いえきじょう

家城城

三重県津市

別名 : 頭ヶ谷城
旧国名 : 伊勢

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北側の2段目の堀切
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しんちゃん

主郭の南北を堀切で遮断している。 (2023/10/15 訪問)

家城城は北畠氏に仕えた家城主水頭之清の居城で、之清は槍の名手として名を
はせたと伝わります。大河内城を織田勢が攻めた際には日置大膳・長野左京亮らと
共に敵を迎え撃ったとされています。主家の北畠具教が三瀬の変で殺されると
天正5年(1577)北畠具親の挙兵に応じて参上しますが、日置大膳らに攻められ
川俣の戦いで討ち死にしたそうです。登城道は民家の近くのフェンスに扉があり
害獣除けの針金を解いて入っていきます。車はT字路の近くに一台留めることの
できるスペースがあるので利用させていただきます。谷間の左手に道があり
ここから登ると楽らしいですが、前日の雨で足元がすべるので、登れそうなところを
登って上方に上がっていきます。尾根が左右に見えますが左手の尾根から回り込む
ように右手の城域に北側から侵入します。2段の堀切を越えて主郭に入ると土塁や
櫓台らしい高まりがあります。一度主郭から降りて南側に回るとそちらにも堀切
や郭があります。この日はもう暗くなってきたのでここで探索は終了にしました。
帰途で確認したのですが西の尾根にも堀切が縦断しており、西側からの敵の侵入
に対応しているようです。明確な登城道が無く、雨の日やその翌日には足元が
すべるので、ある程度の注意が必要です。

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じゅんじん

林道から (2022/12/30 訪問)

工事現場らしき付近から入ります。主郭には小さな看板がありました。

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YAICHI

北畠軍槍の名手 (2018/11/17 訪問)

城主家城主人正は、北畠軍きっての槍の名手であり垂水鷺山の戦いや大河内城の夜戦で武功をあげたとされています。主君北畠具教が討たれた後、一度は織田に恭順しますが、弟具親の挙兵には呼応し、川俣谷の戦いで討死したと伝わっています。城山北側は、害獣柵で囲まれていたので西側の林道を利用し工事現場付近に駐車。土壇のある主郭が二重堀切に守られています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 家城主水正
築城年 正中年間(1324〜1326)
主な城主 家城氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、腰曲輪、堀切
再建造物
住所 三重県津市白山町南家城字上広