あんしょうじょう

安祥城

愛知県安城市

別名 : 安城城、森城
旧国名 : 三河

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WEST

安祥城探訪 (2024/01/05 訪問)

安祥城を訪問しました。ここは安城松平家の居所であり、あの徳川家康とゆかりのあるお城となります。
城址を含めて歴史博物館、埋蔵文化センターとが一体に整備されており、安城市の歴史を含めて知ることができます。
駐車場も広く、自動車でのアクセスもし易いです。
昨年は大河ドラマの放送の影響か、企画展の開催やパンフレットの整備などが充実していました。訪問する側ではありがたい取り組みですね。
現在は、本丸跡には大乗寺、二の丸跡は八幡社となっています。散策途中に安城城の縄張りの案内図がありましたが、原図:千田嘉博先生との記載がありました。
岡崎城のある岡崎市とは隣接しており、是非訪問してみてください。

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T-Shionoya

安祥城 三河の城に障子堀? (2023/08/26 訪問)

8月末に訪れた愛知県安城市の安祥城。

岡崎平野の中央部、矢作川西岸の碧海台地の縁の小さな舌状部に築かれた城。
三方の沼が天然の要害となった模様。

一説では1400年代前半に和田氏が築城したと伝わり、1400年代後半の松平信光の奪取後は、岡崎移転までの松平総領家の居城。
1500年代中期には織田と松平の争奪戦があり、小牧長久手の戦いで徳川方が改修したと考えられています。

現在は本丸跡が大乗寺、二の丸跡が八幡社、その周囲は歴史博物館などを備えた安祥城址公園に。

実際に訪問すると、遺構は少ないものの、2つの櫓跡や公園の小川と池が城郭の名残を残す城跡。
説明板によると、城郭北側虎口が桝形構造(曲輪D)である点が興味深いところ。
更に本丸南の堀が障子堀であったことに驚愕。
関東周辺のイメージが強い障子堀ですが、北は米沢城、西は大坂城や福岡県の小倉城で発見されていることを後日学習。
障子堀の知識が深まった私の城郭巡りの159城目でした。

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しんしんちゃん

岡崎に移る前の松平氏の本城 (2023/07/02 訪問)

安城城は文明年間(1469~87)に松平氏の城となってから、家康の祖父清康が岡崎に
移るまで、4代にわたって松平の総領家があったと伝わります。
天文9~18年(1540~49)の安城合戦で織田信秀と松平広忠(家康の父)が3度に
わたって、この城を奪い合っています。
その後、天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いに備え、徳川勢が改修を加えて
今の形になったと伝わっています。
大乗寺が本丸の跡に建ち、南西側に櫓跡の高まりが残っています。
二の丸跡に八幡社が建立され、石造りで整備されかつての面影は無くなりましたが
地形の高さからかつての形状を推し量ることが出来ます。

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安祥城 (2023/02/11 訪問)

安城市指定史跡

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 和田親平
築城年 永享12年(1440)
主な城主 和田氏、松平氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(安祥城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県安城市安城町城堀30
問い合わせ先 安城市生涯学習部文化財課文化財係
問い合わせ先電話番号 0566-77-4477