月ヶ谷城から自転車で10分くらいで、城址東の道路側(34.811714、137.438087)に着きました。
別名、嵯峨城ともいいます。築城年は定かではないようですが、南北朝時代に和田民部によって築かれたとされ、その後、永禄年間(1558~69年)に渡辺久左衛門、1570年(元亀元年)には息子の渡辺図書助浄,渡辺山城守茂も居城したとされます。
当初は不明ですが、最終的には松平氏(徳川氏)に付き、図書助の子孫は旗本になったそうです。
和田城(豊橋市)は馬越川に面した段丘端に築かれており、春興寺の東側一帯となっています。
主郭は現在は竹林と化しています。主郭西側には土塁とその外側に空堀(横堀)が残されています。
なお、春興院は戦国時代に和田城主・渡辺氏が菩提寺として創建した寺です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=勝山城(城びと未登録 愛知県豊川市)へ自転車で向かいました。
+ 続きを読む