<オススメ>★★★★☆
下野の名族・佐野氏は堅固な山城である唐沢山城(続日本100名城)を居城としていた。家名と所領を保つため小田原北条氏から養子(北条氏忠)を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えた。一族の佐野房綱が豊臣秀吉に仕えていたため、小田原征伐後に房綱が当主に就くことで断絶を免れたとされる。その後、房綱は豊臣氏家臣の富田氏から信吉を養子に迎え、地位を保った。一説にいよると関東に移封された徳川家康を牽制するためとされる。関ヶ原の戦い後は、豊臣家恩顧の佐野信吉の立場は不安定となる。 1602年、徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ名城・唐沢山城を廃して、山麓に佐野城を築城するよう命じられた。唐沢山城の廃城の理由として江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説など諸説ある。整備半ばの1614年に佐野氏が改易されたために、わずか14年で廃城となった。 現在、堀切や土塁、曲輪などが遺されている。
<アクセス>
JR佐野駅 徒歩10分
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