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にのまる

勝山御殿 (2025/03/10 訪問)

コロナ禍で2年以上帰省できなかったこともあり、5年ぶりの訪城でした。
後背の勝山城へは踏み込めないままです。関東であればお城仲間に声をかければどなたか同行してくださるかと思うのですが、故郷とはいえ高校までしか住んでいなかったのでこっちにはお城仲間がいないのです(><)
このままでは体力的に無理😭となってしまうかも。
いつかのチャンスのために体だけは鍛えておこうと思います。

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カズサン

洲本城-6/9 武者溜編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-5/9 西の丸と南の丸編の続です。

 西の丸、南の丸を終えて本丸大石段下を抜けて、八王子口から東の丸南下を通て、東二の門の石垣虎口を抜けて広い東の武者溜へ入る、15年前に比べて、東の丸、武者溜周辺城塁の樹木が伐採されて明るく見通し景観が良く成って鬱蒼とした状態が明るく成って居ました、内部の芝には鹿のフンらしいものが散見される、洲本市街、瀬戸の海も良く俯瞰出来て明るく気持ちい曲輪です、東端の東一の門石垣虎口も観察見学、樹木が伐採されているので武者溜周囲の城塁石垣もよく観察できる。
 武者溜の西端と東の丸東端の高石垣辺りも樹木が伐採されて以前の探訪時より鬱蒼さが無くなり良く高石垣城塁が観察できる。3度目の登城で初の体験観察です、感激ものでした。

 洲本城-7/9 東の丸Ⅰ東端高石垣編に続く。
  

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ぴーかる

菊池一族居館跡 (2025/03/22 訪問)

【菊之城】
<駐車場他>菊池則隆公墓の北側に2台分の駐車スペースがあります。または<32.969539,130.806347>道路退避所に駐車
<交通手段>車

<感想>2泊3日西九州旅3日目ラスト14城目。菊池市の公式サイトによると菊之城は北宮館と呼ばれ国史跡である「菊池氏遺跡」の構成要素の1つです。菊之城という呼び名は江戸時代に使用されはじめた名称で、1070年頃に初代の菊池則隆が居館として築いて、15代武光の頃まで菊池一族の居館として使われていたようです。戦乱期においては防御制において分が悪いことから16代武政の時に隈府に本拠地を移転したそうです。移転後も菊池十八外城の1つとして、また重要な菊池川の船着き場として活用されたそうです。
 現地は田んぼの真ん中に土壇状の曲輪跡が残っています。内部は雑草が少し多く、地表は未整備でした。西に数百メートル行った所に菊池則隆公の墓と菊池氏発祥の碑があります。
 
 これにてこの旅終了。3日間、長崎県⇒佐賀県⇒熊本県の百・続百名城を中心に巡り、観光とグルメを楽しみました。菊池市に城びとフラッグが集中しているのが気になっていたので、沢山あるのが菊池十八外城の城跡群だった事がわかり、ある程度巡れたことが良かった。最終日3日目は宵になり、下記<グルメ>の食事をして、山鹿温泉に入り帰路につきました。1765㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>「黒酢チキン南蛮専門店たかもとや」にてチキン南蛮の定食をいただきました。ご飯・タルタル食べ放題です。菊池公園に近いので隈府城攻めの際の食事がいいかも。夜が19:30までです。宮崎県でチキン南蛮を食していないので、人生№1のチキン南蛮でした。

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朝田 辰兵衛

昨今のご時世により,勘ぐってしまう… (2025/05/31 訪問)

昨今のご時世により,「ここの米蔵の備蓄米は世田谷区専用か…❓」と,勘ぐってしまうネーミングです。そんなワケありませんが…。
とうとう,岩手県の未投稿城に足を踏み入れました。いつの間にか,二日市城が投稿されていました。世田米城の他に,末崎城,米ヶ崎城,二日市城と攻城してきましたので,随時レポートしたいと思います。しかし,天候は最悪でした。雨の他に風も強かったです。

世田米城ですが,世小の森公園の入口にパネルが設置されております。登城口は公園の南端にありました。草木の繁茂により,空堀は確認できませんでした。畑となっている2郭はここだろうという推定です。空堀が確認できていれば確証に至ったのですが,天候と季節が悪かったです…。

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しんちゃん

城址東側・三段の郭 (2025/05/08 訪問)

加瀬田城の東側は整備がされていて、とても歩きやすい。最上部に郭1(主郭)があり、二段構造になっていて西側が高く、端部に土塁が残り祠が立っています。また土塁の下には城址の関係者(?)と思われる五輪塔も有りました。
郭1の下段に郭2、その下段に郭3があり檀状に配置されているので訪問もしやすいです。城址の西側も三段の郭が有るようですが、藪に覆われているようなので今回は訪問はパスしています。東西の境界の大堀切(渓谷)の写真も無いので、訪問がしやすくなったら再度訪れてみたいと思います。

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テンちゃん

高田城訪問&「御所参内・聚楽第行幸図屏風」見学 (2025/05/21 訪問)

続100名城巡りと上越市立歴史博物館で6/15まで開催中の「御所参内・聚楽第行幸図屏風」展覧会を見学するため日帰りで行ってきました。
博物館内は撮影禁止だったので屏風の写真撮影が出来なかったのは残念ですが、貴重なものを見ることが出来て良かったです。

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城好きのメガネ

「屋代城」 (2025/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
屋代城は屋代氏が築いたとされる。戦国時代には屋代政国が村上義清から真田幸隆の調略に応じ武田氏に臣従。1559年頃に武田氏の命により荒砥城に領地替えとなる。現在、土塁等が遺されている。※ 付近には前方後円墳の『有明山将軍塚古墳』、長野県内最大級の『森将軍塚古墳』がある。川中島の戦いで上杉軍が布陣したと伝えられる妻女山もある。

<アクセス>
しなの鉄道線 屋代駅 徒歩25分

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トク

黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(1/2) (2025/02/21 訪問)

黒田六端城を行く、3城目は「鷹取山城」です。六端城の由来と(1城目)黒崎城(2城目)若松城は以前お伝えしたので、その続き3城目からまた始めさせて頂きます。

黒崎城から南へ20km、直方(のおがた)市の標高633m(比高550m)の山頂に鷹取山城はあります。六端城の中では訪れるには最大の難所だと思います。黒田長政は重臣の「母里太兵衛友信」に18,000石を与え築城させました。母里太兵衛(もりたへえ)と言えば、福島正則との飲み比べに勝ち、あの黒田節のモデルとなった事で有名な槍の名手です。大河ドラマ軍師官兵衛では「速水もこみち」さんが演じられていましたね。

城びと先人の方々の投稿を拝見すると、南側に車を止めて人気の上野登山口の南ルートから攻めていたようなので、そこがいちばん整備された道で登りやすそうです。しかしその近くに行くバスは無く、直方駅から山の北側に行くバスがあり、そこから北ルートがあるようなので、私は北ルートから攻めてみる事にしました。まず博多駅前にある太兵衛の銅像にあいさつしてから出発します(写真⑩)。そしてJR篠栗線で博多から直方へ、直方駅前からバス[2][3]道目木循環に乗り15分、「出口」のバス停で下車しました。ここから鷹取山を見上げると、うわ!結構高い😯(写真①)。

歩き始めて30分、登城口の「鳥野神社」に着きました(写真②)。鳥居のすぐ前のダム湖沿いに駐車場とトイレがあり、車の方はここまで来れそうです。鳥居をくぐって石段を登り、安全祈願をして神社の右側から入りました(写真③)。この先どこが道なのかよくわからない場所が多かったです。30mぐらいの間隔でピンクのリボンがあったので、迷わぬように慎重に、それらを一つ一つよく探しながら登りました。登山道というより、これはもう修験道ですね(笑)。

途中の山の中腹で大規模な畝状竪堀とその一部が石で積まれた登り石垣のような場所がありました(これはすごい!)。竪堀は風化されていますが、それでもかなりの深さと長さです。その上には櫓台のような石積があり、このあたりはかなり強固な防御陣地が築かれていたようです(写真④⑤)。下には鳥野神社もあり、ここは黒崎に最も近い場所なので、たぶんこのルートが昔は最も防備を固めた大手道だったのではないかと推測しました。

さらにこの先を尾根伝いを進むと、数十メートル間隔で大きな石がゴロゴロありました。これらは破却された石垣のようです(これもすごい!)。よっていくつもの砦がこの尾根伝いに数十メートル間隔で築かれ、かなり壮大な防御網がここにあったようです(写真⑥)。よって黒田長政は、もし細川忠興と一戦交える事になった場合、この鷹取山城を六端城の中でも最重要拠点と考えていたのではないかと私は推測しました!🤔。

しかしながら、長政は一国一城令の出た1615年頃には、江戸幕府から危険人物とされてしまったので、特にその原因となった六端城は、これ以上疑われぬよう徹底的に破却したようです。これらの石は、そんな大規模な破却の跡のように感じました。最後は福岡城の天守まで壊したくらいですからね。

そしてやっと山頂(鷹取山城)へ到着。案内図では神社から1時間40分と書かれていましたが、健脚でない私の足では3時間もかかり、もう息絶え絶えです(笑)。でも先人の方々が見られなかった、大規模な畝状竪堀や破却の跡などを見る事ができたので、疲れ以上に満足感がありました。

次は、その山頂本丸の様子(2/2)に続きます。
 

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にのまる

2025春・西九州城めぐりの最後に。 (2025/03/04 訪問)

しとしとと降り続く春の雨。
桜まつりにはまだ早く、復元潮見櫓も公開前ではありましたがそれもまた一興と、西九州城めぐりの最後に行ってみました。

復元工事は既に終わり、あとは公開を待つばかりの潮見櫓。少し離れたところから見つめるのみでしたが、5年、10年……100年後、今日の日のことを知る人が誰もいなくなっても、「現存令和時代の復元櫓」としてここに在り続けてくれたらいいなと思いました。もちろん、(伝)潮見櫓の方も現役で!

本丸に行くと、何と、立派な天守が復元されていました!!桜まつりの一環として設置されたものですが、幻の天守をイメージするのにこれほど助けとなるものはありません。50基近くあったという櫓とともにイメージするのは更に想像力が必要でしたが、福岡城にとっての天守の物理的・抽象的位置づけにも思いを巡らせてみました。

黒田如水御屋敷跡、旧母里太兵衛邸長屋門、名島門、祈念櫓跡、多聞櫓、そして力強い石垣を見学しながら、福岡城の広大さや奥深さを改めて実感しました。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり③ (2025/05/04 訪問)

因幡大崎城からの転戦です。獣除けのネットフェンスの開閉が億劫で麓に駐車しました。麓から山頂まで、かなりの歩きでがあります。途中、鵯尾神社の鳥居があり、石の祠の本殿までもかなりの距離がありました。馬場、三の丸、本丸までの距離表示はしっかりとあるのに、肝心の現地表示がなく推測するしかなかったのはちょっと残念でしたが、好天の下、素晴らしい眺望を楽しむことができたので満足です。

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赤い城

星ヶ岡城 東京都千代田区 (2025/05/09 訪問)

城びと未登録城です。
東京出張の際、近くに所用があったので立ち寄りました。
主郭跡はキャピトル東急が建つあたりとされ、日枝神社が二郭となるようです。
道路を挟んだ日比谷高校が三郭でこの道路が堀跡とされます。
遺構はほぼ残りませんが日枝神社境内の山王稲荷神社背後に土塁らしきものがありました。

戦国時代の江戸城の支城とされるようです。
現在は都会の真ん中ですが日枝神社が高台にあり、その高低差が城の名残りを示しています。

【見どころ】
 ・二郭と三郭の間の堀跡(道路)
 ・二郭に建つ日枝神社

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T-Shionoya

沓掛城で朝散歩 (2025/04/05 訪問)

桜が咲く朝に訪れた愛知県豊明市の沓掛城。

中世の東海道が通るポイントで、なだらかな二村山(標高約70mの丘陵)の東麓に位置。
尾張と三河の国境にあたり、人や物資の往来も監視していたでしょうか。
江戸期の古城絵図に描かれた丸馬出も気になる城。

築城時期は諸説あるようだが、一説では14世紀からの近藤氏の居城。
1560年の桶狭間の際、城主近藤景春は今川方につき討死。決戦の前日に今川義元が軍議を開いた城と伝わります。
桶狭間の後は、信長に今川義元の居場所を知らせたともいわれる簗田政綱などが城主となり、関ケ原の戦いの後に廃城とのこと。

現在は、三の丸などは宅地化されているが、本丸とその周辺は沓掛城址公園として整備された地域の憩の場。

1年前の桜の時期は駐車場が満車だったため、今年は朝に訪問し、公園内とその周辺を散策。
本丸を取り囲む堀と南側に設置された土橋はキレイなもの。
諏訪曲輪は他より1段高く、守り神が祀られた以外に見張り台の役割も担ったような印象。
公園外では、僅かな面影はあるものの、城郭遺構はほぼ皆無。

1時間少々滞在し、朝に紅茶とスコーンを頂いた気分になれた、私の城郭巡りの201城目でした。

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翡翠

津和野城 (2023/10/15 訪問)

太皷谷稲成神社近くにリフトに乗る駐車場があります。景色がとても良かったです。金土日祝とライトアップしてるみたいです。帰りには竹風軒の源氏巻を買って帰ります。

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ぴーかる

城林城 (2025/03/22 訪問)

【城林城】
<駐車場他>駐車場はなし。軽か小型車の小さいのなら城跡の主郭まで行ってもいいかも。または途中の<32.983153, 130.829280>少し広くなった場所に停める。車1台分のスペースなので注意です。
<交通手段>車

<感想>2泊3日西九州旅3日目13城目。菊池市の公式サイトによると城林城は止林城とも呼ばれ菊池十八外城の1つです。菊池武光から朱槍を許された城武顕によって築城されたとあるので、南北朝時代あたりに築城されたかもしれません。戦国時代には阿蘇家の家臣甲斐宋運が城主となったとも伝えられています。現在もこの地区には城姓の方が多く残っているそうです。
 現地は上記にあるように、主郭まで車で行けない事はないです。下段の曲輪群は大きく果樹園・畑・公園なのかよく分からない感じになっています。主郭の背後は空堀・堀切からの竪堀の遺構がよく残っていますが、竹藪化して散策できるようにはなっていませんでしたので上から覗き見るのみでした。

<満足度>◆◇◇

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とらちゃん

アジサイと花菖蒲まつりが開催中 (2025/05/31 訪問)

5月31日から6月15日までアジサイと花菖蒲まつりが開催中です。
見頃は6月7、8日ごろでしょうか?
ぜひ、見にいらしてください。

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カズサン

洲本城-5/9 西の丸と南の丸編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-4/9 本丸Ⅱ内部と周辺高石垣編の続です。

 本丸、天守台、模擬天守と終わったので、家内を本丸の喫茶店でゆっくり休んでもらい、西の丸の探訪へ出かけました、搦手口から天守台西下郭の修復石垣を確認して西の登石垣は?と踏み込んでみましたが上からの西の登り石垣を確認する事は出来ませんでした。
 籾蔵跡、西門跡石垣虎口、西の丸への長い尾根道リフレットの縄張図には200m程と有りましたが、樹間の尾根道は長く感じました、やっと階段を登って、残念石へ、矢穴の痕跡の有る大石が一基残って居ます、西の丸へ入り広いが内部は植栽が大きく成り見晴らしが悪い、東屋も有るが痛んできている、周囲の城塁石垣を確認するが樹木に覆われて入り込めず入口の南側石垣塁を樹間越しに確認。
 来た道を戻て南の丸へ南の丸は行きと帰りに確認、南の丸は先に大手周り編で投稿した南の丸南東角の拡張石垣が見所です、南の丸は東の郭と西に一段上がった西の郭が有り西の郭は三熊梅園と成って居る。

 洲本城-6/9 武者溜編に続く。
 

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カズサン

洲本城-4/9 本丸Ⅱ内部と周辺高石垣編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-3/9 本丸Ⅰ大手虎口と搦手虎口編の続です。

 本丸を大石段を登る前、内部に入り本丸内、天守台郭、新しく出来ていた休憩所喫茶店で洲本城のリフレットを入手し、大天守台、小天守台、連結多聞櫓台のに登り、模擬天守と洲本市街、瀬戸内紀伊水道側の海を眺めて絶景にしたった後、本丸高石垣を下から眺める。
 良くも三熊山頂部に大石垣城郭城塁を築いてものです。立入禁止も有り西の登り石垣を上から眺める事と確認はできませんでした。15年前の登城では西の登り石垣を麓から攻めて数櫓台の登り石垣遺構を見る事が出来ました。
 流石洲本城、三熊山ドライブウェイが西、東からつながり車でた易く登る事が出来大勢の人が見えていました。
 
 洲本城-5/9 西の丸と南の丸編に続く。
 

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カズサン

洲本城-3/9 本丸Ⅰ大手虎口と搦手虎口編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-2/9 天守台辺り編の続です。

 存在感のある本丸大石段、洲本城の見所の一つ、3回目の見学観察ですが圧巻の大石階段です、下から眺めて、登って上から眺め、大手枡形虎口へここも厳重な枡形門が在ったのでしょう、南、西には石垣塁、雁木が有り上は武者走り、北側には天守郭台、東は開けて本丸東下郭で御殿が有った様、西の天守台下に枡形搦手虎口と流石賤ヶ岳七本槍の一人脇坂安治の織豊系城郭です、しかし淡路3万石で良くここまでの城郭が築けたものです、淡路には賤ケ岳七本槍が志知城の加藤嘉明と二人おり、淡路水軍、豊臣政権の活躍を支えました。
 
 洲本城-4/9 本丸Ⅱ内部と周辺高石垣編に続く。
  

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり② (2025/05/04 訪問)

会下城からの転戦です。海に面したかなり急峻な山城です。砂浜伝いに城にアプローチすると、城の看板が見えました。その看板の建っている展望所の先は尾根伝いに山頂まで雛壇のように郭が連なり、但馬八木城の土城に通じる佇まいに見えました。この日に攻城した城はすべて事前に「城びと」の投稿に目を通していませんでした。先達の皆さんが触れられているはしごで降りていく井戸、見ておきたかったなあ。ここも再訪するしかありませんね。ただ、この日は天気に恵まれましたので、途中の展望所や山頂の主郭からの素晴らしい眺望を楽しむことができてラッキーでした。

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ACRO

20250529小倉城 (2025/05/29 訪問)

短時間しか滞在できませんでしたが、登城。
御城印が豊富で驚きました。
残念ながらライトアップは見られませんでしたが、
機会があれば見てみたいところです。

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