「総選挙」シリーズ ランキング 速報!【11位~20位編】「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」ベスト30結果発表!

2020年12月28日(月)にテレビ朝日系列で放送の「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」。全国1万4000人の国民による投票・専門家・AIで、ガチで選んだ最強戦国大名ベスト30にランクインした戦国大名は誰か? 今回は【11位~20位】をランキング形式でご紹介します。

▼放送前にたてた城びとの予想はこちら!  
▼速報!21~30位の戦国大名はこちら!▼速報!1~10位の戦国大名はこちら!

「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」とは?

テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズは、あらゆるジャンルの人気No.1を投票で決するガチ企画。「戦国大名」をテーマに最強大名を決める総選挙が実施されました!

20位 石田三成 頭脳明晰、先を読む能力に長けた大名

石田三成
イラスト:ぞえさん

緻密な計算のもとに先を読む能力があったといわれ、関ヶ原の戦いで西軍を率いた石田三成が20位に。
15歳で秀吉に才能を見出され、どんどん頭角を表していった石田三成の唯一の誤算が、小早川秀秋の裏切りにあったこととも言われています。
真田丸で石田三成を演じた山本耕史さんも登場し、「戦に進んで出る武将ではなかったと思うけれども、戦を支える上でのお金の振り分け、軍の配置などに長けていた」と語っていました。

また、石田三成が計算高く緻密な計算ができた理由として、「石田三成情報網」…特殊な情報網で敵の攻撃を見破ったと紹介されました。
その情報網が活躍したのが賤ケ岳の合戦の時。滋賀県長浜市賤ケ岳の寺の僧侶に宛てた手紙が残っており、スパイを派遣してくれたことへのお礼が記されていたとか。いろんなお寺に諜報を依頼していたようです。

また、「もし小早川秀秋が裏切らなかったら!?」というテーマで、AIが西軍84000 vs 東軍74000 の関ヶ原の戦いを分析。
するとなんと、50.4%の確率で石田三成が勝利との結果に。
秀秋の裏切りがなければ、歴史が変わっていたかもしれませんね!

※関ヶ原の戦いでの石田三成の戦いぶりについての解説はこちら。どうしたら勝てたかのか”妄想”してみた記事も!

19位 藤堂高虎 最強に守りやすい城を生み出した築城名人



藤堂高虎
写真:橋吉さん

豊臣秀吉と徳川家康、2人の天下人に仕えた戦国大名。当時の最新技術を駆使した「築城の名手」で、築城三名人の一人に数えられます。20以上の城を築城し、最強に守りやすい日本のお城のスタイルを完成させた人物です。

その最高傑作が「水の上の要塞」と呼ばれ、鉄壁の海城である今治城(愛媛県今治市)。

番組では、高橋英樹さんとお城大好きキッズ栗原響大くんが今治城をロケで訪れ、「Q.今治城で一番幅が広い堀の幅は何メートルか?(答えは70m。矢どころか、鉄砲さえも届かなかった)」「Q.日本3大水城は?(高松城中津城今治城)」など、うんちくクイズを楽しく繰り広げた後、今治城が「最高傑作」といわれるポイントを見学。

1:相手の心を折る鉄壁の門
旧豊臣方を監視するために築かれた今治城。相手の心を折る鉄壁の門とは、枡形虎口(出入口)で、3方向から矢や鉄砲で狙われるキルゾーン。藤堂高虎がはじめて作ったのではないかと言われ、これ以上強い防御はなかったそう。江戸城の大手門、駿府城の門も枡形虎口です。枡形虎口の正面に鏡石という大きな石を置いて、お城を築いた大名の権力を示したことも紹介されました。

2:水上に浮かぶ要塞。最強の海城。
海の上のため、地盤が軟弱なのが弱点。それを補うために、軟弱な土地に木を打ち込み、犬走りという石垣を築く土台を作って、その上に高い石垣を築いたことが紹介されました!

▼鉄壁の守りを誇る今治城について、もっと知りたい方は


18位 小早川隆景 毛利家を支えた「三本目の矢」

小早川隆景像
写真:TMN97さん

12歳で小早川家の当主になった毛利元就の三男。毛利水軍の指揮官として「毛利両川体制」を支え、羽柴秀吉軍と対決しました。豊臣政権下では小田原攻めや文禄・慶長の役などで功績を挙げました。

▼小早川隆景の築城した三原城。詳しくはコチラ!


17位 北条氏康 武田信玄や上杉謙信に一歩もひくことがなかった

小田原城
小田原城 小峰大堀切

織田信長が活躍する少し前、今の関東一体を治めていた大名。小田原城を発展させ、武田信玄や上杉謙信に一歩もひくことがありませんでした。ここでも栗原響大くんが登場し、北条氏康にはじまり、親子3代で作り上げた小田原城の強さに迫ります!!

それは、総構(そうがまえ)という、土塁(堀った土を高く積み上げたもの。外から攻める敵を防ぐ土の壁)で囲った全長9㎞大きな囲い。なぜ、城だけでなく全体を囲ったのでしょうか? そのメリットは、戦で町が荒らされないこと。民衆が食料や武器を安定して供給できるのです。

また、小田原城の小峰大堀切という全国で最大規模の堀切を紹介。堀切とは、敵の侵入を防ぐために、山を掘って作った溝のことで、小田原城の堀はさらに仕切りがつくられた障子堀になっていることを紹介。

さらに、守りだけでなく、攻めても強かったそう。専門家によると、戦国大名は、総力戦での決戦はめったにしなかったそうですが、氏康は2回も行って勝っています。その作戦は、夜静かに奇襲作戦。鎧を着ているとその音で気づかれるので、鎧を脱いで攻める様子を再現ドラマで紹介。物音をたてずに敵に近づいて攻撃したそうです。夜襲で大事なのは、スピードと同士討ちをしないこと。鎧を脱いだことで両方がかなえられたといいます。

▼もっと知りたい方は

16位  蒲生氏郷 信長・秀吉に高く評価された大名


現在の福島県、会津を治めた大名。なんと、会津若松という地名も氏郷がつけたそう!
子供のころ信長の人質になったのですが、後に信長・秀吉の天下統一にかかわる戦で大活躍。
戦上手だった秘密は…ナマズ!?

銀のナマズ(の顔のような)の兜が番組で紹介されました!何と長さは50㎝!
ナマズの持っている生命力にあやかるという意味もあるようですが、
長い兜=味方の士気を上げる、ということが大事だったようです。なんでも氏郷は、軍の先頭に立って戦っていたとか…!

鶴ヶ城(会津若松城)についての記事はコチラから!

15位 北条早雲(伊勢 宗瑞) 最初の戦国大名

北条早雲、伊勢宗瑞
写真:へいくろうさん

室町時代の中後期に現れ、戦国時代の扉を開いた人物。わずかな兵をひきいて国を攻め取り、たった一代で神奈川県の相模と静岡県の伊豆を支配しました。検地をはじめて行なった大名でもあり、支配の仕組みを作ったそうです。

番組では、北条早雲伝説も紹介。当時小田原城には他の権力者が住んでいましたが、牛1000頭に松明をつけて、大軍に見せかけるという超意外な方法で、あっさり城を乗っ取ったそうです。そのことは「北条五代記」に記述がありますが、軍記物のため事実かどうかは定かではありません。

ただ、自分が攻めた土地の住民を味方につけた人物であることはわかっているそう。伊豆を攻める過程において、地震による津波による被害があり、伊豆を復興するということも行っていたエピソードが紹介されました。

14位 立花宗茂 豊臣秀吉に「最強」と言わしめた、仲間思いの大名

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柳川城 写真:洸(あきら)さん

専門家投票8位との高い評価。
豊臣秀吉の「西国で最強」でかつ「人間性も素晴らしい」と本郷和人先生も太鼓判。

秀吉亡き後も、徳川幕府の中枢で活躍し、現在の福岡県柳川市一帯をおさめていた宗茂。お堀はほぼ当時のまま残っています。

地元の人々が声を揃えて語るのは「人望があつかった」。その理由として、人を裏切る戦国時代において、決して仲間を裏切らない姿勢が番組で解説されました。何と、関ヶ原の戦い時に敵方の徳川軍からも愛されたとも…!

紹介されたエピソードが、「蔚山城(うるさんじょう)の戦い」。
加藤清正が50000の兵に囲まれて絶体絶命!
仲間はみんな諦めかけていたが、宗茂は自分の信念を貫き、わずか自分の兵が1000人ほどにもかかわらず先陣を切っていき、清正救出に成功!

さらには、関ヶ原の戦いで敗北し、九州に帰る途中で14年前に父を倒した島津義弘に会った際、通常なら敵討ちをするところ、
「同じ西軍として戦った」仲間として攻撃することはなかった、との話も紹介されました。

▼立花宗茂についてもっと知りたい方はこちらをチェック

13位 斎藤道三 出世の異例さは、Mr.下剋上

美濃国(現在の岐阜県)を治めた齋藤道三。美濃は、「美濃を治めるものは、天下を治める」といわれる要地でした。
斎藤道三の下剋上は、たとえると父親のコネで大企業に就職、直属の上司を蹴落として社長に上り詰めた超サクセスストーリー。最初は、上司の悪い噂(主人が反乱を企てている)を流し、上司は謀反の疑いで成敗され、道三は「家来」から「家臣」へ出世。その後、No.2の斎藤家が謎の死をとげて、No.2にのぼります。最終的には道三の不審な動きに気づいた者を毒殺、大名(土岐氏)を取り巻く人々を次々と殺害し、大名をひとりぼっちにしてたたき、自分が大名に成り上がりました。

また、岐阜に観音様を持ってきたエピソードも紹介。観音様に人が集まれば、商売ができ、町ができたそう。さらに、昨年驚きの発見があり、斎藤道三の石垣が見つかったそうです。石垣の上に櫓をたて防御したのではないかと考えられています。従来、織田信長の時期から石垣で敵を防ぐといわれていましたが、その元になるものを斎藤道三が始めていた可能性が高くなっているそう。織田信長は道三の影響を色濃く受けたのではないかと思われることが紹介されました。

12位 明智光秀 2020年の大河ドラマの主人公!本能寺の変で有名

明智光秀
イラスト:吉田さん

上司である信長を追い込んだ「本能寺の変」が有名な大名ですね。歴史研究家の河合敦さんが「織田軍団の中で最強」と解説されていました。
番組では、大きなエピソードが3つ紹介されていました。

一つ目は、織田信長も絶賛!難攻不落の城を落とした頭脳プレーが功を奏した、黒井城攻め。
丹波を攻め落とさなくてはいけなくてはいけない。しかし、信長に敵対する黒井城は辺り一帯がすべて見渡せてしまうという。侵入が見破られる…
そこで、光秀は360度取り囲んで攻撃をして制圧。信長も絶賛し、丹波地方29万石の領土を与えられたとのこと。

二つ目は、信長の暗殺を成し遂げた本能寺の変での「敵と味方の見分け方」
井伊資料館に残る資料によると、敵と味方を分けるアイデアとして「足元をよくみろ」という指示を出したとされています。
いきなり攻められた信長は十分な武装もできず、裸足になっているのが信長側だ…ということですね。

三つ目は、約50m先の的を射抜いたとされる鉄砲術。
番組では火縄銃の達人の方が50mの的を当ててみますが…20発当てても当たらない。風の流れなどもあり、「体に当たればよし」ということで的に当てるのはかなり難しいとのこと…!

尚、裏切り者のイメージが非常に強い光秀ですが、領地の人たちからは愛され、家臣からは慕われていたそう。
番組では、黒塗りの黒坐像が紹介されました。これは、謀反者という汚名を着せられたため、だれかわからないように「黒塗り」にされた、
「像を真っ黒にしてまで守らなければいけない」と考えた人がいたということ、だそうです。

▼「麒麟がくる」で時代考証を担当する小和田哲男先生の連載もチェック!
・「城と光秀」 

▼明智光秀の生涯と、ゆかりの城についての紹介はこちら

11位 島津義弘 九州平定を目指した大名

島津義弘

専門家投票で高い評価を獲得した島津義弘。専門家の言によると、「戦国のスーパーサイヤ人」、「あまりにも活躍しすぎて鬼と恐れられた」とも。現在の鹿児島県と宮崎県の一部を治めていて、朝鮮出兵では、7000の兵で20万の朝鮮の兵を倒したという伝説も。

守備力のすごさとして、領土を守った南九州の800の城を紹介。信頼できる家臣を配置し、北からの攻撃に備えました。
特徴的な城として清色城知覧城が紹介されました。清色城は自然地形を巧みに生かした山城で、狭い堀切の断崖の道を紹介。知覧城は天空から敵を殲滅した山城で、上空から知覧城を見てみると大地の上に曲輪がそれぞれ分かれていて、独立した丘の上から攻撃が可能でした。

また、医術に精通していた愛され大名で、家臣が怪我をした際には自ら手当をしたそうです。今でいう外科手術のスキルも持っていたともいわれ、家臣に医学を伝授もしていたことも紹介されました。

▼島津家についてもっと知りたい方はこちらをチェック

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執筆/城びと編集部
イラスト/ぞえ(石田三成)・吉田(明智光秀)

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