一宮城登城を終えて路線バスで徳島駅に戻り、JR高徳線特急で引田駅へ。
いにしえの空気漂う町並みの中の讃州井筒屋敷で続100名城スタンプとパンフレットをいただいてから、城址の山容を仰ぎつつ引田港側登山口へ向かいました。
ところどころに岩盤のある遊歩道を進み、見晴らしのよい狼煙台跡を経て本丸へ。やがて見えてきた石垣は、現状から完成形を想像するのは難しかったですが、がっつりお守りするぞという風体が思い浮かびました。
ここから天守台までは70メートル。
「南の郭」「城山82.3m」の表示、祠、三角点。これらが本丸であることを示してくれているのだろうと思いつつ歩くとベンチのある展望所に出ました。遠くまで見渡せ、且つ港の様子も手に取るようにわかる一等地。本丸の説明板には天守台推定地とありましたが、遺物の発見により城内には瓦葺の礎石建物があったことが確認されているそうで、城下からも日夜仰ぎ見られていただろうなと想像できる場所でした。
続いて化粧池に向かいました。約250メートルの下りです。道幅があまり広くないところもありこの時季でも下草が繁っていたので、夏場などは草の下に地面があるかストックや杖(登城口にありました)などで確認しながら歩いたほうがいいかもしれません。
化粧池は今なおその形状を留めており、茂みの中から石垣が覗いています。海が近くても飲料水やお姫様の“化粧”のための水の確保は別問題。苦労のあとがうかがえました。
ここまできたらそのまま引田鼻灯台へと突き進みます。化粧池から230メートル。今も昔も海の監視と航海の安全を守る大事な場所であることがわかりました。
灯台から東の丸を抜けて、上下二段の石垣が残るという北二の丸へ。上段の石垣はシートで覆われていましたが下段の石垣が見られただけで満足でした。この曲輪は大手門の近くで御殿があったと推測されるとのこと。建物はなくても残された石垣に充分に威厳が感じられました。
最後に80メートル先の北曲輪へ。ここは織豊期以前の土づくりの遺構と考えられているとのことでした。
ぐるっとまわって1時間。見学ポイントの一つ一つがその時代の息遣いを映し出しているように感じました。
ただ……、ほんの数時間前に一宮城で帰りのバスに乗るために300メートルダッシュをしたばかりなのに、ここでも時間配分を考えていなくて1時間に1本の特急に乗るために猛ダッシュ。登城口から駅までは10分で駆け抜けました。二度と無理。いやでもまたきっとやる。
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