続日本100名城

ひけたじょう

引田城

香川県東かがわ市


旧国名 : 讃岐

投稿する
引田城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

にのまる

播磨灘を望む (2023/01/05 訪問)

一宮城登城を終えて路線バスで徳島駅に戻り、JR高徳線特急で引田駅へ。
いにしえの空気漂う町並みの中の讃州井筒屋敷で続100名城スタンプとパンフレットをいただいてから、城址の山容を仰ぎつつ引田港側登山口へ向かいました。

ところどころに岩盤のある遊歩道を進み、見晴らしのよい狼煙台跡を経て本丸へ。やがて見えてきた石垣は、現状から完成形を想像するのは難しかったですが、がっつりお守りするぞという風体が思い浮かびました。
ここから天守台までは70メートル。
「南の郭」「城山82.3m」の表示、祠、三角点。これらが本丸であることを示してくれているのだろうと思いつつ歩くとベンチのある展望所に出ました。遠くまで見渡せ、且つ港の様子も手に取るようにわかる一等地。本丸の説明板には天守台推定地とありましたが、遺物の発見により城内には瓦葺の礎石建物があったことが確認されているそうで、城下からも日夜仰ぎ見られていただろうなと想像できる場所でした。

続いて化粧池に向かいました。約250メートルの下りです。道幅があまり広くないところもありこの時季でも下草が繁っていたので、夏場などは草の下に地面があるかストックや杖(登城口にありました)などで確認しながら歩いたほうがいいかもしれません。
化粧池は今なおその形状を留めており、茂みの中から石垣が覗いています。海が近くても飲料水やお姫様の“化粧”のための水の確保は別問題。苦労のあとがうかがえました。
ここまできたらそのまま引田鼻灯台へと突き進みます。化粧池から230メートル。今も昔も海の監視と航海の安全を守る大事な場所であることがわかりました。

灯台から東の丸を抜けて、上下二段の石垣が残るという北二の丸へ。上段の石垣はシートで覆われていましたが下段の石垣が見られただけで満足でした。この曲輪は大手門の近くで御殿があったと推測されるとのこと。建物はなくても残された石垣に充分に威厳が感じられました。
最後に80メートル先の北曲輪へ。ここは織豊期以前の土づくりの遺構と考えられているとのことでした。

ぐるっとまわって1時間。見学ポイントの一つ一つがその時代の息遣いを映し出しているように感じました。
ただ……、ほんの数時間前に一宮城で帰りのバスに乗るために300メートルダッシュをしたばかりなのに、ここでも時間配分を考えていなくて1時間に1本の特急に乗るために猛ダッシュ。登城口から駅までは10分で駆け抜けました。二度と無理。いやでもまたきっとやる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

nm

醤油の香り (2022/09/08 訪問)

JR引田駅を降り、城跡までの道のりが楽しい。昔ながらの街並みを通ると讃州井筒屋敷に100名城スタンプがある。近くに醤油醸造所があり、歩きながら香ばしい匂いが郷愁を誘う。蛭子神社を横切り海沿いを歩く。あちこちに引田城の看板があり、テンションが徐々に上がる。登山口には詳細な登り方の立て看板。ちょうど下山した人に会う。伺うと左回りに登るのが良いとのこと。ありがたい。本丸まで季節の花木や鳥たちの鳴き声が楽しめる。小さなかわいい灯台もあり、写真を撮りたい。北の二の丸の石垣は感動して何枚も写真を撮った。思い出の攻城になった。

+ 続きを読む

侍ホリタン

生駒親正公が改築した讃岐の名城を訪ねて (2023/01/09 訪問)

駐車場は登山道入口付近、トイレもあり、パンフレットは登山道入口にあります。北二の丸の石垣は規模が大きく迫力ありますが、上段の石垣は崩落の危険があるのでシートを被せてありました。本丸、化粧池にもはっきりとした石垣が残っています。本丸からの引田の町並みの眺めは美しいです。御城印とスタンプは讃州井筒屋敷内にあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:引田城 (2022/07/26 訪問)

虎丸城からの転戦です。讃州井筒屋敷がまだ開いていない時間なので、先に引田城登城口(34.2320140、134.4061891)に向かい攻城しました。駐車場は登城口の先にあります。
その後、讃州井筒屋敷(34.227649、134.403413)で続100名城スタンプを押印しました。30分早く着いたのですが、お店の方のご厚意でスタンプを押印させて頂きました。

667年(天智天皇6年)屋嶋城築城のとき、安倍比羅夫率いる引田氏によって築城されたと伝わり、又、屋嶋城との連絡のための「狼煙台」として造られたのが始まりとも云われています。
永正年間(1504年〜1521年)頃に昼寝城主寒川元政の家臣四宮右近が城主でした。
1572年(元亀3年)寒川氏は阿波国の三好長治によって大内郡を奪われ、長治の家臣矢野駿河守が引田城主となりました。
1582年(天正10年)中富川合戦で長宗我部氏に敗れ、虎丸城に籠城した十河存保を救援するため、秀吉は仙石権兵衛秀久を引田城に派遣して守らせた。
羽柴秀吉の四国征伐によって讃岐国は仙石秀久に与えられ引田城主となったが、九州征伐での戸次川合戦での失態により秀久は改易、替わった尾藤知宣も九州征伐の失態によって改易となっています。
1587年(天正15年)生駒親正が讃岐国17万6千石を得て入城するが、同年引田城が讃岐国の東に偏っていたので、聖通寺城に移りました。
1515年(慶長20年)一国一城令で廃城と決まるが、その後、城がいつ取り壊されたかは不明で、長らく忘れられた存在でした。

引田城は「本丸」、「南二の丸」、「東の丸(道を間違えていけなかった)」、「北二の丸」、「北曲輪」などからなります。
登城口から岩場につけられた道を登って行くと「狼煙台跡」に着きます。ここから引田港はじめ瀬戸内海が眺望できます。
さらに進んでいくと「本丸」の手前で、よく写真などで紹介されている石垣と櫓台が見えてきます。
さらに北に遊歩道をゆくと「北二の丸」があり、立派な石垣を見ることができます。上段の石垣は修復中?でブルーシートがかけてありました。
「北二の丸」から「東の丸」方面に向かうつもりが誤って「北曲輪」に進んでしまい「田の浦野営場」まで降りてしまいました。方向音痴の自分が情けない。
道を間違えたので「東の丸」、「引田鼻灯台」、「化粧池」には行けませんでした。
攻城時間は80分(道を間違えた為、ずいぶんかかったので参考になりません)くらいでした。次の攻城先=板西城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イベント情報

  • 2023年05月28日(日)~2023年05月28日(日)

    引田城

    チャンバラ合戦in引田城〜歴代城主最強決定戦〜

    当たっても痛くないスポンジの刀で敵の腕につけられた「命」と呼ばれるカラーボールを狙いあうチャンバラ合戦が引田城で開幕! 子どもから大人まで引田城の歴代城主・生駒親正や千石秀久と共に最強を目指そう! 開催日時:5月28日(日) 13:00~/ 15:00~(当日受付は各回1時間前から) 参加費:無料 対象年齢:5歳以上 申込:専用サイト(https://peatix.com/event/3560254)

    • 会場名つばさ交流センター
    • 住所香川県東かがわ市引田2083-1
    • お問い合わせチャンバラ合戦 実行委員会(担当:原谷) TEL:090-6539-2802
    • URLhttps://ikusa.jp/event/2023050840138

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 室町時代
築城者 不明
主要城主 四宮氏、矢野氏(三好氏家臣)、仙石氏、生駒氏
文化財史跡区分 国史跡(引田城跡)
近年の主な復元・整備 四宮右近、仙石秀久、生駒親正
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)
住所 香川県東かがわ市引田
問い合わせ先 東かがわ市教育委員会事務局生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0879-26-1238