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天守無しがアツい

唐沢山241m (2025/04/20 訪問)

押さえたいものを押さえてから…手を清めて階段を上り…本堂(1枚目)へ🚶‍♂️入口にてご奉賛として200円を納めていたので…ここでは「少額でもいいよね」という事で10円を賽銭箱に入れました

ここまで来れた事への感謝…御朱印・御城印・100名城スタンプをいただけた事への感謝…これからも各地の寺社を参拝し御賽銭をその度に納めるつもりなので、ご加護をいただければ幸いです…という内容を祈りながら呟いた私

この右手に「唐沢山241m」という表記が足元にある石碑(2枚目)があり…「あのクネクネした急な坂はマジきつかった😓あれだけ登っても…海抜241mしかないのか…長野県にある標高1000mレベルの山々に比べたら小さな丘に過ぎないのか⛰️」と思わざるを得ませんでした

本堂の参拝を終えて…(三の丸を巡るコースもありましたが、なるべく迷わないために)往路と同じコースを歩いて戻ることにした私。その最中に巨大石垣(3枚目)を目にしました

日本100名城スタンプ帳に付随してるガイドブックの唐沢山城のページに…この石垣が写っていた記憶あります。クネクネした坂ではそれは目にできなかったので…「どこにあれはあるのかな?」と思う部分があったのですが…神社の下にあったとは予想外でした🫢

この日、境内には南アジア系(?)と思われる外国人の参拝者が何人もおり、私の前方を歩いてました。この城跡…この神社がどれだけの知名度を保ってるのかは知りませんが、その外国人の方々はどうやってここの存在を知り、そして訪れてみたくなったのか…その経緯や理由が少し気になるところでもあります

もう少しで駐車場およびレストハウス…という場所にて「よつ目堀(4枚目)」というのを見つけました。西城域と帯曲輪以東…つまり駐車場と神社に該当する場所を分断する堀切。もし敵軍にこの近くまで侵入された際には、橋を落として敵軍がその先に攻め込めないようにする…役割を果たしていたそう

(唐沢山城の御城印URL)
https://www.mattsuntabi.com/entry/2019/07/09/203919

社務所で購入した御城印(5枚目)…帰宅後にそれを御城印帳にしまおうとしたのですが…何と入り切れませんでした…入れようとすると窮屈な状態となり…端を少し折れば入ったのかもしれませんが、せっかくいただいたものを痛めたくはなかったから…

以前いただいた規格外サイズの御朱印と御城印を収めたクリアファイルの中に…加える事としました

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カズサン

豊臣石垣館公開され見学しました (2025/04/26 訪問)

 今回は前日、郷里の中学校卒関西地区在住喜寿の祝い同窓会(同級会)に参加し、翌日は阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪と大坂城に新しく開設された「豊臣石垣館」を見学したいとの目的で出掛けました。
 最後の三津屋城を終えて、阪急神崎川駅からJR大坂城公園駅で下車、大阪城ホールは長蛇の列、何かイベントがあるみたい、大勢の人で賑わい混んでいました。
 青屋門から入り極楽橋、天守閣横、金蔵隣の新しく出来た豊臣石垣館へ直行、しかし天守閣の入場券が無いと入館出来ないとの事、急いで天守閣入場券購入の列へ並ぶが40分待ちの辺り、入場券(@1,200)を購入して天守閣へ、又エレベーターへの順番を待つ長蛇の列、空いてる階段歩きのの列へ、英語でエレベーターの列では無い事を伝える係員、兎に角日本人以外が多いい、階段を登って各階を見学して展望階へ、さらっと展望見学してまた階段を降りて行く。
 2時半に入って3時半に成って居ました。

 やっと今回目的の豊臣期石垣との対面へ、本丸金蔵の東隣が新しく4月に公開が始まった「大阪城豊臣石垣館」が在ります、受付をして、ガイダンスルームへ、地下に降りて、豊臣期の詰の丸石垣角を見る事が出来ます、角は算木積の初期、ライトアップされて、古墳石棺、焼石の痕を見る事が出来ます。ただこれだけですが400年前の石垣を発掘調査の上見学展示出来る事は素晴らしくありがたい、徳川期に土を盛られて地中深く眠って居たものが見学できる施設です、石垣は撮影できるということで石垣のみ2枚撮影しました。上がってシアタールームで纏め映像を見て感動を新たにして終了。
 豊臣石垣館を見るのに天守閣の入場券が必要の為、1時間も費やしてしまいました、係りの方に豊臣石垣館だけの入場券扱いは出来ないものかと訴えたりしましたが、どうなるでしょうか?

 今日の目的は達成、時間が有ったら西の丸乾櫓の特別公開を見たいと思っていましたが、西の丸入場券受付で16時を過ぎて今日は終了と告げられて残念。海外の観光客が兎に角多い。
 
 

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天守無しがアツい

自転車でも一応行けます (2025/04/20 訪問)

(唐沢山神社HP)
http://karasawayama.com/area/

栃木県佐野市…佐野駅から7kmほど離れた場所に…続日本100名城に認定されている唐沢山城という城跡があります。ここは田沼駅から徒歩45分(唐沢山神社のある本丸まで)と遠く、直通しているバスも無いようなので…佐野市観光物産館という場所で手続きしたレンタサイクルで…向かいました🚲

電動アシスト機能なので…背中を押してくれるように道を進んだ私。しかし本丸に続く坂道…右に行っては左へ行く…のクネクネした道(いろは坂?)の傾斜が急で…アシスト機能を強にしてようやく進める状態

山頂に着いた時…少し離れた場所にいた子供が「自転車で来てる人がいる👦」と口にしてました。駐車場を見る限り…車で来てる人が多め🚘バイクも少しいるけど…自転車で来た人間は…私だけだったかも…しれませんね🚴‍♂️

「1人あたり200円以上のご奉賛をよろしくお願いします」という案内板(1枚目)が駐車場の近くにあり…拝観料代わりというか御賽銭代わりというか…ともかく200円を箱に納めました

入口をしばらく進むと…社務所が見えました。本堂で参拝する前に、御朱印・御城印・100名城スタンプは押さえておきたかったから、まずそこへ

御朱印は直書きを希望したので、描き上がるまでに多少の時間がかかりました。その間に100名城スタンプを指定欄に押印(2枚目)。インクの濃すぎず、ちょうどよい濃さで押せましたね

やがて私の御朱印帳に描かれた御朱印が出てきて…渡されました(3枚目右 ちなみにその左のは(笠間城近くにある)正福寺)。ここの御朱印は8種類あり…今までのセオリーどおり、1番スタンダードそうな…①を選びました

御朱印帳…御城印…100名城スタンプ帳をしまうために…椅子とテーブルのある場所に腰を下ろしました(4枚目)そこで荷物整理をしたり…小休憩したり…スマホのメモ機能における「今まで集めた御朱印」「今まで集めた御城印」「今まで集めた100名城スタンプ」のデータ更新をおこないました

その近くには南城跡(4枚目)があり、ここは南北18m・東西36mあり、周囲には柵をめぐらし東側には堀を設ける堅固な防御施設だったそう

天気の良い日にはここから東京の高層ビルが見える…との説明文に惹かれて…撮影してしまった次第。佐野市観光物産館で流れていた地元PR番組によると、佐野⇆新宿まで90分で行けるそう🚌 だから意外とそんなに遠くないから…見えるのでしょうね🌃

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しんちゃん

エターナルな「不発弾」になってしまった。 (2025/05/04 訪問)

花房城は岩尾山の山頂に築かれていますが、登城道はNTTの敷地になっていて立ち入ることが出来ません。NTTの無線中継施設は南側の頂部にあり、城址は北側の頂部にあるのですが道路が城址を縦断しているのでいずれにせよ現状はお手上げです。とりあえず穴掘って「不発弾」を埋めて立去ります。NTTにはいずれ確認を取りますが、あまり期待しない方が良さそう。
九州に入って、引地山城、若松城とハズレが続いています。

※NTT西日本と交渉した結果、改めて「不発弾」確定になってしまいました。今後はNTTの方針の変更を期待するしかなさそうです。
正直、入り口にはダルダルのチェーンがぶら下がっているだけなので、悪さをしようとする者はいくらでも入れてしまう状況なのですが・・。このあと大三岳城攻略で3時間半の時間を消費したので代替の城は勘弁してください。ちょうど良い城跡も思いつかないし。

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イシテル

大坂城の櫓2025特別公開 (2025/05/02 訪問)

久しぶりの投稿です。
「大坂城の櫓2025年特別公開」へ行ってきました。※人が多くて天守入場せず。
今回は、多門櫓、千貫櫓、乾櫓の3棟公開で滅多にない乾櫓の公開もあり、今だと思い計画。
5月2日(金)の9時過ぎ、西の丸庭園に行きましたが、櫓公開は10時から..(庭園開門の時間しか見てなかった)。
西の丸庭園のチケット売り場の前で雨宿りさせてもらい、約1時間待って入場。
天守へ行く観光客は多いものの、西の丸庭園へ来る人は皆無で、3櫓の中をゆっくりと見て回ることが出来、満足です。
特に珍しい「L字型」の櫓、乾櫓の内部を見て、感激。
スタッフさんから「明治の時代、陸軍が中で宴会していた。」など逸話も聞かせていただきました。
櫓の拝観が終わると雨も小降りになり、外堀を一周して終了。良い1日となりました。

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文殊の森付近の城址群(山口城、法林寺城、祐向山城、掛洞城)総括と周辺観光 (2025/05/03 訪問)

 岐阜県本巣市にある山口城、法林寺城、祐向山城、掛洞城、この4つの山城は、権現山から祐向山付近の尾根沿いに並んで存在しています。尾根を歩いて行けば4つの城址を観ることができると知り、以前から気になっていた城址群です。ゴールデンウィークですが、まとまった休みも取れないので、ぶらりと散策していきました。山口城は戦国時代の武将で茶人としても高名な古田織部生誕の城、祐向山城は斎藤龍興が竹中半兵衛に稲葉山城を追われた時に逃れてきた城で興味がありました。散策路はハイキングコースとして整備されていて歩きやすかったですね。文殊の森公園駐車場からスタートして山口城→法林寺城→祐向山城→掛洞城と散策した後、法林寺城まで戻り文殊の森公園へ下山しました。4時間くらいかかりました。樽見鉄道織部駅の西側には山口城主居館跡があります。土塁、堀跡が残っていると説明板にありましたが、柵があり内部は散策していません。

 古田織部正重然は利休七哲ひとりであり茶人として有名な武将です。漫画「へうげもの」の主人公でも知られるようになりました。地元では織部生誕の地としてアピールしています。

 「道の駅織部の里もとす」は、道の駅と鉄道の駅が併設された全国でも珍しい施設です。城門を模した山門ギャラリーや織部展示館があります。昼食はジビエ料理工房「風の蛍」さんで鹿肉のインドカリーをいただきました。

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ホリタカ

風鈴が綺麗でした (2025/05/02 訪問)

復原町並では風鈴が飾られていました

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掛洞城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 掛洞城は祐向山城から南東に伸びる尾根を下ったところにある城址です。城びとには未登録の城址です。尾根を中心に曲輪が展開し東西の端に堀切を設けて防御しています。土塁、曲輪跡、他の尾根にも堀切がありました。この城も歴史がよくわかっていないようです。位置的には祐向山城の出城のように思います。

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ホリタカ

急階段が近道 (2025/05/02 訪問)

西口の急階段が近道です。天守内の階段は装飾されてフォトスポットになってます

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祐向山城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 竹中半兵衛に稲葉山城を追われた斎藤龍興が逃れた城と伝わる城です。城びとには未登録の城址です。法林寺城から尾根伝いに登城しました。途中に堀内障壁を伴う2本の堀切があります。その先に曲輪跡を観ることができます。
なぜ、斎藤龍興はこの城へ逃げ込んだのかと思っていました。大永七年、斎藤道三(当時は長井新九郎利政)は土岐政頼を追って頼芸が美濃守護となりました。その恩賞で斎藤道三は祐向山城主となっています。今は面影があまり感じられませんが、当時はそれなりに整備された城であったと思われます。

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しんちゃん

テンガ城 北九州市戸畑 (2025/05/03 訪問)

北九州市に来ています。天賀城は天賀氏の城です。
城びとの城ではありませんが、なんとなく気になったので。台地の中腹に築かれていて、遺構は残っていませんが菅原神社の向かい側にある菅原公園に天賀次郎三郎永行の墓がありました。昨日は23号線の渋滞がエグくて移動だけでいっぱいいっぱいでした。伊勢神宮混んでるだろうな~。

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法林寺城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 山口城から東北に尾根筋を歩いて行くと法林寺城に行くことができます。城びとには未登録の城址です。望郷の展望台として整備され防災通信施設が建てられていました。途中に堀切があります。主郭に西側に降りたところにも堀切がありました。東側に下りたところにも堀切がありましたが、浅くなっていました。登城路はハイキングコースとして整備されています。

 歴史は記載してある記事など見つけられず詳細不明です。

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山口城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 岐阜県本巣市にある城址で茶人としても有名な武将古田織部正重然が生まれた城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。
文殊の森公園の駐車場からしばらく舗装された道を歩くと登城口があり山口城址の石碑がありました。その石碑から登って行くと迷うことなく城址へ行くことができます。途中に中の城があり山口城の出丸と考えられています。削平地以外に遺構はないと思いますが、展望台が設置されていて眺めはよかった。
中の城から少し登ると主郭に行くことができ主郭には説明板がありました。周囲には帯曲輪が配置されていて、少し下ったところに井戸跡もありました。

 登城口の石碑には山口城址の横に城主 梶原景時の記載がありました。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』に鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されているためですが、否定的な説もあるようです。石碑の裏に古田織部生誕の地と書かれていました。

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いんげん丸虫

鎧ヶ崎城 秋田県仙北郡 (2025/04/27 訪問)

よろいがさき 
140mの山城です。
道路、民家前に看板があります。
楕円形のほぼ単曲輪のような主郭
の周囲に畝状竪堀がひとまわり、
全周取り囲んでます。
長さは無い小さな竪堀で経年変化、
藪化でわかりにくくなってますね。
とても面白い遺構ですが、写真で
はさっぱりわからない。。

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Tokyobay

小峯御鐘ノ台中堀切の「クランク」が素晴らしい (2025/03/09 訪問)

中堀切部分は道路になっているので歩ける。横矢掛りできるように堀がクランクになっているのがよくわかる。また、東堀と連結している構造が珍しく、入り組んだ堀により敵を翻弄する狙いがあると思われる。尚、中堀と東堀の間は通行禁止になっている。中堀に比べて東堀がかなり深いので安全対策のためだろう。観光客が増えると立ち入り禁止になる部分が増えてくるのがもどかしい。自分もその一人なので、文句を言える立場にないのだが。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その③ 八幡山城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。最後は八幡山城。

一日に山城3つは無理がありました。既に体力は限界。幸いな事に八幡山城は頂上付近までロープウェイで行けましたので、何とか攻略出来ました。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑧ (2025/04/27 訪問)

津久毛橋城からの転戦です。安倍貞任ゆかりの城のようですね。しかも現在のダムの位置に岩石や丸太を積んで水をためて戦ったとは。敗退したとはいえ、その発想は見事というほかはありません。今回の宮城の城めぐりでは、至る所で美しい春紅葉を目にしていたのですが、城の写真になかなか入ってくることがありませんでした。ここより美しい春紅葉は幾つもあるのですが、このあたりで春紅葉の写真も投稿させていただきます。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その② 安土城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。2城目は安土城。

観音寺城攻略後、昼食を食べて体力を回復して安土城の石段に臨みました。しかし流石に信長公の城、体力はあっという間に消耗してしまい、へろへろになりながら天主に辿り着きました。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その① 観音寺城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。最初は観音寺城。

朝食を取らずに早朝6:30に名古屋を出発し、予備知識を殆ど入れずに行ってしまったのですが、なかなかの山城で、大石垣に辿り着く頃には汗だくで疲労困憊でした。あと二つも山城が残っているのに最初から体力を消耗してしまいました。ただ、大石垣は一見の価値があると思いました。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑪】島原から天草へ (2025/04/01 訪問)

春の長崎を巡る旅、島原(原城)から天草(大矢野島)までのルートです。

カズさんの鈴木重成の投稿で思い出し、急に富岡城も見たくなったので、原城の島原半島からフェリーで天草へ渡り、大矢野城、本渡城を経由して富岡城までを目指す事にしました。

原城からまた同じバス加津佐行で島原半島南端の口之津港で降り、そこから島鉄フェリーに乗り30分鬼池港に到着です(写真③④)。口之津はヴァリニャーノ神父が日本で初めて上陸した場所だそうです。ヴァリニャーノ神父と言えば、日本を去る時、織田信長が安土城に松明を飾って盛大に見送った話は有名です。でも上陸地点はここ口之津だったのですね。上陸して島原領主の有馬晴信に出会ってここで布教を許され、セミナリヨを建て修道士を養成しながら3年間を過ごし、キリスト教を広めて行きます。それで島原の領民は大半がキリシタンとなったのです。それから大村(大村純忠)や豊後(大友宗麟)や京(高山右近)などに立ち寄りながら、安土の信長に会いに行ったようです(写真①)。

口之津港の2階には歴史資料館があり、キリスト教との関わりや有馬時代のポルトガルとの貿易の歴史や、明治時代には石炭積出港として栄えた歴史などが紹介されていました。出航までちょっと時間があったので見学しました(写真②)。

また鬼池(苓北町)は、天草四郎が天草から島原へ渡った地でもあります。鬼池港には銅像がありました(写真⑥)。フェリーの上からは原城が見えました(写真⑤)。天草四郎も船上からこの景色を眺めながら、あそこへ渡ったという事になります。感慨深い景色でした。

そして鬼池港からバスに乗って本渡へ行き、本渡バスセンターで熊本行の快速あまくさ号に乗り換え、天草五橋の途中の大矢野島で途中下車して、「天草温泉ホテル亀屋」(写真⑦)に宿泊しました。露天風呂は地下1000mから汲み上げた太古のにがり成分を含む美肌の湯だそうで、確かに男の私でも肌がつるつるになりました。ここ大矢野島は天草四郎が生まれ育った場所だとされています。ならば私も四郎のような美少年に戻れるかも🤔?(笑) そして海を眺めながらの露天風呂を堪能した後は、レストランでの海の幸バイキング! これはもう最高でした😊(写真⑧⑨⑩)。

ホテルの近くには「大矢野城」と「天草四郎メモリアルホール」があるようなので、明日はそれらと本渡城を見学してから富岡城へ向かおうと思います。
 

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