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懸田城 (2025/02/23 訪問)

麓の茶臼山公園駐車場を利用。登山道(登城道?)入り口の説明板と公園案内図を見て登城。本丸(山頂)からの眺めが、良かった。
余談:昔は福島から懸田まで鉄道が走っていたようで、旧駅舎を転用したバス待合所があった。小さなミュージアムを併設、当時走っていた車両が保存。

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1X

根添館 (2025/02/16 訪問)

県道31号線の案内板を曲がって、坪沼八幡神社裏参道駐車場を利用。目の前の畑が館跡。
畑の中の道を通って、一の丸へ。入口は土橋?雪解けで道はぬかるんでいたが、良い天気。

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陣屋跡・士屋敷跡 (2025/03/01 訪問)

 北側の山麓には御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれていました。1658年妻木家断絶まで陣屋として存続しました。石垣や井戸跡が残っています。西側の浦山第二堰堤近くに高さ5mの石垣があります。散策マップを見ていると東側に「屋敷を囲む石積み」とありましたが、行く道がわからず断念しました。

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石垣と巨石 (2025/03/01 訪問)

 一の曲輪周辺に石垣が観られますが、ほとんどは昭和40年代に積み直されたもののようです。周辺の曲輪にも石垣は所々ありました。この城の魅力の一つは多く存在する巨石です。巨石が石垣のように積まれているように見える所がありました。実際には自然にできたもので説明板には「これは「節理」という現象です。マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に、収縮して等間隔に割れ目(節理)が多数できます。地表に現れた時、風化浸食によって四角形のかたまりに分かれ、あたかも人が積んだように見えます。」と書いてありました。巨石は山頂周辺は至るところにあり巨石を利用して防御力を高めていたのでしょう。

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イオ

城めぐりのきっかけは…

皆さまが城めぐりをするようになったきっかけは何でしょうか? 小学生の頃はお小遣いを貯めてはお城のプラモデルを買って作るなど長らく城好きを自認していながら、積極的に城めぐりをするようになったのは7年ほど前からという私ですが、私の城めぐりをするようになったきっかけはちょっと変わっていまして…。

仕事は基本デスクワークながら、ちょこちょこと外出する用事もあり、外出している間は書類仕事の手が止まってしまうため、外出するの面倒くさい…と常々思っていました。とはいえ、外出するのも仕事なので行かないわけにもいかず、だったらせめて外出に付加価値を持たせられないか、ということで、スマホを持つようになったのを機にスマホアプリ「ニッポン城めぐり(以下、城めぐ)」を導入してみました。

果たして効果は絶大、○○市役所に行くなら○○城と××城は攻略できそうだな、とか、いつものルートだと△△城は取れなかったので次は違うルートで行ってみよう、とか次の外出が待ち遠しくなるほどでしたが、紀州・九度山で真田親子に遭遇したことにより次第に道を踏み外していきます。真田推しとしてはぜひ登用したいと思っても、登用には幸村(当時)15万石、昌幸10万石、大助1万石で計26万石の石高が必要で、仕事での外出を待っていては間に合わないので、週末に石高を稼ぐために出掛けてポチ攻めするようになり、攻略先でその日に獲得した以上の石高を要する武将たちを発見すると、またその石高を稼ぐために…の無限ループに陥ってしまいました。さらに月間攻略城数1位になれば異名「日本一の兵」が与えられる(らしい)と知り、真田推しとしてはぜひ欲しい! ということで、毎週末に出掛けてはポチ攻めばかりを続けていたある時、ふと我に返りました。「オレ、何やってるんだろう…」 仕事での外出に付加価値を、という当初の目的などどこへやら、やってることと言えば、朝早くに家を出たあとは道の駅やコンビニに立ち寄る以外はひらすら車を走らせてポチポチポチポチ…。激しい虚しさに襲われて、そのまま城めぐをアンインストールしようかとも思いましたが、ここで消してしまっては本当に時間と労力の無駄で終わってしまう、と思いとどまり、「100名城スタンプラリーを始め、ポチ攻めはその道中に限る(多少の回り道は可)」「日本一の兵は諦める」という条件を自らに課して城めぐを続行することにしました。

さて、そうして100名城スタンプラリーを始めた頃の私は、城=建物(天守や櫓、門など。復元、復興も可)であり、石垣や土の城には何の興味もありませんでしたが、松坂城で石垣もいいかも、となり、岩村城で朝霧の中に次々と現れる石垣(とどめに六段壁!)に魅せられ、続100名城スタンプラリーが始まると、古宮城のシナモンロールで土の城の面白さに目覚め、玄蕃尾城ですっかり虜になってしまいました。そして(続)100名城に限らず城めぐりするようになって、現在に至ります。

現在は城めぐとも程よい感じで付き合えていて、日帰り圏内はほぼ攻略済みのためポチ攻めは遠征や出張時のみ、地域限定イベントや合戦イベント(真田推しなので三増峠は武田軍でした)に参加し、各地のお城イベントではガラポンを回したり手裏剣を投げたり、リアルの城めぐりのお供として楽しませてもらっています。思えば、熱に浮かされていたような状態から我に返って虚しくなった時に城めぐを消してしまっていたら、城めぐりを一生の趣味とするであろう現在の自分はいなかったわけで、何が人生を左右するかわからないものですね。

…なお余談ながら、城めぐ導入の当初の目的だった「仕事での外出に付加価値を」は、現在はスマホアプリ「ステーションメモリーズ!(通称 駅メモ!)」に引き継がれていて、城めぐでの反省を踏まえて基本無課金のグリーンライセンス勢ですが、仕事での外出の付加価値だけでなく、地域イベントなどは城めぐりの行先にも影響を与えていたりします(昨秋の但馬とか福井とか)。


> しんちゃんさん

異名「日本一の兵」獲得おめでとうございます! 2位以下に大差をつけての獲得はまさに「日本一の兵」であり「城めぐ勢百万も候へ、男は一人もいなく候」ですな(言い過ぎ)。焚きつけておいて何ですが、私は上記のようにポチ攻めのみの日々が虚しくなりアンインストール寸前までいったので、あまりの猛攻ぶりに燃え尽きてしまわないか気になっていましたが、これからはまた心穏やかな城めぐりに戻られますね。…と思ったら、合戦に姫に異名にと、すでに後戻りなど考えも及ばないほどハマっておられるようで(笑)
 

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妻木貞徳 (2025/03/01 訪問)

 久しぶりの妻木城です。
土岐頼貞の孫、土岐明智彦九郎頼重が築いたとも伝わりますが、発掘調査の成果から実際の築城年代は15世紀中頃から後半と考えられているようです。関ケ原の合戦の際、東美濃地方唯一の東軍であった妻木城主の妻木家頼により、西軍方の攻撃に備えて防備を固めるために、土塁や堀切、横堀を普請して改築されました。その時の功績により妻木氏は7500石を領有しました。
北側の山麓には御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ石垣などが残っています。
 御殿跡から登城しました。登城路は整備されていて、それほど急勾配でもなく歩きやすかった。城内も以前に来た時(10年以上前)は倒木や藪になっている所もありましたが、処理されて散策しやすくなっています。


 JR多治見駅から妻木上郷バス停までバスがありますが、本数が少ないので要注意です。

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イタさん

境城址 群馬県伊勢崎市境町 (2025/02/26 訪問)

室町期に井上氏により築かれ、後に那波氏に属する小柴氏が在城したとある。暑い時期に来ているが、池は水草が生い茂りよく分からないため、通りがけに寄ってみた。城跡は境公園、長光寺、瑳珂比神社、高校の敷地になり面影はない。ただ弁天社のある池が水堀の名残と言われ、北東の瑳珂比神社境内に、やや土塁跡を思わせる高まりがある。公園内にも高まりがあるが、公園整備に伴う整備かも知れない。

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イタさん

城山遊歩道ありのハイキングコース (2025/02/26 訪問)

桐生市のHPを参考にすると、正平5年・観応元年(1350)に桐生国綱が築いたとされている。居住地を山麓の居館におき、梅原館を下屋敷とする。規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西の丸山砦、南の浅間山砦、両砦をつなぐ下瀞堀、北の物見山砦とを結ぶ一帯を城郭とした。本丸を斗口とし、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の梯郭構造で・・・城跡の全部が完全に残っている。
城域は桐生氏の発展とともに整備されたが・・・、金山城主由良氏により、天正元年(1573)3月、桐生氏は滅びた。由良氏は北条氏に属し、天正18年後に常陸国牛久へ転封となり廃城となる、と載っている。

城山林道の駐車場を利用。林道を少し上上がると遊歩道入口があり、案内板が立っている。以前に一度来ているが、入口の案内板があらぬ方向を指しており、林道の終点まで行き戻ってしまった。
堀切・竪堀・横堀など幅も深さも充分にあり見応えがある。郭は幾つもあり、案内板に載る本丸・二の丸・三の丸、何方かが付け足した北曲輪などがある。北曲輪側には行けなかったが、本丸以外の二の丸・三の丸は杉・ヒノキ林、自然林になっている。

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しんちゃん

日本一の兵 (2025/03/01 訪問)

某アプリの異名「日本一の兵」の異名をゲットしました。イオさん、とりましたど。
といっても、二位との差がだいぶあったので気持ちに余裕がありました、ハナクソクルージングです(なんじゃそりゃ)。嬉しいんだけど、それ以上に先日の戦で敗れたダメージが深い・・武功3000以下の連中、貫かえせよな~(セコイぞ!)
他にも「マムシ」や「風雲児」などの異名も来てます。一ヶ月300以上で「マムシ」500以上で「風雲児」か・・おれ882城行ってるし、2月じゃなきゃ1000城行ってるし‥異名が足りないな!
一日で209城廻って「独眼竜」と「まことの武士」の異名もゲット。一日150以上で「まことの武士」か、200以上行ってます。異名が足りないな!
最近ボヤキが多いので「野村殿」みたいな異名があったら欲しいです。女性の像がある城を10城まわると「出歯亀」一日200以上で「まことの変態」一ヶ月1000以上で「日本一の変態」みたいな異名があると面白いですね。
「日本一の変態」・・なんかジワジワ来る異名ですな。

戦に5回負けると「落武者」とかね・・

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todo94

三連休の攻城② (2025/02/22 訪問)

烏嶽城からの転戦です。烏嶽城と同じ豊後大野市内の城ですが、烏嶽城は旧緒方町、松尾城は旧三重町ということでかなり距離は離れています。延岡市にも松尾城がありますが、豊後松尾城の方が見ごたえのある城だと感じました。島津の大友攻めのための築城で、説明板によると島津家久はここから、栂牟礼城、丹生嶋城(臼杵城)、岡城などを攻めているとのこと。すごい歴史の地です。城山神社は島津引き上げに際して放火され、焼失したものの、その後再建されています。

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しんちゃん

訪問しやすい。 (2025/02/22 訪問)

ここには続百名城の2巡目のスタンプを押すためにやって来ました。訪問はしやすいので、いろいろ理由をつけては来ています。スタンプは本丸近くの和菓子屋さんにあるので、ここで宗治饅頭を買っていきます。
駐車場からすぐに三の丸にアクセスでき、二の丸から橋を渡って本丸に入ります。本丸には宗治公の首塚がありますが、全体的に公園のようになっています。

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しんちゃん

大宰府を守る城塁 (2025/02/23 訪問)

水城に隣接する丘の中に続百名城のスタンプ設置場所があります。なんちゅう所に作るんじゃ・・
でかい土塁と言ってしまうと身も蓋もないですが、古代山城と併設して巨大な防塁が築かれているのは当時としては画期的だったのではないでしょうか。日本が外国の脅威にさらされた時期は何度かあって、白村江で唐・新羅と戦った頃、元寇、秀吉の朝鮮出兵、幕末、日清戦争のころなどが城郭の機能が防御用として、期待されていた頃だと思います。
九州北部には元寇防塁などの外国の襲撃に備えた遺構がいくつもあり、水城が続百名城に選ばれた意味合いは大きいと思います。

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しんちゃん

夜景の見事さに (2025/02/22 訪問)

いそいそと各地を回りながらにも途上には名城の数々。広島城の夜景の見事さに思わず寄ってパチリ、このまま夜通しで福岡に移動です。鉄筋コンクリートながらも外観の美しさは見事なものです。岩国城は帰途で寄りたかったのですが、吹雪に見舞われ断念。
パイパスはあっさりと閉鎖され2号線の一本道のみが頼りでした。超渋滞・・なんとかしてくれ~。
姫路城の夕景には少し間に合いませんでした。姫路市民以外は2500円に統一されるんだけど、国税もいっぱい投入されているよね。わたしも税金払ってますぞ~。姫路城、熊本城に限らず国や自治体の状況に左右される城郭も受難の時代と言えそうです。

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しんちゃん

敗けちゃった・・・ (2025/02/28 訪問)

ニッポン城めぐりで今月はランキング争いと「三増峠の戦い」イベントで大忙しです。実際に登城するわけではなく近くを通過するだけ、城びとにはもどかしいですが、状況的には仕方ない。日刊ランキングを激闘の末に制したので、次は月間です。
年度別は4月から3月までなので時期的には難しい。「天下一の兵」で良しとしておきましょう、イオさん 獲りましたど(まだ早い)。
ランキング争いでライバルの心をポキポキ折ってきた私ですが、ついに自分の番が来ました。「貫」をどかどかつぎ込んで来た「合戦」で我が北条軍がまさかの敗北・・39万の差を2万5千までせばめたものの僅差で敗北。武田軍より北条軍のほうが105人少ないので人数分の差です。上位陣の皆さんは武田軍より気合が入っているのですが、どうも下の方が・・けっこう日拠っている人達が多いです・・合戦は勝たなくては意味が無いぞ~!
私の軍功は6242で全体では2220位・・今ひとつですが龍勢は4回以上はあげているので、全体の貢献は8000を超えています。次は軍功1万以上を目指します。もっと武将をふやして、大手柄武将を充実させておかなくては・・

「黄梅院」ほしかった、どうも私は此のアプリでは女性キャラに縁が無いようです。いまのところ「豪姫」だけ。宇喜多秀家くんと一緒に登用してあげました。まるで宇宙戦艦ヤマトの森雪状態です(リメイク版では女性キャラが増えた)。

ちなみに写真は中国地方から九州まで「城攻め」に行って来たときに寄った店です。九州の資さんうどんは24時間営業でいつでも「うどん」が食べられます。天国ですか・・けっこう福岡にもうどんの店は多いです。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地を通り抜け(※)、竜ヶ谷山の山頂にある雷電神社が龍谷山城址となります。
※通り抜けを禁止されていません。
雷電神社付近に、郭跡や空堀、土塁などの遺構が確認できます。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅近くの長栄寺が毛呂氏館跡となります。
裏山は詰めの城として竪堀などの遺構があります。

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dougen

2019.5.4登城 (2019/05/04 訪問)

毛呂駅の北側にあるゆずの里保育園の北側にある個人宅が斎藤美濃守館跡となります。
中世の館跡の土塁や空堀が残っています。
県の史跡に指定されているものの、個人宅だからか案内板や解説板の設置はありません。

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朝田 辰兵衛

ここでリーチをかけました… (2025/02/22 訪問)

東京都城びと登録城,ここでリーチをかけました。この周辺を散策済の方は「なんだか効率の悪い廻り方してるな…」と感じていたかと思います。
赤い城さんの予想&リクエスト(?)に沿うよう,1月の攻城スケジュールと合わせて精査し,組み替えました。「ラストはハリポタ城ではなかったの…?」と,感じていた方もいらっしゃったかと思いますが,そういう理由になります。

法蓮寺は仰々しい賑わいでしたので,旗岡八幡神社のみの散策です。
越後の天気予報が気になり続けましたが,こちらは晴天に恵まれて春を感じました。

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todo94

三連休の攻城① (2025/02/22 訪問)

天皇誕生日を中日とする三連休は、大分県へと繰り出しました。金曜の勤務を終えてから夕食後に出発。広島で前泊し始発のさくらで別府へと向かいました。今回のターゲットの城は大分県南部なのに別府にてレンタカーを借り受けたのは、格安のニコニコレンタカーが駅近くにあったからです。ここから、烏嶽城はなかなかの遠距離。11時を優に回ってしまったので道の駅「原尻の滝」にてだんご汁定食の昼食をとりました。もちろん、東洋のナイアガラと称される原尻の滝は見てきましたよ。ここから烏嶽城はすぐです。城郭放浪記さんの案内の通りに向かいましたが、ナイロンネットのフェンスが広く張り回されていて、烏岳の登山口表示が見当たりません。フェンス内の木は伐採されていて道らしきものが確認できます。フェンス最上部にはピンクリボンがついていて、そこは下をめくってくぐれるようになっていました。そこから上はピンクリボンが城まで案内してくれます。3つばかり上り下りを繰り返す登りごたえのある山城でした。主郭には土塁が確認できます。更にその奥の烏岳山頂まで踏破してきました。帰りがけには、道の駅に写真展示してあった円形分水も見てきました。水が流れていなくてちょっと残念でした。

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朝田 辰兵衛

プラスαで周辺観光も… (2025/02/22 訪問)

さすがに,神社仏閣城のハシゴは飽きてきたので,周辺観光にも目を向けました。立会川駅近くに坂本龍馬像がありました。また,梶原氏館との関連性はわかりませんが,来福寺から梶原稲荷神社に向かう途中,犬坂というグネグネの坂道を発見。意図的に造成されたように感じました。

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