つづらくまじょう

九曲城

三重県松阪市


旧国名 : 伊勢

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登城口
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イオ

天然の要害 (2024/04/27 訪問)

詳細は不明ながら、北畠具教が北畠信意(織田信雄)に謀殺された翌年、北畠具親(具教の弟)の北畠氏再興の呼びかけに応じて挙兵した粟野半六郎の城で、蛇行する櫛田川に三方を囲まれた急峻な断崖という地の利を活かして織田軍と対峙しましたが、日置大膳亮兄弟の夜襲により落城しました。

国道166号線から案内表示に従って南に入り、Y字の分岐を右側に進むと見えてくる鳥居が登城口で、鳥居の手前が駐車場になっています。登城口脇には九十九曲城合戦由来記が立てられ、地元では大切にされている城のようです。防獣柵のゲートを開閉して急斜面を登ること10分弱で東側の尾根に至り、尾根伝いに西に進むと主郭に到着です。

主郭は北辺に土塁をめぐらせ、西辺は土壇状に幅広く八幡社が祀られています(御神体は山麓に移されたようです)。土壇の西側は川まで落ちる急峻な断崖。現在は木々が茂っていますが、樹木が刈られていたであろう往時ならとても攻め上れそうにありません。主郭の南西下は堀切と堀切から西に落ちる竪堀により南西尾根からの侵攻を防ぎ、南西尾根の先にも竪堀が設けられていました。南西尾根から主郭南東下の腰曲輪を経て南尾根へ。腰曲輪の南下にも堀切がありますが、その先の南尾根には軽トラなら充分通れそうな幅広い道が通され、堀切も重機を使って拡張されたような感じでした(御神体を移すため?)。

この前に登城した下滝野城から小雨が降り出したこともあってか、下山してトレッキングシューズを脱ぐとヤマビルが2匹…。厚手の靴下を二重履きしていたため今回は無事でしたが、九曲城または下滝野城(谷筋が怪しい?)ではヤマビルにご注意を。
 

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しんちゃん

朝から雨、だが押して参ろう (2024/02/18 訪問)

この日は朝から雨です。天気予報と違うじゃん‥。しょうがない行くか~。実際はこんな感じです。
山頂の本丸は社になっていて麓の鳥居に駐車できるスペースがあり、そこから階段を一気に登って行きます。かなり急で木の階段も朽ち果てつつあるので気を付けて登ります。これは攻め手もかなり苦労したでしょう。登り切った後は岩肌がむき出しの尾根を進んでいくと社のある主郭に到着です。木の根がすごい張り出していて、なかなか壮観。雨の中来た甲斐があった?
主郭と副郭は一体化しているようで主郭の方がすこし高地にあるようですが、一つの郭として捕えても良いのではないでしょうか。主郭の周囲には土塁が残りかつてはかなりの規模だったようです。主郭から下がって周囲を散策すると堀切がありました。雨にぬれ続けながらの登城なので、ここでヨシとして切り上げます。
九曲城は北を除く三方を櫛田川に囲まれ北は急峻な崖になっています。要害の地にあるわけですね。天正4年(1576)川股・波瀬峯以下の川股谷の地侍約50人が織田信雄に屈せず日置大膳に一日~二日で赤桶城と共に落とされてしまったそうです。
あれ‥いま要害と書いたばかりなのに。多勢に無勢ってやつですか。


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YAICHI

川俣の戦いの舞台 (2017/03/16 訪問)

城址は、九十九曲集落の西、蛇行する櫛田川に西、南、北にかこまれた山地頂部にあります。城址は方形に近く、北から西にかけては土塁がめぐります。北側では4m、高さ1.5 mであるが西にかけては巾10mもあります。南側では、堀切が認められ、特に巾広い土塁は2条の堀によって切られています。なお、土塁の内側は、二段になっています。 (「三重の中世城館」参考)

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ぶん

九曲城 (2018/08/12 訪問)

国道166号線沿いに城跡案内板が立っています。登り口には地元の方の手書きの説明板があります。鳥居から登るが、比高60mでも案外いくい。尾根道を登りつけると主郭です。遺構としては土塁、堀が残ります。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 粟野半六郎
築城年 不明
主な城主 粟野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 三重県松阪市飯高町粟野九十九曲字中道