今日は移動距離が長く&攻城予定の城跡も多いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。(十三駅から伊丹(阪急)駅に向かいました。)
伊丹(阪急)駅から徒歩10分ちょっとで、有岡城跡緑道公園入口(34.780997、135.420993)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代には伊丹氏の居城であったそうです。 南北朝時代には数々の戦が摂津国で行われ、伊丹城でも数々の功城戦が行われ、時には落城しているようです。
1574年(天正2年)織田信長は茨木城主荒木村重に命じて、池田城主池田氏と伊丹城主伊丹氏を攻め滅ぼし、荒木村重を摂津国守護として伊丹城へ置きました。 村重は伊丹城を有岡城と改名して城の大改修を行いました。
1578年(天正6年)播磨国三木城主の別所長治が織田信長に叛くと、つづいて村重も織田信長に叛き有岡城に籠城しました。この時、黒田孝高が村重を説得するために赴いたが、そのまま捕えられて幽閉されました。
信長は池田・塚口・食満・加茂・倉橋・原田・刀根山に軍勢を配して有岡城を包囲し、長期戦に入りました。
1579年(天正7年)村重は近習を連れて夜陰に紛れて有岡城を脱し、尼崎城へ逃れました。城主が存在しないまま籠城を続けていたが遂に裏切り者が出て、周囲を固める砦が破られ1579年(天正7年)末に落城しました。
その後、信長は池田之助を城主に置きましたが、1583年(天正11年)美濃国へ転封となり羽柴秀吉の直轄領となって廃城となりました。
有岡城はJR伊丹駅の辺りに主郭が築かれていました。駅の西側に公園として整備されているのが主郭の一部で、土塁や石垣がありました。空堀跡を確認するのを忘れてました。
伊丹(阪急)駅から有岡城に向かう途中に、大溝跡と説明板を見つけました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=池田城を目指す為、JR伊丹駅から電車で川西池田駅に向かいました。
+ 続きを読む