東松江駅から徒歩で20分くらいで、標柱説明板前(34.256104、135.140153)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、室町時代に雑賀衆の支城として、雑賀党によって築かれたと云われておいます。
1577年(天正5年)の織田信長による雑賀攻め(第一次紀州征伐)では織田勢を迎え撃つための前線基地となりましたが落城し、織田信忠がここに本陣を構えました。
中野城は弥勒寺山城に本陣を構える雑賀党に対する織田方の陣として利用されたようです。
小学校とその南にあるスーパーオークワの間にある民家の前に標柱と説明板が設置されています。
この民家の土台となっている石垣が城の遺構と伝えられ、その前にある土の部分(黒いシートがひいてありました)がかつて、堀であったようです。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に行く為、東松江駅から電車で和歌山駅に向かい、コインロッカーから荷物を取り出した後、電車で御坊駅に向かいました。
ちなみに和歌山駅での電車の待ち時間に和歌山ラーメン(中華そば)をいただきました。
歩行歩数=26253歩、歩行距離=18.4Kmです。
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