吉田松陰は天保元年(1830)に家禄26石を持つ萩藩士・杉百合之助の次男として誕生しました。幼名は寅之助で吉田家に養子入りした際に大次郎を名乗っています。杉家と吉田家、久坂家は養子縁組や婚姻などでの親戚筋にあたるみたいです。
誕生地は団子岩と呼ばれる丘陵地にあり萩市内を眺望できます。写真にある小山は萩城の詰城のある山でしょうか。
吉田松陰の銅像の脇の人物は久坂玄随かな?と思いましたが、下田に同行した金子重之助(重輔)らしいです。下田海岸でペリー艦隊を眺望している時の姿を再現しています。
杉家は元々、萩城下の川島に住んでいましたが文化・文政の大火を機に俳人・八谷聴雨の別荘を父の百合之助が購入し当地に移り住んだようです。その後、嘉永元年(1848)一家は松本村清水口に戻り、現在の松陰神社の境内に居を移しました。家禄26石くらいあると、いろいろ引越しも出来るみたいです。実家も松陰さんが講義を出来るくらいの広さはあったようなので。
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