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しんちゃん

夜景の見事さに (2025/02/22 訪問)

いそいそと各地を回りながらにも途上には名城の数々。広島城の夜景の見事さに思わず寄ってパチリ、このまま夜通しで福岡に移動です。鉄筋コンクリートながらも外観の美しさは見事なものです。岩国城は帰途で寄りたかったのですが、吹雪に見舞われ断念。
パイパスはあっさりと閉鎖され2号線の一本道のみが頼りでした。超渋滞・・なんとかしてくれ~。
姫路城の夕景には少し間に合いませんでした。姫路市民以外は2500円に統一されるんだけど、国税もいっぱい投入されているよね。わたしも税金払ってますぞ~。姫路城、熊本城に限らず国や自治体の状況に左右される城郭も受難の時代と言えそうです。

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しんちゃん

敗けちゃった・・・ (2025/02/28 訪問)

ニッポン城めぐりで今月はランキング争いと「三増峠の戦い」イベントで大忙しです。実際に登城するわけではなく近くを通過するだけ、城びとにはもどかしいですが、状況的には仕方ない。日刊ランキングを激闘の末に制したので、次は月間です。
年度別は4月から3月までなので時期的には難しい。「天下一の兵」で良しとしておきましょう、イオさん 獲りましたど(まだ早い)。
ランキング争いでライバルの心をポキポキ折ってきた私ですが、ついに自分の番が来ました。「貫」をどかどかつぎ込んで来た「合戦」で我が北条軍がまさかの敗北・・39万の差を2万5千までせばめたものの僅差で敗北。武田軍より北条軍のほうが105人少ないので人数分の差です。上位陣の皆さんは武田軍より気合が入っているのですが、どうも下の方が・・けっこう日拠っている人達が多いです・・合戦は勝たなくては意味が無いぞ~!
私の軍功は6242で全体では2220位・・今ひとつですが龍勢は4回以上はあげているので、全体の貢献は8000を超えています。次は軍功1万以上を目指します。もっと武将をふやして、大手柄武将を充実させておかなくては・・

「黄梅院」ほしかった、どうも私は此のアプリでは女性キャラに縁が無いようです。いまのところ「豪姫」だけ。宇喜多秀家くんと一緒に登用してあげました。まるで宇宙戦艦ヤマトの森雪状態です(リメイク版では女性キャラが増えた)。

ちなみに写真は中国地方から九州まで「城攻め」に行って来たときに寄った店です。九州の資さんうどんは24時間営業でいつでも「うどん」が食べられます。天国ですか・・けっこう福岡にもうどんの店は多いです。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地を通り抜け(※)、竜ヶ谷山の山頂にある雷電神社が龍谷山城址となります。
※通り抜けを禁止されていません。
雷電神社付近に、郭跡や空堀、土塁などの遺構が確認できます。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅近くの長栄寺が毛呂氏館跡となります。
裏山は詰めの城として竪堀などの遺構があります。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅の北側にあるゆずの里保育園の北側にある個人宅が斎藤美濃守館跡となります。
中世の館跡の土塁や空堀が残っています。
県の史跡に指定されているものの、個人宅だからか案内板や解説板の設置はありません。

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朝田 辰兵衛

ここでリーチをかけました… (2025/02/22 訪問)

東京都城びと登録城,ここでリーチをかけました。この周辺を散策済の方は「なんだか効率の悪い廻り方してるな…」と感じていたかと思います。
赤い城さんの予想&リクエスト(?)に沿うよう,1月の攻城スケジュールと合わせて精査し,組み替えました。「ラストはハリポタ城ではなかったの…?」と,感じていた方もいらっしゃったかと思いますが,そういう理由になります。

法蓮寺は仰々しい賑わいでしたので,旗岡八幡神社のみの散策です。
越後の天気予報が気になり続けましたが,こちらは晴天に恵まれて春を感じました。

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todo94

三連休の攻城① (2025/02/22 訪問)

天皇誕生日を中日とする三連休は、大分県へと繰り出しました。金曜の勤務を終えてから夕食後に出発。広島で前泊し始発のさくらで別府へと向かいました。今回のターゲットの城は大分県南部なのに別府にてレンタカーを借り受けたのは、格安のニコニコレンタカーが駅近くにあったからです。ここから、烏嶽城はなかなかの遠距離。11時を優に回ってしまったので道の駅「原尻の滝」にてだんご汁定食の昼食をとりました。もちろん、東洋のナイアガラと称される原尻の滝は見てきましたよ。ここから烏嶽城はすぐです。城郭放浪記さんの案内の通りに向かいましたが、ナイロンネットのフェンスが広く張り回されていて、烏岳の登山口表示が見当たりません。フェンス内の木は伐採されていて道らしきものが確認できます。フェンス最上部にはピンクリボンがついていて、そこは下をめくってくぐれるようになっていました。そこから上はピンクリボンが城まで案内してくれます。3つばかり上り下りを繰り返す登りごたえのある山城でした。主郭には土塁が確認できます。更にその奥の烏岳山頂まで踏破してきました。帰りがけには、道の駅に写真展示してあった円形分水も見てきました。水が流れていなくてちょっと残念でした。

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朝田 辰兵衛

プラスαで周辺観光も… (2025/02/22 訪問)

さすがに,神社仏閣城のハシゴは飽きてきたので,周辺観光にも目を向けました。立会川駅近くに坂本龍馬像がありました。また,梶原氏館との関連性はわかりませんが,来福寺から梶原稲荷神社に向かう途中,犬坂というグネグネの坂道を発見。意図的に造成されたように感じました。

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しんちゃん

見所はなんといっても堀切 (2025/02/02 訪問)

名胡桃城の城域は思ったより広く、笹郭・本郭・二郭・三郭・般若郭の遺構が良く再現されており国道17号線よりすぐにアクセスすることが出来ます。真田丸で人気が出たイメージがありますが、各郭の遺構・特に堀切の再現度は見事だと思います。
明応元年(1492)に沼田氏によって城館が築かれたのが始まりとされ、武田勝頼が沼田領を手に入れるため真田昌幸に城を築かせ、昌幸はここを拠点に沼田城を攻略しました。歴史的に沼田城と最もかかわりの深い城です。

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しんちゃん

立地条件最高 (2025/02/02 訪問)

得意先の守衛殿に「暖かくなってきましたね~」と呑気なことを言ったら「夜はさむいよ~」と返しがありました・・大変ねえ。
某アプリに踊らされている毎日ですが、それも今月までです。ちなみに今は「三増峠の戦い」の真っ最中です。私はなぜか北条軍・・貫も両もクそみたいにあるので、どんどん投入しています。勝たなきゃ意味ないんだよ~(めっちゃ踊らされてる)。

沼田城の写真が残っていました。河岸段丘に築かれた城の代表的なもので、城郭として理想的な立地条件にあります。
関ヶ原の合戦では真田信之の妻・小松姫が武装した姿で真田昌幸・信繁父子を追い返したエピソードが有名です。某アプリの得点でゲットできないかな・・いかん獲りつかれ始めてる。

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しんちゃん

大沢城 (2025/02/01 訪問)

大沢城は静岡県松崎町の道の駅「花の三聖苑」の近くにある山神社の背後の丘陵に築かれていました。城びとの城では無く、城というよりは砦に近いです。足元に気を付ける必要はありますが、登城道が付いていて比較的簡単に主郭にいたります。
主郭には土塁が残り、西には腰郭と堀切、東側にも郭と堀切があり、コンパクトながら遺構はそれなりに充実しています。ここも某アプリのイベントで訪問しています。

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トク

⑩【護佐丸と沖縄6城】(5)首里城(2/2) (2025/02/07 訪問)

5城目、首里城の続き(2/2)です。奉神門から中の御庭(うなー)へ入りました(写真①)。ここからが有料エリアで、復興中の正殿の工事現場を見学する事ができます。

首里城が本格的に歴史に登場してくるのは、1429年に首里城を居城とした中山王で、琉球を統一し琉球王国をつくった尚巴志(しょうはし)です。護佐丸はこの国王(尚巴志)に仕え、琉球の統一に最も貢献した側近で、国王が最も信頼していた人物でした。という事は、護佐丸も何度もこの首里城に滞在し、政事を補佐していたという事になりますね。

首里城は過去に6回火災で焼失したとされています。現在の首里城は、まだ記憶に新しい6回目の令和元年に起きた、あの大火災からの再建中で、来年(2026年)秋には正殿が完成する予定だそうです。現在はその正殿の工事が着々と行われており、その様子を見学する事ができました(写真②③④)。朱色も前回の平成の再建から少し色を変えて、昔により近くしているそうです(写真⑤)。奉神門はその塗り替えがすでに完了した門で、朱が以前の赤燈色から赤茶色(あざやかな赤から少し茶色に近い赤)に変わっています(前回写真⑦)。この赤い色は久米島の赤土から取られた色だそうで、ここが正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門なので、つまりもうここまで完成しているという事です。あとは唯一残るは正殿だけ! その完成が待ち遠しいです。

5回目の火災は1945年太平洋戦争の時というのも皆さんはよく御存知と思います。では1回目の火災はいつだったのか御存知ですか? それは前回お伝えした1453年尚氏の跡継ぎ争い「志魯布里の乱」の時です。この乱の後、第6代の王となった尚泰久は、自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせますが、阿麻和利はこの親しくなった関係を逆に利用して、勝連城から密かに船で抜け出して首里城へ行き、護佐丸が実は王を滅ぼそうとしていると讒言します。それを信じてしまった王は、阿麻和利に国王軍の旗を預け、護佐丸討伐を命じるのでした。国王は見事に騙されてしまったのです。国王軍の旗を持った阿麻和利の大軍が中城城に迫ります(護佐丸阿麻和利の乱)。しかし護佐丸にとっては全く身に覚えがありません。しかし時すでに遅く、もはや阿麻和利の大軍に囲まれ絶体絶命のピンチです! このままでは危ない! さあどうする護佐丸?

私は、首里城の正殿の裏にある東のアザナに立ってみました。とてもいい眺めでした(写真⑦⑧)。また北側の城壁から見た景色もとても美しかったです(写真⑥)。そして西のアザナからは那覇市街が一望できました(写真⑨⑩)。護佐丸は尚氏6代に仕え、ここで共に政事を行っていたので、同じように何度もこの景色をここから眺めたと思います。その時いったい何を考えていたのでしょうか? 尚氏への忠義と琉球王国の繁栄を、ただ願っていただけなのではないでしょうか・・・

次は、護佐丸阿麻和利の乱の舞台となった、護佐丸最期の居城「中城城」に続きます。
 

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にのまる

横山城(鹿児島市桜島横山町) (2025/01/20 訪問)

鹿児島本港から桜島港へは片道15分で運賃は¥250。路線バスや電車に乗る感覚で簡単に乗れました。
徐々に近づいてくる桜島はとても迫力があり、島原半島へ渡ったのとはまた違ったドキドキ感がありました。

下船後、さっそく自然恐竜公園を目指します。
このお城の存在は“ニッポン城めぐり”で鹿児島城をポチッとするまで知らなかったのですが、桜島港から徒歩圏だったので、桜島観光の目的地としました。(「城びと」は未登録です。)

山頂への坂を登るにつれ開けてくる視界。迫りくる岩肌。
地理地形に疎く、どの部分を指して桜島というのかも、反対側が大隅半島と陸続きだということも知らなかったという体たらくですが、これまで見たこともなかった世界に「すごい!」「かっこいい!」をひとり連呼しながら登りました。忘れられない光景です。

到着した自然恐竜公園には想像を超える大きな恐竜たちがたくさん!
そして大きな滑り台。
す…滑ってみようか?
九州の果てまでやってきた開放感のせいか、そんな気持ちがじわじわと湧いてきました。
滑り台のあるお城にはいくつか行ったことがありますが滑ったことはなかったような。
ということで周囲に誰もいないことを確認してスタート!
たっ、楽しい😃
お城滑り台、癖になりそうです(^^)

城址はさらに奥の方のようで、道が続いているのも確認しましたが、それ以上は進まずに下山しました。

また、桜島港に説明板があったのですが、薩英戦争時には島津家により砲台が設置され、渡ってきた航路も戦闘の舞台だったということを知りました。薩摩の歴史を知り尽くすのは2日程度の滞在では到底無理ですが、その一片だけでも知ることができてよかったです。

再びフェリーで鹿児島本港へ戻ります。
外せないのが桜島フェリー名物、やぶ金のうどん!オーダーストップ間際で注文でき、出港前にいただきました。やわらかめの麺にさつま揚げ。やさしいお味でおいしかったです。

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朝田 辰兵衛

砦という感覚にはなりづらいです… (2025/02/22 訪問)

境内は広くフラットなので,砦という感覚にはなりづらいです。当時の地形図と比較しながら散策すると,一味も二味も違ったのでしょうけど…。多摩川の河口付近で,大きく蛇行している内側に位置します。地理的条件はヒントになりそうです。

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小城小次郎

五十嵐という地名はない? (2024/04/29 訪問)

五十嵐神社と五十嵐川と五十嵐氏が住んだ五十嵐館があるのに地名としての五十嵐は存在しないのが不思議。全国の五十嵐さんは垂仁天皇の皇子を祖とするここの五十嵐氏がルーツとか。圃場整備を免れた土塁囲みの館が美しい。

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しんちゃん

錦帯橋 (2013/10/04 訪問)

4日で近畿から九州まで、ニッポン城めぐりの城攻めをしてきました。月間ランキングがかかっているので、ゆっくり見て来れないのがもどかしいところ。それでも幾つかメジャーな城を見て来ています。岩国城も訪問する予定でしたが24日は雪でバイパスが封鎖され無事に帰れるかすら怪しくなってきました。はい、天気予報は見ていません。
岩国も吹雪で錦帯橋がかろうじて見える感じ、周囲は真っ白です。本来はロープウェーで楽に上まで登れるはずですが、この日は攻城を断念。一日ほぼロスってしまいました。それでも今月882城・・・たぶん大丈夫でしょう。空飛ぶ車があれば、一日500くらい攻城できそうだけど、やはり一城づつ丁寧に回って行くのが本来の城攻めですね。来月から緩く「城びと」も「ニッポン城めぐり」も攻めていきたいと思います。この日は帰りの滋賀のバイパスで異能の者を発見!! もっちんか!? テンションがあがりますが、「長谷川等伯」でした。
しばらく落ち込みましたが、贅沢な話ですね。安土桃山を代表する画家で豊臣秀吉や徳川家康と同じ時代を生きた人物です。

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しんちゃん

21棟の建物が待っている。

これも10年くらい前の写真です。サンタがいるところを見ると年末くらいですね。四国は高松城や徳島城の他にも現存天守も多く、城好きにはなかなか見ごたえのある所です。「伊予松山城」とも呼ばれますが、ただ松山城と呼べばこの城を指すと思います。
それだけ別格感のある城だと思います。大天守を含む21棟が国の重要文化財に指定されていて、かつては40を超す建物がひしめき合っていたようです。城は城山に築かれていますがリフトで簡単に登ることができます。

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しんちゃん

玉藻城

高松城の投稿です。これも10年くらい前の写真です。某アプリの日間ランキングを狙って21日に近畿一帯を廻っています。150も回ればいけるかなと考えていたのですが193攻城する猛者が出現しました(当日中)。こちらは既に近畿が落ち着いて2号線の渋滞に巻き込まれていたので、どんどん離されていきます。
作戦変更で淡路経由で四国の北側を周遊する荒業を使いました。日間ランキング一位の異名は「独眼竜」です。ついでに一日150以上回った人に与えられる「まことの武士」の異名もゲット。おれ200以上回ってるんだけど・・・
四国を廻っている時に高松城の目の前を通過しました。なかなか良い城なのでゆっくり回りたいのだが今月はあきらめます。
「日本一の兵」の異名をゲットしたら、本来の城攻めスタイルに戻してゆっくり回って行きますよ。高松城は別名「玉藻城」と呼ばれ、最大の海城と呼ばれています。かつては「唐造り」の天守が本丸にそびえたっていたようです。古写真で見ると四階が小倉城のように張り出した、なかなかイケメンな天守です。

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火ノ島豊後守正宗

金山城 (2024/07/13 訪問)

正76城目。
太田駅内の観光案内所で自転車をレンタルして10分程度で資料館に到着。
この資料館から車道沿いに10分ほど進めば山頂近くまで行けますのでそこから山頂を目指すのがベストでしょう。ただ、私はその道を知らなかったので資料館で自転車を置いて登山しました。かなり疲れました。

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火ノ島豊後守正宗

唐沢山城 (2024/07/13 訪問)

続78城目。
田沼駅より徒歩40分程度かけて登城しました。
麓まで20分。登城で20分です。登城の道はアスファルトで舗装されているので山城としては登りやすい方でしょう。山頂にある唐沢山神社の社務所にスタンプと御城印があります。
山頂で食べたおにぎりがたいへん美味しかったです。

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