みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

いんげん丸虫

元本堂城 秋田県仙北郡 (2025/04/27 訪問)

170mの山城です。
長く伸びた尾根上を主郭を中心に
数本の堀切で遮断してます。
道路、"みずほの里ロード"に看板
があります。そこに駐車可能です。
特に整備はされてませんが、登り口
に地元の方が作成した小さな表記が
あります。

+ 続きを読む

ホリタカ

午後だと逆光 (2025/05/01 訪問)

昼下がりに着いたのですが、ちょうど逆光になっちゃいました

+ 続きを読む

ホリタカ

山里口御門 (2025/05/01 訪問)

山里口御門がキレイな復元されてます

+ 続きを読む

ぴーかる

市場城 (2025/03/08 訪問)

【市場城】
<駐車場他>登城口西側の駐車スペース<35.417868,134.311660>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>舌状曲輪連段・切岸・巨石・大城郭
<感想>転送したら写真全滅だった件、の再訪城1城目。現地説明板を要約よると市場城は「草創年代不詳、鎌倉時代因幡国守護の大江氏の一族である毛利氏(因幡毛利氏)が来国、この地方の地頭となります。城郭的形態を整えたのは鎌倉時代後期と考えられる。戦国時代には山名氏・毛利氏・尼子氏と複雑に従属や合戦が入り乱れ、羽柴秀吉の鳥取城侵攻に伴い1581年、十余代の毛利豊元を最後に城は落城」とあります。
 案内を詳細に記述します。登城口は<35.417415, 134.313263>、背後に手書きで書かれた素晴らしい縄張り図、説明板があります。登城口の道を真っ直ぐ山に向かって突き進むと墓地に入ります。墓地に入ると右手に丸太階段があるので登ります。荒れた墓地の上段に出ます。奥に竪堀(現地縄張り図に記載されている)があるので竪堀かその脇を直登(ストック・手袋要)します。竪堀を登り切ったら北西の麓付近の曲輪に取り付けます。あとはもう主郭まで曲輪群が連なっているので遺構を観つつ登れます。
 カエル岩へは、岩の切岸壁がある曲輪の1つ下段の曲輪、東側の奥が谷の斜面があり木々が少し薄くなっていて谷の斜面を横断できるので横断すると舌状曲輪に入れます。そこから北方向へ巨石の連段曲輪を下っていくとカエル岩があります。
 ほぼ独立した山全体が城跡となっていて、山の北側全体の尾根筋に連段の曲輪を多数配置しています。主郭から南東の尾根筋は比較的平坦で3条の堀切を設けています。主郭の東下段に巨石が多くあり蔀の役割をしていたかと。そこから北へ急峻な岩場を下っていくと最北東側の曲輪段に出ます。舌状の広い曲輪が連段になって山の中腹まで落ちています。切岸も垂直気味に高さがあるので見応えがあります。2時間半散策しましたが主郭から真北に落ちる2条の連段曲輪群は行き方が分からず行けませんでした。大城郭の見応えある城跡でした。散策楽しかった。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

楠木正行築城 (2025/04/26 訪問)

 堀城を終えて、阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪ラスト三津屋城を目指す、城びと投稿者にては徒歩で訪ねたと有り、スマホナビを見ながら進行、約1.3km程、私の足では20分位かなと、阪急神戸線沿いの道を神崎川駅方向へ、淀川区第1576号線を西へ、三津屋小学校辺りで光専寺を目指す。スマホナビを見てると後の距離、時間が出て励みになり、疲れた足腰も和らぐ感じがします。

 三津屋城跡である光専寺山門に到着、門は閉まって入れません、山門前に説明プレートが2枚、光専寺縁起プレートが山門西袖塀に据付られて居ます。
 
 三津屋城はよく調べて無く、楠木正行の名前が出てきてビックリしました。

 説明プレートには、「三津屋城跡伝承地」南北朝時代の城で楠木正行によって延期年間(1336~38年)頃に築城されたと言われる。現在の光専寺の一帯に「字 城之前」の地名が伝わり、城郭の詳細は不明ながら、この付近に存在したと推定される。(大阪市教育委員会)

 もう1枚の説明プレートには、明治18年の地籍図付きで「三津屋城跡伝承地」この地にある光専寺の周辺は「字 城之前」と呼ばれており、付近には「字 馬洗」の地名も存在した事から、この一帯が城跡であったと推定される。かっての城郭の状況については不明で、変遷やいつ廃城となったのかも明らかでない。
 光専寺は本願寺派の真宗寺院で、文安5(1448)年に楠木正行の末裔である末弘治郎左衛門が蓮如上人に帰依し、廃朽した城跡に建立した寺院と伝わる。(大阪市顕彰史跡第197号)抜粋

 三社山 光専寺 縁起のプレートにも、楠木正成が子、楠木正行が築く三津屋城の址に楠木一族の末裔末弘治郎左衛門が蓮如上人に帰依し一宇を草創せしを始祖として現在に至る。元禄年間建立の総欅造りの本堂は昭和20年6月の空襲で焼尽、現在の本堂は昭和40年再建、山門は戦災にも焼け残り、昔日の面影を伝え残す唯一の遺産と成った。(縁起プレート抜粋)

 山門が閉まり入れないので門前で参拝、各プレートを確認読んで、撮影し今回の阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪は三津屋城で終了です。

 光専寺から阪急神戸線神崎川駅へ650m程、スマホナビ頼りに痛い足を引きずりながら約10分。
 
 最近完成した大坂城豊臣石垣館へ向かいます。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

長慶の櫓跡発見! (2025/03/08 訪問)

築城時期は不明ながら小泉荘を領する小泉氏が築いた城で、三好長慶が細川晴元と対抗するために改修して洛中の拠点とし、織田信長が上杉謙信に贈ったと伝わる狩野永徳作の洛中洛外図屏風にも「さいのしろ」として描かれています。長慶の死後も松永久秀や三好三人衆配下の城として機能しましたが、信長の上洛に際して自焼し、廃城となったようです。

遺構はもとより石碑や説明板すらない城ですが、6年前には比定地とされる西院春日神社を見落としていたので、お参りして写真を撮って再訪完了。早々に次へと向かいました。

…などというだけの再訪の投稿をしても仕方ないよなぁ…と思っていたら、城びとの✕から西院城発掘調査のポスト(https://x.com/Shirobito_jp/status/1918089992750203295)が流れてきました。西院城って小泉城のことだよな? と思いながら元記事を見てみると、城びとでの小泉城の位置情報の少し東あたり(たぶん)で共同住宅建設に伴う発掘調査があり、櫓とみられる高い柱と大型の礎石を備えた建物と石組みの溝の跡が出土したとのこと。洛中洛外図屏風に描かれている建物に近い形状で、四条大路をまたぐように建てられていることからも長慶が改修した際のものと考えられるようです。現地説明会の有無等は記されていませんが、調査の後に埋め戻されるのは仕方ないとしても、これまでは本当に見るところのない城だったこともあり、せめて調査場所に発掘調査の説明板だけでも立ててもらえないかなー、と。
 

+ 続きを読む

カズサン

堀城跡伝承地 (2025/04/26 訪問)

 今西氏屋敷(今西家土居屋敷)を終えて、阪急服部天神駅から阪急十三駅へ、阪急宝塚線沿線未踏の城探訪ラス前「堀城」を目指す。
 阪急十三駅西側より阪急神戸線沿線沿いの道を神崎川駅方向に約250m程で武田薬品工業東門へ着く、東門の東手に説明プレートが2枚据え付けられている。

 説明プレートには「堀城跡伝承地」とあり、室町時代後半に築城された城で、元亀元年の織田信長による野田・福島攻めでは将軍・足利義昭が入城した。現在、かっての城郭を示すものは地表に見る事は出来ない。(大阪市教育委員会)

 もう一つの説明プレートには、明治8年の地籍図付きで堀城跡伝承地が破線で示されている。十三渡北岸の要地であった城、細川氏、三好氏、織田氏との抗争が有り、野田合戦では足利義昭が入城、廃城後も樹木は残り「堀の森」と呼ばれた、現在地南西方向の十三公園巨木はその名残と伝わる。「大阪市顕彰史跡第198号」の抜粋

 企業の門袖にプレート2枚を据え付けて頂けて、史跡の説明、跡を訪ねる個人としては大変ありがたい。余裕が有れば十三公園にも出向きたかったのですが、足腰、足の裏も痛みが出始めて先を急ぎました。

 駐車場は有りませんし周辺は住宅地商業地工業地ですので徒歩或は自転車、オートバイが良いようです。
 
 次はラストの三津屋城を徒歩で進行。
   

+ 続きを読む

いんげん丸虫

十六沢城 秋田県大仙市 (2025/04/27 訪問)

220mの山城です。
県民憩いの森公園として整備され
てます。
北の尾根、西側のしっかりとした
畝状竪堀がみどころですね。
車ですぐ近くに行けます。

+ 続きを読む

五箇篠山城(三重県多気町)(城びと未登録) (2025/04/28 訪問)

 イオさん、近畿コンプリートのトリ、田尻城登城をご苦労様でした。イオさんに攻略いただいて、落ち着くところに落ち着いた感があります。小谷峠経由であれば、比較的登城しやすかったとのことですが、帰路は迷われたと、それなりの難関でしたかね。ちなみに、私は、田尻城を目指す前の清水城で足を痛めましたが、翌日は、めげずに利神城のガイドツアーに参加しました。
 五箇篠山城は、南北朝期に南朝の拠点の一つであり、その後、北畠具親が織田信長に対して蜂起した際に、改修して立て籠った城です。中腹のふるさと交流館せいわまで車で登ることができ、登城道も整備されています。東西の尾根上の連郭式の構造であり、郭間はいずれも、とても深くて広い堀切で隔てられています。Ⅰ郭には桝型虎口や土塁も。Ⅰ郭とⅡ郭の間の堀切(写真4、5)は、二重堀切かと思いきや、「三重の山城ベスト50を歩く」によると、幅広の堀切を作った際の堀残しだと。言われると、堀の中の土塁状の高まりは、堀切と平行方向の長さがなく、堀残しに見えます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

元市長の自宅造成で破壊された小峯御鐘ノ台大堀切西堀 (2025/03/09 訪問)

小峯御鐘ノ台大堀切は総構最大の見どころだが、まずは西堀へ。ここはかなり改変が行われているが、ガイドによると天守を見下ろす高台に元市長が無理に自宅造成しようとして遺構を破壊したとのこと。何も知らないと、単なる庭園工事の失敗を石垣跡と勘違いしたり、単なる埋め立て工事を土橋と勘違いしたり、妙に整備された通用門を総構の遺構と勘違いするので要注意。当たり前だが、この辺の「負の遺産」ついては案内板には何の説明もない。とはいえ、西堀先端の三又部分は必見ではある。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

HKISD

松尾城散策 (2025/05/02 訪問)

すごく登りやすい山城でした。
城の輪郭が確認出来てよかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

宗春

ゴールデンウィークの平日に地元から在来線で京都まで遠征しました (2025/04/30 訪問)

休日に行くと激混みが予想される二条城に、会社休みの平日に行ってきました。何年か前、「青春18きっぷ」が改悪される前に一度在来線で訪問した経験があったので、今回も在来線を利用しました。
前回訪問時に工事中で見られなかった本丸御殿が公開された事がきっかけとなりました。またJR東海のEX予約限定の御城印も目当てでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

HKISD

一ツ戸城散策 (2025/05/02 訪問)

とても登りやすい山城でした。
途中ロープの所でロープの杭が外れていたので怖かったですが
非常に迫力ある山城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

HKISD

長岩城跡散策 (2025/05/02 訪問)

当時の石垣が見事でした。
岩のコケ、木のコケも最高に絵になっていました。
今回は本丸回りの中級コースでしたが、上級コース、最上級コースも行ってみたいと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

HKISD

平田城散策 (2025/05/02 訪問)

金網を開けて入りました。黒田の石を見る事が出来ました。
黒田関係の城はしみじみ来ますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

戦国 戦国~♪ (2024/12/30 訪問)

い~ち じゅう ひゃ~く せんごく時代 ♪ 戦国 戦国~♪ 戦国 戦国~♪ あづち~ ももや・・(やかましい! ボゲシッ!)
う~ん ちょっとクセになりそう、フルバージョンで毎日やれば心も体もキレキレです。
しかし「大奥」33人とは、ちょっと羨ましい。・・・365÷33で(計算するな!)ひょっとして大車輪?(ボカッ)

青木城は本覚寺周辺に築かれていたとされ、線路を挟んで対岸にある権現山城から見ると、高台にあることが良く解ります。かつては権現山城のある丘陵と繋がっていたようです。永正7年(1510)扇谷上杉氏家臣・上田政盛が伊勢盛時(北条早雲)に通じ、権現山城で挙兵した際に、伊勢盛時の援軍が本覚寺の地蔵堂に籠ったとされています。遺構らしきものは見当たりませんが、周囲との高低差が軍事的な施設であったことを感じさせてくれます。なんとなく土塁に見える高まりもあるのですが。境内にはアメリカ領事館跡の石碑がありました。

明日から、私もようやく、城攻めに出発です。頑張って薩摩を目指しますが体力が落ちてきているので途中で力尽きるかも・・。
個人的に各地の城びとさんがわたしの狙っている城をサッと攻略しちゃうと面白いです。「き~ 悔しい!」みたいのをやってみたいですね(もう攻略済み?)。鹿児島の零汰さんがムクムクと起き上って来てくれると面白いんだけど。「不発弾」のことは私もtodo94さんにホラれたので、チャラということで・・。

そうそう・・旅から戻ったら、イオさんから頂いた「フリー素材 購買部のお姉さん」をエロ系購買部お姉さんに摩改造しなくては・・(ボカッ!)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

土地所有者の心づかいに感謝します😺 (2025/03/21 訪問)

私有地でフェンスも設置されておりますが,施錠されておらず,立ち入って散策が可能です。
土地所有者の心づかいに感謝します😺
扇川の分流地点に位置し,水上交通の抑えとして役割を果たしていたのかな…と思いました。

昨夜も告知しましたが,5/3~6まで遠征となります。書き込みはお休みします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

シロも大事 エロも大事

> イオさんへ
私のボケに真面目にツッこんでいただいてありがとうございます。「勾配IN」のお姉さんは正直「それじゃない」と思いましたが・・
ちなみに3サイズはナンぼでしょうか・・ けっこう購買部の人、カワイイ人多いのではないでしょうか。
「大奥」には、少しの間「絶句」しました。イオさんにそのような趣味があったとは・・いや、私の日ごろからの座右の銘は
「シロも大事 エロも大事」なので、それをアプリの中でも実行しているイオさんは、やはり心の師匠です。
朝田さんの「お侍ちゃん」とイラストの振りがあったので、休憩時間に手元の部材で「早川殿」を書いてみました。まだ本腰で書いていないので「早川殿」の魅力の1/10も出せていませんが、購買部のお姉さまのお礼に進呈させていただきます。うじざねくんもくっついて来てますが下男にでも使って下され(ヒドイ)。
ちなみに私 イラストは年に数枚しか書かず、カンだけで書いてるので絵柄がコロコロ変わります。「お侍ちゃん」もかかないといけないな・・

しんちゃん村の寺子屋・・完全にメンバー不足です。あまりに足りないので童顔の尼子勝久くんにも塾頭役で来てもらっています。やっぱり男の子ばっかりだと「松下村塾」みたいに過激になってしまうので、5人に1人くらいは女の子もほしいですね。
人を殺して新しい世の中を作ってもイイことないよ・・みたいな教育をしたいんですね。とはいえ、キレイごとばかりでは世の中やっていけないので軍事部門は別にあります。
職員室も設置予定です。校長先生は官兵衛先生。教頭は隆景先生・・明智先生と半兵衛先生は少し融通がきかなさそう・・石田先生はなかなかのトラブルメーカーです。
そこへ赴任してくるのが若き熱血体育教師・・そう、信繁(幸村)先生です(ここでは親子設定は抜き)。鬼の手無しでも妖怪と戦ってくれそうです。他にも近くの寺の小坊主の衆念が「阿梅」や他の女の子にちょっかいを出して真田兄弟とひともんちゃくあったり・・
そんな「地獄先生」や「一休さん」みたいな妄想が頭の中で止まらない今日このごろです。




+ 続きを読む

イオ

蒼き狼

> しんちゃんさん

城めぐアプリの我が家臣団には阿梅ちゃんも大八くんも居ますが、ご両親(信繁・竹林院)から引き離すのは可哀想なのでご容赦を(そもそも仕様的に渡せませんが)。私にはしんちゃんさんのような絵心は無いのでネットで拾ってきたフリー素材ですが、せめて「購買員(購買部のおねーさん)」をお納めください(笑)

それにしても「しんちゃん村」良いですな。寺子屋で次代を担う子供たちの教育に注力するのは素晴らしいことです(いや、ホントに)。それに引き換え、家臣団編成で「大奥」なるカテゴリを設けて、合戦で乱捕りしてきた姫を囲っている己が心の汚れようときたら…。「蒼き狼」じゃないんだから(笑)
 

+ 続きを読む

宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました⑨ 洲本城 (2025/04/12 訪問)

8城目は洲本城。4連戦最終日最後の城です。

攻める前は正直ナメてました。オモチャのような模擬天守しか印象に無かったからです。でも、この城の価値は天守ではなく(往時は天守にも価値があったのかも)、石垣だと感じました。中でも、脇坂氏が大改修を行なった際の『登り石垣』は見応えがありました。上から石垣を見るのはとても見づらかったですが😅

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ104