あぜかわじょう

阿瀬川城

和歌山県有田郡

別名 : 天子山城、阿瀬川氏天子城、上城
旧国名 : 紀伊

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しんちゃん

湯浅宗藤 (2025/06/01 訪問)

有田川町(旧清水町)には三つの阿瀬川城が有るようです。一つは城びとの城である杉野原の城。二つ目は清水にある城。八幡神社の裏山とされるので、あさんが初投稿を取った清水城のことだと思います。城郭大系の縄張り図には北側の二つの堀は記載が無く、かつては南の郭を横切るように堀切が設けられていたようです。
三つ目は黒石山の南西中腹・比高70mの位地に築かれた山城とされています。
話を杉野原の阿瀬川城に戻します。阿瀬川氏の居城の一つで有田側が大きく蛇行している地形の南東の丘陵部に築かれています。周囲を切岸に囲まれていて、南側は特に急になっています。頂部に広い主郭があり、東部に一段高い場所があり神社が祀ってあります。土塁も付いてますが神社のものかどうかは不明です。地元のお母さんの話や、城郭大系の記述から周辺に堀切も有るようなので、戦国時代にも砦として使用されたのかもしれません。
阿瀬川城は清水城を本城とする保田氏に支城として使われたようです。後に楠木正成に従って幕府軍と戦った湯浅宗藤(阿瀬川孫六)は保田氏の子孫とされています。

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山椒のモト

有田川町雨錫寺周辺の城跡 (2023/11/07 訪問)

和歌山県有田川町、茅葺の屋根が特徴の雨錫寺を訪問後に阿瀬川城跡を訪ねました。
雨錫寺と同じ地域にあり、この集落には城跡が多数あります。

城跡への道が分からず、地元のおじいさんたちが井戸端で話し合っているのを見つけ、城跡へのルートを尋ねました。おじいさんによれば、この城跡では毎年餅まきが行われ、地域の中心地として機能しているようです。
おじいさんと別れ、畑と畑、家と家の狭い道を抜けて山の登り道に到着しました。軽自動車ならぎりぎり通れるほどの道幅でしたが、万が一を考えて歩いて城跡まで登りました。
5分ぐらい歩くと地蔵さんがあり、開けた広場がでてきます。一応トイレもあり、椅子もあります。椅子にはゲートボールクラブの文字が書かれていたので、この広場でそのようなイベントもするのかもしれません。

広場の古屋には、奉納された剣が飾られています。奥の鳥居は天子山三宝大荒神が祀られています。
少しゆっくりさせていただき、下山しました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 阿瀬川氏
築城年 南北朝時代
主な城主 阿瀬川氏、後村上天皇、保田氏
遺構 曲輪、堀切
指定文化財 町史跡
住所 和歌山県有田郡有田川町杉野原