【木村城】
<駐車場他>駐車場はないが、登城口に空き地みたいなところ(空き地ではないと思うが)に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>社跡・畝状竪掘り(見ていないので断定できません)
<感想>日帰り小早川家攻城の旅3城目。登城口の説明板によるとこの城は、「正嘉2年(1258)都宇竹原荘の地頭職として、竹原小早川家の初代である政景(沼田小早川家茂平の子)がこの城を構えた。天文19年(1550)毛利氏から養子として迎えられていた14代隆景が沼田小早川家を相続して本郷の高山城に移るまでの約300年間、竹原小早川家の本拠であった山城である。」隆景が竹原小早川家を相続したのが12歳の時、高山城に移るまでの約7年間この城に居城したのだろうか。
登城口に説明板と縄張り図があり撮影しましたが、反射がきつくて自分の顔姿がくっきり写ってしまい掲載を憚られる為ご了承ください。縄張り図は役立ちます。
城跡は典型的な中世山城で規模は小さい。登山道を登って行くとまず馬返しの段という広い曲輪に入る。その上の若宮社跡・兵糧の段が高い位置にあり切岸が高くそびえて見える。若宮社跡は石垣台の遺構が見応えある。兵糧の段の曲輪にもわずかに石積みが崩れた跡が見られる。そこから上は主郭を中心に2・3段の帯曲輪と数個の腰曲輪が円形に囲んでいる。主郭は山頂をわずかに削った感じで極々小さい。
主郭の東側に広がる畝状竪掘り群は帯曲輪との間に切岸を挟んでいるようで、上からの確認ができなかった。樹木の斜面を少し降りると見られることができると思います。私は新高山城・高山城攻めのあとだったので、体力残っておらず断念した。
この城にてこの旅終了。今回の攻城の旅は小早川隆景の居城を逆に追っていった形となったが、若かりし彼が各城で何を考え、どういう理由で居城を移していったか色々考えられて興味深い旅でした。630㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む









