須崎台場は土佐藩砲台跡とも呼ばれ、国の史跡に認定されています。文久3年(1863)7月に着工し、わずか一か月半の短期で完成したそうです。石垣を土台に使用した扇形の美しい砲台で7門の砲台を備えています。
黒船の大砲で砲撃されると石垣が四散して将兵を傷つけてしまうと思うのですが、当時の武士階級の石垣への信頼は絶大だったようです。おかげで今でも美しい砲台の跡を鑑賞することが出来るのですが、実戦に使われなくて良かった。
案内板(陶器のパネル)によると慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するために軍艦バジリスク号で須崎港に入港し、幕府艦回転丸や坂本龍馬も来港して外交交渉の舞台となったそうです。
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