石垣がかっこいい✨
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2025/05/18 23:01
記録 (2024/12/12 訪問)
石垣がかっこいい✨
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2025/05/18 22:36
2025/05/18 21:27
訪問が難しい城だが、良い遺構が残っている。 (2025/05/11 訪問)
朝田さん、今はまだ事務兄さんは買えません。とりあえず、ヤバい所は歩きます。有れば便利なのはわかってるんだけど、2WDでも行ける所は多いですよ。
仁後城の投稿です。生田川沿いの丘陵上に築かれた城で尼子城と言う別名もあります。安芸高田市のサイトに寄れば、永禄6年(1563)毛利隆元が和智誠春の饗応を受けた直後に佐々部で急死したということから、ここが和智氏の城であったという説もあるようです。
周囲がフェンスで囲まれていて一部では鉄条網も付いていることから「不発弾」になる可能性が有った城です。周囲をひとしきり歩いて確認したところゲートなどは見当たりません。案内板の設置してある個所から民家を訪問して情報を得ようとすると、ちょうど城址の入り口付近の家のお母さんと話をすることが出来ました。
城址のことを知っている方で、入り口や城址のことを少し教えてもらいました。これで「通行手形」をいただいた形になりますが、敷地内を通らせていただく必要があるので、一声かけたほうが良いと思います。
教えていただいたクリの木の場所からは入ることが出来ませんでしたが、右手に少し行った場所のフェンスの接合がヒモでされているので、これをほどいて隙間を広げて入ります。この日が旅行の最終日で、この一つ前に訪問した城でだいぶ気力を使ってしまっているので、だいぶカンが落ちています。枯葉がかなり積もっていて、斜面も急なので足を滑らせないように注意して進みます。
道も付いているようですが、とぎれとぎれなので、まずは直登で東の郭にたどり着きます。お母さんの話では、ここに井戸が有るようなのですが雑草に覆われ確認は出来ません。まずは主郭を目指します。西に進むと大堀切に遭遇しました。写真で見てもかなりの大きさです。わくわくしてきますね。堀切を越えると主郭東の腰郭に到着です。そこから主郭を目指していきます。
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2025/05/18 19:32
恒例のクイズ返しを…
にのまるさんクイズ,全問正解とのこと,安堵しました…<笑>。
ということで,にのまるさん,赤い城さんにクイズ返しです。
神奈川県からこんな画像が出てきました。
眺望されているお城もですが,眺望している場所もお答えください。
そうそう,本日無事に双六館&ゴジラ岩に行ってきました。
撮影画像が整理でき次第,アップいたします。
しんちゃんさん,事務荷ーを検討中ですか。これはサイコーの鉄馬だと思います。
ビューポイントも高い位置にあるので,轍を避けながらの山道走行には適しています。
ただ,難点があるとすれば…
①横風にあおられやすい。とくに高速道路は要注意です。
②タイヤはでかくて安心なのですが,車のサイズに似合わず重いです。タイヤ交換を自分で行う場合,けっこう体力を必要とします。
結果して何を選択するのか興味があります…。
甘粕近江守景持さん,お久しぶりです。
貴重な情報,ありがとうございましたm(__)m
忘れずにいていただけたことが嬉しいです。
また,状況の進展がございましたら,情報提供していただければ幸いです。
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2025/05/18 19:17
2025/05/18 18:28
2025/05/18 18:22
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2025/05/18 17:47
2025/05/18 17:38
2025/05/18 17:24
甘粕近江守景持のお墓に関して
朝田様、情報の御修正ありがとうございました。
一部変換ミスがあったようなのでご指摘をさせていただきますが、甘粕近江守の菩提寺は、米沢市の栄松寺にございます。
残念ながら、何の案内もなくお墓も朽ちて分かりません。
私は、子孫で、明治くらいまでの戒名が分かるので、江戸末期の甘粕近江守の子孫の景弘の自然石墓石を本堂横の切り株があるとことに見つけることが出来ます。
その辺一帯が、甘粕近江守一族の墓の後だと思われますが、現在、私が、供養塔を建てるべくご住職と相談を始めたところです。
また、本堂の裏手には近代の墓となりますが、明治頃の甘粕近江守子孫(景弘とは別系統)の重教さんの墓があります。
こちらは、私の祖父の大叔父に当たる方です。
お時間がゆるせば是非、お参りください。
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2025/05/18 17:22
【伊予 川之江陣屋】愛媛県四国中央市 日本唯一の陣屋二階表門が見所 (2025/05/14 訪問)
8年前に仏殿城(川之江城)模擬天守を訪ねた折り、一柳氏の陣屋跡が在ったと認識はしていたのですが、詳細地盤を把握して居なく見逃しておりました。今回家内の要望で祖谷のかずら橋観光見学を終えて、愛媛県四国中央市へ移動して、川之江陣屋跡(一柳直家公陣屋跡)と移築された陣屋二階表門を探訪観察する事が出来ました。
陣屋跡住所:愛媛県四国中央市川之江町1889
同上駐車場:走行車両も少なく石碑前の銀行空スペースに路駐(34°00'43"N 133°34'25"E h=10m)、(約40m西に駐車場有り有無料不明)
川之江陣屋の石碑と案内石盤は栄町集会所の西手前に設置されています、南前には愛媛銀行川之江支店川之江町出張所があります。
石碑は一柳直家公陣家跡と刻まれいます、案内石盤は一柳直家公陣屋跡と刻まれて解説文も刻まれています。約1万坪の広さが在った様です。一柳直家が病亡寛永19年(1642年)した後、養子届出遅れで一柳直次は28,000石を10,000石に減らされて播州小野に移封、以後は幕府直轄領へ。現在は商店街として栄えている?
移築陣屋二階表門住所:愛媛県四国中央市川之江町2567(川之江八幡神社内南東隅)
同上駐車場:神社の西に未舗装駐車場余裕の広さ、神社境内南に参拝者駐車場も有る。
川之江八幡神社の南東の一隅に二階表門が移築されて居ります、裏の楠の大木が表門を覆っている様です、陣屋表門で二階建てが残って居るのはここの一柳陣屋(川之江陣屋)が日本で唯一の現存建物だそうです。
認識してから8年経って現物を見学する事が出来ました、大切に残していきたい建造物文化財です。
また、川之江八幡神社の山門には算額が多数掲げられていました、川之江は交通商業の要所で商人が栄えて和算が多く振興していたのでしょう、流石伊予、土佐、阿波、讃岐が縦横に結ばれた要所を窺わされます。
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2025/05/18 16:55
2025/05/18 16:34
犬山城 (2025/05/10 訪問)
お伊勢参り前の城🏯巡り
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2025/05/18 13:18
黒田長清 (2025/05/04 訪問)
直方陣屋は直方氏体育館から北の多賀公園一帯にかけて築かれており、丘地の先端に築かれていて東側より高地になっています。、東蓮寺四代藩主(後の直方藩)・黒田長清の居館跡とされています。元禄5年(1691)長清が5万石に加増されたのを機に、平地にあった東蓮寺陣屋を廃して、現在の御館山周辺に陣屋を築いたとされています。
当地にあった「妙見社」を北側に移して多賀神社とし、北の守りと城下の鎮守としました。城の規模は一辺53間半(約91m)の方形で周囲に築地塀を巡らし、南に門を配置しました。西側には溜池を配し、南から東にかけて水路を巡らし、堀として活用したようです。櫓は無く、石垣もあったようです。公園と神社の間は堀切のようになっていて橋が架かっています。
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2025/05/18 13:02
2025/05/18 12:38
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