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ぴーかる

尼子十砦9城目 (2025/03/30 訪問)

【高尾城】
<駐車場他>城福寺駐車場<35.288112, 133.248113>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り尼子十砦旅3城目。城びと初登城投稿になりますので案内から。城福寺の山門に城跡碑があります。境内に入り、左手にコンクリートブロックの階段がありますので上がって祠の最上段、北西側山の方向に2重堀切が降りてきているのが見えますので登ります。右手の堀切の方が登りやすいです。
 降雪がひどくてカメラをかばいながら散策したのであまり隅々まで散策してはいません。城跡は主郭の北側・東斜面は藪化してちょっと入れない。西側に堀切があり南北に竪堀となって落ちています。主郭南側から登り口になり切岸の南側が2重堀切になっています。堀底に案内板があります。2重堀切の南側山上と東側斜面が南曲輪群となっていて、更に南側にも2重堀切があります。
 とにかく主郭の南側の堀切群が圧巻で、南端の堀切に取り付くと堀切渡りが息を切らしながら楽しめます。堀切が主体で堀切の間や尾根の側面の隙間に腰曲輪が点在している感じで堀切の面積の占める割合の方が大きい、この地方、尼子のお城では珍しい堀切の城で見応えありました。いい山城です。

<満足度>◆◆◇

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虹の駅から (2025/06/07 訪問)

 摩耶ケーブル虹の駅から散策を開始しました。摩耶花壇跡を過ぎて摩耶山方面へ行ってしまい途中で気がついたのですが、せっかくなので摩耶山史跡公園まで行って来ました。階段が続いていて途中で後悔しました。気を取り直して峠茶屋跡まで戻り城跡の散策を開始しています。曲輪と思われる削平地、竪堀らしい地形、石垣の跡らしい場所を見つけました。それらしい地形はありますが、どこまでが城域なのか、どこまで遺構なのかよくわかりません。縄張りもわからず、本当にここでいいのだろうかと半信半疑で散策しました。ぴーかるさんも投稿されていた謎のコンクリート建造物を発見したときは、ここでよかったのかなと少しホッとしました。

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シャンシャン

松山城の石垣 (2025/06/06 訪問)

松山城は3回目の訪問。
夕方だったため天守は閉まっている時間だったけど、その分人がほとんどおらず本丸内をじっくり見学することができた。
本丸の屏風折になっている石垣は圧巻の一言!また今回、県庁裏登城路の途中にある登石垣は初めて見ることができた。
近隣にある伊佐爾波神社は全国に3つしかない八幡造りの珍しい楼門があり、ここから見る松山城も趣がある。

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太閤の愛した湯 (2025/06/07 訪問)

 神戸電鉄有馬線有馬温泉駅より徒歩で跡地といわれる念仏寺、極楽寺付近を散策しました。太閤の湯殿館、石垣・帯曲輪などを観て来ました。
 有馬温泉には久しぶりの訪問です。また泊まる機会があればついでに行こうと思っていましたが、なかなか機会はなさそうなので行って来ました。

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シャンシャン

貴重な古代山城跡 (2025/06/06 訪問)

愛媛県にある古代山城のひとつ。
白村江の戦いで日本が敗れた後、国防のために築城されたとのこと。
国指定史跡となっており、登城路はよく整備されているため登りやすく、随所にある案内板で城跡について丁寧に説明されている。
山頂からの景色が非常によく、もし敵が瀬戸内海を通ればすぐに発見できたと思われる。
一部復元された城壁もあり、さらに現在も整備を進めているようなので、これからどう発展していくか楽しみ。

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小城小次郎

キャンプ客を掻き分けて (2024/10/12 訪問)

鋸崎台場とともに国史跡の台場だが鋸崎台場は原発敷地内にあって近寄れない。キャンプ場内にある松ヶ瀬台場はタイプの異なる1号・2号台場いずれも見学可能だが楽しそうなキャンプ客を掻き分ける勇気が求められる(笑)

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しんちゃん

鷹山氏 (2025/05/31 訪問)

高山城は富雄川の北の丘陵に築かれていて、東側に河川と街道が沿って北上しています。一条院方衆徒の鷹(高)山氏の城で、応仁の乱から戦国時代初期にかけては越智・古市方に属し、天文13年(1544)には筒井氏に味方して柳生城を攻めますが、筒井・松永両氏が争った際には松永方についています。
案内板には畠山氏や細川氏とも通じ、周囲の武士と敵対と連携を繰り返したと記載されています。畠山氏の重臣・遊佐長教に仕えた鷹山弘頼は山城上三郡の守護代に任じられるほど勢力を増しますが、天文22年(1553)に羽曳野市の高屋城で弘頼が安見宗房により自害に追い込まれると、鷹山氏の勢力は衰退していったようです。
豊臣秀吉による筒井氏の伊賀転封に伴い、鷹山氏も高山を離れますが、後に大和に戻って来たようです。

東の街道沿いに北上して行くと城址北側から西に向かって道が続いていて、標識もついています。登城口の前の空スペースは個人所有の土地かも知れないので、車はどこか余裕のあるスペースに停めておいた方が良いでしょう。登城道に沿って南に進むと西側に扁平地と入口のよな場所があるので、そこから城址に入ります。尾根上には浅い堀のような箇所があり、南に進んでいくとすぐに主郭らしき場所に至ります。主郭は東側と、南側に郭を持ち、その間に腰郭がついています。
南の郭を先に進むと石碑や鳥居のある郭が有り、そこから南側は通行止めのロープが張ってあるので、引き返すことにしました。
南側には土塁を備えた郭が有るようで、南の尾根伝いに訪問できるかもしれません。

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しんちゃん

郭Ⅲ・主郭西側の堀切群 (2025/05/31 訪問)

郭Ⅱのエリアから郭Ⅲのエリアに移動しますが、やはりここにも堀があります。そのまま北に向かうと、竪堀となって下に続き、東側に土塁と堀切があります。このまま竪堀に沿って降りて右手(東)に回り込んでいくと畝状の堀群が有るようですが、訪問していません。ちょっち爪が甘いです。
郭Ⅲの南の腰郭を確認した後は、主郭北西の遺構を目指して進みます。城址の見どころはやはり、主郭の周辺に集中しているので、ここだけはしっかり見ておきたい。主郭の二つ目の腰郭の脇から西下に道が続いています。目の前には堅土塁があって、大堀切が南北に続いています。高所が土橋になっていて、その先には郭Ⅰ-13が有ります。そこからでは大手道に戻れないので、サブコースに戻って下山と相成りました。

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トク

黒田六端城を行く:(4城目)益富城 (2025/02/16 訪問)

黒田六端城を行く、4城目は「益富城」です。嘉麻市の標高190mの眼下に街道が見渡せる地に、黒田長政は「後藤又兵衛」に16,000石で与えます。大河ドラマ軍師官兵衛では「塚本高史」さん、真田丸では「哀川翔」さんが演じられていましたね。

JR篠栗線「新飯塚駅」から大隈行のバスに乗り終点で下車、そこから国道211号線沿いにもう100m程進むと「一夜城」の標識があり、そこから舗装路を40分程歩いて登った場所に益富城はあります。よって車の方は直接山頂付近まで行けます。またバス停のすぐそばにある「麟翁寺」には、益富城の搦手門(写真②の場所にあった門)が移築されており、又兵衛の後に城主となった母里太兵衛の墓もありました(写真⑩)。

駐車場前から二の丸までは5分程の登りです。途中には一国一城令で破却された石垣や(写真③)、竪堀(写真④)や空堀(写真⑤)の跡などがよく残っていました。二ノ丸に入ると(写真①)。搦手門の跡の桝形虎口(写真②)や、櫓台も残っていました。

さらに本丸まで進むと(写真⑥)、大手門跡や建物礎石(写真⑦)もありました。ここで又兵衛は暮らしていたようです。さすが戦上手の又兵衛ならではの城だと思いました。

又兵衛の前には、秋月種実が隠居城としていましたが、豊臣秀吉に従わなかったため、秀吉は村じゅうの戸や襖をかき集め、(写真⑨)の場所で一夜にして城が建ったように見せかけたそうです。麓にいた種実はこれに驚き降伏したという逸話があり、それで地元の人は一夜城と呼んでいるようです。

後藤又兵衛は、父を亡くした後に伯父が黒田を裏切ったため追放されてしまいます。仙石久秀に従いますが戸次川の戦いで久秀は秀吉の命令に違反したため改易。又兵衛は官兵衛の下に戻る事を許され、8才年下の長政と兄弟のように育てられました。しかし長政とはあまり合わなかったようです。1604年に官兵衛が亡くなると、1606年には又兵衛がこの益富城にて、長政と犬猿の仲である細川忠興と密通していた事がばれ、立場が悪くなった又兵衛は黒田家を出奔し益富城を出ます。一時池田輝政の世話になりますが、結局京都で浪人暮らしをしていたようです。しかし1615年大坂冬の陣が始まると大坂城に参陣し豊臣方として活躍します。しかし奮闘及ばす、同年の大坂夏の陣の道明寺川原の戦いで命を落としたとされています。しかし近年、実は生き延びていたとの説もあり、この益富城を目指すも、玖珠の角牟礼城の北にある耶馬渓あたりまで着いた所で豊臣秀頼が死んだ事を知り、そこで悲しみのあまり自害したとの言い伝えがありその墓も残っています。どっちが本当なのか興味深い話です。
 

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑦ ~山上ノ丸 (2025/05/05 訪問)

久松山に登るのはこれで6回目です。2002年、最初に久松山に登った時は、とてもきつい山城に感じ、青息吐息でしたが、今はさほどに体力を消耗しません。天球丸から山上ノ丸の本丸まで15分の所要でした。老いてますます盛んといったところです。今回、ラッキーなことにピクミンブルームの山デコ、まだ持っていなかった赤ピクミンと羽ピクミンをゲットすることができました。久松山の文字が入っていてうれしい限りです。山上ノ丸の本丸は、昔に比べてその下の郭がよく見えるようになっているように感じました。時間にはもちろん余裕があるので山上ノ丸の二ノ丸まで戻って太閤ヶ平を目指します。

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しんちゃん

どこへ行ったか芥川氏 (2025/05/31 訪問)

芥川城は芥川氏の平城(館)であったとされ、平安時代から存在し、芥川氏が勢力を拡大するにつれ城の規模も大きくなっていったようです。応仁の乱以降は芥川氏の勢力も衰退していったようで、永正13年(1516)1月に細川高国の命を受けた能勢頼則によって芥川山城(新城)が築かれ、芥川城は細川氏勢力下において麓の居館(平城)として活用されたのだと考えられています。

極めて写真の撮れ高の低い城で、周囲が写らないように城址碑の写真を撮ることしかできません。周囲の道も狭いので、あまり入り込まないように気を付けないと・・すごい狭い道をくぐってキューブが入って来る。地元民強ええ・・。

このあと豊中市の「大坂らーめん 秀吉」に向かいました。こじんまりとしているけど、歴史好きなら何度も足を運びたくなる店です。
私は看板メニューの「太閤ブラック」をライス付きで注文。地鶏の出汁を使ったしょうゆラーメンで、そんなにしょっ辛くないのが良い。他にも
信玄らーめん・・塩 地鶏出汁
信長らーめん・・煮干魚介豚骨出汁
家康らーめん・・味噌豚骨出汁
利休・・利尻とろろ昆布と鯖を効かせた塩らーめん
茶々・・地鶏出汁醬油台湾らーめん 0~1辛
茶々ホワイト・・地鶏出汁塩台湾 1~3辛
謙信・・つけめん・和風醬油出汁
政宗・・まぜそば
以上、替え玉は2分かかります。お値段一律リーズナブル円

清正「わしは?」 正則「わしも」 三成「拙者も」 ・・キリが無いので。
秀頼「ボクは??」 そうですな、なんでいないんだろ。茶々さんは2種類もあるのに。 他にも誰か大事な人を忘れているような・・



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しんちゃん

郭Ⅰ(主郭)・郭Ⅱ (2025/05/31 訪問)

畝状竪堀群を堪能した後は郭Ⅰ(主郭)に、向かいます。主郭の虎口は南についていて土塁が西に続いています。東辺一帯には櫓台と呼ばれる一段高い扁平地が南北に続いています。櫓台は北西にも築かれていて、そこから北の腰郭(Ⅰ-5)を経由して水の手(井戸跡)を訪問し、そのまま主郭東の切岸を眺めながら、郭Ⅰと郭Ⅱのエリアを切り分ける堀切を確認しました。
郭Ⅱの西腰郭の間を通る堀道を通って、腰郭をいくつか経由して郭Ⅱに到達しました。郭Ⅱは東西をⅠ・Ⅲの郭に挟まれているので竪堀などの仕掛けが少ないですが、腰郭も多く、東西の境界を仕切る堀切もあるので、独立した郭としても成立すると思います。

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しんちゃん

見ごたえ十分の畝状竪堀(空堀)群 (2025/05/31 訪問)

鹿背山城は木津氏によって築かれたと考えられています。15世紀には南都興福寺の傘下の武将である古市氏らによって使用され、16世紀後半には松永久秀によって改修を加えられ、北方の防御の城として重視されたと考えられています。
南山城でも最大級の山城とされ、西から一郭(主郭)、二郭、三郭が並び、それぞれに腰郭が付いています。理想的な一城三郭の形態を持っています。余呉さんの縄張りを見ると、各郭の麓には池があり、主郭の北には水の手があります。東西の主要な郭には畝状の竪堀が付き、その縄張りの美しさを合体ロボで例えるなら「アクエリオン」実用性は「ダイオージャ」といったところでしょう。
なんのことかわからん?・・ググってくだされ。
西念寺の脇から大手道が続いていて、サブコースから回れば、すぐに城址に入ることが出来ます。早く畝状竪堀(空堀)を見たかったので腰郭群を登って行って西脇から訪問しました。比較的大きめの土塁が三条続いていて、その北側にも二条の土塁が竪堀と一緒に二条続いています。こちらの土塁は上の方で繋がっていて、西側を守っています。良く考えられた高度な縄張りで、隠れた築上名人として松永久秀の名を記憶する必要がありそうです(多聞山城・信貴山城・鹿背山城・龍王山城)。ちょっと地味かな・・。

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ナマズ

奈良ホテルになった城 (2025/06/06 訪問)

今日学校帰りに鬼薗山城の横を通りました
今は奈良ホテルになっていて何もないですがかつて古市氏が筒井氏に備えるために築城したみたいです

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朝田 辰兵衛

天候に恵まれて良かったです…☀ (2025/05/03 訪問)

横尾城からの転戦です。正確に時間を測ってませんでしたが,徒歩約60分くらいの感覚でした。結局,真田自治センター入口バス停から,横尾城そして洗馬城まで往路も復路も歩きました。しかも,復路では真田自治センター入口バス停で1時間待ち。そもそも,「最悪のパターンで計画しよう」と腹をくくらないと,攻城に踏み切れないと思います…。
個人的には,天候に恵まれてホント良かったです。雨男なので。

洗馬城ですが,ぜひ主郭背後の堀切,そして堀切から落ちる竪堀を(いろいろと想像を巡らせながら)散策してほしいです。

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翡翠

岩国城 (2021/08/30 訪問)

城びとさんを始めたのが、本当に最近なので、行ったのは4年くらい前です。ロープウェイに乗って上がります。

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にのまる

一歩前進。 (2025/03/20 訪問)

数年前の初登城時は焼米ヶ原と増長天礎石群、鏡ヶ池で時間切れとなってしまいました。
それはそれで満足しているのですが、百間石垣を見てみたいのと、何を見ても読んでも全体像が掴めないあの山の中が一体どうなっているのか自分の足と目で確かめたいという気持ちが募って再訪してきました。

麓の大宰府政庁から市民の森を経て岩屋城へ。
岩屋城からさらに進んで太宰府口城門へ向かいました。

太宰府口城門は前回下りなかったことを激しく後悔していたので、一も二もなく突進しました。
そして出会ったパラダイス✨
1300年の時を超えて今この姿を見、かの時代に思いを馳せることができる幸せを噛みしめました。
両袖に延びる石塁と土塁もまた目と心にぐっと迫り来るものがあり、強さに魅せられるというのはこういうことなのかと感じ入りました。

広々とした焼米ケ原。どこまでも続く青空。どこからでもかかってこい!な眺望。
版築模型や公衆トイレの新築工事など楽しく安心してお城を学べるサポートもありがたいです。

尾花礎石群、増長天礎石群に行きました。鏡ヶ池から大石垣まで遊歩道で行けそうなのですが、途中で案内がなくなり、わからなくなってしまいました。
土塁の工事をしているところがあり百間石垣まで通じていて一周できるのかな?とも思いましたが、行っていいのかどうかわからなかったのでやめておきました。
子供の国も人の気配がなく、ここから先どう行けばいいのか行き詰まってしまったので、仕切り直して車道から県民の森センターに行くことにしました。

県民の森センターでスタッフの方に見どころや安全に歩いていけるかどうか、所要時間などを伺い、いろいろ考えて車道から百間石垣へ行き、北石垣経由で戻ることにしました。

てくてく歩いていると自動車が2台停まっていたので何かあったのかな?と思ったら、そこが百間石垣でした!
こんな風に現れるとは思っていなかったのでびっくりです。
階段があったので登ってみるとかっこいい土塁が続いています。登山道の案内もあり、ここを歩けたんだろうなぁと思いましたが、全体像もルートも今ひとつ把握できていないビギナーの単独登城なので、今回は車道ルートでOKだったとしました。

そして北石垣に向かったつもりが「鮎返り滝」の案内につられて道を一本間違えてしまい、外側の遊歩道に行ってしまいました(ノД`)
そのおかげで北端の土塁を見ることができ、いい具合に小石垣(北石垣ではなく!)に出ることができたのですが、まあまあ彷徨うことになってしまいました。(しかもこのあたりは電波がない。)
見上げる小石垣は露出部分は少なめながら古城感を纏っており、暫し見惚れてしまいました。

「小石垣100m・北石垣290m」という案内があります。小石垣は目の前なのであれ?と思い、290m登るのはきついかもと少し躊躇しましたが、せっかくなので北石垣へも行ってみることにしました。ロープ伝いに登り、案内が立っているところを何度も見たのですが、草に覆われた行き止まりのロープの先だったのか確認はできませんでした。

そろそろ戻ります。
北石垣から主城原に遊歩道が延びていたので、通り損ねた百間石垣への土塁ルートではなくこちらを通ることにしました。
静寂の中の礎石群。
迷ったり悩んだり間違えたりしてたどり着いたので、導かれたんだなぁという気持ちになりました。離れがたいです。でもここにとどまり続けるわけにはいかないので“また来るね”と言ってあとにしました。

遊歩道をずんずん歩いて県民の森センター近くに抜け出しました。疲れていたらタクシーを呼ぼうと思っていたのですが、あとは帰るだけだから平気だろうとまた車道を焼米ヶ原に戻り、そのまま太宰府駅へくだりました。なかなか遠くて、ここがいちばんきつかったです。

行く前は謎だらけで全体像もイメージも全く把握できなかった大野城。
完璧には程遠いながら歩いてみて大枠で掴めた気がします。次回の目標もできました。

帰宅後、改めてみなさまの投稿を読むと、書かれていることがものすごくよくわかりました。
ー登城体験を共有できた喜びー。
これが城びと投稿欄のいちばんの意義なのではないかと思いました。
そして、まだまだ行ける、行ってみたいところをリストアップすることができました。みなさまの現地情報のおかげでますますお城めぐりが楽しくなってきています。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます🙇‍♀️

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ナマズ

綺麗な復元天守と好きなこうの史代の原画 (2025/06/01 訪問)

6月1日ずっと行きたっかた福智山城に行きました。
大量の転用石をじっくりみながら天守に行きました。
天守は複合・連結式望楼型の綺麗な復元天守でした。そして天守に登り明智光秀の展示を見大好きな映画『この世界の片隅に』の作者の
原画を見ることができました。
帰り黒井城と鬼ヶ城に行きました。

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翡翠

赤穂城 (2024/02/17 訪問)

赤穂大石神社から赤穂城へ歩いて、すぐでした。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑦ (2025/05/05 訪問)

4連休の最終日には所用が入っていたため、この日が因幡の城めぐりの最終日となります。本当は、市場城もターゲットにしていて鳥取県の城びと登録城、一気にコンプリートしてしまうつもりでいましたが、続100名城のスタンプ帳を忘れてしまったため、若桜鬼ヶ城攻略を来年以降に先延ばしすることにしました。かなり手ごわそうな市場城は、若桜鬼ヶ城の比較的近くに所在していますので、その折に攻略したいと思います。ということでこの日は鳥取城のみに専念することになりました。今年のゴールデンウイーク後半の目的地を鳥取県にしたのは、鳥取城にてこのたび渡櫓門が竣工し表門と共に中ノ御門となっている桝形を拝むためでした。ホテルの朝食をいただいて、7時にはチェックアウト。7:10の段階では、まだ県庁の吉川経家像前の駐車場もガラガラです。青空のもとで、竣工したばかりの渡櫓門、4月26日に開門式が行われた中ノ御門を拝むことができました。擬宝珠橋を渡るのも今回が初めてです。初めて鳥取城に来た20年以上前に比べると、鳥取城の整備がかなり進んでいてうれしい限りです。天球丸まで脚を伸ばしてから、山上ノ丸へと進みます。

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