たばたじょう

田幡城

愛知県名古屋市

別名 : 狩宿城
旧国名 : 尾張

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金城小学校西校門
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カズサン

電車利用で初登城 (2024/11/24 訪問)

 岡崎城松大木を伐採後のスッキリした天守閣の姿を50数年後に認視、大満足して名鉄電車、地下鉄利用で古渡城址・東別院初登城初参拝後、名城線の名城公園下車し北方向に約6、700m程の所に在る田幡城跡(金城小学校)、進行途中に多奈波太神社を通ると案内板に田幡村の名前が記載されていたので田幡城域かな?と撮影、角を北に進むと皆さん投稿写真の田幡公園、程なく金城小学校の西側校門に着く、当日は運よく名古屋市長選挙の投票日で校門は開いている、そのまま東に進行してキンヤさんが投稿紹介の東校門内側南に石碑と清正橋の石が横たわって居る、石碑には林泉寺跡と小さく左横に田幡城跡が刻まれている。
 東校門を出て北東の現在の林泉寺を確認しました。

 駐車場:特に無し、最寄駅は名城線名城公園駅か黒川駅(こちらが近い)
 参考資料:城郭放浪記さん、城びと皆さんの投稿、グーグルマップに依る。

※ 昨日イオさんの投稿を見て驚愕しました、香川画伯の訃報信じられません、早速ネットで調べて毎日新聞の情報でしたが12日に亡くなられたとの情報、画伯の書籍は32年前「復元図譜 日本の城」が最初の本だったと思いますが、学研の戦国の城シリーズ、現在は2ヶ月毎発行の歴史群像に掲載の画伯城郭イラスと目当てに購読しています。画伯とは島田市博物館主催の香川元太郎城郭イラスト展と同時開催の縄張図作画講習会に参加した時に初めての受講でした、指導頂き先に購入した「戦国の城」にはサインも頂き感謝の気持ちと記憶が残って居ります。
 謹んでお悔やみ申し上げます。安らかにお休みください。それにしても若い大変惜しまれます。合掌
 
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)2日目:田幡城 (2024/09/23 訪問)

黒川駅から徒歩5分ちょっとで、金城小校門前(35.196076、136.905638)に着きました。
その後、田幡公園(35.195685、136.905588)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)に越智右馬允信高によって築かれたと云われています。
尾張の越智氏は伊予発祥の越智氏が美濃へ移り、美濃国安八郡林村から田幡に来住して林氏の祖となったそうです。
この信高の子が猪宿城主林弥助でその子が林秀貞ということになっていますが、秀貞の父は林通安であり、この辺りは秀貞が通勝と誤伝されていたことからも混乱があるようです。

田幡城は現在の金城小学校一帯に築かれていたそうです。
小学校に「林泉寺跡」の石碑が建っているようですが、門は閉まっていたので中に入れませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=守山城へ行く為、電車(名古屋市営➡名鉄)で黒川駅から矢田駅に向かいました。

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ぴーかる

田幡城 (2024/07/27 訪問)

【田幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>地下鉄名城線黒川駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾2城目。田幡城の築城は天文年間(1532~1555年)に越智信高が築城したとみられます。越智氏は林氏とも称し、林秀貞の城主の時、織田信長家督争いで織田信勝方として挙兵しますが、稲生の戦いで敗れて城は廃城となったようです。
 現地は金城小学校になっており地表に遺構は残っていません。正門前と公園を撮影して終了しました。黒川駅から少し距離があるので暑さでへばりました。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

林秀貞との関係は? (2024/03/09 訪問)

田幡城は金城小学校の周辺に築かれていたようです。越智信高により築かれ、その子・林弥助の時代に城は拡充されています。林秀貞との関係は今一つ定かではありませんが、織田信長が家中を掌握した稲生原の戦いの後に廃城になったようです。
近くの公園の園名碑がそれっぽいので掲載します。小学校の写真はパスです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 越智信高
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 越智氏
廃城年 弘治2年(1556)?
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県名古屋市北区金城3