ふきじょう

富貴城

愛知県知多郡

別名 : 冨貴城、東大高城、邑城
旧国名 : 尾張

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白山社
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todo94

青春18きっぷを使っての攻城① (2026/01/03 訪問)

5日連続での使用を強要されてしまう青春18きっぷは、非常に使い勝手が悪くなってしまいました。初日は実家から帰ってきて即座に上京し、国立科学博物館の大絶滅展を見てきました。ものすごい人気の特別展でした。2日目は東海道本線を西に進み、浜松で下車して遠州鉄道を完乗。西鹿島駅からは天竜浜名湖鉄道で新所原駅にアクセスし、ずっと食べたいと思っていたウナギ弁当2切れ2200円を昼食にいただきました。見た目は余り冴えないのだけれども、味は絶品でした。そして、そのあとは大府まで進んで武豊線を利用。武豊駅から歩いて富貴城に向かいました。3km程の道のりがありましたが、途中、味噌蔵が立ち並ぶ味噌蔵の小径を通り、なかなか良い雰囲気の景観を楽しむことができました。富貴城は白山社がその故地ですが、隣の圓観寺も城の遺構が残っていそうな雰囲気を感じることができました。帰りがけには転車台ポケットパークにも立ち寄っていきました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)2日目:富貴城 (2024/09/23 訪問)

本日は移動距離が長いので、朝食抜きで出発しました。
富貴駅から5分弱歩き、白山神社石碑前(34.829970、136.914967)に着きました。
富貴城は円観寺および白山神社の境内となっており、主郭は白山神社境内のようです。

築城年代は定かではないようです。はじめ長尾城主岩田氏の支城であったと伝えられています。
岩田氏衰退後、水野守信(水野忠政の子・於大の方の弟)が城主となって、河和城主の戸田孫八郎守光の娘を娶り、戸田孫右衛門法雲を名乗ったそうです。
しかし、次第に織田・水野氏の圧力によって勢力を失い、桶狭間の戦い(1560年)の後、廃城となりました。
孫右衛門法雲の子守元・可勝は唐津城主、守秀とその子貞信は富貴城主、守直は野間大坊の住職となって代々続いたそうです。

遺構の土塁らしきものは、白山神社本殿で確認できましたが、空堀はどこにあるのかわかりませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=蟹江城へ行く為、電車(名鉄➡近鉄)で富貴駅から近鉄蟹江駅に向かいました。

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ぴーかる

富貴城 (2024/05/11 訪問)

【富貴城】
<駐車場他>白山社前に駐車できます。
<交通手段>車

<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅10城目。現地説明板によると富貴城は室町時代後期に岩田氏が築いた。戦国時代に入って戸田法雲が城主となり館を城北の光明寺付近に建てたので大高城とも呼ばれます。
 白山神社が主郭のようで、周囲より少し高くなっています。西隣のお寺さんと墓地が2郭のようで北側に対してはより高くなっています。背後の竹林に土塁・堀が残ります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

白山神社と円観寺が城址 (2024/06/08 訪問)

知多半島東岸側、白山神社と円観寺のある丘陵が城址のようです。遺構かどうかは不明ですが、白山神社の背後にはうっすらと土盛りがあります。当地の武雄天神社の祠官・岩田氏が長尾城の支城として築いたとされています。
やがて河和戸田氏がとってかわり、戸田孫左衛門(法雲)が居住したとされますが、今川氏についた戸田氏は水野氏や、その後ろ盾の織田氏の攻勢を受け、桶狭間の合戦の後に廃城になったようです。
ちなみに今日も屋根の修理の業者が来ています。家も築40年もたってくると修理が大変ですわ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 岩田氏
築城年 室町時代後期
主な城主 岩田氏、戸田氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 愛知県知多郡武豊町冨貴字郷北