【城下町ヒストリー・柳川編】掘割に囲まれた珍しい城下町を造ったのは立花宗茂?それとも田中吉政?

豊臣秀吉に武勇を称えられた戦国大名・立花宗茂が治めた城下町といえば柳川。では、肝心の柳川城は一体どこにあるのでしょうか?城下町全体に掘割(地面を掘って水を通した場所)が張りめぐらされ、小舟で城下町を移動できる類を見ない造り。実はこの城下町の礎を造ったのは、豊臣秀吉の家臣である田中吉政。立花宗茂が当初赴任するものの、関ヶ原の戦いで敗れ浪人、20年ぶりに柳川領主として復帰するまでは、田中吉政が治めていました。数奇な歴史をたどった城下町について知識を深めつつ、観光ボランティアガイドさんと一緒に歩いてみましょう。



柳川、城下町、柳川城、水郷めぐり
城下町柳川では何といっても水郷めぐりが人気

立花宗茂は柳川城にほとんどいなかった?

柳川城、案内板、天守閣、石垣
5層の天守閣は約8mの石垣上にあった(図は柳川城址の案内板より)

柳川は福岡県西南部に位置し、有明海に面しています。有明海といえば海苔の生産地として、また「珍魚」ムツゴロウの生息地としても有名。戦国時代に治めていた蒲池(かまち)氏によって、柳川城は築かれたといわれています。

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柳川藩主立花邸 御花で合流した柳川市ボランティアガイドの塩塚純夫さん

そんな柳川を、柳川市観光ボランティアガイドの塩塚純夫さんに案内していただきました。「立花家のイメージが強い柳川ですが、実は町割りに重要な役割を果たしたのは田中吉政なんですよ」と塩塚さんから力強い言葉。

戦国時代末期の天正15年(1587)、立花宗茂が城主となりました。立花宗茂は若くして豊臣秀吉に「西国無双」と称された名将。柳川城の改修に着手しますが、まもなく朝鮮出兵となり、朝鮮から改修について指示を送ったようですが、この時にどの程度改修が進んだのかを示す史料は見つかっていません。そして、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは西軍に味方したため、敗戦後に改易。立花宗茂の代わりに田中吉政が柳川城に入り、本格的な改修を開始しました。

本格的に城下町を整備した田中吉政とは?

掘割、柳川、田中吉政公之像
掘割に沿って立つ田中吉政公之像

田中吉政は、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次の筆頭家老として八幡山城(滋賀県近江八幡市)の城下町を整備。さらに天正18年(1590)の小田原征伐後には、岡崎城(愛知県岡崎市)を近世城郭に整備するなど、城下町整備に定評のある人物でした。ちなみに八幡山城は続日本100名城、岡崎城は日本100名城ですね。

豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に味方。西軍の中心人物・石田三成を捕らえた功により、戦後に筑後32万石を得て柳川城に入りました。田中吉政の主導により五層の天守や城郭の整備が進み、近世柳川城の大枠が完成したと考えられています。

柳川、水門、石積み、城下町
防御用に築造された重厚な石積みの水門

柳川の整備に貢献した田中吉政でしたが、跡を継いだ田中忠政が元和6年(1620)に没すると無嗣断絶、改易となり、わずか2代で柳川から去ってしまいます。

約20年ぶりに立花宗茂が柳川へ復帰!

立花家、菩提寺、福厳寺、立花宗茂、戸次道雪
立花家の菩提寺・福厳寺。立花宗茂が養父・戸次道雪を弔うために建てた

田中忠政が亡くなった後には、関ヶ原の戦いで敗れた武将の中で唯一、旧領に復帰した立花宗茂が藩主となります。立花宗茂のドラマチックな人生については詳細を省略しますが、この後、立花家が柳川藩主として明治維新を迎えます。

「町割に大きく貢献した田中吉政を、立花宗茂も敬っていたはずです。その証拠として田中吉政を埋葬した菩提寺・眞勝寺は立花宗茂が復帰した後も城下町に残されています。立花家の菩提寺は同じく城下町にある福厳寺。立花家と田中家の菩提寺が城下町に共存していることになり、とても珍しいことです」(塩塚さん)。

菩提寺、眞勝寺、田中吉政
田中家の菩提寺・眞勝寺。寺の地下に田中吉政の墓がある

明治5年(1872)、突然の火災によって天守および本丸・二の丸は焼失。かつての五層の天守は残念ながら残っていません。現在は柳川市立柳城中学校・柳川高校が立ちますが、市指定史跡である天守跡の高台は見学可能です。

柳川城、焼失、
柳川城は明治5年(1872)に失火により焼失してしまう

現在残る立花家を象徴する建物といえば「柳川藩主立花邸 御花」。元文3年(1738)、5代藩主・立花貞俶(さだよし)が設けた別邸です。当時「御花畠」と呼ばれていた場所が選ばれ、「御花」といわれるようになりました。大庭園である「松濤園」や、立花家の迎賓館として建てられた「西洋館」、立花家の史料を多数残す「立花家史料館」などで構成されています。「柳川藩主立花邸 御花を見学した後、約100m歩くと眺めのいい掘割があります。掘割には小船が浮かび、掘割沿いには郷土料理が味わえる店が並びます。柳川市観光協会もあり、情報収集や休憩におすすめですよ」と塩塚さん

立花邸、御花、西洋風
西洋風の建物が存在感を示す柳川藩主立花邸 御花

城下町柳川をこよなく愛した「詩聖」北原白秋

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北原白秋生家・記念館。生家の奥に資料館の建物があり見た目以上に広い

柳川藩主立花邸 御花をスタートし、塩塚さんと一緒に掘割に沿って商家をめぐっていると、一際大きな建物が目に入ります。柳川に生まれた偉大な詩人・北原白秋の生家です。「親友の死をきっかけに詩人を志し、3度の結婚、30回以上の引越と波乱万丈の人生を送りました。生まれた実家はかつて藩御用達の魚問屋。火災の影響で家運は傾いてしまいます。北原白秋生家・記念館では、その当時の様子を知ることができますよ」(塩塚さん)。

北原白秋の生家をただ再現した資料館ではなく、中世の蒲池城の時代から柳川城に関わる歴史展示も充実していますので、「城びと」読者ならぜひ立ち寄りたいところ。また、北原白秋自身の肉声による詩の朗読も聞くことができます。北原白秋が柳川をいかに愛していたかを感じることができる映像もあります。

有明海、沖端川
北原白秋生家・記念館から約300mで沖端川に突き当たる。有明海へと注ぐ

そして柳川らしい展示と言えば、有明海で魚を捕るための仕掛け「籠飼(ろうげ)」。フナ、コイ、ウナギ、ドジョウなど、魚ごとに形や大きさが異なっています。そういえば、柳川にはウナギ料理店が多数並んでいます。ムツゴロウやイソギンチャクも郷土料理として味わえ、珍しい食文化を楽しむこともできます。

景色が美しい柳川は、どこを歩いていても絵になります。知識豊富な柳川市観光ボランティアガイドさんと一緒に歩けば、楽しさも倍増しますよ。

城下町イベント「柳川OUTING!」が開催中!

柳川OUTING

柳川では、2018年7月から2019年3月にかけて城下町イベント「柳川OUTING!」を開催。7〜8月の毎日と9月の金~日曜と祝日には、柳川の夜の水辺を楽しむ納涼船「灯り舟」が運行されています。ほかにも、バルやマルシェ、音楽・映画などお楽しみ満載のイベントです。8月25日(土)からは、立花宗茂を祀る三柱(みはしら)神社や、季節ごとに変わる御朱印で知られる日吉神社で「さげもん」の宝袋をモチーフにした、願掛け絵馬が登場しています!「さげもん」はひな祭りの際に飾られる吊るし飾りで、柳川の春を告げる風物詩。季節を越えて柳川の春や伝統を感じられるチャンスですね。(※イベントは終了しております。最新の情報は事前にご確認ください)

柳川駅までの西鉄電車乗車券と、食事券、おみやげなどに使える柳川満喫券がセットになった「柳川OUTING!きっぷ」も登場しています。
※「柳川OUTING!きっぷ」は2019年4月3日で販売終了となりました

柳川の最寄駅、西鉄柳川駅へは西鉄福岡(天神)駅から約50分。日本100名城や続日本100名城めぐりの途中に十分射程圏内です。また、以前にご紹介したローカル線でめぐる城|【JR久大本線】福岡(久留米)~大分5つの城を楽しむ1日トリップの起点であるJR久留米駅から、西鉄バスで約10分の西鉄久留米駅を経て、西鉄柳川駅まで約20分です。

この秋は、城下町イベントも一緒に楽しみながら、柳川の魅力を存分に味わってみてはいかがでしょうか。

▼【城下町ヒストリー・柳川編】のその他の記事はこちら

<基本情報>
柳川市観光ボランティアガイド
電話番号:0944-77-8563(柳川市役所観光課)
料金:無料(路線バスなどの公共交通機関で移動する場合は、ガイドの運賃を負担)
※5日前までに要予約(受付対応は平日のみ)

北原白秋生家・記念館
住所:柳川市沖端町55-1
電話番号:0944-72-6773
営業時間:9~17時
定休日:無休
観覧料 入館500円(記念館、白秋生家共通)
アクセス:西鉄柳川駅から西鉄バス「沖端」方面行きで12分、「御花前」または「水天宮入口」下車、徒歩5分

柳川藩主立花邸 御花
住所:福岡県柳川市新外町1
電話番号:0944-73-2189
営業時間:9~18時(立花家史料館への入館は~17時30分、飲食店は店舗により異なる)
入園料:大人500円(松濤園、大広間、西洋館、立花家史料館共通)
アクセス:西鉄柳川駅から西鉄バス「早津江」方面行きで20分、「御花前」下車すぐ

柳川城址
住所:柳川市本城町82-2
電話番号:0944-73-8111(柳川市役所 観光課)
入城時間:自由
入城料:無料
アクセス:西鉄柳川駅から西鉄バス「早津江」方面行きで10分、「柳川高校前」下車すぐ

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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