あんしょうじょう

安祥城

愛知県安城市

別名 : 安城城、森城
旧国名 : 三河

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

小城小次郎

徳川家康を輩出する安城松平氏の城 (2021/09/02 訪問)

三河松平三代目の信光の三男・親忠が安城城に入って安城松平氏となり、今川氏との戦いで没落した岩津松平氏に代わって松平宗家となった。この家系が岡崎に移り、やがて徳川家康を輩出することとなったわけだ。

+ 続きを読む

たま

突然の思いつき (2021/05/05 訪問)

突然の思いつきで安祥城へ行ってきました🏯

またまた雨ですね~~😅
土砂降りに近いくらい降っておりました☔

所々説明書き等ありましたが足元がかなり悪く近くまで寄れない始末…そして雨のせいで長居できず…
またリベンジ致します👊

+ 続きを読む

🏯城好きのメガネ

「安祥城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
安祥城は、当地を支配していた和田氏が居館を築いたことから始まる。安祥城の築城以前は、安城古城を本拠地とし、安祥城は支城であったとされる。その後、岩津を拠点としていた松平信光が、安祥城を奪取した。1508年に今川氏の侵攻により岩津松平氏が滅亡し、代わって安城松平氏が惣領としての地位を固めた。1523年、松平清康が家督を相続すると居城を岡崎城へ移し、安祥城を支城とした。1535年に清康が家臣に殺される「森山崩れ」が起こる。三河の国人が相次いで離反し、一族からも謀反が起こるなど松平氏は弱体化した。1540年、松平氏が弱体化したため、織田信秀(織田信長の父)が安祥城を落城させ、城代に織田信広を置いた。1545年、松平広忠は安祥城を奪還するために出陣するが、大敗し、本多忠豊をはじめとする有能な家臣を失う。広忠は、やむなく今川氏に救援を求め、人質として、竹千代(徳川家康)を引き渡すこととなるが、竹千代を駿府に送るが途中で戸田康光に拉致され尾張へと送られる。事実上、松平氏は今川氏の傘下に組み込まれることとなる。太原雪斎率いる今川軍の猛攻により安祥城は落城し、城代の織田信広が捕縛され、織田家に奪われた竹千代と人質交換をする。今川氏は安祥城に天野景泰、井伊直盛らを城番として置き、岡崎城にも城代を派遣し、三河を乗っ取ることに成功した。この後、今川義元が桶狭間の戦いで横死し、松平氏は独立し、織田氏との間に清洲同盟が締結されたことで安祥城は役割を終え、1562年頃、廃城になったとされる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
名鉄西尾線 南安城駅 徒歩15分

+ 続きを読む

姫街道

織田対今川・松平の激戦地 (2020/11/29 訪問)

安城古城に行ってから安城城へ登城した。
松平氏というのは、織田に熾烈なまでに攻撃を受けていたのだろう。なんと10年間で3度に渡って安城城争奪戦が繰り広げられたとある。その中で松平方は今川に頼らざるを得ない状況だったのだろう。
遺構は、本丸が寺で二の丸が神社となっている。立派な歴史博物館が隣接しているので、城巡りというより博物館へ行くとした方が良かったかも。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 和田親平
築城年 永享12年(1440)
主な城主 和田氏、松平氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(安祥城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県安城市安城町城堀30
問い合わせ先 安城市生涯学習部文化財課文化財係
問い合わせ先電話番号 0566-77-4477