あんしょうじょう

安祥城

愛知県安城市

別名 : 安城城、森城
旧国名 : 三河

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りあそーる

レンタサイクル

安城市はレンタサイクル無料なので、安城駅で借りて~安祥城~桜井城~石川氏発祥の地~安政古戦場~本證寺と回れますよ!

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橋吉

安祥松平氏発祥の地 (2023/01/15 訪問)

現在は、安祥城址公園として整備されています。

本丸跡と二の丸跡が残されています。
本丸は、大乗寺の境内となっています。

二の丸跡には八幡社が置かれています。

三の丸跡には、安祥公民館,安城市歴史博物館,埋蔵文化財センター・市民ギャラリーがあり、そこに駐車できますが、遺構は見られません。

安城市歴史博物館の常設展は安城の歴史が展示されています。
わずかではありますが、安祥城についての展示と解説VTRを見ることができます。

見学所要時間:40分(博物館の常設展見学も合わせて)

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AIAI

安祥城に行ってきた (2022/10/16 訪問)

お寺が建っている処が本丸で入口は北側の一つだけ。詰めれる兵力はそれ程多くはないものの、攻め口が限定される分守りやすい。織田軍に取られてから奪還に失敗している事からもそれなりの防御力があったという事。

三河の交通の要衝は伊達じゃないという事か。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ15日目:安祥城 (2022/08/03 訪問)

知立城からの転戦です。南安城駅より徒歩12~13分くらいで、本丸跡の大乗寺入口(34.945749、137.099345)に着きました。
説明板はこの付近(34.945042、137.099596)、二の丸跡の八幡宮入口(34.944400、137.098082)、安城市歴史博物館は三の丸跡のようです。

1440年(永享12年)和田親平によって築かれました。1471年(文明3年、一説に文明11年)松平信光が謀略によって攻め取り、以後松平清康(徳川家康の祖父)が岡崎城へ移るまで三代の居城でした。
清康は岡崎城を居城として三河に勢力を伸ばし、1535年(天文4年)には尾張国守山に兵を進め織田信秀と対峙しますが、家臣に殺害されます。
その後、織田信秀は三河に侵攻し、幾度となく安祥城に攻め寄せ、1544年(天文13年)安祥城を攻め落とします。
これに対して松平氏は今川氏に援軍を求め、1549年(天文18年)今川・松平軍は安祥城に攻め寄せ奪還しました。

周囲は安祥城址公園となっており、1544年(天文13年)の安祥城攻めで織田勢に一人討って出て奮戦して討ち死にした「善恵坊の碑」などがあります。
大乗寺入口を入ってすぐ右側に「本多忠高墓碑」があります。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=安祥古城へは徒歩で向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 和田親平
築城年 永享12年(1440)
主な城主 和田氏、松平氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(安祥城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県安城市安城町城堀30
問い合わせ先 安城市生涯学習部文化財課文化財係
問い合わせ先電話番号 0566-77-4477