羽前横山城から北上してアプローチしました。駐車場完備の円通寺から直登してみましたが、結構厳しいものがありました。天降神社からの方が若干楽かなとは思います。朝田辰兵衛さんの写真に比べると下草、熊笹が多くて見栄えがよろしくありませんね。吉川弘文館の続・東北の名城を歩く南東北遍に所収の城なのに本書をもっていくのを忘れ、Ⅱ郭や空堀はチェックし損ねました。下草が多くて入り込むのは困難だったとは思います。
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2024/11/04 07:53
日帰り羽越ドライブでの攻城③ (2024/10/20 訪問)
羽前横山城から北上してアプローチしました。駐車場完備の円通寺から直登してみましたが、結構厳しいものがありました。天降神社からの方が若干楽かなとは思います。朝田辰兵衛さんの写真に比べると下草、熊笹が多くて見栄えがよろしくありませんね。吉川弘文館の続・東北の名城を歩く南東北遍に所収の城なのに本書をもっていくのを忘れ、Ⅱ郭や空堀はチェックし損ねました。下草が多くて入り込むのは困難だったとは思います。
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2024/11/04 05:33
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:丹南陣屋 (2024/10/01 訪問)
近鉄バスの丹南バス停から徒歩5分くらいで、来迎寺境内石碑前(34.558602、135.555188)に着きました。
1623年(元和9年)高木正次によって築かれたと云われています。 高木氏は三河国碧海郡高木村を本貫とする清和源氏の後裔で、水野氏などに仕えた後、徳川家康に仕えた一族だそうです。
初代高木正次は関ヶ原合戦の後7,000石を所領とし、大坂の陣で2,000石を加増、1623年(元和9年)には大坂定番に任ぜられて1,000石を加増され、都合10,000石となって諸候に列しました。
高木正次を祖とする丹南藩は一万石のまま十三代続き、高木正善のとき明治に至る。
丹南陣屋は来迎寺の東隣に築かれていました。
案内板と石碑の写真を撮り撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、とりあえず近鉄バスの丹南バス停から羽衣駅のホテルに向かい、荷物を受け取った後、大阪府の動物園前駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=31896歩、攻城距離=22.32Kmでした。
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2024/11/04 05:27
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:一津屋城 (2024/10/01 訪問)
小山城から徒歩30分くらいで、厳嶋神社付近(34.579370、135.575662)に着きました。
一津屋城は三好駿河守の居城として知られています。その後、三好氏を追い出し河内を支配した織田信長によって高屋城や飯盛山城とともに破却されたようです。
厳嶋神社は前方後円墳を利用した出城跡のようです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=丹南陣屋を目指す為、近鉄電車で恵我ノ莊駅から河内松原駅に向かい、河内松原駅で近鉄バスを乗り替え、丹南バス停に向かいました。
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2024/11/04 05:21
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:小山城 (2024/10/01 訪問)
近鉄バスの小山バス停から徒歩5分くらいで、小山城跡地付近(34.581824、135.593665)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に志貴右衛門によって築かれたと云われています。 志貴右衛門は南朝方として八尾の別当兼幸と争ったそうです。
高屋城主で河内国守護職畠山義就は、重臣の安見備中守清時を小山城主としました。
清時、清範、友重と続きましが、1566年(永禄9年)三好康重によって攻められ落城、安見友重は交野城へ退いています。
小山城は津堂城山古墳を利用した城郭であったそうです。
津堂城山古墳は公園として整備されています。石碑や説明板は城山古墳のもので、城というよりは古墳という感じです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=一津屋城へは、ここから徒歩で向かいました。
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2024/11/04 05:14
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:狭山陣屋 (2024/10/01 訪問)
大阪狭山市駅から徒歩10分くらいで、御殿跡公園(34.508242、135.555125)に着き、その後、長屋門前(34.506945、135.555323)に向かいました。
1616年(元和2年)北条氏信によって築かれました。 狭山藩北条氏は、小田原北条氏康の五男北条氏規の嫡子北条氏盛を初代とするそうです。
小田原北条氏は豊臣秀吉の小田原征伐により、当主の北条氏直は高野山へ移ることとなりました。
1591年(天正19年)赦免されて関東と近江で10,000石の所領が与えられ大名として復活しますが同年に没し、その遺領のうち下野国4,000石と北条家の名跡を北条氏盛が継ぎました。
さらに1598年(慶長3年)父氏規が没すると、その家督を継いで遺領7,000石が安堵され、計11,000石となって大名に列しました。
二代北条氏信は1608年(慶長13年)わずか八歳で家督を継ぎました。1616年(元和2年)この氏信のとき下屋敷に陣屋が構えられ、三代氏宗のとき上屋敷が完成しました。
1782年(天明2年)北条氏あきら(日方)のとき火災によって陣屋は焼失しましたが、1786年(天明6年)以降に再建されたようです。
狭山陣屋は狭山池の東方に築かれていました。狭山池に流れる東除川を境に北に上屋敷、南に下屋敷があったようです。
陣屋御殿は上屋敷にあり、御殿跡の一角に小公園があり、説明板と石碑が設置されています。
公園と小学校との間に長屋門(有限会社狭山開発の看板が上がっています)があります。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は5分で早々に撤退しました。次の攻城先=小山城を目指す為、大阪狭山市駅から電車(南海線➡近鉄線)➡近鉄バスを利用して小山バス停に向かいました。
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2024/11/03 23:57
ラーメン食べすぎですね でもやめられない (2024/11/03 訪問)
ぴーかるさん、ラーメンの件、すみっこにちっちゃく書いただけなのに読んでいてくれましたか。すごい嬉しいです。
東海で行くとこが無くなっちゃったので、昌官忠さんのあとをくっついて行くように奈良・大阪を車で回りましたが、いろいろ手洗い洗礼を受けました。心が折れかかっていますが、数日でもとに戻ります。
「上越家」のラーメンもどのラーメンもおいしそうです。
今日は大阪の河内らーめん「喜神」の「醬油とんこつらーめんめちゃうま」とライスを頂きました。思ったよりあっさりで食べやすかったのでミニチャーハンでも良かったかな?と思っています。もちろん、とても美味しかったです。大阪は美味しそうなラーメン屋や武将の名前のついたラーメン屋が多いですね(謙信とか清正とか)。
年齢的にこってりがキツくなってきましたが、ベストは程よく「こってり」「あっさり」です。矛盾しているようだけど長浜市の「長浜ラーメン」はすごい好きな味です。海洋堂ミュージアムの近くですね。滋賀県に遠征に行ったら10人前くらい箱買いしてこようと思ってます。
佐賀県佐賀市の喰道楽 大和バイパス店で食べたラーメンもメチャ旨でした。とんこつラーメンとちゃんぽんの中間のような味で、そのバランスはまさに「神」でした。思い出の中で美化さえているかもしれませんが、もう一度食べたい味です。
長崎の井出ちゃんぽん(どの店だったかな)は、もやしがすごいことになっています。数年前は食えたけど、今これが食えるかな?
載せきれなかったけど、鹿児島で食べたとんこつラーメンもすごく良かった。思い出はいつもラーメンの味です(食べ過ぎ!)
※掲載の都合で「鳥人」のラーメンがラストになってます。
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2024/11/03 20:15
他に例がない銃眼のある石積櫓 (2024/10/12 訪問)
西エリアに続きまして、東エリアを投稿させて頂きます。
陣屋跡の虎口両側に石塁が築かれ、中に入ると緩やかな斜面が広がり、周囲は高い岩場になっています。
その西側上と北東側上の両方の尾根に見事な砲座があります。
陣屋跡から石積櫓へ行くには、長い梯子と断崖を通る必要があり、高所恐怖症の私としては怖かったですが、無事に着き石積櫓を見れて感動しました。
銃眼を備えた楕円型の石造りの櫓で、他に例がない貴重な遺構です。
銃眼とされますが、視界は山ばかりですし、断崖に囲まれたこんな所には攻めて来ないのではとも思われ謎です。
黒田軍に備えて、北西・西側方面の監視や情報伝達のための櫓のように思いました。
石積櫓は思ったほど怖くなかったので、弓形砲座にも行こうか迷いましたが、弓形砲座は更に危険で再度麓から登り直す必要があるらしく時間がなかったので断念しました。
大規模な山城で、石塁、堀切・竪堀、砲座、石積櫓など見所が多く、大変見応えがありました。
黒田軍に攻められ、内応者が出たこともあり、3日で落城したともされますが、力攻めで落とすことは難しい堅固な山城だと思いました。
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2024/11/03 19:23
長大な登り石塁が圧巻の山城 (2024/10/12 訪問)
特異な石造りの城として有名な長岩城へ念願叶って行くことができました。
宇都宮氏一族の豪族 野仲氏の居城で、初代城主野仲重房が建久9年(1198)に築城したと伝えられます。
天正16年(1588)、城主の野仲鎮兼は黒田長政の大軍に攻められて落城し、廃城になったとされます。
谷を挟んだ東西の山に築かれ、東側の陣屋跡・石積櫓などのエリア、西側の各城戸・本丸などのエリアに分かれます。
見所が多いため2回に分け、まず西エリアを投稿させて頂きます。
一之城戸、二之城戸、三之城戸、東之台から本丸、西之台の至る所に石塁が張り巡らされています。
石塁は鉄平石と呼ばれる平べったい石が使われていて、長野県の山城で見た石積と似ていました。
三之城戸の長大な登り石塁が圧巻で、途中で折れもあります。
東之台から本丸までの登り石塁は更に長大で、両サイドに竪堀も並行しており圧倒されます。途中で砲座のような箇所、折れと横矢掛かりの箇所もあり巧妙です。
三之城戸、東之台から本丸の急な斜面の登り石塁は高く、斜面の横移動をさせない障壁です。
黒田軍が攻めて来る際に野仲氏が築いた石塁だとすれば、これ程の石を積むとは野仲氏や立て籠った人達は黒田軍に対してかなりの恐怖心や必死さを感じました。
本丸へ東之丸側から入る虎口は枡形状で、腰曲輪に入った後は左に折れ、更に右に折れて本丸へ上がるルートでテクニカルです。
本丸は割と小さめの曲輪で、西側以外の三方は腰曲輪が取り巻いてます。
本丸から西之台の間には、一文字堀虎口・一文字土居虎口と書かれた石塁の虎口があり、一旦右に入り、再度左に入るルートかもしれませんが、真っ直ぐに進むルートもあり構造はイマイチよく分からなかったです。
西之台の北側尾根は三重の堀切で守られており、堀切から竪堀となり下へ伸びています。
特に三重目は大きな堀切で竪堀も長大です。
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2024/11/03 18:48
鳴岩城 (2024/10/12 訪問)
【鳴岩城】
<駐車場他>東光寺駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>主郭土塁(櫓台?)
<感想>日帰り丹波の黒枝豆購入と城攻めの旅2城目。初投稿いただきます。鳴岩城の詳細は定かではありませんが、城びとの城郭情報では主な城主に夜久氏がいます。見てきた城の規模や簡素な構造から戦国期以降の完全防御の籠城戦の感じではなく、麓居館から少人数で一時的に守れる詰め城という印象を受けました。
登城口は東にある東光寺の裏の墓地から簡単に登っていけます。林道があるので迷う事はありません。墓地を抜けるとお寺に寄進された塔がある削平地に出ます。城跡の曲輪跡のようにも見えなくはない(理由は後述)と感じました。塔の奥から杉の植林整備された尾根道に入ります。土橋のような尾根道、右手(北側)に緩傾斜の扇状地を見つつ通ると切岸が立っているのでそこが主郭となります。
主郭へは東から進入しますが虎口はなく、虎口は北側に1か所切通しの土塁虎口があります。主郭の西隅に土塁のような盛り上がりがあり、大きさから見て私は櫓台ではないかと思いました。主郭の北から西にかけて帯曲輪が走っていて主郭の西に薄い堀切になって帯曲輪と結んでいます。主郭から北・東・西と尾根が伸びて(南は崖)います。西方向の尾根は100m程水平に進み主郭と同じ高さの小さなピークがあります。3方向の尾根には堀切が全くないので、ここに私は防御性の薄さを感じました。
戻って、前述の塔の削平地ですが、仮に東出曲輪とすると、主郭と東出曲輪の間の扇状地の防御の遺構(段曲輪や畝状竪堀)が無い事、主郭は北側に虎口があるので北からの外敵を東に追いやって主郭と東出曲輪間で駆逐するという造りにはなっていない事から「見えなくはない」という記述と考えに至りました。初投稿の登城ということで少し興奮しました。
<満足度>◆◆◇
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2024/11/03 17:09
2024/11/03 16:52
2024/11/03 12:22
2024/11/03 07:33
2024/11/03 05:44
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:陶器城 (2024/10/01 訪問)
小谷城から若竹大橋バス停へ歩き、そこから南海バス➡泉北高速鉄道➡南海バスを経由して福田中バス停へ着きました。
福田中バス停から徒歩10分ちょっとで、東陶器公園入口前(34.517110、135.525551)に着きました。
陶器城は北条氏の家臣である陶器左衛門尉の居城でした。
楠木正成の一族によって攻められ落城すると、陶器氏も滅亡しました。
江戸時代には小出秀政の四男である小出三尹が城址近くに陣屋を構えました。
現在城址は「東陶器公園」として整備されており、公園の南側フェンスに沿って土塁の遺構を確認しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=狭山陣屋を目指す為、北野田駅から電車で大阪狭山市駅に向かいました。
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2024/11/03 05:31
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:小谷城 (2024/10/01 訪問)
竹城台4丁バス停から徒歩2~3分で、阪和第一泉北病院入口(34.495107、135.499075)に着きました。
小谷城は平氏一族の小谷氏の居城でした。
戦国時代に入り1575年(天正3年)、大夫進種氾のときに織田信長による根来攻めがあり、この一帯も根来党であったために攻められ落城しました。
現在城址は阪和第一泉北病院の敷地となっており、本丸跡が公園化されていますが無断で立ち入ることはできません。
泉北病院の受付に声を掛け、小谷城見学希望の許可を頂いてから向かい、案内板と石碑を確認しました。
そこから、旧伯田陣屋裏門入口(34.492772、135.498513)に向かい、裏門を確認。小谷城郷土館は時間の都合で見学しませんでした。
小谷城郷土館への移動時間も含め、攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=陶器城を目指す為、若竹大橋バス停から南海バス➡泉北高速鉄道➡南海バスを経由して福田中バス停に向かいました。
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2024/11/03 05:24
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:家原城 (2024/10/01 訪問)
津久野駅から徒歩10分弱で、石碑説明板前(34.537746、135.471284)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、1566年(永禄9年)松永秀久と三好三人衆が対立したときには、松永方に組する泉州衆が家原城から出撃して畠山高政と合流し、三好勢と戦ったが敗れ岸和田へ退いています。
遺構はなく、石碑と説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=小谷城を目指す為、堺市立総合医療センター前バス停から南海バスで竹城台4丁バス停に向かいました。
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2024/11/03 05:20
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:伯太陣屋 (2024/10/01 訪問)
信太山駅から徒歩15分くらいで、伯太石碑前(34.496051、135.441490)に着き、その後、武家屋敷跡石碑前(34.495220、135.442240)に向かいました。
1727年(享保12年)渡辺基綱によって築かれました。 伯太藩渡辺氏は徳川家康に仕えて「槍の半蔵」の異名をとった渡辺守綱の五男吉綱を初代とします。
宗家は尾張藩家老の渡辺家で守綱没後、四男治綱が家督を継いで尾張国寺部に陣屋を構えています。
伯太藩渡辺氏は五男吉綱が、1624年(寛永元年)早世した兄忠綱の旧領3,000石と新田520石を合わせ、3,520石の旗本として始まりました。
1661年(寛文元年)渡辺吉綱は大坂定番となって10,000石を加増され、13,520石を領して諸侯に列しました。
当初、武蔵国比企郡野本に陣屋を構えていましたが、1698年(元禄11年)三代渡辺基綱の時、領地を近江国へ移されたので、和泉国大鳥郡大庭寺へ、さらに1727年(享保12年)陣屋を和泉国泉郡伯太へ移し伯太藩となりました。
現在は空き地に石碑が建っています。文字は見えません。
武家屋敷跡石碑は確認しました。
小谷城郷土館にある移築門は、小谷城攻城時に確認しました。
攻城時間は移築門確認時間も含めて10分くらいでした。次の攻城先=家原城を目指す為、信太山駅から電車で津久野駅に向かいました。
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2024/11/02 21:51
八田城 (2024/10/12 訪問)
【八田城】
<駐車場他>水道施設前のスペース<35.362792,135.323468>2台分あり。
<交通手段>車
<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り丹波の黒枝豆購入と城攻めの旅1城目。投稿が2019年にトーダイさんお一人で、城びと5年ぶり2人目となりますので少し詳細に。城びと城郭情報によると築城年築城主ともに詳細不明で主な城主に上杉氏(上杉氏発祥の地とも)・籾井教業(波多野氏家臣籾井城主)となっています。
上記水道施設の右側に階段がありますのでここが登城口になります。少し上がると左手に神社、真ん中に山斜面を行く道がありますので登ります。5分程度登ると貯水槽配水地の施設に到ります。施設の背後の尾根(荒れている)を木々を避けつつ登ると小さな尾根上削平地に登り着きここからが城跡だなと分かります。尾根曲輪の手前側に礫石が多く落ちています。尾根曲輪奥に深い堀切があり、その向こうに高い切岸がそびえています。切岸を登ると主郭跡に着きます。
主郭は南北に50m程、南の幅が3m程、北の幅が20m程で南から見ると逆三角形状になっています。主郭に付随する堀切が丑寅・辰巳・未申・戌亥方向の4か所にあり、その先に尾根がそれぞれ伸びています。南方向にも土橋状の尾根があり、主郭からは合計5方向に尾根が伸びています。戌亥方向が登ってきた尾根で手前の尾根曲輪が付曲輪か副郭となっているようです。主郭の丑寅方向の堀切の横に人工に掘った竪堀が残り、主郭の東側に自然地形の谷を利用した大竪堀がみられます。主郭周囲の切岸は急斜面によく削られていて見応えと登り降りの攻略しがいがあります。しかし尾根筋が多く伸びている割には散策して、自分が城主なら、もっと深い堀切を2重3重設けるのに。と感じました。
<満足度>◆◆◇
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2024/11/02 21:38
ラーメン
しんちゃんさん、鳥取のラーメン鳥人は行ってないです。知らなかったので次鳥取行った冬場の山城攻めで(検索しました。美味しそう)行きます。貧乏旅行なので現地のグルメ紹介で鰻や牛肉は高級で行けないのでラーメンは少し行きます。城攻め旅行の中でのベスト2ラーメンは紹介したかもしれませんが、
・新潟県上越市の「上越家」
・広島県井原市の「ラーメン長州」のとんかつラーメンとチャーハンのセット(メニューに無いが頼めます)がとんかつとラーメンのミスマッチと思いきや、やみつきになる、2回行った。
ラーメン以外のベストは群馬で食べた 上州御用鳥めしの「登利平」を店舗で食べたのが最高でした。ご飯の旨さがベスト1でした。
ラーメンではないですが、城攻めの時グルメを調べて控えて行くのですが、行列ができていたら城攻め優先でよくパスする事も多いです。特に蕎麦屋なんかは。
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