2021/01/08
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第32回 勾配と反り
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。32回目の今回は、前回に続いて石垣の積み方がテーマ。石垣が垂直ではなく緩やかに角度を付けて積み上げられ、曲線的に反っているのはなぜ? その目的や効果を、実際のお城を例に詳しく見ていきましょう。
最初に積まれた石垣(いしがき)は、土が流れ出さないようにするためで、高さも無く、ほとんどが垂直(すいちょく)に立ち上がる石垣でした。その後、城に石垣を築(きず)くことが一般化(いっぱんか)し各地に広がると、高さが求められるようになり、緩(ゆる)い勾配(こうばい)(傾斜角度のことです)を持った崩(くず)れにくい石垣が築かれるようになります。90度に近い垂直な石垣は、高く積むと不安定だったからです。地震(じしん)や台風などの自然災害(さいがい)によって、安定を保(たも)てず、崩れやすかったのです。
石垣の勾配は、関ヶ原合戦より前に築かれた石垣が緩やかで、石垣を造(つく)る技術(ぎじゅつ)が完全に発達し、完成域(いき)に達した慶長(けいちょう)期後半(1600年以降のことです)になると、勾配は急になっていく傾向(けいこう)が見られます。しかし、加藤清正(かとうきよまさ)を初めとする豊臣系(とよとみけい)大名の築いた石垣は、ほぼ45~50度前後と比較的(ひかくてき)緩い勾配でした。
反りを持った石垣
石垣の下側の部分の勾配が緩やかで、上部に行くにつれて次第に急勾配になり、最後はほぼ垂直にそそり立つ勾配は、扇(おうぎ)が開いたような曲線を描きます。そのため、俗(ぞく)に「扇の勾配」の石垣と呼ばれます。
この石垣は、最初は緩やかなため石垣をよじ登(のぼ)ることもできますが、やがて急勾配になり、最後は垂直にそそり立つため、敵兵(てきへい)や忍者(にんじゃ)を寄(よ)せ付けないと言うことで「武者返(むしゃがえ)し」とか「忍返(しのびがえ)し」とも言われています。また、寺院建築(けんちく)の屋根の曲線に見立て「寺勾配(てらこうばい)」とも呼(よ)んでいます。寺勾配の石垣は、加藤清正の築いた熊本城(熊本県熊本市)で見ることができます。清正が築いたため清正流(せいしょうりゅう)石垣とも呼ばれています。
熊本城小天守台の石垣。石垣高の3分の2程までは、緩やかな直線(45度前後)で積み上げ、残りに反りを設(もう)けた典型(てんけい)的な「扇の勾配」と呼ばれる石垣です
石垣に反りを付ける場合、最下部から徐々(じょじょ)に反らしていくことはありません。最下部から反らした石垣は、急になりすぎ反り返ってしまうことになるからです。反りを付ける場合は、石垣の上半分、あるいは上三分の一だけ反らせ、それより下は勾配だけの直線で築き上げています。反りを持つ石垣の下方の勾配は、反りの無い石垣と比(くら)べると、45度前後になっています。これは、根元の勾配が急だと、上方で反りを付けると、反り返って石垣を積めなくなるからです。
熊本城天守台の石垣。下から見上げると上部3分の1程度が、急激(きゅうげき)に反りを持ち、ほぼ垂直に立ち上がっていることが良く解(わか)ります
石垣高の半分から3分の2程(ほど)までは、緩やかな直線(45度前後)で積み上げ、残りに反りを設けるのが通常です。反りは一間ごとに定め(一石ごとに、勾配を急にしていくこともあります)、その数値(すうち)が大きい程、急勾配な石垣となります。こうして完成した石垣は、敵が登るのを阻止(そし)するだけでなく、見た目も美しい反りを持っていました。
萩城天守台の石垣。「扇の勾配」を持つ石垣は、見た目も美しい石垣だと実感できます
反らない石垣
全ての城の石垣に反りがあるわけではありません。最後の垂直にそそり立つ部分を持たず、ほぼ直線で立ち上がる石垣は「宮勾配(みやこうばい)」と呼ばれました。これは、反りを持たない神社の屋根に見立てた呼び方です。
伊賀上野城本丸の石垣。ほぼ直線で30mの高さを持つ石垣です。豪快(ごうかい)で、堅牢(けんろう)さが際立(きわだ)つ石垣です。藤堂高虎の城は、ほとんどがこの直線の石垣を使用しています
まったく反りがなく一直線に立ち上がる石垣は、清正に並び築城(ちくじょう)の名手と呼ばれた藤堂高虎(とうどうたかとら)が好んで使用しています。伊賀上野城(いがうえのじょう)(三重県伊賀市)、今治城(いまばりじょう)(愛媛県今治市)、丹波篠山城(たんばささやまじょう)(兵庫県丹波篠山市)に反りの無い石垣が現存しています。
中でも、伊賀上野城本丸の石垣は、30mの高さを誇(ほこ)っていますが、まったく反りが無い一直線の勾配です。反りを付ける手順を考慮(こうりょ)すれば、一直線で高く積んだ方が、より効率的(こうりつてき)で合理的ともいえるのではないでしょうか。そのため、工期短縮(たんしゅく)で完成を急いだ「天下普請(てんかぶしん)」の城で多用されることになります。
今治城本丸の石垣。伊賀上野城の前の藤堂高虎の居城(きょじょう)です。石垣の積み方を比べてみてください。ほぼ角度も同じ直線の石垣です
跳出(はねだし)を設けた石垣
石垣の防御(ぼうぎょ)機能(きのう)を増す工夫として、天端石(てんばいし)(最上段の石)の一石下を、外へ張(は)り出させる石垣が見られます。跳(は)ね出す部分の石材を板状の切石(平坦な直方体の形です)に成形し、張り出させるもので跳出(桔出)(はねだし)石垣と呼ばれています。
林子平(はやししへい)(江戸時代後期の、政治・経済・社会学者)が『海国兵談(かいこくへいだん)』(外国勢力を撃退するには近代的な火力を備えた海軍の充実化と全国的な沿岸砲台(ほうだい)(大砲などの火器を設置する台座のことです)の建設が無ければ不可能であると説いています)の中で提唱(ていしょう)したもので、江戸時代後期以降(いこう)の新しい手法です。石垣を登ってくる敵に備(そな)えたもので、忍返しと同じか、それ以上の効果(こうか)があったと言われています。実例は非常(ひじょう)に少なく、人吉城(ひとよしじょう)(熊本県人吉市)や五稜郭(ごりょうかく)(北海道函館市)、台場(だいば)(品川台場など)でしか、見ることができません。
五稜郭の跳出(左)と品川台場の跳出石垣の部分(右)。方形に揃(そろ)えた石材を突出(とっしゅつ)させることで、登るのを防いでいたことがよく解ります
人吉城の跳出石垣。川に面した場所に、採用されています。和式築城の城では唯一(ゆいいつ)です
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※扇の勾配(おうぎのこうばい)
下部は緩く、上部にいくにつれて次第に急勾配になり、最後は垂直にそそり立つような「反り」を持つ石垣です。
忍返し(しのびがえし)
石垣の場合、上部に行くにつれて急勾配になる石垣を、よじ登ろうとした敵兵や忍者も寄せ付けないということで忍返しと呼ばれました。
寺勾配(てらこうばい)
最初は緩やかで、やがて急勾配になり、最後は垂直にそそり立つ曲線が、寺院建築の屋根の曲線に似(に)ているため、こう呼ばれています。
宮勾配(みやこうばい)
反りを持たず、緩やかな傾斜でほぼ一直線に立ち上がる石垣のことです。反りを持たない神社の屋根に見立てた呼び方です。
※天端石(てんばいし)
石垣のもっとも上側に位置する部分に置かれた石のことです。石の上の面を平に加工し、水平にしたり、上に置く柱の形に合わせて加工されたりすることもありました。この石の上に建物などが構築(こうちく)されるためです。
跳出(桔出)(はねだし)石垣
最上段(だん)の石の一石下を、外へ張り出させる石垣です。跳ね出す部分の石材を、平坦(へいたん)な直方体の形に成形し、張り出させるもので、幕末(ばくまつ)に使用されました。五稜郭や台場で見られます。
次回は「横矢(よこや)をかける」です。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。