mの高さで砂の上に建てているそう。藤堂高虎の直線的高石垣・堀幅も広いので外観の見応えはあるが、堀にはゴミが結構固まって浮いていたので残念。観覧料金500円で松山・大洲城と同じにしてはコスパも低く、駐車料金もとるからにはそういう所もきちんとしてほしいと感じた。この城にて伊予国攻城の旅終了。愛媛県での百・続百名城の残すは能島城のみとなる。1泊2日走行距離1130㎞無事走破(*^^)v
<満足度>★★★☆☆
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2019/05/31 19:46
湯築城 (2018/08/12 訪問)
【百名城38城目】
<駐車場他>西口・北口有料駐車場あり。 <交通手段>市電
<見所>堀・土塁・武家屋敷・本壇
<感想>伊予国攻城の旅5城目。松山城から市電で湯築城へ。典型的な中世の円形輪郭式縄張りだった。最初にスタンプの為資料館へ。城と河野氏に関するビデオと資料を見る。→武家屋敷→外堀土塁→土塁展示室→遮蔽土塁→本壇→杉の壇→湯釜の順で巡った。資料館の方は非常に説明が熱心でとても好印象、ポストカードや折り紙をもらえた。外堀土塁は高く大きくて見応えある。内堀の南東側に巨石があり目を引き内堀と一体化した庭園跡兼天然の石垣?のような印象。城山は低く平丘城といった感じですぐ登れる。本壇には展望台があって面積は小さめ。杉の壇は鍛冶跡が多く発掘されたようであり面積は広い。石垣が丸石で野面積みであったが当時のものか判別不能。湯釜はいつでも温泉ただで入れていいな~と。全部巡っても1時間半程度で見れます。
<満足度>★★☆☆☆
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2019/05/31 19:40
家康生母誕生の城 (2019/05/30 訪問)
桜井城の次に知多郡東浦町役場近くの水野氏家康生母於代の方誕生の城を探訪、車は東浦町役場駐車場を使用、役場東の案内標柱に役場駐車場を利用下さいと注記有り、城跡は役場東県道に出て北に細い道を約200~300m徒歩5分ほど北から東に回りこんもりした樹木有り小さな公園に土塁が大きく残ってます。
於代の方誕生石碑、緒川城解説板、緒川城石碑、東屋、トイレが有ります。
移築城門として東浦町役場西に於代公園、隣接して水野氏菩提寺水野氏4代の墓の有る乾坤院の総門を訪ねる、総門前に駐車場有。
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2019/05/31 19:03
桜井松平氏の城 (2019/05/30 訪問)
城びとに会員登録し登城マイマップが完成し日々更新して居ります、愛知県登城も約80城に及んでますが三河と尾張の境目に当たる知多半島辺りの空白地域が有り各リストアップし探訪廻って来ました。
岡崎IC経由岡崎市内の通勤渋滞に遭い予想時間の約1時間遅れで安城市桜井町の城山公園に成ってる桜井城跡に到着、城跡情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさんぐうグルマップで駐車場の当たりを付け、城山公園の南側桜井靖霊神社との間の道を県道44号線から南入右折。
軽自動車2台くらいの駐車可能スペース有り。
遺構らしき物は南西角の土塁、土塁上に城名石碑、南入口に説明解説板が有り後は公園に成り面影は400年以上の廃城で城跡の面影は殆ど有りません。桜井靖霊神社の由緒書には本丸跡に建立と有り神社、公園は本丸には当たるのでは?
18松平氏の一つ桜井松平氏の居城跡、5月18日訪ねた復元天守閣尼崎城の城主に成った桜井松平氏の故郷です。
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2019/05/31 18:37
源 頼朝さんの布陣伝承地。 (2019/04/20 訪問)
新緑の気持ちいい4月に「滝野川城」に行きました。
豊島氏一族の滝野川氏の居城です。
太田 道灌さんに攻められ「滝野川城」は廃城しました。
私は京浜東北線の王子駅から飛鳥山公園の中の「飛鳥の小径」を通りました。
王子駅は北区、23区内です。
飛鳥山公園は木々があり自然いっぱいの公園で意外でした。
そこから歩道橋で街道を渡り石神井川沿いの遊歩道を歩きます。
こちらの遊歩道も緑が多く歩きやすい道です。
金剛寺がお城跡のようです。
お城の石碑や説明板はありません。
「源 頼朝の布陣伝承地」の説明板が金剛寺の入口にありました。
ぐるっと裏側に行くと「弁財天洞窟跡」の説明板です。
お城跡以外にも沢山の歴史がありそうな「滝野川城」でした。
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2019/05/31 17:53
雑賀合戦の地 (2019/05/25 訪問)
「ニッポン城めぐり」で行われていた「雑賀合戦」のイベントにちなんで、舞台となった城に行ってみよう、と和歌山市内での所用を済ませた後、立ち寄ってみました。
中野城は、和泉国から紀伊国への入口にあたる地に築かれた城で、織田信長の紀州攻めに際しては雑賀衆の最前線となりましたが、織田方に開城した後は、この城に織田信忠の本陣が置かれたようです。
パームシティの駐車場の北奥に車を駐めて、駐車場を出たところに標柱と説明板があります。標柱の後方にある民家の塀の下部の石垣は当時のものと伝わり、前方の畑は横堀跡で、横堀沿いに北に進んだところには貴志南小学校の校門があり、説明版が設置されています。この小学校が中野城の中心地と考えられ、発掘調査で火縄銃の弾が出土しているとのことです。
また、雑賀合戦の地としては、中野城の北西部に織田方の付城とされた木本城(城びと未登録)があるようなので、そちらにもついでに行ってみました。しかし…。下調べで、大規模に造成されて霊園となり痕跡すら残っていないことは承知していましたが、広大な敷地の一部にしかお墓は建てられておらず、あとは空き地のままで、夕闇迫る中、何やらもの悲しい気分になりました。宅地化などで遺構が消滅した城は数知れずありますが、史跡を破壊するのなら、せめて有効に活用して下さい…。
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2019/05/31 00:52
坂道が素敵✨ (2019/05/26 訪問)
転用石はすぐそばでたくさん観察出来るのが面白い。色とりどりのカラフルな天守石垣。めっちゃ大きな井戸も興味津々。川底より深いらしく、覗き込んでも何にも見えない(._.)
天守へのアプローチの坂道が眺めもよくて、趣深い。
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2019/05/30 23:54
高崎・前橋を眼下に抑える (2015/05/14 訪問)
巨大な空堀あり、土塁あり、石垣もあり、長野氏と武田氏の壮絶な戦いの歴史あり、井伊直政が城主を務めたりと。遺構好きの人も、武将好きの人もときめくことができるお城だと思います。
二の丸跡でボランティアの方からパンフレットを頂き(ありがとうございました!)、石垣は虎韜(ことう)門・鍛冶曲輪・三の丸・御前曲輪の西側で見ることができました。
城下の水の手曲輪に「水汲みに行くのが地獄の一の木戸行くとは見えて帰る人なし」の碑がありました。おそらく、武田軍に包囲された長野軍の兵が命がけで水汲みに行っていた様子を表している歌だと思うのですが、御前曲輪にも井戸があったので、本当に命がけで水の手曲輪に行ったのかな?と少し疑問に思いました。御前曲輪の井戸は昭和2年に発見され、底から長野氏累代の墓石が多数掘り出されたそうです。墓石を井戸に沈めたのでしょうか?なんてバチあたりなことを・・・
城址からは南に10km離れた高崎市庁舎ビル(高崎城址)がはっきりと見えたので、同じく南東に10km離れた前橋の群馬県庁ビル(前橋城址)も見えるんじゃないかなと思います。
帰る際に城址を眺めながら、箕輪城主で箕輪城落城の際に自害したとされる長野業盛公の辞世の句を思い出していました。
「春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里」
享年23歳と伝わります。
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2019/05/30 23:16
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