あんしょうじょう

安祥城

愛知県安城市

別名 : 安城城、森城
旧国名 : 三河

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ぴーかる

安祥城 (2024/07/20 訪問)

【安祥城】
<駐車場他>安城市歴史博物館駐車場
<交通手段>JR安城駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第4弾2城目。安城古城址から歩きました。現地説明板によると安城城(安祥城)の築城年代、築城者は明らかではありません。一説には永享年間(1429~1441年)に志貴荘の地頭和田親平によるものといわれます。「三河物語」には松平信光が1476年ころに安城城を奪い取ったという記述があります。その後安城松平家が4代続き4代目の清康(徳川家康の祖父)の時に本拠地を岡崎に移します。1540年に織田信秀が安城城を攻め取りその後10年間安城城争奪戦が繰り広げられます。1584年小牧長久手の戦いで徳川方が城を改修して使用したとも考えられています。
 現在の大乗寺が主郭跡で南西隣の八幡社が二郭だったようです。間には現在は通路になっていますが堀切があったようです。主郭跡は小高く隅櫓跡の土塁が良く残っています。主郭を中心とした土塁遺構と縄張りの雰囲気が良く残っていました。歴史博物館には本證寺(城びと登録)の出土品や遺構が多く展示されています。安城古城とここまで駅から徒歩で来たので涼がとれました。
<満足度>◆◇◇

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WEST

安祥城探訪 (2024/01/05 訪問)

安祥城を訪問しました。ここは安城松平家の居所であり、あの徳川家康とゆかりのあるお城となります。
城址を含めて歴史博物館、埋蔵文化センターとが一体に整備されており、安城市の歴史を含めて知ることができます。
駐車場も広く、自動車でのアクセスもし易いです。
昨年は大河ドラマの放送の影響か、企画展の開催やパンフレットの整備などが充実していました。訪問する側ではありがたい取り組みですね。
現在は、本丸跡には大乗寺、二の丸跡は八幡社となっています。散策途中に安城城の縄張りの案内図がありましたが、原図:千田嘉博先生との記載がありました。
岡崎城のある岡崎市とは隣接しており、是非訪問してみてください。

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T-Shionoya

安祥城 三河の城に障子堀? (2023/08/26 訪問)

8月末に訪れた愛知県安城市の安祥城。

岡崎平野の中央部、矢作川西岸の碧海台地の縁の小さな舌状部に築かれた城。
三方の沼が天然の要害となった模様。

一説では1400年代前半に和田氏が築城したと伝わり、1400年代後半の松平信光の奪取後は、岡崎移転までの松平総領家の居城。
1500年代中期には織田と松平の争奪戦があり、小牧長久手の戦いで徳川方が改修したと考えられています。

現在は本丸跡が大乗寺、二の丸跡が八幡社、その周囲は歴史博物館などを備えた安祥城址公園に。

実際に訪問すると、遺構は少ないものの、2つの櫓跡や公園の小川と池が城郭の名残を残す城跡。
説明板によると、城郭北側虎口が桝形構造(曲輪D)である点が興味深いところ。
更に本丸南の堀が障子堀であったことに驚愕。
関東周辺のイメージが強い障子堀ですが、北は米沢城、西は大坂城や福岡県の小倉城で発見されていることを後日学習。
障子堀の知識が深まった私の城郭巡りの159城目でした。

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しんちゃん

岡崎に移る前の松平氏の本城 (2023/07/02 訪問)

安城城は文明年間(1469~87)に松平氏の城となってから、家康の祖父清康が岡崎に
移るまで、4代にわたって松平の総領家があったと伝わります。
天文9~18年(1540~49)の安城合戦で織田信秀と松平広忠(家康の父)が3度に
わたって、この城を奪い合っています。
その後、天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いに備え、徳川勢が改修を加えて
今の形になったと伝わっています。
大乗寺が本丸の跡に建ち、南西側に櫓跡の高まりが残っています。
二の丸跡に八幡社が建立され、石造りで整備されかつての面影は無くなりましたが
地形の高さからかつての形状を推し量ることが出来ます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 和田親平
築城年 永享12年(1440)
主な城主 和田氏、松平氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(安祥城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県安城市安城町城堀30
問い合わせ先 安城市生涯学習部文化財課文化財係
問い合わせ先電話番号 0566-77-4477