長篠城の本丸には長篠城を取り囲む武田軍の五つの砦の案内板があります。長篠・設楽が原周辺は昔、ひとしきり訪問したことがあります。長篠城の包囲戦から設楽原の合戦の遺構を合わせるとかなりの数になります。せっかっくなので、周れるだけ周ってみようかな・・暑いけど。本丸の北側に二の丸跡、西手に弾正郭があります。弾正郭は私有地の様なので、少し近づいてから引き返しました。近くには鳥居強右衛門の「「呼びかけ」の伝承地」の案内板があります。武田軍と豊川の対岸から呼びかけていたのかと思いきや、こんな本丸の近くまで来ていたのか。武田軍も長篠城を落とすまで、あと一息という所だったようだ。
鳥居強右衛門が「援軍は来る!」と言わずに開城していたら歴史はどう変わっていたのだろうか?
長篠城の西側にほどなく行ったところに馬場美濃守信房(信春)の慰霊碑があります。信房の墓と思っていたが慰霊碑だったのか。遺骸は設楽の資料館の信玄塚の下に眠っているのだろうか? それとも・・?
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