豊後竹田からタクシーで岡城まで。
暑いので諦めていたが、タクシーなら行けることがわかりお願いしちゃいました。昔の人は凄いなあ。楽して御免なさい。素晴らしい石垣、素晴らしい景色でした。
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2025/07/06 14:21
2025/07/06 12:23
白河小峰城 (2025/09/15 訪問)
白河小峰城の投稿が止まらないので、無印で投稿。三重櫓の脇には人柱となった「おとめ」を憐れんで植えられた「おとめ桜」が立っています。あくまで伝説とは思いますが、実際の所はどうなんだろ? 郡上八幡城の人柱キャラクター「およし」ちゃん(非公認)がシンパシーを感じていたようだけど。
帯曲輪門跡を抜けて富士見櫓台から雪見櫓台までの本丸西面の石垣を見に行きます。しかし「月見」「富士見」「雪見」と櫓の名前がみな、オシャーですな。某アプリで私の放った忍びは某所で〇〇〇見ばかりしているようですが、えらい違いだぜ。
本丸西面から北面にかけて、案内板で修復箇所の説明をしてくれているので解りやすい。西面と雪見櫓の境目はわずかに外開きになっているのだが、接合部の石をその形に合わせて加工している。
「変態」だっ!
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2025/07/06 11:47
造形美の極み (2024/09/15 訪問)
周囲の石垣を見に行く前に、まずは再建された三重櫓を見に行きます。櫓とはいえ実質天守と言って良い建物です。三層目をあえて小さく造っていることで、逆に高くそびえ立っているように見えます。遠近法を利用しているのだと思うけど、何度見ても素晴らしい「天守」です。内部がエレベータでギチギチの鉄筋コンクリートの天守も素晴らしいと思いますが、俺はこっちの方がずっと好きだな~。
本丸御殿が無い分、前御門と三重櫓の組み合わせを、あらゆる角度から十分堪能できる。黒塗の板を張った「下見板張」となっていて、黒と白、そして青い空とのコントラストがまた素晴らしい。
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2025/07/06 11:09
震災からの復旧 (2025/09/15 訪問)
平成23年3月11日の地震(東日本大震災・現地震度6)により白河小峰城の石垣が9か所にわたって崩落してしまいました。さらに余震で1か所が崩れ、その後14年もの歳月をかけて今の状況まで復旧が進んでいます。まさに血のにじむような努力ですね.・・
グッジョブです!! (一言で済ますな)
グッジョブと言っても、最上級のグッジョブです。本丸南面の崩落はかなりの物だったようですが、特徴的な逆アーチの石垣を含めて見事に復旧しています。大きなダメージを受けた月見櫓台や本丸北・西面の石垣も復旧がされていました。大手についている清水門は復元工事中なので通行は出来ませんが、復元が成された際には必ず見に行きますよ。
石垣だけの城も素晴らしいと思いますが、イチゴの乗っていないショートケーキみたいで、何かが足りない気がする。これは言ってはいけないやつだったか・・・・・
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2025/07/06 09:55
太鼓やぐら (2024/09/15 訪問)
そういえば、白河小峰城は「だるまバーガー」の投稿しかしてなかった。二ノ丸茶屋で売っている「武将だるま」は絶対買いですぜ。
太鼓櫓は元は二の丸の南側入り口にあたる太鼓門西側に立てられていたそうです。明治7年より民間に払下げられ、幾度かの移築・改修を受け現在に至ります。定期公開もされているようなので、入れた人はラッキーかも。
城内の案内板を参照にすると、興国・正平年間(1340~69ごろ)白河庄の領主・結城宗広の嫡男・親朝(小峰家)により築かれたのが始まりのようです。やがて内紛で小峰家が力をつけ白河結城家を代表するようになりますが、豊臣秀吉の奥州仕置によって白河結城家は改易され、白河小峰城には城代が置かれました。
寛永4年(1627)白河藩が立藩し、幕命を受け、4年の歳月をかけ梯郭式平山城の近世城郭として大改修を受けました。
戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の戦いに巻き込まれ、城内の多くの建物は消失しましたが、平成3年に三重櫓・6年に前御門が木造で忠実に再現されました。
本丸の石垣はところどころ逆アーチの積み方をしている箇所があります。面白い積み方だけど意味があるのかな?
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2025/07/06 09:26
滝山城 (2025/06/14 訪問)
八王子駅からバスで登城。入り口わかりやすかったです。
案内板がたくさんあり、整備された平山城です。
雨でもギリ楽しめます。
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2025/07/06 09:21
鉢形城 (2025/06/14 訪問)
駅から近いので徒歩で行けます。
が、電車の本数が少ない時があるので確認した方が良いと思います。
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2025/07/06 05:04
(東海&関西)遠征19日目:神倉神社(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)
神倉神社前バス停から徒歩2~3分で、神倉神社第1駐車場(33.724345、135.984619)に着きました。
神倉神社は城跡ではありませんが、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産のひとつ、熊野速玉神社(熊野三山)の飛び地摂社にあたります。
神倉神社第1駐車場から500段以上(538段らしいですが、数えていません)の急峻な石段を登り社殿を目指しました。
御神体はゴトビキ岩で、ゴトビキはヒキガエルの方言。ゴトビキ岩を袈裟岩が支える構造になっています。
ゴトビキ岩は天に向かった男根を祀っているようです。
社殿下の広場は新宮市と海を見晴らすビュースポットです。
小雨が降る中、暗くなり始めた石段を下りるのは本当に怖かったです。石段に手を添えて這って下りる感じで、登りより下りの方が時間がかかりました。
観光時間は30分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先へは、ここから徒歩で向かいました。
歩行歩数=38676歩、歩行距離=27.1Kmです。
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2025/07/06 04:58
(東海&関西)遠征19日目:熊野本宮大社(和歌山県田辺市) (2025/06/02 訪問)
熊野御坊南海バスの「悠遊フリー1日乗車券」を購入し、熊野本宮大社に来ました。帰りのバスもこの乗車券で帰ります。
計算しましたが、翌日に那智の滝&熊野那智大社を行くことを考えたら「悠遊フリー2日乗車券」=3500円を購入した方が割安でした。
本宮大社前バス停から徒歩2~3分で、熊野本宮大社大鳥居(33.838722、135.774630)に着きました。
熊野本宮大社は城跡ではありませんが、熊野に来たら世界遺産である熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を訪問しようと思っていました。
以下の順番で巡りました。
①:熊野本宮大社
・大鳥居(表鳥居) ・瑞鳳殿 ・宝物殿 ・多羅葉のご神木と黒い八咫烏ポスト(見逃しました) ・亀石 ・黎明殿 ・神門 ・拝殿 などを見学
②:祓殿石塚遺跡(33.843911、135.772179)
③:熊野古道中辺路石畳道(33.845430、135.770897)
④:ちょっとよりみち大斎原展望台(33.847651、135.769630)➡歩いても展望台は見つかりませんでした。
⑤:大斎原の鳥居と産田社
観光時間は90分くらいでした。次の観光先=神倉神社を目指す為、本宮大社前バス停からバスで神倉神社前バス停に向かいました。
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2025/07/06 04:50
(東海&関西)遠征19日目:徐福公園(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)
浮島の森から徒歩10分弱とで、正門前(33.725648、135.995471)に着きました。
古代中国の始皇帝の命により不老伏の薬を捜しに来た徐福が祀られている公園です。
立派な正門や裏門、不老不死の池があります。
徐福のお墓ほや徐福の重臣たち7人を祀った七塚の碑もあります。
観光時間は20分くらいでした。次の観光先=熊野本宮大社へ向かう為、新宮駅バス停からバスで本宮大社前バス停に向かいました。
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2025/07/06 04:43
(東海&関西)遠征19日目:浮島の森(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)
越路城(城びと未登録 和歌山県新宮市)から徒歩20分くらいで、浮島の森入場口(33.725903、135.990506)に着きました。
泥炭層の沼が分離して浮いた部分が島になっているそうです。
ちなみにいたる所が沼化しているので、桟橋から下りると危ないらしいです。
入館料は110円で、9:00~17:00まで開いています。
観光時間は15分くらいでした。次の観光先=徐福公園に徒歩で向かいました。
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2025/07/06 04:37
(東海&関西)遠征19日目:越路城(城びと未登録 和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)
堀内新宮城から徒歩15分くらいで、進入口(33.720424、135.979407)に着き、そこから、千穂ヶ峯登山口に向かいました。
築城時期、築城者など不明のようですが、戦国期に奥熊野を統治し、新宮に屋敷を構えた堀内氏善が、築いたと推測されているようです。
1614年(慶長19年)北山一揆が起きたとき、一揆勢を防いだ山城と考えられています。
攻城時間を完全に誤りました(計画は50分)。登城口から1/3くらいの三郭(第2展望台付近)までに30分ちょっとかかりました。
このまま攻城すると主郭までの残り距離を考えると単純計算で90分かかることになります。(下城も考えると150分コース)
予定ではこの後、熊野本宮大社をお参りすることを考え、ここで引き返すことにしました。
三郭までしか行っていませんが、それでも十分見ごたえのある城跡でした。
攻城時間は50分くらいでした。次の観光先=浮島の森に徒歩で向かいました。
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2025/07/06 04:30
(東海&関西)遠征19日目:堀内新宮城 (2025/06/02 訪問)
新宮周防守屋敷(城びと未登録 和歌山県新宮市)から徒歩2~3分で、全龍寺山門前(33.726514、135.986075)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、天正年間(1573年〜1592年)初期に堀内氏善によって築かれ、新宮屋敷の新宮行栄を敗り熊野地方を統治すると、和田森城から堀内氏屋敷へと移りました。
堀内氏善の父・堀内氏虎は1550年(天文19年)頃、内紛により衰退した有馬氏に次男若楠(後の氏善)を養子に送り込み乗っ取りに成功、1574年(天正2年)氏虎が没すると氏善が跡を継ぎ新宮西端の佐野に和田森城を築きました。
その後、氏善は尾鷲三木城や紀伊長島城を攻略、熊野三山の観光資源確保に努めましたが、織田信長が伊勢・北畠家を滅ぼすと織田氏に臣従しています。
1591年(天正19年)豊臣秀吉より熊野統治の支配権を与えられ、堀内新宮城を居城としました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦では石田三成方として西軍に属し敗れた為、海部郡加太村(現在の和歌山市加太)に蟄居後、肥後国加藤清正の宇土城代を勤めたが、1615年(元和元年)熊本城内で没しました。
全龍寺山門脇に案内板がありました。西側に水路が残っていますが写真を撮り忘れました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=越路城(城びと未登録 和歌山県新宮市)に徒歩で向かいました。
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2025/07/05 23:16
相馬中村城とも なかなか守りは堅く (2025/01/01 訪問)
中村城は一般的には相馬中村城の方が周知の方も多いと思う。歴史はかなり古く、はじめに坂上田村麻呂によって築かれたとされています。南北朝時代には中村朝高によって館が築かれたとされ、代々中村氏の居城であったが戦国時代に相馬氏の城になりました。相馬氏の本城は小高城であったので、中村城には城代が置かれました。
慶長16年(1611)相馬利胤は、本城を中村城に移し、中村藩6万石の城として、見事な近世城郭として改修を施しました。本丸を中心に堀や曲輪が配されていますが、かつては本丸北側を空堀とすることで外周に二重の水堀を設け(蓮池を内堀に転用)実質、三重の堀切を設け北側への防御を固めて有りました。有事の際には内堀から水を引き北側に三重の水堀を展開することが可能だと思います。
藤堂高虎も津城の西側に用水路を設けて、実質的に三重の水堀にしようと計画していましたが、思いとどまっています。外様で6万石の藩が三重の水堀を設ければ、幕府の要らない警戒を招くという判断だと思います。
北の伊達氏に対する警戒と幕府に対する配慮からの折衷案ではないでしょうか。本丸の南側には鉢巻石垣が残っていて、東二の丸との間の堀切が残っており、赤い橋が架かっています。本丸南側の水堀は埋められ広場となっています。
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2025/07/05 22:06
尼崎市立歴史博物館など (2025/07/05 訪問)
尼崎城址公園から周辺を散策してきました。以前来た時は尼崎城址公園付近しか歩いていないので、先人の評価が高かった尼崎市立歴史博物館などにも行きたいと思っていました。歴史博物館は尼崎城の本丸跡に建っています。尼崎城天守閣遺蹟の石碑が構内にありますが、元々の天守閣の位置ではなく紆余曲折を経て現在の場所(内堀跡)にあるようです。歴史博物館は尼崎城、富松城などの説明もあり充実していました。
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2025/07/05 21:09
2025/07/05 21:08
不死鳥 小田氏治の居城 (2024/07/09 訪問)
JR土浦駅西口5番バス停 から関東鉄道バス「下妻駅行」または「筑波山口行」に乗車し、「小田」のバス停で下車。バス停から城跡までは、徒歩10分。
小田城跡案内所と小田の町中の二ヶ所に駐車場もあります。
小田城は、関東の名族小田氏の居城で、近年は、不死鳥と謳われた戦国武将小田氏治でも有名です。
まずは、小田城跡案内所を見学。
案内所の展示スペースでは、鎌倉時代から戦国時代の小田氏の歴史の解説や小田城の遺物や模型が展示されており、かなり見ごたえがありました。(無料で見学することができます。)
また受付の券売機で御城印が3種類販売されていたので、「不死鳥」バージョンの御城印を購入しました。(各300円)
案内所を出て、本丸方面へ歩くと、道沿いに「史蹟神皇正統記起稿之地」の碑があります。かつては本丸の南東端の「涼台」にあったようですが、整備の関係で移動したようです。
小田城は戦国のイメージが強いですが、南北朝時代は、常陸の南朝の拠点となった場所でもあり、その関係で北畠親房は小田城で『神皇正統記』を記したようです。
本丸に着くと、土塁、空堀、虎口などがきれいに整備されています。また本丸以外にも南西馬出(角馬出)、東曲輪も整備され、土橋や石積み、水堀も復元されており、かなり見ごたえがありました!!
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2025/07/05 18:07
2025/07/05 17:15
【筑紫広門】(2)勝尾城(2/3:筑紫氏館) (2025/05/15 訪問)
筑紫広門の続き(2/6)です。東橋バス停から歩く事30分、筑紫氏館へ到着しました。
筑紫氏は鎌倉時代からの名門守護大名であった少弐氏の一門とされる国人領主で、少弐氏滅亡後には、現在の那珂川市・春日市・筑紫野市・大宰府市・鳥栖市一帯の交通の要所を押さえ、背後の勝尾城(かつのお)を居城としていました。しかし山上は不便なため、祖父の満門の時に麓に館を築き、満門・惟門。広門と三代90年間を筑紫氏館で過ごし、この時に筑紫氏は全盛期を迎えます。まずその生誕の地、筑紫氏館を訪れました。筑紫広門は1556年ここで生まれます。
館には主殿や会所・庭園・台所などがあり、それらが80×100m高さ3mの石垣で囲まれていたようです(写真④-⑧)。しかし現在は木がうっそうと茂りその広さはよく分かりませんでした。そしてここが勝尾城(城山)への登山口となります(写真⑨)。さあここから登山開始です!
父の惟門は毛利氏の配下として大友氏と敵対し、博多を攻めます。その後毛利氏が九州より撤退すると、家督を継いだ広門は佐賀の龍造寺氏と手を組みます。さらに龍造寺隆信が沖田畷で敗れると、今度は島津や鍋島と手を組み、そして秋月氏らとともに龍造寺に奪われた領地を奪還しようとする大友氏と再び敵対し、大友宗麟の重臣であった立花山城の立花道雪や岩屋城の高橋紹運を度々攻めて行きました。しかし、その最中の1584年、広門は突然ある不可解な行動に出ます。それが私にはなぜだかよくわかりませんでした(🤔?)。
では次は話の都合上、勝尾城(城山山頂)の様子をお伝えする前に、間接的に広門の人生ターニングポイントとなった、猫尾城の戦いから先にお伝えします。
次は、猫尾城に続きます。
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2025/07/05 15:42
トキの森公園、佐渡ジオパーク (2025/06/17 訪問)
とばつびしゃもんさんのレポートに「朝早い時間に入館しないとトキの活動が見られない」とあったので、8:30の開園前にトキの森公園に到着。マジックミラーのすぐそこにトキが餌を食べに来ました。
青木城は、トキの森公園から南に2km ほど。親子が城内と田んぼの畔を草刈りしておられました。朝田さん投稿にある城内さんでしょうか。草刈りの邪魔にならぬように外回りを歩き、見学しました。説明板に「扇状地末端の微高地にある」「湧水を利用した水濠」とあります。
大陸プレートの東西圧縮を受けて隆起した二つの島(大佐渡、小佐渡)とその間の浅瀬が島からの土砂で埋まってできた国仲平野から、佐渡ヶ島ができています。青木城は、小佐渡側の扇状地です。両津港近くのビルの2階に、佐渡ジオパークセンターがひっそりと開いています。フェリー待ち時間にどうぞ。
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