浜松航空自衛隊広報館・エアーパークの写真の残りです。もう零式艦上戦闘機の移設はおわったかな。
どのような形で展示されているか楽しみです。自分はF-4ファントムも好きですね。今見てもかっこいいし、「ファントム無頼」という漫画では旧式機でありながら主役機を務めています。ファントム無頼の作画担当は「エリア88」でも有名な新谷かおるさん、原作の史村翔さんは「北斗の拳」の原作の「武論尊」さんと同一人物のようです。
あたたたた。
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2024/10/31 20:24
浜松エアーパーク (2024/08/31 訪問)
浜松航空自衛隊広報館・エアーパークの写真の残りです。もう零式艦上戦闘機の移設はおわったかな。
どのような形で展示されているか楽しみです。自分はF-4ファントムも好きですね。今見てもかっこいいし、「ファントム無頼」という漫画では旧式機でありながら主役機を務めています。ファントム無頼の作画担当は「エリア88」でも有名な新谷かおるさん、原作の史村翔さんは「北斗の拳」の原作の「武論尊」さんと同一人物のようです。
あたたたた。
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2024/10/31 19:43
富長城 (2024/10/05 訪問)
【富長城】
<駐車場他>軽なら鳥居前に停めれそう。大きければ裏に回って境内まで行ける。
<交通手段>車
<見所>土塁
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅6城目。富長城の情報は少ないですが、元弘年間(1331〜1334年)に名和氏に協力した荒松氏によって築かれたとされます。主な改修者に福頼氏がおり、福頼氏は室町時代から安土桃山時代の国人で室町時代は山名氏の被官、戦国時代は尼子氏に対抗して毛利氏の傘下となります。城びとの城郭情報では廃城年が1524年になっているので尼子経久全盛の頃なので尼子氏によって落城してしまったのかもしれません。
現地は富長神社になっています。東と西に切通しの虎口があり、北側の海に面した崖以外の3方を高土塁で囲んでいます。東側の鳥居の奥が小川がある堀切になっていて、小川が滝になっていてなかなかの急峻でありました。
<満足度>◆◆◇
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2024/10/31 19:09
個々のデザイン力で…🖌 (2024/09/15 訪問)
そもそもココは,最寄りの極楽寺駅のパネルに「一升桝遺跡(非公開)」と明記されており,半永久的に一般人は立ち入れないことが予想されます。しかしながら,「ポチ」をするため,それぞれの個性が発揮される可能性を秘めているとも言えるでしょう。
すでに,にのまるさん,赤い城さん,チェブさんが個性を発揮されています。赤い城さんの「茶色&V字」は私も考えていましたが,先を越され「同じことをしてもつまらない…」と,日々思索を巡らせていました…。
そこで私は「極楽寺」から「日蓮」を結び付けてデザインしました。
つい先日,世界遺産になった佐渡金山。佐渡というと日蓮が流罪された地として,越後ではフツーに知識に入っています。寺泊から松ヶ崎の最短ルートの海路で越佐海峡を渡っております。
なぜ,佐渡流罪になったのかといえば,極楽寺を開山した極楽寺良観房忍性に嫉まれていたので。そもそも,建立したのは北条義時の三男の重時。執権を補佐する連署まで務めながら出家。鎌倉幕府・北条家とのパイプはズブズブといえ…。
日蓮は立正安国論を鎌倉幕府に提出したことで北条家に怒りを買い,名越の草庵を奇襲されましたが命を落とすことはなかったので,伊豆に流罪されました。赦免され鎌倉に戻っても態度は変わらず。
その時の鎌倉は大干ばつに見舞われており,餓死者も出ていました。そこで鎌倉幕府は極楽寺良観房忍性と日蓮に祈雨対決させました。先攻の極楽寺良観房忍性は雨を降らせることはできず。後攻の日蓮は見事に雨を降らせました。
恨みを買った日蓮は小松原でも奇襲され額に傷を負います。
その後,讒言により捕らえられ,鎌倉中を引き回しにされた後,江の島の近くの龍の口の刑場へ…。まさに首をはねられる寸前に,江の島の方角から光り物が飛んできて斬首できなかったため,佐渡へ流罪となったのです。
光り物は,ハレー彗星と推測されています。
また,極楽寺良観房忍性は日蓮が佐渡から赦免されて帰還した際,法論対決を持ちかけ,それぞれの弟子同士で行いましたが敗北を喫しております。
この観点から,ゆかりの地を巡りデザインしてみました。
11/1~11/5で新鮮なネタを仕込みに行きますので,書き込みは休みます。ご了承ください。
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2024/10/31 08:16
とことん岡山城(城下町めぐり) (2024/09/15 訪問)
(続き)
ホテルに戻って朝食を摂りチェックアウトした後は、再びももちゃりで城下町めぐりです。
まずは岡山城を構成する三つの丘陵(岡山、石山、天神山)のうち、昨夏に未訪だった天神山から。天神山は旭川から導水した中堀が三方をめぐる岡山城北西の出城として機能し、支藩・鴨方藩主の中屋敷が設けられていました。北麓の公園側には内堀の石垣が状態良く遺り、中堀跡の説明板も立てられています。天神山から石関緑地に出ると、旭川沿いに聳える天守が望めます。この方向からの天守も格好いいですね。石関公園には築城400年を記念して大島から史実通りに筏と修羅で運んだ石が展示されていました。
城下筋に出て真っ直ぐ南へ。西大寺町バス停付近が二の丸の南西隅にあたり、津田永忠屋敷跡の石碑と説明板が立てられています。津田永忠って? と思って説明板と石碑側面のパネルを読んでみると……なるほど、新田開発に百間川の開削、後楽園の築庭、藩校の開設など、今に残る大変な業績を残した方だったんですね。帰宅して撮った写真を見てみると、後楽園にも津田永忠遺績碑が立てられていました。津田永忠屋敷の西辺と南辺は内堀により画され、表町2丁目交差点から内堀跡を東に一区画先進むと北側に大手門跡の説明板があります。大手門から南にのびる道が大手道で、西国街道との交差点南東には大手饅頭伊部屋京橋本店がありました。岡山土産の定番「大手まんぢゅう」は大手前にある店だからこそなんですね。
京橋西詰から旭川沿いに水之手筋を北東へ。少し進んだところに江戸前期の京橋の橋脚が復元されています。遊歩道沿いには東門跡の石垣や説明板、その先にも素軒屋敷櫓の説明板が立てられています。遊歩道から河原に下りてみると、時季的に草木に覆われてはいるものの、東門跡や素軒屋敷櫓の石垣も見られました。県庁通りに出たところで県立図書館前ポートにももちゃりを返却して、この日の城下町めぐりはここまで。昨夏に買った「絵図で歩く岡山城下町」を参考にめぐってみましたが、この本で紹介されているコースでまだまだ歩いてみたい(自転車ですが)ところもあるので、またの機会を楽しみにしています。
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2024/10/31 06:56
石山城 岡山県岡山市 (2024/10/13 訪問)
この日の宇喜多2代を辿る攻城ラストは岡山城。
ちょうど本丸下の段でイベントをやっていて多くの人で賑わっていました。
宇喜多2代の大河ドラマ誘致の署名活動をしていたので署名したら宇喜多家の家臣団になっちゃいました。
当然人が映らない写真は難しく、イベントブースを一通り見てニッポン城めぐりアプリのイベントのQRコード読み取りを完了。
さっさと退散することに。
今の位置にある岡山城は秀家が築城したものですが直家が居城としたのは近くにある石山の丘に築いた城です。
写真は前回登城時のものですが市内を見渡せる岡山の中心としてふさわしい場所だと思いました。
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2024/10/31 05:42
公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:西方院山城 (2024/09/30 訪問)
鬼薗山城から徒歩1分くらいで、奈良ホテル駐車場の土手攻城口(34.679128、135.835128)に着き、その後、瑜伽(ゆうが)神社に向かいました。
1444年(文安元年)古市氏によって築かれました。
興福寺衆徒の古市氏が筒井氏に備えるために鬼薗山城築城が計画されていましたが、鬼薗山城のある丘陵が興福寺境内であったことから、東に隣接する西方院山城に計画が変更となり着工されたそうです。
しかし、わずか3ヶ月ほどで当初の計画どおりに鬼薗山城の築城が進められたため、西方院山城は未完成のままであったようです。
1479年(文明11年)越智氏、古市氏は筒井氏に備えて再び城を構えることになり、西方院山城が築かれました。
今度は完成して軍勢が配置された西方院山城でしたが、わずか3日後に筒井方の軍勢が押し寄せ、自焼して落城しました。
西方院山城は鬼薗山城の東側の丘陵に築かれていました。
瑜伽神社裏手の丘陵が城跡で、二重の空堀と堀切、土塁が確認できます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=古市城を目指す為、奈良交通の破石町バス停からバスで南古市バス停に向かいました。
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2024/10/31 05:36
公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:鬼薗山城 (2024/09/30 訪問)
県庁前バス停から徒歩10分ちょっとで、大乗院庭園入口(34.678989、135.834669)に着きました。鬼薗山城跡は反対側です。
1444年(文安元年)興福寺衆徒の古市氏が筒井氏に備えるために築いたのが鬼薗山城です。
鬼薗山城のある丘陵が興福寺境内であったことから、東に隣接する西方院山城が築かれましたが、その後、当初の計画のとおり鬼薗山城が築かれました。
翌1445年(文安2年)には筒井方の成身院光宣によって攻められ自焼して落城しましたが、その後、成身院光宣によって修築され光宣が在城しました。
1458年(長禄2年)鬼薗山城は廃城となり、建物の撤去と破城が行われたそうです。
鬼薗山城は現在の奈良ホテルのある丘陵に築かれていました。遺構はなさそうです。
県庁前バス停から鬼薗山城に向かう途中、奈良公園を通りましたので鹿の写真を撮りました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=西方院山城へは、ここから徒歩で向かいました。
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2024/10/31 05:29
公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:多聞山城 (2024/09/30 訪問)
奈良交通の手貝町バス停から徒歩5分くらいで、若草中学校校門前(34.694071、135.83139)に着きました。
1560年(永禄3年)松永久秀によって築かれました。 松永久秀の出自については定かではないようですが、三好長慶に仕えて重用されました。
1553年(天文22年)に摂津国滝山城主、1559年(永禄2年)に信貴山城主、そして1560年(永禄3年)には興福寺を敗って大和国の支配を強め、多聞山城を築いて拠点の一つとしました。
1564年(永禄7年)三好長慶が飯盛山城で病没すると、松永久秀は三好三人衆と将軍足利義輝の暗殺するなど畿内での勢力を増しました。
しかし、三好三人衆と仲違いしたことにより、大和より追い出した筒井順慶と結んだ三好三人衆と争うことになります。
1568年(永禄11年)織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、すぐさまこれに従いました。
1570年(元亀元年)筒井順慶の勢力が盛り返すと、筒井順慶も織田信長に帰順し、その斡旋もあって和睦となりました。
その後、将軍足利義昭が画策した信長包囲網に加わり反旗を翻しましたが、1573年(天正元年)甲斐の武田信玄が没すると包囲網も破綻し、久秀は多聞山城を明け渡すことで信長に降り、信貴山城へ退きました。
信長は城番として明智光秀、柴田勝家などを置きましたが、1576年(天正4年)大和守護職に任ぜられた筒井順慶は多聞山城に入らず廃城となりました。
多聞山城は若草中学校のある丘陵に築かれ、四重の天守があったそうです。
多聞山城の中心部は若草中学校の敷地となっており、中に入って見学することはできませんので、校門越し城址碑を確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=鬼薗山城を目指す為、奈良交通の手貝町バス停からバスで県庁前バス停に向かいました。
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2024/10/31 05:24
公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:木津城 (2024/09/30 訪問)
木津駅から徒歩20分弱で、木津城址公園駐車場階段前(34.732837、135.828892)に着きました。
詳細は不明のようですが、在地領主の木津氏の城と考えられています。応仁の乱の頃には木津荘を巡って合戦が繰り広げられたそうです。
木津城は公園として整備されています。
曲輪があり周囲に幅広い土塁が巡り、横堀や城壁が確認できます。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=多聞山城を目指す為、木津駅から電車➡バスを利用して手貝町バス停に向かいました。
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2024/10/31 05:17
公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:辰市城 (2024/09/30 訪問)
奈良交通バスの神殿バス停から徒歩10分ちょっとで、南部公民館東九条分館前(34.657454、135.810802)に着きました。
1571年(元亀2年)井戸良弘によって築かれたと云われています。
1571年(元亀2年)筒井順慶は松永久秀と決戦するべく井戸良弘を派遣して辰市城を築かせ、これを守らせました。
久秀は信貴山城から大軍を率いて辰市城へ攻め寄せ猛攻撃を加えましたが、筒井軍の主力が後詰めに現れると激戦となり、松永軍は多聞山城へ退きました。
辰市城は、現在の辰市幼稚園付近に築かれていたと云われていますが、遺構も案内板も何もありません。
バスの時間が迫っていた為、攻城時間は2分~3分で速攻撤退しました。
次の攻城先=木津城を目指す為、奈良交通バスの神殿バス停からバスと電車を利用して、木津駅に向いました。
じつは、当初の予定では次の攻城先は超昇寺城でしたが、バスが大幅に遅れた為、予定を変更しました。(超昇寺城は11日目に攻城しました)
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2024/10/30 23:48
主郭の西側 (2023/06/29 訪問)
奥池ヶ谷城は中河内川が蛇行している内側の丘陵に築かれていています。東側の県道27号線からアクセスできますが、かなりの山奥です。一応城址の標識はありますが、案内板は無いです。登城道が続いているので、登って行くと、石積みのある郭があります。
頂部に向かって登って行くと、堀切や幾段かの扁平地を経て主郭に至りますが、あまり遺構は有りません。
主郭西側には郭や腰郭らしき扁平地があり、石積らしきものもあります。さらに先には鉄塔の有る郭も有るようです。
既に暗くなって来てたので、鉄塔に向かわず帰途につきました。
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2024/10/30 22:00
東の出丸も訪問 (2024/06/16 訪問)
少し遠回りになりますが、東西の尾根の間を登っていって西の主郭を目指します。登り口には案内板が有るはずなので、良く見ていただければわかります。少し、急な箇所もありますが、それほど苦労せずに尾根まで到達できると思います。
中出丸、岩場を経て主郭に到達します。眺望はなかなかですが、足元は急な崖になっています。危ないので元来た道を戻って行きますが、せっかくなので東の出丸まで訪問します。こちらの方は遺構はそれほど残ってはいないようです。いくつか危険な箇所が有るので、安全な道を選んで通れば、問題なく戻って来れると思います。
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2024/10/30 21:54
2024/10/30 21:45
ピクニックの穴場 (2024/06/16 訪問)
加治田城は美濃佐藤氏の城ではじめ斎藤氏に従っていましたが、織田信長に通じたため斎藤方の堂洞城と合戦になりましたが、織田信長の支援を受け撃退しています。その縁か、本丸に堂洞城の方角を指す矢印が有ったりします。
城への道は西側から続いていて、主郭に至るまでにも幾つか郭があるようですが、藪に覆われ見通しは良くないです。主郭からの眺望はかなり良く、ピクニックの穴場と言えるでしょう。本丸の東側にも遺構が残っているようです。
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2024/10/30 21:42
2024/10/30 21:33
2024/10/30 21:27
2024/10/30 21:12
トストストス‥ (向小駄良番所) (2024/10/20 訪問)
以前クロスボンバー特集がしたかったので、鳥栖ジャンクションを取り上げたのですが、朝田 辰兵衛さんが喜んでくれたので良かったです。今日は「肉の日」ではないのですが鳥栖ジャンクションにインスパイアされて超人を考えてみました。
シルエットの状態ですがジャンクションマンです。本体は2mぐらいですが、謎の力で鳥栖ジャンクションと融合して100mぐらいの大きさになる巨大超人です。今度、ゆでたまご先生の超人募集に応募してみようかな(笑)
もちろん笑い声は「トストストス」です。「トスススス」もありかな?
話はそれましたが、郡上市の向小駄良番所の投稿です。越前街道の監視のために油坂峠に設けられた番所で、鏑木門や建物、お手つき石が再現されており、公園として整備され駐車場もあります。古今伝授の里に寄ったついでに尋ねてみました。
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2024/10/30 20:04
石井垣城 (2024/10/05 訪問)
【石井垣城】
<駐車場他>春日神社入口横<35.513791,133.583522>に駐車できます。
<交通手段>車
<見所>横堀・箆津敦忠墓地
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅5城目。現地説明板によると石井垣城の前身は南北朝時代に初期に伯耆守護代の糟谷氏の居城中山城であったようで1333年に船上山合戦に勝利した名和氏が鎌倉幕府方の糟谷氏を攻めて落城します。のちに国人領主の箆津(のつ)氏が入城し整備したと推定されています。この地方では珍しい複郭式の城跡です。
主要部や要所要所の投稿は城びと初になります。駐車場に城跡の説明と簡単な縄張り図の案内板があるので写真を撮って巡るのがよいかもしれません。春日神社の北側一帯が主要部のようですが、主要部南側の堀が浅く曲輪のはじまりがちょっと不明瞭です。中心部にL字状の僅かに石塁の残る土塁があり虎口跡、ここら辺が主郭かなあと感じさせます。L字状土塁から西側へ続く道を行くと北側に横堀が縦横に見られます。この辺りの堀は深くて明瞭です。
道を進むと池を北側から西側へ大きく回り込むようにして行けることになります。池の周囲は西側以外は表面観察で残る遺構は見当たりません。西側に当時の墓地地区があり五輪塔などが点々と残された曲輪があります。池の西側に東西に走る城跡最大の空堀があり見応えがあります。その空堀の横、池のほとりに箆津敦忠墓地がひっそりとあり、今でも地元の方かと思われるお供えがありました。
<満足度>◆◆◇
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