ひびつじょう

日比津城

愛知県名古屋市

別名 : 乾屋敷城
旧国名 : 尾張

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①日比津城主御菩提所石碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:日比津城 (2024/09/24 訪問)

本日は移動距離が長く&攻城数も多い為、朝食抜きで出発しました。
金山駅で荷物をコインロッカーに預け、金山駅から電車(名鉄➡名古屋市営)で本陣駅に向かいました。
本陣駅から15分くらい歩いて、大円寺入口(35.179739、136.858349)に着きました。

南北朝時代に野尻掃部が城主であったそうです。

大円寺を含む北側一帯が日比津城のあった所とされていますが遺構はありません。
大円寺にある石碑(日比津城主御菩提所)と野尻氏と伝えられる石塔二基の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=上条城を目指す為、本陣駅から電車(名古屋市営➡JR)で春日井駅に向かいました。

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ぴーかる

日比津城 (2024/07/27 訪問)

【日比津城】
<駐車場他>大円寺駐車場あり。
<交通手段>地下鉄東山線本陣駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾4城目。城跡の説明板が無いので城びと情報から。日比津城は南北朝時代に野尻氏によって築城されたようです。遺構は残っていないようで城跡地である大円寺に野尻氏の墓碑五輪塔2基があります。お参りしました。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

南北朝のころの城 (2024/03/30 訪問)

日比津城は南北朝の時代に築かれたとされ、大円寺北隣一帯が城址とされています。小ぶりだが堅固な城で、堀は水で満たされ、正門と裏門の橋の橋板はいつでも取り外せるようになっていたそうです。城主は野尻氏で境内に残る二つの石塔の左の五輪塔地輪には「貞治4年(1365)」「三月十八日」、右の宝篋印塔の基部には「為道誓禅門」「一周忌故也」「応永十七年(1410)二月十二日」と刻まれているそうです。中央に立つ石碑には「日比津城主碑誌」の文字がはっきりと刻まれています。

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キンヤ

大円寺に城主野尻氏の石塔が残る城跡 (2022/02/05 訪問)

南北朝時代に築かれ、この地の有力豪族の野尻掃部が城主であったとされます。
今ある大円寺は野尻氏の菩提寺で、城の一部と伝えられます。

境内には野尻氏の墓所があり、石塔が残されていて良かったです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 野尻氏
築城年 南北朝時代
主な城主 野尻氏
遺構 消滅
再建造物 石碑(日比津城主御菩提所)
住所 愛知県名古屋市中村区日比津4