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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:辰市城 (2024/09/30 訪問)

奈良交通バスの神殿バス停から徒歩10分ちょっとで、南部公民館東九条分館前(34.657454、135.810802)に着きました。

1571年(元亀2年)井戸良弘によって築かれたと云われています。
1571年(元亀2年)筒井順慶は松永久秀と決戦するべく井戸良弘を派遣して辰市城を築かせ、これを守らせました。
久秀は信貴山城から大軍を率いて辰市城へ攻め寄せ猛攻撃を加えましたが、筒井軍の主力が後詰めに現れると激戦となり、松永軍は多聞山城へ退きました。

辰市城は、現在の辰市幼稚園付近に築かれていたと云われていますが、遺構も案内板も何もありません。
バスの時間が迫っていた為、攻城時間は2分~3分で速攻撤退しました。
次の攻城先=木津城を目指す為、奈良交通バスの神殿バス停からバスと電車を利用して、木津駅に向いました。
じつは、当初の予定では次の攻城先は超昇寺城でしたが、バスが大幅に遅れた為、予定を変更しました。(超昇寺城は11日目に攻城しました)

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しんちゃん

主郭の西側 (2023/06/29 訪問)

奥池ヶ谷城は中河内川が蛇行している内側の丘陵に築かれていています。東側の県道27号線からアクセスできますが、かなりの山奥です。一応城址の標識はありますが、案内板は無いです。登城道が続いているので、登って行くと、石積みのある郭があります。
頂部に向かって登って行くと、堀切や幾段かの扁平地を経て主郭に至りますが、あまり遺構は有りません。
主郭西側には郭や腰郭らしき扁平地があり、石積らしきものもあります。さらに先には鉄塔の有る郭も有るようです。
既に暗くなって来てたので、鉄塔に向かわず帰途につきました。

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しんちゃん

東の出丸も訪問 (2024/06/16 訪問)

少し遠回りになりますが、東西の尾根の間を登っていって西の主郭を目指します。登り口には案内板が有るはずなので、良く見ていただければわかります。少し、急な箇所もありますが、それほど苦労せずに尾根まで到達できると思います。
中出丸、岩場を経て主郭に到達します。眺望はなかなかですが、足元は急な崖になっています。危ないので元来た道を戻って行きますが、せっかくなので東の出丸まで訪問します。こちらの方は遺構はそれほど残ってはいないようです。いくつか危険な箇所が有るので、安全な道を選んで通れば、問題なく戻って来れると思います。

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HKISD

彦根城散策 (2024/10/26 訪問)

国宝の彦根城は見事でした。
彦根駅降りた所から見上げる彦根城は姫路城と同じ感覚でした。
どこからみても彦根城は見ごたえありました。

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しんちゃん

ピクニックの穴場 (2024/06/16 訪問)

加治田城は美濃佐藤氏の城ではじめ斎藤氏に従っていましたが、織田信長に通じたため斎藤方の堂洞城と合戦になりましたが、織田信長の支援を受け撃退しています。その縁か、本丸に堂洞城の方角を指す矢印が有ったりします。
城への道は西側から続いていて、主郭に至るまでにも幾つか郭があるようですが、藪に覆われ見通しは良くないです。主郭からの眺望はかなり良く、ピクニックの穴場と言えるでしょう。本丸の東側にも遺構が残っているようです。

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HKISD

近江八幡城跡散策 (2024/10/24 訪問)

ロープウェイで行きました。
山頂を1周しましたが270度の見晴らしは絶景でした。
猫多かったですね。
下って堀の散策しましたが城下町ならではでした。

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HKISD

安土城散策 (2024/10/24 訪問)

のぶながの館、博物館、安土城に行きました。実物大の天守閣は見ごたえありました。
又、安土城の石垣、階段は見事です。感動ですね。天守でもう少し木を切って頂けると琵琶湖が見渡せるのですが
そこだけが残念でした。
とにかく天下布武をやりとげようとした安土城跡は見ごたえ満点でした。

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しんちゃん

矢穴石 (2024/06/15 訪問)

小里城の投稿のラストです。本丸の石垣は未完成のようで、矢穴石があったりします。天守台の石垣は素晴らしく、城山神社が鎮座しています。江戸、明治と神社として保存された城址はけっこう多いようですが、小里城はどうなのでしょうか?
2019年にも訪問していますが、いつ来ても満足度の高い山城です。

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しんちゃん

トストストス‥ (向小駄良番所) (2024/10/20 訪問)

以前クロスボンバー特集がしたかったので、鳥栖ジャンクションを取り上げたのですが、朝田 辰兵衛さんが喜んでくれたので良かったです。今日は「肉の日」ではないのですが鳥栖ジャンクションにインスパイアされて超人を考えてみました。
シルエットの状態ですがジャンクションマンです。本体は2mぐらいですが、謎の力で鳥栖ジャンクションと融合して100mぐらいの大きさになる巨大超人です。今度、ゆでたまご先生の超人募集に応募してみようかな(笑)
もちろん笑い声は「トストストス」です。「トスススス」もありかな?

話はそれましたが、郡上市の向小駄良番所の投稿です。越前街道の監視のために油坂峠に設けられた番所で、鏑木門や建物、お手つき石が再現されており、公園として整備され駐車場もあります。古今伝授の里に寄ったついでに尋ねてみました。

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ぴーかる

石井垣城 (2024/10/05 訪問)

【石井垣城】
<駐車場他>春日神社入口横<35.513791,133.583522>に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>横堀・箆津敦忠墓地
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅5城目。現地説明板によると石井垣城の前身は南北朝時代に初期に伯耆守護代の糟谷氏の居城中山城であったようで1333年に船上山合戦に勝利した名和氏が鎌倉幕府方の糟谷氏を攻めて落城します。のちに国人領主の箆津(のつ)氏が入城し整備したと推定されています。この地方では珍しい複郭式の城跡です。
 主要部や要所要所の投稿は城びと初になります。駐車場に城跡の説明と簡単な縄張り図の案内板があるので写真を撮って巡るのがよいかもしれません。春日神社の北側一帯が主要部のようですが、主要部南側の堀が浅く曲輪のはじまりがちょっと不明瞭です。中心部にL字状の僅かに石塁の残る土塁があり虎口跡、ここら辺が主郭かなあと感じさせます。L字状土塁から西側へ続く道を行くと北側に横堀が縦横に見られます。この辺りの堀は深くて明瞭です。
 道を進むと池を北側から西側へ大きく回り込むようにして行けることになります。池の周囲は西側以外は表面観察で残る遺構は見当たりません。西側に当時の墓地地区があり五輪塔などが点々と残された曲輪があります。池の西側に東西に走る城跡最大の空堀があり見応えがあります。その空堀の横、池のほとりに箆津敦忠墓地がひっそりとあり、今でも地元の方かと思われるお供えがありました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

本丸奥の二の丸が必見です👀 (2024/10/05 訪問)

本丸奥に二の丸があり,その石垣が必見です👀
登城口の目印は,ゴルフ練習場。その北側に碑とパネルがあり,登城口となっています。すぐに展望所がありますが,本丸の櫓台からの眺望には劣ります。
山形城から比較的近距離なので,セット攻城におすすめです。

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yoda 1253

石垣の迫力 (2024/10/26 訪問)

高石垣や迷路のように壁となって立ちはだかる石垣は圧巻です

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イオ

とことん岡山城(内堀跡めぐり) (2024/09/15 訪問)

岡山市内のホテルに泊まって、朝食前にももちゃりを利用して内堀跡をたどりました。ももちゃりには様々な料金プランがありますが、一回60分以内なら200円で24時間くりかえし利用できるプラン(かつての姫ちゃりと同様)でGo!

内堀跡は昨夏に城下交差点から西丸西手櫓を見上げつつ石山門まで歩いているので、その続きから…と自転車を走らせると、対面所跡(林原美術館)西辺に石垣が聳えています。街なかにこんな石垣が普通に遺っているのは素晴らしいことですね。対面所南西隅から南辺を東に進むと、突き当りは県立図書館の駐車場になっていて、出入口脇に自転車を駐めて開館時間前のがらんとした駐車場に足を踏み入れると、舗装された路面に真っ直ぐのびる敷石の列が! これはもしや…と石列をたどった先には、外下馬門から北に続く石垣と内堀跡の水盤が広がっていました。図書館建設時の発掘調査で確認された内堀と石垣のラインを敷石で平面表示したもののようです。図書館東の外下馬門石垣の存在は承知していましたが、駐車場の平面表示のことは知らなかったので、思わぬ遭遇にテンション爆上がり。さらに内堀跡の水盤には外下馬門の橋脚跡の表示も設けられていました。説明板の絵図を参考に、眼前の水盤と橋脚跡と石垣に往時の内堀と橋と門の姿を重ね合わせる……これぞ城下町歩きの醍醐味だよなぁ、と。外下馬門を入ったところには、岡山藩池田家の筆頭家老・伊木家の屋敷があったようですが、現在は駐車場や住宅地になっています。外下馬門から南の内堀は県庁敷地になっていますので、内堀跡めぐりはここまで。県庁前にも石垣が見られますが、こちらは模擬と思われます。

さて、ここで ももちゃりを借りて45分経過したこともあり、いったん返却してホテルに戻るとしましょう(続く)。
 

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赤い城

別名は亀山城 (2024/10/13 訪問)

浮田小学校の先、新幹線の高架下に車を停めて登城。
畑の脇に二の丸へ向かう登城口の案内板があったのでこちらを進んで行きました。

少し歩くと段になった畑があり、ここが二の丸です。
右手に進み本丸へ。
本丸には石碑と説明板が立っています。
また、八丈島から株分けされた蘇鉄が植えられています。
その背後、一段高くなった部分には弁財天を祀る神社が鎮座します。

本丸には記念スタンプや訪問ノートが置いてありました。
「赤い城」って書こうとも思いましたがニッポン城めぐりアプリのイベントに合わせての登城だったのでそちらのHNでサインしておきました。

一旦降りて浮田小学校裏手の西出丸へ向かいました。
入口が分からなかったので見上げるのみ。
削平されていて曲輪がイメージできます。
直登しようとも思いましたが周囲には民家も多いので自重、再度本丸方面に戻りました。

最後、本丸北側の広い曲輪を歩きました。
弁財天の下あたりに井戸跡がありました。

当時は周囲が沼に囲まれる要害でその姿が亀のように見えたことから亀山城と呼ばれていたそうです。
宇喜多直家はここを拠点に勢力を拡大したことから直家飛躍の地と言われています。
そして秀家生誕の地でもあります。

砥石城、新庄山城と山城2城の後だったので良いクールダウンにもなったかな。

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todo94

秋の乗り放題パスでの攻城⑨ (2024/10/13 訪問)

尼崎で想定以上の時間を費やしてしまったため、その後の攻城は江口城のみとなってしまいました。大隅神社がその故地で説明板や城址碑などはありませんでしたが、狛犬の台座に「江口」の文字を発見できたので満足です。狛犬は拝殿前の左右に5頭ずつ鎮座していて、その真ん中の台座にはどちらにも江口の文字がありました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:稗田環濠 (2024/09/30 訪問)

若槻環濠から徒歩10分ちょっとで、売太神社鳥居前(34.639009、135.797150)に着き、その後、稗田環濠標識前(34.640794、135.796055)に向かいました。

室町時代頃に形成された環濠集落と考えられているそうです。
1444年(文安元年)古市胤仙が稗田を奪って城として使ったということから、この頃には城郭として一時機能していたと考えられているようです。

稗田環濠は売太神社を南東端とする環濠集落で、現在も良く残っています。
売太神社の駐車場付近に案内板が設置されており、環濠は整備されて幅広の水路となっています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=辰市城を目指す為、美濃庄バス停から奈良交通バスで神殿バス停に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:若槻環濠 (2024/09/30 訪問)

番条環濠(城びと未登録 奈良県大和郡山市)から徒歩15分くらいで、南端の標柱(34.633781、135.799812)に着き、その後、天満神社付近(34.633782、135.798823)で天満神社を確認しました。

若槻環濠は1466年(文正元年)以前から築かれた環濠集落のようです。
鎌倉時代には散村であった集落が1466年(文正元年)頃に集村して環濠が形成されはじめ、1595年(文禄4年)には東西に長い環濠となったそうです。

若槻環濠は天満神社を南西端とする環濠集落で、 集落の中央北側の道路に案内板があります。
環濠は細長い水路となってしまっている部分が大半ですが、天満神社付近は良く残っており、一部土塁もありました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=稗田環濠へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:番条環濠(城びと未登録 奈良県大和郡山市) (2024/09/30 訪問)

筒井城から徒歩20分くらいで、光明院前(34.628910、135.792364)に着き、その後、熊野神社鳥居前(34.629932、135.792596)➡堀跡(34.630832、135.791598)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に番条氏の居城があったそうです。
番条氏は大乗院方衆徒で、1459年(長禄3年)筒井方に攻められ、番条長懐父子らは番条城に籠もって戦いましたが敗れています。

番条環濠とも呼ばれる番条城は現在の佐保川に沿って南北に伸びた番条町一帯に築かれていました。
東側には堀跡である水路が今も残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=若槻環濠へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:筒井城 (2024/09/30 訪問)

筒井駅バス停から徒歩5分くらいで、城址碑(34.621265、135.782568)に着きました。その後、説明板前(34.621496、135.783654)➡菅田比売神社鳥居前(34.622060、135.784347)で神社左側の水掘を確認しました。

1429年(永享元年)筒井順覚によって築かれました。 筒井氏は天児屋根命の子孫ともいわれますが定かではなく、 興福寺一乗院の衆徒です。
1441年(嘉吉元年)に家督を継いだ順永の代に勢力を広げ、その後は越智氏などと抗争が繰り広げられました。
1559年(永禄2年)松永久秀が大和に入国すると松永氏と対立し筒井城を奪われました。
松永氏の滅亡後、多聞城の石を転用して城郭の拡張を行いましたが、織田信長の大和一国破城命令によって破却となり、郡山城を居城としました。

菅田比賣神社の西、光専寺の南の辺りが本丸で、一部広場として残されており、ここに案内板が建っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=番条環濠(城びと未登録 奈良県大和郡山市)へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:小泉城 (2024/09/30 訪問)

今日は攻城予定の城跡が多いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。(王寺駅から大和小泉駅を目指します)
大和小泉駅から徒歩15分弱で、小泉神社入口(34.624576、135.755266)に着き、その後、復興櫓(34.627382、135.754358)➡道路沿の城址碑(34.626638、135.757743)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に小泉氏によって築かれました。
小泉氏は大乗院方衆徒で、1455年(康正元年)畠山政長方の筒井氏が没落した後、官符衆徒につき、その後越智方について筒井氏と対立しましたが、 1459年(長禄3年)筒井順永の攻撃をうけ落城しました。
1580年(天正8年)以後、羽田長門守が陣屋を置いていましたが、1601年(慶長6年)片桐且元の弟貞隆が15,000石を領して小泉に入部し陣屋を構えました。
2代貞昌は石州流茶道の開祖で、現在でも高林庵として続いています。

小泉神社の表門は旧小泉陣屋の陣屋門で、本殿は室町時代の建築です。
復興櫓付近に高林庵がありますが、朝早く閉まっていて、中に入れませんでした。
道路沿の城址碑の奥に小さな公園があり、そこに陣屋の石碑と案内板があります。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=筒井城を目指す為、小泉口バス停から奈良交通バスで筒井駅バス停に向かいました。

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