しげきよじょう

重清城

徳島県美馬市


旧国名 : 阿波

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案内板と碑
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赤い城

二重堀がしっかり残る平城 (2024/03/04 訪問)

県道12号線から細い坂道を登ると民家の横に案内板があります。
少し広くなっているのでそこに駐車、案内板の脇に虎口がありました。
東側には高い土塁があり、外側に二重堀がはっきりと残っています。
この二重堀には土橋がかかり、これもくっきり、見ごたえあります。
郭内に入ると中央に小さな小笠原神社が鎮座。
北側には井戸跡も残っています。
周囲は土塁で囲まれ、北側と西側は崖で守られていました。
三好氏と長宗我部氏の間で再三に渡って攻防があった城、最終的には長宗我部氏のものとなりました。

あまり大きくはない城ですが平城としてば遺構が良好に残っている良い城でした。

気づけば登録城では750城目、ようやく1/4となりました。
全国制覇は夢のまた夢。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:重清城 (2022/07/21 訪問)

叶堂城からの転戦です。説明板入口付近(34.049301、134.013467)に路駐しました。

南北朝時代、1339年(暦応2年・延元4年)阿波国守護の小笠原長房の孫・長親によって築かれたと云われています。
1577年(天正6年)正月に城主小笠原豊後守長政は、白地城主大西覚養の弟で長宗我部氏に人質として送られていた大西上野介頼包と中鳥城主久米刑馬によって謀殺されました。
大西頼包は讃岐へ逃れていた兄覚養を長宗我部氏に降らせ、重清城に迎えます。
重清城を長宗我部方に落とされた三好氏は、十河存保が兵三千余りで押し寄せ城を取り戻したが、1579年(天正7年)長宗我部元親が大軍を率いて重清城に押し寄せ、十河存保は5,000の兵をもってこれに対応したが敗れ、重清城は落城しました。

土塁を巡らせた主郭があり、石積井戸が残され、中央に城主を祀った今にも崩れそうな小笠原神社があります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=岩倉城に向かいます。

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織田晃司

阿波の二重堀 (2022/05/02 訪問)

二重堀が特長の重清城。
時季柄のため草ボーボーでしたが、それでもハッキリわかる二重堀。

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小城小次郎

3回落城して長い歴史を閉じた城 (2020/10/17 訪問)

阿波守護だった小笠原氏の一族は細川氏が阿波守護となった後も200年以上に亘ってこの城に居住した。そんなお城が立て続けに3回も落城して歴史を閉じ、城跡にあった小笠原神社の社殿倒壊とともに再び一つの歴史を閉じたようだ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 小笠原長親
築城年 延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)
主な城主 小笠原氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、虎口
指定文化財 市史跡
住所 徳島県美馬市美馬町字城53番地1・2
問い合わせ先 美馬市役所
問い合わせ先電話番号 0883-52-1212