狩野城へ行くバス時間(修善寺駅➡柿木橋バス停)が30分以上あった為、修善寺観光をしました。
徒歩30分以内で帰ってこれる場所として以下を巡りました。
①湯川橋(34.979368、138.946211)と②湯川橋説明板(34.979835、138.946268)
湯川橋は踊り子との出会いを『伊豆の踊子』の元になった有名な橋です。
川端康成は彼女たちと天城トンネルまでの間で二度会っており、最初に出会ったのが修善寺近くの湯川橋になり、川端康成の人生を大きくかえた出会いでした。
湯川橋は狩野川に流れる桂川に架かる橋で修善寺橋近くにあります。もうすこし綺麗な橋かと思っていたのですが、ひょっとしたら大正7年から替わっていないのかもしれません。
橋のたもとには、「伊豆の踊子」についての紹介看板が立っていて、小さいながら駐車場もありました。
③愛童将軍地蔵前(34.979907、138.947778)
修禅寺に幽閉されていた鎌倉二代将軍・源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々によって建てられた笠冠地蔵です。
元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の西北のたもとに移されました。
幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘にのぼって月を眺めてその憂さを晴らし、また里の子どもを集め共に遊びながら、鎌倉に残したわが息子・一幡に思いを馳せていたといいます。
23歳の若さで無残に暗殺されたことを知った里の人たちはとても悲しみ、浄財を集めて月見ヶ丘に地蔵を建立しました。
源頼家は、里の子ども達を大変かわいがった将軍であったので『愛童将軍地蔵』と呼ばれています。(伊豆市観光情報サイトより)
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=狩野城に向かう為、修善寺駅からバスで柿木橋バス停に向かいました。
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