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しんちゃん

本丸周囲の石垣 (2024/06/15 訪問)

破城の痕跡が残るとはいえ、金山城の石垣は十分魅力的です。出丸の石垣は、奥手の方は、この城で最も古い石垣が残っているようです。
三の丸にも石垣が残り、石造りの大手枡形を経て、二の丸に至ります。本丸の南西端は天守台になっていますが、ここの石垣も崩されています。本丸南東部には石造りの本丸虎口があり、本丸東側の石垣は巨大なチャートの岩盤の上に乗っているようにも見えます。
また本丸虎口の良く見える部分に縞模様の入ったオシャレな石があります。いわゆる「見せる」ための石というやつでしょうか?
さすがは織田氏の重臣・森氏の城ですね。

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しんちゃん

こっちじゃなかった・南小弓城 (2023/05/06 訪問)

赤い城さんのクイズの場所は、唐沢山城の「南城から降りた先の馬出し状の堀と土橋」ですね。といっても私はそこへ行ってないので、写真見てもわかりませんでした(笑)。いろいろ調べて、進展が無いので赤い城さんの投稿を3時間半ほど、追っかけてました。
まるで赤い城さんの「ストーカー」みたいです‥(ドロロロロ‥)
いや、純粋にヒントを探していただけです(汗)。1都6県を攻略したということは関東八州を制覇したということですか?
凄いですね。私もコンプを広げていく刺激になります。

写真は南小弓城です。生実城は別名、北小弓城と言いますが、こちらは南の方ですね。原氏の城ですが、永正14年(1517)足利義明に奪われ、義明は小弓公方を名乗ったそうです。南小弓城は小弓御所と呼ばれますが、天文7年(1538)の第一次国府台合戦で義明が敗死すると、原氏により奪還され、城の北側に新城(生実城)を築いたとのことです。
近年の調査では二つの城が室町時代の同時期に存在していたとされ、二つの城を合わせて「小弓城 / 生実城」とする可能性もあるようです。南小弓城は現在は墓地となっており、背後に堀切が有るようです。墓地への道は狭く、近くに車を置いて歩いて行った方が良さそうです。とりあえず「いった」はお預けにしておきます。

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朝田 辰兵衛

本丸北側2条の堀切が必見…👀 (2024/07/09 訪問)

肥薩おれんじ鉄道線八代駅でレンタサイクル。春光寺の駐車場に停め,そこから徒歩で向かいました。登城口から先は,あまり整備されてるとは言えないと思いますので,気を引き締めて攻城ください。
本丸到着で終わったらもったいないです。北側2条の堀切がキレイに遺っています。
この日は夏場の盛りということもあり,草木の繫茂で眺望は開けていませんでした。眺望は叶わなくとも,天候に恵まれてようやく攻城できたという実感に包まれました。
2024年の九州攻めはこれにて終了。空路で越後へ…✈

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熊本城見学 (2024/10/02 訪問)

天守と小天守が震災から復旧されたので見学。天守と小天守以外の復旧はまだまだで、全体が元の状態になるのは、2050年以降との説明であった。

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じゅんじん

表のみ (2024/09/08 訪問)

16年ぶりでしたが時間の都合ではいれませんでした。街並み散策やや櫻山八幡宮もよきです。

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イオ

とことん岡山城(後楽園) (2024/09/14 訪問)

今年最初の遠征は岡山県です。岡山県はかろうじて日帰り圏内ですが、日帰りだと時間の制約により取りこぼしが多く出てしまうこともあり、前日から始まったニッポン城めぐりのイベントをポチ制覇しつつ、これまでの取りこぼしを回収してしまおう、ということで、まずは昨夏の取りこぼし、岡山城の後楽園から。

後楽園は江戸中期に池田綱政が津田永忠に命じて築いた回遊式の大名庭園で、日本三名園のひとつとして知られます。藩主の居間にあたる延養亭、中央に広がる沢の池、園内を見渡す唯心山、亭内に水路を通した流店、季節の花木など見どころは多々ありますが、城好きとしてはやはり岡山城天守を借景とした景観に目を惹かれます。正門から園内に入ると、芝生の中の園路の正面にどどんと天守が聳えていますし、沢の池と唯心山越しに望む天守も大名庭園ならではの景観です。五十三次腰掛茶屋の連子窓越しには額縁に入ったような天守を眺めることができました。

他にも、慈眼堂の前に据えられた烏帽子岩にはたくさんの矢穴が見られますが、石切場で36個に割って運んで組み直したものであり、花葉の池の大立石にいたっては90数個に割って運んだものを組み直したんだとか。さすがは大坂城天下普請で数多くの巨石を据えた岡山藩・池田氏だけあって、巨石を扱わせれば天下一品ですね。慈眼堂の裏手には馬場が東西にのび、観騎亭の藩主に家臣が馬術を披露する行事が行われていました。正門近くには弓場と観射亭もあったようです。最後に、発掘調査により確認された御舟入跡へ。藩主が岡山城から旭川を舟で渡って訪れる際の舟着場であり、舟溜まり跡と御成御門に続く雁木が公開されています。

純粋に庭園として見応えがあるのはもちろんながら、あちこちから天守が覗いていたり、巨石に岡山藩の石垣技術を感じたり、馬場や舟入があったり…と、随所にお城を感じさせるところもあって、なお一層楽しませていただきました。さて、後楽園をひとめぐりすると、月見橋を渡って岡山城天守に向かいます(続く)。
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:五條代官所(城びと未登録 奈良県五条市) (2024/09/29 訪問)

今井城から徒歩25分くらいで、民族資料館入口(34.350322、135.691139)に着きました。
民族資料館を見学した後、長屋門土塀石垣見学入口(34.350193、135.691442)に向かい、土塀や石垣を確認しました。

1864年(元治元年)江戸幕府によって築かれました。
五條代官所は1795年(寛政7年)に築かれたのが始まりで、吉野郡、宇陀郡などの天領50,000石余りを管轄していました。
しかし、1863年(文久3年)天誅組によって代官所は焼き払われ、翌1864年(元治元年)に現在の位置に再建されました。

現在は五條市史跡公園となっていて長屋門や土塀、石垣が現存しています。
民族資料館の開館は、10:00~16:00で無料で見学できます。天誅組のTシャツを購入しました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=二見城へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:今井城 (2024/09/29 訪問)

五条駅から徒歩10分ちょっとで、石碑前(34.360097、135.702184)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、三箇氏によって築かれたと云われています。

西の道路に面した水田への入口脇に石碑が建てられています。
その両側に空堀はありますが、草に覆われ深さなどの堀の様子はよく分かりませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=五條代官所(城びと未登録 奈良県五条市)へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:秋津城 (2024/09/29 訪問)

下市口駅から徒歩25分くらいで、説明板前(34.371915、135.791480)に着きました。

当地の看板によれば、秋津氏の居城で南北朝時代は南朝方として南朝を支えた一族でした。
1559年(永禄2年)に落城炎上したとのことですが、よく分かりません。

秋津城は八幡神社の裏山になり、城山と呼ばれています。
東側は墓地が広がっており改変もあるものと思われ、実際、郭の一部は墓地として現状利用されているようです。
石碑があるはずだと思い、ウロウロしてみましたが見つけられませんでしたが、堀切は確認しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=今井城を目指す為、下市口駅から電車で五条駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:越智城 (2024/09/29 訪問)

貝吹山城の登城口入口付近から徒歩15分くらいで、居館跡入口付近(34.464220、135.769534)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、越智氏によって築かれたと云われています。
越智氏の出自は詳らかではありませんが、南北朝時代には大和における南朝方の中心となり、北朝方の筒井氏と対立したようです。

越智城は南に向かって開口した谷間に築かれていました。
南へ向かって開口した谷間に居館を設け、南を除く三方を取り囲んだ尾根を要害としていたそうです。
また東側にある貝吹山城は詰城のようです。

居館があったとされる場所は畑などになっており、遺構なのか、よくわかりません。
雨が降りそうなので、駆け足で見学した為、攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=秋津城を目指す為、掖上駅から電車で下市口駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8目:貝吹山城 (2024/09/29 訪問)

今日は移動距離が長いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。
新王寺駅から始発電車で飛鳥駅に到着しました。
飛鳥駅から徒歩25分弱で、登城口入口付近(34.464639、135.780722)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、越智氏によって築かれたと云われています。
1546年(天文15年)筒井順昭によって攻められて落城し、以後は筒井方の城となりました。
1549年(天文18年)と1557年(弘治3年)に二度に渡って越智方が貝吹山城の奪還を試みますが、いずれも失敗しました。
その後、大和に進出した松永久秀の城となったが、1566年(永禄9年)瓜田某の内通により越智氏の城となりました。
その後、1568年(永禄11年)から翌1569年(永禄12年)にかけて松永久秀や久通などが貝吹山城を攻め、1569年(永禄12年)に松永方へ明け渡されました。

主郭は山頂にあり、無数の平段が曲輪跡と思いますが、明瞭な遺構ではないようですが、石碑は確認できました。
手作りの説明図と縄張図がありました。
雨が降りそうなので、駆け足で見学した為、攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=越智城へは、ここから徒歩で向かいました。

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しんちゃん

赤い城さん ありがとございます‥‥ (2024/10/27 訪問)

赤い城さん ありがとうございます。初見、杉山城かなと思ったのですが、なんか背景が違う。
これ「唐沢山城」じゃないですか(涙目)確かにこの城は行ってますが、こんなマイナーなとこ行ってませんよ(滝涙)。

「参った」するのイヤなのでずーっと調べまくってました。こりゃ大変だ‥
ぴーかるさん、これは覚悟しておいた方が良いですよ。

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天守無しがアツい

ガイドさんの面倒見がよい (2024/10/26 訪問)

ここは続100名城に選ばれた山城てあり、千葉県印旛郡酒々井町(しすいまち)に存在するのですが、JR酒々井駅で下車した私はそこから30分くらい歩きました🚶

途中から民家が点在するだけの、田んぼだらけの景色に…京成線と思われる線路が遠くに見える…いい感じの光景が目の前に見えて…直感で1枚撮りたくなったので(1枚目を)撮影しました

そして城に到着。城跡案内所にまず赴き、お約束の100名城スタンプをスタンプ帳に押印。それから御城印の購入。買ってからすぐに御城印帳にしまいました(2枚目)

ボランティアガイドのおすすめにつられる形で、案内所の中でビデオを見ました。この城は今から500年ほど前に千葉氏一族により造られた城…約100年間で9代の城主により治められ、城の至る所に門と敵を迎撃するための設備が備わっていた。しかし豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏側に味方してしまったがために、その滅亡と共に千葉氏も滅び、城はそのままの姿で残されて現在に至る…と

ビデオ閲覧後に、「お時間に余裕ありますか?」と聞かれたので「1時間くらいなら」と私が答えると、別のガイドさんを紹介され、その人に案内される形で城巡りが始まりました

案内所の側に角度の急な斜面があり…「この斜面は元からあったものではなく、城主の命により人為的に造られたもの」「当時は重機もシャベルも無い時代だから、鉄製の鍬でひたすら土を掘ってこっから向こうまで削っていった」

「こんな急な斜面では敵は思うように登れない。そこを上から弓を放ったり槍で突いたり…と迎撃🏹」したそうです。それから東山という場所に向かい、狭い階段を上ってビューポイントへ。(1枚目のような)京成線まで見渡せるロケーションがそこにはありました

それから階段を降りて虎口へ…つまり城の入口…そこへ向かう通路は人一人通るのがやっとなくらい狭く、その両側は小高い丘で挟まれてました

「どんなに敵が大軍でも、この通路の中では少人数ずつ進まざるを得ない」「そこを左右そして奥から一斉射撃🏹」「ここからも城の堅固な守りが伺える」という具合の解説をガイドが歩きながら話してくれました

虎口から少し進んだところに盾が幾つも並んでいる場所(3枚目)があり、しかもそれは2段か3段の坂となってました。ガイド曰く、ここの造りは映画館の劇場じみた配置となっており、こうする事で放った矢が味方に当たる事なく…しかも虎口から迫る敵を見渡しながら放てる…そうです🏹

そのために段差が人の高さより少し高い造りになってる…それは放った矢が、前にいる味方に当たらないようにするため…この場所は100名城の本の本佐倉城の紹介ページにも画像付き…しかもその画像に選ばれていた事を思い出したので、逃さずにスマホに収める事にしました

この辺りはIV郭という場所…「よんかく」と読むそうですが、何故「よん」を4や四ではなく、アラビア数字のIVで表記するのか…ガイドはそこまで教えてはくれませんでした4️⃣

ちなみにここの城跡の面積は…何と東京ドーム8個分もあるそうです。なので1回で全て周るのはほぼ不可能…というかここにくる前から「一回で全ては巡れないかもしれない」と予想していたので、今回は案内所からほど近い所のみを案内してもらう形になりました

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沖田畷古戦場 (2024/10/25 訪問)

 島津家久、有馬晴信の連合軍8000が「五州二島の太守」と称され「肥前の熊」と異名を持つ龍造寺隆信25000と戦った古戦場です。この戦いで龍造寺隆信は島津が得意とする「釣り野伏」の戦術に嵌められ、あえなく命を落とす結果となりました。
以前は自動車整備工場の裏に供養塔がありましたが、近くの二本木神社に移され神社前に説明板があります。

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沈み城 (2024/10/26 訪問)

 久しぶりの佐賀城です。龍造寺氏によって築かれた村中城を慶長期に鍋島氏が拡張・改修した平城です。鯱の門や天守台などを観ることができます。水堀も広くゆっくり街中も含め散策するつもりでしたが、雨が降っていたため早々に退却しました。

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龍造寺隆信 (2024/10/26 訪問)

 龍造寺隆信生誕の地として知られる城址です。遺構はありません。龍造寺隆信生誕の地の説明板と石碑がありました。

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堀と石垣 (2024/10/25 訪問)

 堀底も散策できるのがありがたい。石垣、堀を見るために周囲と堀底を散策してきました。

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松倉豊後守重政 (2024/10/25 訪問)

 久しぶりの島原城です。松倉豊後守重政が約7年の歳月をかけて築きました。縄張りは本丸・二の丸・三の丸が南から北へと一直線に配置されていてシンプルな構成となっています。大手御門跡付近から眺める白壁塀とその上に三層の巽櫓、右手に丑寅櫓と左手の西櫓も見え、その上に五層の天守閣が聳え立ち、いい風景を見ることができます。晴れていれば青空に白亜の天守閣と映えるのですが、この日は曇っていました。自分としてはこの城の魅力は屈曲した石垣と堀と思っています。
 見ごたえのあるすばらしい城郭ですが、松倉氏の禄高4万3千石の松倉氏でした。この分不相応な近世城郭の築城が島原の一揆の原因のひとつといわれることがわかるきがします。

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赤い城

朝田さん無茶言う

しんちゃんさん、東海4県コンプおめでとうございます✨
静観しようと思いましたが朝田さんのご指名につき。
(にのまるさん、戻って来て〜)

で、東海の城から、と思いましたが良さげな物件がなく(そもそもあまり登城できてない)、私がコンプ済みの関東1都6県の登録城からです。
特徴的な土橋かな、と思いますがいかがでしょう。

しんちゃんさんも訪問済みの城です。

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朝田 辰兵衛

しんちゃんさん,大正解です❢ (2022/05/22 訪問)

さすが,しんちゃんさん,瞬殺でクリアしましたネ❢
名古屋城二の丸庭園は,かつては藩主の居住場所の御殿および政庁の役割を担っていた格式高いエリアでした。建造物が遺っていれば,スルーする人もあまりいないとは思うのですが…。
その北端(散策コース的にはドン詰まり)に,今回出題の「南蛮たたき鉄砲狭間」があります。
西側に目を向けると,藩主の緊急脱出口である「埋門跡」。
また,那古野城もこのエリアにあったことから,その石碑もあります。
じっくり散策すると,1時間あっという間です。

ぴーかるさん,ムズくなってますかね…❓
にのまるさんと赤い城さんに出題した「姫路城るの門」レベルかと…。
今回は,東海地方から出題したく,代表的な名古屋城をチョイスしました。
関西地方は…そろそろ新鮮なネタを仕込みに行かないと…です。

ところで,私のアトですが…
赤い城さん,行けますでしょうか…❓

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