桐生市のHPを参考にすると、正平5年・観応元年(1350)に桐生国綱が築いたとされている。居住地を山麓の居館におき、梅原館を下屋敷とする。規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西の丸山砦、南の浅間山砦、両砦をつなぐ下瀞堀、北の物見山砦とを結ぶ一帯を城郭とした。本丸を斗口とし、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の梯郭構造で・・・城跡の全部が完全に残っている。
城域は桐生氏の発展とともに整備されたが・・・、金山城主由良氏により、天正元年(1573)3月、桐生氏は滅びた。由良氏は北条氏に属し、天正18年後に常陸国牛久へ転封となり廃城となる、と載っている。
城山林道の駐車場を利用。林道を少し上上がると遊歩道入口があり、案内板が立っている。以前に一度来ているが、入口の案内板があらぬ方向を指しており、林道の終点まで行き戻ってしまった。
堀切・竪堀・横堀など幅も深さも充分にあり見応えがある。郭は幾つもあり、案内板に載る本丸・二の丸・三の丸、何方かが付け足した北曲輪などがある。北曲輪側には行けなかったが、本丸以外の二の丸・三の丸は杉・ヒノキ林、自然林になっている。
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