みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑪ (2025/04/27 訪問)

城生柵からの転戦です。かなり近くに位置しています。立派な城址碑は、大崎氏の祖である斯波家兼像も建っている八幡神社にあります。大崎氏供養塔もありました。また、長興寺門脇には標柱が建っています。八幡神社の交差点の向こう側には多川稲荷神社があり、拝殿の裏手に土塁が残っています。この後、ちょっと遅めの昼食をとりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

九州商船フェリーで往復しました。 (2025/02/28 訪問)

平戸城見学後、列車を乗り継いで長崎へ。
毎度お馴染みの東横インに宿泊し、翌朝08:05発のフェリーで長崎港から福江港に向かいました。
片道3時間強の船旅は二等船室で爆睡でした💤

お昼前に福江港に到着。
初・五島列島上陸です。
帰りのフェリーは16:50発なので時間はたっぷり。
五島氏庭園は公開期間外だったので、現地の「総合案内マップ」に従って福江城の遺構や見どころをチェックしながら散策しました。
前日の平戸城(猶興館高校)も、ここ福江城の五島高校も、お城が母校って素敵すぎ!

歴史資料館では映像も全部見て、展示も隅々まで見て読んで学習しました。2時間くらい館内にいたのではないかと思いますが、時間を気にせずにじっくり見られてよかったです。

周辺をひととおり見て歩いてから王直ゆかりの明人堂、六角井に行き、戻って武家屋敷通りを散策しました。

福江港に戻ると16:30発の超高速船ジェットフォイルにも充分間に合う時間。
(これで帰ると速くて快適なんだよなぁ……乗ろうかなぁ……)と心が動きかけましたが、お値段お高めだし急ぐ理由もないので、当初の予定どおりフェリーでのんびり長崎港に戻りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

丸亀お城まつり (2025/05/03 訪問)

お城まつり開催で大変な賑わい。
天守は小さいけど高さ20mを超える高石垣が連なっており、大手門側から見るとまるで要塞のような全景。
今回訪れた最大の目的は、広場で開催された影山ヒロノブのLIVE!今年でデビュー48年とのことだけど、あの声量とステージ上のパフォーマンスは凄すぎる!最後はCHA-LA HEAD-CHA-LAの大熱唱!!笑
そしてライトアップされた本丸に登ると、DJマーク・パンサーによるパーリーナイトが繰り広げられていた!プロジェクションマッピングされた天守の前でパーリーピーポーが踊りまくるカオス状態!昔も形は違えどお城で宴を開いていたんだろうなーなんてことを想像しつつ。
90年代に少年~青年期を過ごした世代にはとっても胸に突き刺さるお祭りでした!!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日向新しき村 (2025/05/05 訪問)

伊東48城の一つ新納石城は「日向新しき村」と呼ばれる場所の一帯に上城と下城が築かれていたとされます。武者小路実篤の文章の石碑のゲートは厳重に括られているのですが、左手のゲートが全開になっているのでそこからお邪魔しています。入ってそうそうに放し飼いのワンコが真っすぐこちらに走って来ます。私の周りを一周して真っすぐ戻っていきました。上城とされる畑地を見たあと、豚がこっちを見て威嚇しているようなので帰ろうかと思いましたが、林の中から下城辺りと思われる場所を見て戻ることにしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

マジモードで攻める (2025/04/05 訪問)

坪谷城周辺は地元の教育委員会で研究が進んでいるようだけど山上の遺構の研究はあまり進んでいない様子。城址は山上にあるけど公式の場所には城跡の遺構はほとんど無く、連続堀切が執拗に続く尾根上を登り切った周辺が城趾のようだ。この堀切がかなり険しく、余程ネイティブな山城に慣れた人でなくては危険です。雨の日や足元が怪しいときは下から見上げるに留めたほうが良い。
1つ目、2つ目の堀切が特に険しく、身の危険を感じる程。
一応古い踏みしろも有るのだが、あまり当てにならない。8つ目と9つ目(だと思った)の堀切は二重堀切になっていて、9つ目は尾根に沿って続いている。また西の尾根にも竪堀がついていて、東に登って行くと主要部にたどり着く。公式のポイントは、東の尾根を守る郭の可能性が有る。そこに至るまでの尾根はとても細いが身の危険を感じる程ではない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

時間切れで乾櫓見学出来ず (2025/04/26 訪問)

 豊臣石垣館の入場に天守閣の入場券が必要と言うことで、長蛇の入場券購入順番待ち列、天守閣のエレベーター待ち列を外れて階段上り登閣で思いのほか時間が掛かり、豊臣石垣館見学を終えたのが16時前、西の丸へ急ぎ西の丸公園入場券(@200)購入するが16時時間切れで特別公開の櫓群は見学当日終了との宣告、迂闊にも16時で終了とは確認して居なかった、誠に残念!、千貫櫓、大手門多聞櫓は以前見学してるので、乾櫓だけは見学したかった。
 
 取り敢えず乾櫓へ向かう、丁度終了後の片付けをして居る所、乾櫓の扉は開いているし、受付の女性に声を掛けて、チョット見学をお願いするが不可、何か資料は頂けない?と声掛けして乾櫓のリーフレットを頂けました。ありがとうございます。
 
 西の丸公園に入ったので、千貫櫓裏側、大手門多聞櫓裏撮影、西の丸から眺める大坂城天守閣を石垣、今盛りのツツジを入れて撮影、先の大坂サミットで建設使用した大阪迎賓館では結婚式の披露宴撮影の様でした、大手門枡形を通って大土橋側から千貫櫓、大手門多聞櫓側面、大手門一の門を撮影、(人の写ってる箇所はAI消ゴム修正して見ました?)大勢の人で賑わっている、海外の観光客が大勢見えていました。
    

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

もりちゃん

自然の地形を活かした土塁の配置がお見事‼️ (2024/05/19 訪問)

水田に囲まれた山の地形を活かしたお城。山をぐるりと散策すると、要所に配置された見事な土塁が圧巻❗️土塁好きには堪りません‼️
城跡の上から見晴らしの良い景色を眺めていると、電車が走っているのが見えたので、今度は電車からお城を眺めてみました。ほんの10秒ほどで過ぎ去ってしまいましたが(笑)、遠めからお城の全貌を見ることができますよ✌️

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

出やがったなぁ~ (2025/05/01 訪問)

虎御前山は標高220m、南北に南北に長く延びる山で尾根上に連続して砦が築かれています。姉川の戦いに勝利した織田信長公は、小谷山の目と鼻の先に位置する虎御前山に城砦を築く様命じ、浅井氏攻略に着手しています。
城砦は南側から順に丹羽長秀公、滝川一益公、堀秀政公、最高所に織田信長公、木下藤吉郎公、柴田勝家公の名が連ね信長公の並々ならぬ浅井氏攻略の決意が見られます。

虎御前山麓の虎御前山公園駐車場に駐車し攻略開始。まずは多賀貞能公陣はただの円墳で、砦跡らしき痕跡は見つからず、次に矢合神社を横目に通過し蜂屋頼隆公陣跡、ここにも陣跡らしき遺構は見当たらずただの円墳。次の丹羽長秀公陣跡には公園内に石碑があるだけ、気を取り直して次は、滝川一益公陣跡、ここにも円墳が3か所あるだけで、陣跡の痕跡は見当たらず。もう車に引き返そうかと思いましたが、とりあえず信長公の陣跡を見て帰ろうと思い直し、堀秀政公陣まで来たところ「んっ」「あれっ今までと違うぞ」横堀、堀切、帯郭等々城跡らしきものがあり礎石復元建物まである。信長公陣跡は、長枡形虎口、信長馬場、大曲輪、木下藤吉郎陣跡は土塁、かざし堀、大曲輪などが見られます。柴田勝家公陣跡は前方後円墳で城跡の痕跡は見つかりませんでした。
この城跡の見所は、堀秀正公陣跡から織田信長公陣跡・木下藤吉郎陣跡までが、城跡と呼ぶにふさわしい遺構があり見所といえると思います。

あっそうそう。木下藤吉郎陣跡で~>゜)~~~がにょろにょろと、1m程後方に飛び跳ねました~>゜)~~~ これからの季節、皆様方も気を付けて下さいませ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

国指定史跡 (2025/04/27 訪問)

この地方の観光サイトには必ず載る
場所ですね。深い歴史があります。
この日は外国の方も来てました。
売店など無いし、神社を写真に撮って
足早に去る人がほとんどかな。

中世山城を感じられる堀切など
じっくり観てきました。
周囲の広大な段曲輪が素晴らしいです。

+ 続きを読む

ぴーかる

会下城 (2024/03/08 訪問)

【会下城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.499113, 134.032060>のポイントの墓地に駐車スペースがあります。
<交通手段>車

<見所>主郭背後の堀切・土塁
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪2城目。現地説明板によると会下城は「因幡志」によると逢坂与十郎が居住しており村に屋敷があったという。1570~1591年頃、敵が攻めてきて逢坂与十郎は青谷に落げ城も落城したと伝えています。
 登城口は<35.498369, 134.033451>の石仏や五輪塔が集められた場所の獣柵を開けて入ります。急峻ですがロープが取り付けてあるので伝って登れます。北へ尾根道を進むと薄いが堀切があり切岸が見えます。切岸を登ると立入り禁止の貯水池があります。曲輪を改造したようです。貯水池の北奥も削平地になっていて最奥に堀切土塁があります。ここがどうも主郭のようですが、土塁の背後が2重堀切になっていて、2重堀切の北にも96番の三角点のある削平地があります。結構平坦にしているので城跡かどうかは判別できませんでしたが、ここまでが城跡であれば北の出丸といった感じでしょうか。尾根筋1本だけを改造した小さな城跡でした。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑩ (2025/04/27 訪問)

岩出山城からの転戦です。城址碑と説明板から観音堂の方に回ってみましたが、築地塀跡や菜切谷廃寺跡はスルーしてしまいました。この日は結構欲張った行程を計画していましたので、先を急いでしまった次第です。正午を回っていましたが、昼食もまだとっていませんでした。築地塀跡は、グーグルマップの城生館跡のあたりにあるようです。菜切谷廃寺跡もグーグルマップに載っていますが、結構離れています。

+ 続きを読む

Tokyobay

天守よりもこっちを見るべし (2025/03/09 訪問)

総構えと言えば、TVで最も紹介される小峯御鐘ノ台大堀切東堀。「総構えに来た!」という感覚になる。見落としがちなポイントではあるが、城内側のかき揚げ土塁が高くなっていることを確認し、その計算された防御性に関心する。また、横矢掛け用のクランクで堀が蛇行しているのも見どころである。その他土橋跡や中堀との連絡部分が逆方向から確認できるのも有意義。南口の目の前に無料駐車場があるので、時間がない人はここだけ見るだけでもよい。とにかく必見であり、天守よりもこっちを見るべし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぎりょう

「コ」の字形の枡形陣地、壮大な空堀に感動! (2025/05/02 訪問)

GW後半の初日は久々に地元の中世城館を探訪しました。宮城県北の黒川郡大衡村大瓜にある折口館(大瓜古城)です。大瓜は大衡村の西部に位置しており、鎌倉時代以降この地を支配した渋谷氏の一族、福田氏の居城とのこと。仙台藩の「仙台領古城書上」には黒川郡大瓜村の項に「一古城 東西四十四間 南北二十四間 城主福田太郎左衛門。永禄年中迄居住。曲輪長卅間幅四間ノ掘有。 二之丸 二十間 八間」との記載があります。
この城の縄張りの特色は、地形を利用して「コ」の字形に陣を構え、守りが手薄となる後背部を空堀で守る、桝形陣地というもの。藤ノ沢地区の東に突き出た標高50m程の丘陵上にあります。
攻城にあたり登城口の確認のため麓の民家にご挨拶。近年この地区ではイノシシの被害が大きく、民家と裏山の境にはイノシシ除けの金網が隙間なく設置されており、作業用の入口からしか山に入れないようになっています。お尋ねした家が地権者の方であったため、入山のお許しを頂き、金網の入口を教えていただくことができました。
道路から20mほど北に入った城址の東南側から攻城開始。雑木と竹藪になった帯曲輪とおぼしき段々を登り、途中では虎口らしき高まりも観ながら最上段の曲輪に到着できました。
主曲輪の規模は東西80m、南北48mの広さ、南東端部に東西17m、南北5m、高さ5m程の細長い土壇(物見か)を置きます。そして主曲輪の東側と西側には南に延びる脇の曲輪(二ノ丸か)が取付き、「コ」の字型の曲輪群が形成されています。後背部となる北端部には、西側から幅10m程の空堀が巡り主曲輪と西の脇曲輪を防御します。空堀は西側ではクランク状となり、対岸上に小規模な平場を設けて横矢を意識しているようにも感じられます。当地方の郡部に多い、領地支配のための「村の城」をイメージして訪問しましたが、舛形陣地、特に壮大な空堀に感動しました。
東北自動車道大和ICより10.7km、16分

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑨ (2025/04/27 訪問)

渕牛館からの転戦です。今回、初めて「行った」をポチッたのですが、実は、20年前、岩出山町だった時代に一度、訪れています。そのときも今回も有備館とセットでした。本丸の伊達政宗像は戦時供出で撤去された仙台城の伊達政宗像に代わって建てられたもので、今のかっこいい伊達政宗像ができたときに仙台市より譲り受けたものだそうです。現在、BSプレミアムで大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映されていますが、岩出山城も大きく取り上げられていますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

石見城リベンジ攻城の巻4️⃣ (2025/05/04 訪問)

主郭下段に腰郭のような平坦地あり(写真②~④)下山もひたすら赤い印を辿ります。大岩(⑨)や変わった木々(写真10)を見ながら下山。

猿の出没が頻発⚠。幸い車運転中、5頭見かけました。以前は高速道路上等にも出没。攻城の際は、食べ物に気を付けてください。熊や猪にも注意

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

石見城リベンジ攻城の巻3️⃣ (2025/05/04 訪問)

ひたすら赤い印を辿ります(写真②)
登城口から約20分で主郭に到着(①、③~10)
写真①の奥の開けた所から道の駅【ごいせ邇摩】を見渡せます。
今日は連休中なので、【ごいせ邇摩】のイベントの音楽が主郭まで届いていました。だから熊等いなかったのか?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

石見城リベンジ攻城の巻2️⃣ (2025/05/04 訪問)

ひたすら赤い印を辿ります。七曲の、平坦、急な坂道等通り、途中しだ(写真⑤⑦⑧)で阻まれますが、ひたすら赤い印を辿ります。
堀切もありましたが、上手く撮れませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

石見城リベンジ攻城の巻1️⃣ (2025/05/04 訪問)

三度目の正直でやっと主郭に到着。独りでは危険と言われましたが、運良く登る方々に遭遇したので、登ることが出来ました。

バス停から左手の民家前の道路を約30mすすむと登城口(写真⑤) 民家跡の2か所目の石積⑦。ここを左折直ぐに右折するのが登城道。スイッチバックのように通ります。貴重な道標⑨
ひたすら20~30m間隔の木の枝の赤い印を辿って登ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

畑城だじょ〜 (2025/05/04 訪問)

畑城の投稿です。福岡県の城は、トクさんの代行(自称)で攻略させていただきたいと思います。ご容赦下さいませ。
源平合戦の際に香月氏によって詰城として使われたとされますが、詳細は不明です。主郭は採石によって失われたとされ、二郭の1段高くなった場所に祠が祀られています。また、二郭西側の1段低くなった場所にも腰郭がありますが、他に遺構らしいものはありません。
畑ダムの駐車場を借りて、案内板のある場所から登りましたが、なかなか危ないです。坂が急で、落ち葉が積もっているので足元が滑りやすいです。一部フェンスの無い場所もあり、コンクリの絶壁になっているので、雨の日は登城を控えるか傾斜の緩い西側から攻めたほうが良いと思います。
あとストックもあった方が良いと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

攻城ならず (2025/05/04 訪問)

ネットや石見銀山遺産センターのガイドさんのお話で予習しましたが、攻城ならず(今にも熊が出そうだったので)
登城口等載せます。ここに至るまでの林道は、軽自動車でやっと通れる位の幅。見通しが悪いので、対向車の為に、ライト点灯の運転がおすすめ。

石見銀山遺産センターで【穴子】入りおむすびで昼食。大田市は【穴子】が名産。
石見銀山遺産センターは駐車場から長蛇の列。車道まで車が待機していました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ102