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翡翠

萩城 (2023/10/21 訪問)

今年も行きました。最近は城下町の方が人気で、萩城址は人が少ないです。今回は行ってないのですが、指月山山頂には、詰丸跡があります。

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ナマズ

綺麗な六段壁 (2025/06/08 訪問)

岩村城に行ってきました
あまり時間がなく山頂まで車で行き
山頂からの登城になりました
駐車場から2分くらい歩くと
今までにいろんな城に行って見たことのない
6段の綺麗な六段壁がありました
そして本丸に行くと見えるのは
時間を忘れるくらい綺麗な景色でした
ピクニックをしてる親子もいました

帰りに中部地方の郷土料理五平餅を食べ
帰りに恵那峡により本日の旅は終わりました

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イタさん

大きな堀切が目立つ (2025/06/05 訪問)

本丸跡に大きな石製の案内台があるが、寝かしてあるため読むには支障が無いが、画像は撮りづらい。その文面に、嘉吉・文安の頃、信州の依田忠政が築いたとされている。中後閑にある長源寺にある文明二年(1470)十月三日付けの依田信濃入道寄進状が・・・。その他は立地、縄張などが記されている。

駐車場からの散策路は公園化に伴い整備された、とあったが、右手に東郭群の城塁を見ながら上る。東郭群は木々が多く全体像が掴みづらい。戻り主郭方向へ行けば、東郭・本丸と二の丸間の大堀切にでる。左手が二の丸で、堀切側が櫓台跡とあり、以前の写真には模擬櫓(井楼)が建っている。二の丸は細長い郭で端に東屋が建っている。大堀切をさきへ行けば左に南郭があり、右の本丸との堀切になる。道は公園化で整備したと案内板にある。南郭も東屋がある狭い郭である。西郭は数段で草が刈られ公園広場になる。東郭より高く本丸があり、坂虎口になるのか上れば、本丸内へ。北側に東屋・石製の説明板、南側は一段高くなり、端に城址碑、周囲に庚申塚が立ち並んでいる。百庚申と書かれた説明板がある。東郭に下りて北郭に向かう。北第一堀切、北第二堀切・北第三堀切とあり、北郭内は広くなく、ここも東屋が建っている。

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イタさん

人見城址 群馬県安中市松井田町 (2025/06/05 訪問)

詳細は分からず。人見氏の居館があり、その後、城として拡張されたようです。
予備知識なく寄ってみたが、遺構がよく分からなかった。大宮神社前に案内板が二つ並んで立つが、手書き風と汚れ、縮尺もあり図がよく掴めなかった。帰宅後、先人さんの記事を読めば、神社下のトイレ場所から赤い橋を渡れば、郭下部の堀跡があったようだ。神社から堀状へ下りれば、水の手と標示があり、水が溜まっている。案内図のうぐいすの井戸だろうか。上がれば馬が数頭描かれた馬出辺りに出る。土塁、竪堀は分かったがその他が確信持てず。東の大宮神社から西の昌見寺辺りまでが範囲とあり、神社南辺りが東郭とあり、民家前の道路脇に東郭と標示があった。

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朝田 辰兵衛

碑は長徳寺の南西約100m付近に… (2025/06/07 訪問)

福田館のピンの場所は,完全に私有地となっています。「長徳寺の向かいを真っすぐ駆け上がれば…」と思い決行したら,他人の家の庭に入り込んでしまいました…。
私有地を抜け出て舗装道路に出たら,偶然にも碑が建っていました。

しんちゃんさんへ…
秋田の地方ニュースですが,クマの出没警報発令に加えて,今年はツツガムシ被害も報告されていました。高熱が出て,最悪の場合は死にいたります。心当たりがあるようでしたら,専門医の受診を。

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じゅんじん

広大 (2025/01/26 訪問)

とてもまわり切れません。またいかねば!

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じゅんじん

壮絶 (2025/01/26 訪問)

絶景でした。

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じゅんじん

大宰府天満宮 (2025/01/26 訪問)

人盛りでした。

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じゅんじん

令和 (2025/01/26 訪問)

大宰府です。九州の中心でした。

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じゅんじん

大宰府防衛 (2025/01/26 訪問)

土塁が延びています

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しんちゃん

一部の郭以外は秘境化が進んでいる。 (2025/05/07 訪問)

酒谷城は酒谷川に向かって伸びている丘陵の先端部分に築かれています。飫肥城から都城に通じる交通の要衝にあり、飫肥城を巡る抗争に伴い、しばし島津氏と伊東氏の間で所有者が変わっています。
城址は案内板を参考にすると11の郭で構成され、郭8に至る途中には腰郭が二つついています。6.7と8~11はある程度の高低差を持った、同じ区分けとされ、それ以外の郭はシラス台地の城郭特有の独立した郭で、間に堀切が付いています。
主郭と推定される郭8の周辺は草が良く刈られていて歩きやすいですが、それ以外の郭は入り口まで藪草が密集していて訪問する気になりません。ほぼ住宅地と言って良い立地に有るのですが、帰りに通った舗装路に若いクマのものと見られるフンが大量に落ちていました。
正直、人身事故にならないのが不思議なぐらいで、宮崎県でも特に過疎化が進んでいる日南市で熊が繁殖している事実には不穏な物を感じます。草を刈って城址を整える以前に、この地域ではいろいろ対応しなければいけないことが有るような気がしますね。

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宗春

堀川クルーズ+名古屋城 (2025/05/04 訪問)

帰省すると、地元の友人と一緒に城めぐりをしたりするのですが、この日は一人で巡ってきました。
登城前には、JR東海ツアーズの堀川クルーズ(名古屋おもてなし武将隊の案内+特別御城印付)に参加しました。今年案内して頂いた武将は前田慶次殿で、昨年の徳川家康公とはまた違う案内をして頂き、面白かったです。
名古屋城公式の御城印も、新しいものが出たという情報を得たので、入手してきました。

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しんちゃん

佐伯城 (2025/05/05 訪問)

佐伯城・本丸から西の丸まで。山上の城はそれほど広くありませんが、堂々とした総石垣の城で本丸には天守台も備えていました。天守からの眺めはさぞや壮観だっただろうと思いますが、本丸自体は狭く居住には適していないようです。普段は二の丸に居住していたのではないでしょうか。
2017年の調査で本丸北曲輪の北斜面に、ひな壇のような「はばき石垣」と言うものが見つかったようです。正直見ておけば良かったな~と思ってます。佐伯城に来るのは三回目で、本丸には二回登っているので、おそらく次も有るでしょう。ただ「はばき石垣」までたどり着ける道があればですが。
本丸から二の丸、西の丸と訪問して下山しました。余湖さんの縄張図を見ると北の丸南西に門がついているようなので、そこから「はばき石垣」を見に行けるかな?

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しんちゃん

思ったより遺構がある。 (2025/05/11 訪問)

桜尾城の続きです。一応、町の史跡には認定されているようで、それらしい道はついているんだけど、解りづらいうえに人がほとんど訪れていない様子。部分的に道が荒れているのは仕方がない。標高378m・比高およそ200mの山頂に築かれていて、本丸の周囲に腰郭を複数配し、標高361m地点にも曲輪があります。また本丸の南側に馬場とされる腰郭があり、本丸周辺に二つ、道中に一つ、堀切が有りました。
案内板には「基壇の跡」「城門跡」「櫓跡」とされる箇所もありますが、正直標識などを立ててくれないと解りません。
本丸周辺を周遊する堀道も遺構かもしれません。
ひとしきり周囲を散策して、戻ることに・・途中でさっき逃げたやつが待ち伏せしていると困るニャ・・。途中で二匹の動物が逃げていくのを発見。カモシカかな? あとで麓でコサばらいをやっているオトンやオカンたちと話をしたところ最初に逃げた奴がイノシシで、後で見た奴がシカだと判明しました。しばらくカモシカに会えないで寂しい思いをしていた私ですが、この後訪問した和歌山の田尻城の尾根上でカモシカに会えました。クマスズを鳴らしていたので早めに逃げられてしまったのが少し残念。

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天守無しがアツい

標高536メートル (2025/06/07 訪問)

(参考URL)
https://kojodan.jp/castle/1029/#section-access-info

しとどの窟を見学した後に土肥城へ向かう
しとどの窟バス停から20分ほど

この日、土肥城(土肥城址)には私1人しかおらず…まるで貸し切りのような気分…石の上に荷物を乗せて…城址内をまず散歩…それからスクワット20回(せめてもの筋トレ)して…家から持参した御城印帳を眺める

土肥城の御城印は、小田原城三の丸交流館にて…石橋山の戦い・船出の浜(両方とも合戦印扱い)と3枚セットで販売されていたのを購入

御城印は予め御城印帳の空きページに収めており…城址への到達により目標クリアしたので…この地にて撮影。これにて御城印帳の全ページが埋まったので…端から端までのページをこの地で読み返して…その軌跡を再認識

城址には「土肥城址」の石碑・標高536Mの立札・ハイキングコースの案内板くらいしか無い…屋根付きの場所はあるが…ベンチは無く休憩するには不向き

ただし…ここからの景色は絶景✨
湯河原駅方面の海…森林に覆われた足柄の山々…神奈川にもこんなに自然が残っているのかと思わせられる🌲🌲

ここに土肥城の石碑があるという事は…鎌倉時代あたりにここに武士の館があったということだろうか?現代ほど道が整備されておらず…その現代でもここまで登るのに麓から1時間はかかる場所

館を作るための資材を運びながらこの場所まで登るなんて…想像しただけでも筋肉痛しちゃう😅

あと…土肥城址の石碑…これもどうやってここまで運んだんだろう🪨?帰り道でハイキングコースを歩いたが…舗装された道は途中までしかない。その途中まではトラックに乗せて運べばいいが🚚

その先は…ガチの人手💪
腕力に秀でた者たち数人が力を合わせて…この場所まで…こんなに重そうでデカい石を運んだのか?

ご苦労さんです…😅

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しんちゃん

田原礼幡(レイマン) (2025/05/31 訪問)

田原城は大和国と河内国の境に位置し、北の古堤街道を押える重要な位置に築かれています。城主の田原氏は南北朝の時代より田原の地を領していたとされ、当時の居館は北方500mの「古城」と呼ばれる地にあったとされています。
田原城は戦国時代に築かれたとされ、キリシタン武将である田原レイマン(礼幡)が城主を務めていたとルイス・フロイスの「フロイス日本史」に記されているようです。
北側に城址に入る道が付いているので、車を空スペースに寄せて駐車します。こちらは搦め手のようで水路が横切っていますが橋がかかっているので、そこから入ることが出来ます。
東側の主郭を目指していくと両側の郭に挟まれて堀切となっており、主郭西の細長い郭から入って行きます。そこから主郭に至ると、かつてあった祠は無くなっていて、大きな田原譲の看板があります。東が二郭跡で、そこからかつての大手跡とみられる畑地を見渡し、堀切道を戻って行くと、西側の郭に入れそうな場所が有りました。その先が第三の郭と見られ、大土塁を挟んで西側にも郭があり、そこから中央の道に降りて行きます。周囲の郭跡を見ながら帰途につきました。三郭の周辺は結構な藪ですが、思っていたよりは楽しむことが出来ました。

今日は8度5分の熱が出て完全にダウンしています。どうやら、先週の城攻めで疲れが出ていたところに社内で、おかしな風邪(?)をもらったようです。コロナじゃないだろうな‥? でも食欲は旺盛に有るのでそれが救いか、味覚も有るし。
かかりつけの病院でもらった薬が全然効かないのでロキソニンを飲んだらだいぶ沈静化しました。ロキソニンすごいな、でも薬の飲み合わせには気を付けないと。

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しんちゃん

高山右近 (2025/05/31 訪問)

高槻城は元は入江氏の城でしたが、永禄12年(1569)本圀寺の変で入江元秀は足利義輝の屋敷を攻めた際に討死し、その後は和田惟政が城主になりました。元亀4年(1573)惟政の子・惟長が高山右近を謀殺しようとして斬り合いになり、右近は駆け付けた高山家の家臣に誤って斬りつけられ、首を半分ほども切る重傷を負うも奇跡的に回復したそうです。
かなり眉唾な話なのですが、この後右近は荒木村重に属し高槻城4万石を領しました。
高槻城は多くの遺構を失ったものの、堀の一部が残っているようです。
大阪府立槻の木高校が本丸跡で、芸術文化劇場南館が二の丸跡で駐車場はここを借りています。本丸・二の丸を囲うように三の丸があり、高槻市立第一中学校と高槻城公園は本丸の東側に位置しています。芸術文化劇場南館の北側の堀はちょうどかつての水堀の位置と一致しているようです。

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ぴーかる

尼子十砦9城目 (2025/03/30 訪問)

【高尾城】
<駐車場他>城福寺駐車場<35.288112, 133.248113>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り尼子十砦旅3城目。城びと初登城投稿になりますので案内から。城福寺の山門に城跡碑があります。境内に入り、左手にコンクリートブロックの階段がありますので上がって祠の最上段、北西側山の方向に2重堀切が降りてきているのが見えますので登ります。右手の堀切の方が登りやすいです。
 降雪がひどくてカメラをかばいながら散策したのであまり隅々まで散策してはいません。城跡は主郭の北側・東斜面は藪化してちょっと入れない。西側に堀切があり南北に竪堀となって落ちています。主郭南側から登り口になり切岸の南側が2重堀切になっています。堀底に案内板があります。2重堀切の南側山上と東側斜面が南曲輪群となっていて、更に南側にも2重堀切があります。
 とにかく主郭の南側の堀切群が圧巻で、南端の堀切に取り付くと堀切渡りが息を切らしながら楽しめます。堀切が主体で堀切の間や尾根の側面の隙間に腰曲輪が点在している感じで堀切の面積の占める割合の方が大きい、この地方、尼子のお城では珍しい堀切の城で見応えありました。いい山城です。

<満足度>◆◆◇

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虹の駅から (2025/06/07 訪問)

 摩耶ケーブル虹の駅から散策を開始しました。摩耶花壇跡を過ぎて摩耶山方面へ行ってしまい途中で気がついたのですが、せっかくなので摩耶山史跡公園まで行って来ました。階段が続いていて途中で後悔しました。気を取り直して峠茶屋跡まで戻り城跡の散策を開始しています。曲輪と思われる削平地、竪堀らしい地形、石垣の跡らしい場所を見つけました。それらしい地形はありますが、どこまでが城域なのか、どこまで遺構なのかよくわかりません。縄張りもわからず、本当にここでいいのだろうかと半信半疑で散策しました。ぴーかるさんも投稿されていた謎のコンクリート建造物を発見したときは、ここでよかったのかなと少しホッとしました。

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シャンシャン

松山城の石垣 (2025/06/06 訪問)

松山城は3回目の訪問。
夕方だったため天守は閉まっている時間だったけど、その分人がほとんどおらず本丸内をじっくり見学することができた。
本丸の屏風折になっている石垣は圧巻の一言!また今回、県庁裏登城路の途中にある登石垣は初めて見ることができた。
近隣にある伊佐爾波神社は全国に3つしかない八幡造りの珍しい楼門があり、ここから見る松山城も趣がある。

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