ありおかじょう

有岡城

兵庫県伊丹市

別名 : 伊丹城
旧国名 : 摂津

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惣構北西縁(伊丹小学校付近)
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イオ

惣構めぐり(惣構中部~南部) (2023/12/23 訪問)

(続き)

岸の砦から惣構の西縁を南にたどると、伊丹小学校の東側が一段高くなっていて石垣が続いています。遺構ではなさそうですが、惣構の雰囲気は感じました。伊丹小学校前交差点が昆陽口で、砦があったとも考えられるようですが、それらしい痕跡は見付けられませんでした(南側の道祖神のあたり?)。道祖神脇から狭い路地に入ると右手が一段下がっていて惣構の縁を歩いていることがわかります。路地沿いのところどころに石垣が見られますが、これも遺構ではなさそうです(たぶん)。路地を抜けると三軒寺前広場があり、その名の通り三軒の立派な寺院が並んでいます。往時に寺町として設けられたんでしょうか。

三軒寺前広場から南に4分ほど歩くと、中西新八郎と宮脇平四郎らが守った上臈塚砦に至ります。古墳を利用した砦で、伊丹シティホテル跡地から墨染寺にかけて築かれていましたが、遺構はもとより石碑も説明板もありません。墨染寺には砦の名のもとになった女郎塚と荒木村重の墓があるようですが、どちらも見落としてしまいました…。

上臈塚砦から県道に出て南下すると、県道東側のマンション西辺(南本町一丁目バス停付近)に石垣と水路が続き、説明板が立てられています。これこそ惣構の遺構なのでは!? と勇んで発掘調査の説明板を読んでみると、現在見られる石垣と水路のラインは江戸後期に伊丹郷町を拡張した時のもので、有岡城の惣構はマンション敷地の中央部で確認されたんだとか。伊丹郷町の遺構だとしても有岡城の遺構ではないんですね。残念…。県道を少し戻って今度は東へ。有岡公園を抜けた先の水路が大溝跡で、遺構かどうかはわかりませんが高さのある石垣が続いていました。大溝を南にたどると惣構の南東縁に出ます。有岡小学校付近の高低差もなかなかのものがありました。

有岡小学校からさらに南に進んで、野村丹後らが守った惣構南端の鵯塚砦跡に到着。鵯塚と呼ばれる古墳を利用した砦で、鵯塚がある民家と隣のマンション敷地にかけて築かれていたようですが、石碑も説明板も見当たらず敷地内は立入不可のため、ひよどり広場から写真を撮り砦跡西辺の堀の名残と思しき水路の石垣を確認して、惣構めぐり完了です。

織豊期に廃城になっているだけに惣構の遺構はほとんど見られませんでしたが、惣構をほぼ一周してみて、規模の大きさと高低差を上手く活用した堅固な造りを体感できたのは収穫でした。伊丹郷町としての見どころはいろいろとありましたし、街歩きとして楽しませてもらいました。
 

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イオ

惣構めぐり(伊丹郷町~惣構北部) (2023/12/23 訪問)

(続き)

有岡城の惣構は河岸段丘の高低差を利用して築かれ、南北1.7km・東西0.8kmと南北に細長い形状です。有岡城が廃城となった後、城下町の大半は江戸前期に五摂家筆頭・近衛家の領地となり、主に酒造業により繁栄しました(伊丹郷町)。

JR・伊丹駅から西にのびる伊丹酒蔵通り沿いには、発掘調査で検出した伊丹郷町の大溝と呼ばれる石組みの水路が再現されています。在見られる大溝は城郭遺構ではありませんが、有岡城の内郭と外郭を区画する堀跡に築かれているようです。伊丹酒蔵通りをもう少し西に進んだ有馬道東側でも有岡城の堀跡が確認されていて、説明板が立てられていました。

伊丹酒蔵通りの一筋北には江戸前期築の旧岡田家住宅(国重文)があり、店舗や酒蔵、釜屋・洗い場などが公開されています(無料)。隣の旧石橋家住宅(県文化財)はクラフトショップとして営業していますが、こちらも立派な町屋でした。両町屋に北接する市立伊丹ミュージアムには有岡城についての常設展示(無料)もあるようなので見学する予定でいましたが、当日はすっかり忘れて素通りしてしまいました。またの機会があれば今度こそは…。

町屋を離れると惣構の外縁部に向かいます。有馬道は北部の北之口から池田や有馬へと続き、北之口には砦が設けられていたとも云われます。北之口砦跡は児童遊園地になっていて砦跡を示すものはありませんが、脇の小道(有馬道?)を下りて行くとなかなかの高低差があり、ここが惣構の縁であることを実感しました。

惣構の縁を西にたどって渡辺勘大夫が守ったとされる岸の砦へ。猪名野神社が砦跡と推定され、参道に岸の砦跡の説明板があり、境内の北西辺には土塁が遺っています。説明板によれば堀跡もあるようですが、見付けられませんでした。岸の砦からは惣構の西縁をたどって南に向かいます(続く)。
 

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イオ

駅前の遺構 (2023/12/23 訪問)

鎌倉末期に伊丹氏が猪名川の河岸段丘上に築いた城館(伊丹城)で、水陸交通の要衝として長らく伊丹氏の居城でしたが、織豊期に荒木村重に攻められ落城。村重が惣構に改修して居城とし有岡城と改名しました。村重が織田信長から離反すると、有岡城に籠城して織田軍の攻撃を約1年にわたってしのぐも落城し、戦後は池田之助(元助)が城主となりましたが、美濃国・岐阜への移封により廃城となりました。

JR宝塚線・伊丹駅から登城開始…というか、明治期に主郭の真ん中に鉄道を通して停車場を設けたため、伊丹駅がすでに主郭内です。西口を出た先の広場の西辺には復元と思しき土塁があり、有岡城跡の説明板が立てられています。カリヨンを奏でるフランドルの鐘の奥には、有岡城に幽閉された黒田官兵衛にちなんだ官兵衛ゆかりの藤が植樹されていました(官兵衛がどこに幽閉されていたのかは不明のようですが)。広場には発掘調査で確認された伊丹期の建物内の沓脱石や伊丹之親の歌碑も見られました。

広場からエスカレーターを下りて北に向かうと、石垣で虎口風に造られた史跡公園入口に有岡城跡の石碑が建てられています。史跡公園は主郭の北西部にあたり、北西辺の土塁と石垣が遺っています。石垣には転用石も多く見られました。また発掘調査で確認された礎石建物跡や井戸跡が復元されています。

続いては惣構めぐりをしようと史跡公園を出て西に歩き始めたところで、公園の西麓に広がる横堀にびっくり! 下調べで堀があることは承知していましたが、駅前の一等地にまさかこれほどの規模で遺されていようとは…。歩道をはさんだ南側の堀跡は舗装されて子どもたちがボール遊びに興じる広場になっていますが、堀の形状はそのまま残されていて、駅西口広場の土塁とあわせてこちらも往時の姿を感じさせてくれました。

駅前の城跡でもあり、遺構はあまり期待していなかったんですが、思いのほか見応えがありました。気を良くして惣構めぐりに向かいます(続く)。
 

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りあそーる

酒蔵 (2023/02/12 訪問)

見学と市立美術館の史料展示がオススメ。
北の砦は歩いて行くと雰囲気ありますよ。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 不明
築城主 伊丹氏
築城年 南北朝時代
主な改修者 荒木村重
主な城主 伊丹氏、荒木村重、池田之助
廃城年 天正11年(1583)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀跡
指定文化財 国史跡(有岡城跡)
再建造物 礎石建物跡、井戸跡、石碑、説明板
住所 兵庫県伊丹市伊丹1他
問い合わせ先 伊丹市教育委員会事務局生涯学習部社会教育課
問い合わせ先電話番号 072-784-8090