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しんちゃん

八幡平の城跡 堀跡 (2021/12/31 訪問)

本郭の北東にも曲輪が配され、本郭と北東の郭(二の郭)の周囲には幾つもの堀切が配され、遺構を良く残しています。
特に二の郭の北側と南側には堀切が二重に切られており、基本に忠実な縄張りを有しています。歴史に残るような戦いの記録が無いようなので、おそらく第二次高天神城の戦いの後に廃城になったのではないかと思います。

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しんちゃん

八幡平の城跡 新野氏の詰城で武田軍による改修を受ける (2021/12/31 訪問)

静岡県御前崎市新野の八幡平の城は今川系新野氏の舟ヶ谷城の詰城とされています。元々は単純な縄張りだったようですが「長篠・設楽原の戦い」の後の天正年間初期(1578年ごろ)に高天神城への軍道の押え(繋ぎの城)として改修を受け、多くの堀切、横堀、馬出などが整備されたようです。
歴史的な意味合いとしては比較的地味な城ですが、山城(平山城)としての遺構を多く残る良城です。

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しんちゃん

怨霊が漂っていそう。 (2024/09/28 訪問)

田城城は九鬼岩倉神社が城址とされています。九鬼嘉隆の兄で九鬼家当主・浄隆の城とされ、浄隆の死後、息子の澄隆が家督を継ぎますが、まだ幼かったため成長するまで嘉隆が補佐役を務めたとされています。嘉隆は後に信長に仕え水軍を率いて活躍し第二次木津川口の戦いの勝利にも貢献します。
天正12年(1584)九鬼家当主・澄隆が病死し嘉隆が九鬼家の家督を継ぎます。澄隆の死は嘉隆による毒殺が疑われているようです。
そんな嘉隆も関ヶ原の合戦では西軍に付き、西軍が敗北した際に答志島に逃れ、家臣の勧めで自害したそうです。

田城城を訪問した際には、すでに暗くなってきておりました。なんとなく城址としての雰囲気はありますが、遺構らしきものは見当たりませんでした。

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しんちゃん

南東から訪れるべき (2024/09/28 訪問)

前回、訪問した際にハンターのいた北側から入って行ったのですが、ここからだと道が途切れていて途中から直登に近い感じになります。城址の場所は合っているはずなのですが、藪がきつくて見通しが悪い。土塁らしきものがあるような気がするが間にヤブが立ちふさがります。今回は最高所まで登って元来た道を帰りました。
イオさんの投稿にあった南東側の登城口から登るべきでしたね‥。今回の登城で3回目になりますが、初回は写真が喪失して、2回目は頓挫。これは4回目もありそうですが季節を選びたいですね。

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朝田 辰兵衛

山頂は土砂降りだった…☂ (2024/07/05 訪問)

新鳥栖駅観光案内所でレンタサイクルを利用。天候は曇りだったので,安堵してました。ところが,九州横断自動車道の高架をくぐったあたりから小雨が降ってきました。まだ大丈夫と決行しましたが,山頂に近づくにしたがい土砂降りとなりました。足元が滑りやすいワケではなかったので,サクサクと登城しました。
麓の農家ではヤギが放たれておりビックリしましたが,人間慣れしている様子でした。往路も復路も目が合いましたが,復路ではびしょ濡れになった姿を鼻で笑われた気がしました…。
一通り散策できたのですが,モヤがすごくて失敗写真のヤマとなりました。石垣系はほとんど失敗してました…<泣>。
曇り空の新鳥栖駅観光案内所に戻ったら,勝尾城は土砂降りということに驚かれました。
『やっぱり,もってるんだナ…☂』
雨男健在です。

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トク

名護屋城 ぼっちキャンプ(島津義弘陣跡) (2024/09/30 訪問)

やっと朝晩少し涼しくなったので、またキャンプをしてきました。本日泊まるのは、波戸岬キャンプ場(島津義弘陣跡)です。前回訪れた時は、夕陽がうまく撮れなかったのでリベンジです。ここは私の一番好きなキャンプ場です。

その前に、まず波戸岬入口にある名護屋城へ。入口で100円(清掃協力金)を払い登城します。いきなり大手口から三ノ丸にかけては石がゴロゴロ。一国一城令により唐津藩主の寺沢広高が大規模に破却した跡がいまだによく残っています。でもよほど丈夫な石垣だったのでしょうか? 壊し切れてない(途中であきらめた)のがよく分かります(写真①)。そして伊達政宗が仙台へ持ち帰ったという二ノ丸から本丸への大手御門跡を抜けると広い本丸があります。ここには300畳の大御殿があったとか。全国の諸大名が皆ここに並び、秀吉にひれ伏していたのでしょう。さらにその先が天守跡です。ここに五層の大天守がありました。歌碑も立っていました。「太閤が 睨みし海の 霞かな(月斗)」。

その天守跡に立つと玄界灘が一望できます(写真②)。いつ見てもいい眺めです。今日もかすかに壱岐対馬まで見えました。波戸岬(はどみさき)もすぐ眼下に見え、その先端に本日泊まるキャンプ場があります。

名護屋城の駐車場から見た写真です(写真③)。この前にはスーパーとコンビニがあるので、ここで必要なものを買いそろえて行きました。他にもバス停や桃山天下市場があります。市場の中には、お土産屋や食事処(イカ生き造りや海鮮定食)もありますよ!

フリーサイトにテントを張り、まだ日没までちょっと時間があったので、島津義弘陣跡を見学してきました。少しだけ石垣が残っていました(写真④)。彼らはどんな思いでここから海を渡って行ったのでしょうか?

今日は平日のせいか宿泊者は私一人だけ。聞こえてくるのは、波の音、風の音、鳥の声だけです。それ以外の余分な雑音は一切ありません(いい感じです)。だんだんと夕陽が水平線に沈んでいきます(写真⑤→⑥→⑦→⑧→⑨→⑩)。真っ暗になると呼子のイカ釣りの漁火がぼんやり見えてきました。星空もよかったです。一眼レフならもっと綺麗に撮れるのかな~🤔、スマホだとこれが限界かな?(笑)
 

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イオ

搦手周辺特別公開 (2024/09/28 訪問)

姫路城の搦手周辺特別公開に行ってきました。2月にも西小天守の特別公開に行っていますが、搦手道も一度通ってみたいと思っていましたので、今回も行かないわけにはいきません。特別公開エリアに入って との四門から出ると再入城できないため、まず有料エリアをひとめぐりしてから ちの門へ。

ちの門脇の番所に設けられた受付で観覧料(200円!)を払い、リーフレットをもらって門をくぐると、との一門内の曲輪が広がっています。西は大天守・イの渡櫓・東小天守、南は折廻櫓、北は への門東方土塀の三方から集中砲火を受ける位置で、見回すと恐ろしいほどです。との一門の続櫓であるトの櫓は岩盤の上に建てられており、内部に入ると土間の床面は東側に傾斜していて、格子窓から直下の搦手道を狙い撃てるように東辺には一段高く床板が張られています。北側にはとの一門2階への入口があり、非公開ながら入口から内部を見渡すことができました。

との一門は城内で唯一、白漆喰で塗り籠められていない素木造の櫓門であり、門扉が上部を縦格子とした透かし門だったり、格子窓に突き上げ板戸を設けるなど他の櫓門と異なって古式な造りであることから、秀吉期に置塩城の大手門を移築したとも云われますが、確かにそう思わせるような雰囲気がありました。との一門と との二門との間は城内に現存する唯一の枡形虎口であり、西の との一門やトの櫓のみならず、北は ヘの渡櫓、南は井郭櫓からも狙い撃たれることになります。さらに、との二門は急傾斜の坂虎口になっていて突破するのは困難そうです。との二門東側の石段を上った先には長壁神社遺趾の石碑が立てられています(立入禁止のため遠望のみ)。姫路城築城のため姫山から城下に移されていた長壁神社を、池田輝政が城の鬼門にあたるこの地に戻したもので、現在は播磨国総社内と天守最上階に祀られるほか、立町にも分祀されています。

搦手道の急な坂道を下りつつ振り返ると、井郭櫓の奥に大天守が聳え立っています。井郭櫓から南にのびる土塀下の石垣には継ぎ足しの痕跡が見られました。との二門と との四門の間には との三門がありましたが、明治に払い下げられて八王子神社の神門として移築されたとも云われます。八王子神社の神門は外京口門からの移築の可能性が高いそうですが、いずれにせよ神門は取り壊されていて現存しません。との四門の北側には穴蔵と呼ばれる半地下式石造の焔硝蔵があり、蔵は遺っていませんが、搦手道から蔵跡の大きな窪地を見ることができました。そして、との四門から退城して特別公開エリアの探訪を終了。勢隠曲輪をぐるりとめぐり、三の丸を散策して姫路城を後にしました。

平成の大修理以降、閉鎖されたままの搦手口ですが、今回の特別公開で実際に歩いてみて、大天守までの距離が短い反面、高低差を活かした守りの強固さを実感でき、大変に見応えがありました。姫路城は何度来ても新たな発見があっていいなぁ…。
 

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赤い城

西分城 徳島県板野郡上板町 (2024/09/16 訪問)

板西城から県道12に出て西に進みます。
南に入りしばらく進んだところに石碑が立つのみ。
遺構はなさそうです。
城跡には民家が建ち、水田に囲まれていました。

榛谷越後守の居城でしたが中富川の戦いで長宗我部氏と戦って討死しました。

12号線の北側には4番札所の大日寺、5番札所の地蔵寺があります。
大日寺は徳島藩主の蜂須賀家の尊信が深い寺。
地蔵寺は五百羅漢堂があります。行ってませんが。

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しんちゃん

坂手島 三重県鳥羽市 (2024/09/28 訪問)

坂手島に行ってきました。
そしてすぐ帰りました!
滞在時間は10分にも満たないです。何しに行ったんだと思われるかもしれませんが、そのわずかな時間をしっかり堪能してきました。
到着してすぐに、数組の家族連れが家に帰って行きます。島にもさまざまな人たちの生活が根付いているのだと実感します。近くの木造の味のある建物で帰りの切符を購入。新札は使えません! 渋沢翁、結婚式場に続いて、ここでも拒否られとるじゃないですか(笑)。
近くの喫茶店には猫がたむろしています。猫が一匹、ごみ箱の影からこっちを見ています。星飛雄馬のお姉さん?
観光案内板見て、お地蔵さんにあいさつして、なんてことをしていたらすでに出発の時間です。伊勢志摩の島々をゆっくり廻れるチケットも売っているし、もうちょっと落ち着いたらゆっくりと再訪したいなと思いました。けっこう島めぐりも好きなんですよ。
江戸川乱歩氏の奥さんの実家もあるようです。地味な名所ですね。坂手布(さかてめ)と呼ばれるワカメが名物で、乱歩氏のお墨つきだそうです。

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歴史案内活動のご案内【10月6日(日)10:00~12:00】 (2024/10/06 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

気がつけば10月、断りもなく10月、
2024年も残り3ヶ月となりました。
あれだけの猛暑もいつの間にか影を潜め、
しだいに秋めいていく今日このごろにあって、
武田神社では当隊による歴史案内活動を行います。

日時:10月6日(日)10:00頃~12:00頃
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門

❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは原則無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天延期の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。

今回のガイドは局長・大塚與左衛門が行います。
皆さんのご来訪も楽しみにしています。
(E)

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しんちゃん

近くば寄って‥ (2024/09/28 訪問)

鳥羽マリンターミナルから坂手島の西北部を回り込むようにして島の南部にある港へ到着‥ということは行きの道中に砲台の近くを通過するはず。攻略方法は人それぞれと思いますが、私としてはもう少し堪能したい。todo94さんの情報でホテル周辺は立ち入りが出来ないのは分かっているので長居する必要もない。今は東海の城攻めが優先。伊勢の島々にはまたゆっくり参りましょう。
島での滞在時間は10分にも満たないので、近くを船で通過する間が勝負です! 昔、軍艦島クルーズに参加した時は天候の関係で上陸は出来ませんでしたが、周囲を周遊することで、けっこう軍艦島を楽しむことができました。今回もその方式で、船が寄ってくれるとこまで行って、海上から横矢を浴びせてやろうと思います(パシャパシャ)。
「行けぬなら 近くまで寄ろう ホトトギス」「近くば寄って目にも見よ」ってやつです。それなりの成果があったかどうかは微妙ですが、結構楽しかったです。やっぱり船はいいですわ。

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テトミイア

日本三大山城の1つ (2024/09/26 訪問)

城跡の近くに駐車場(無料)あり。
ただ、そこまでの山道は結構狭く少し気合いがいります。
駐車場から天守跡までは杖でゆっくりと10〜15分ぐらい。車椅子では登れません。
日本三大山城と言われているので覚悟していましたが、車で近くまで行けるのと天守跡までの山道もそこまで急な道ではないので、杖でゆっくり登れば大丈夫でした。
天守跡にもしっかり石垣が残っており、女城主の悲哀も想像させられました。
過去の城を見れるQRコードが随所にあり、楽しませてくれました。

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しんちゃん

古くは金子時光の居館 (2024/05/04 訪問)

金子氏館は別名・島屋敷ともいいます。城郭大系にも載っておりますぞ。かつては金子時光の居館で、天正の頃まで時光の孫・金子弾正という人物が住んでいたとされています。その後は柴田三左衛門という人物が徳川家康よりこの地を与えられ、枳殻(からたち)の木で垣を巡らし、周囲を水田で囲まれていたため、島屋敷と呼ばれるようになったようです。
今日は福島・栃木旅行のおみやげの佐野ラーメンです。すでに賞味期限が過ぎてしまっているので早めに食べなくてはいけません。例によって「べこ」たちが寄って来てますが、「タムタム」でゲットした兜で武装しています。むむむ‥真田幸村や伊達政宗の兜とは生意気な‥
最近ラーメンばかり食べている気がします。

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テトミイア

自然の巨岩の石垣と絶景の展望台 (2024/09/26 訪問)

最も城跡に近いA1駐車場(無料)に車を止めて出発。
入場料は無料
山城ということもあり、さすがに車椅子では無理でしたが、杖でゆっくりと挑戦。
道中は思ったほど急ではなく、巨岩がそのまま使われていると言われる石垣に感動しながらゆっくりと登れば比較的楽に辿り着けました。
天守跡には展望台が設けてあり、階段の多さに少し手こずりましたが、山上の景色は抜群でした。
恵那山、木曽川、市街地が一望できます。
少々疲れはしますが、あの景色を見れるなら頑張って登る価値ははあると思います。

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カズサン

二俣城・秋分の頃‐4/4 (2024/09/25 訪問)

 ※南の丸Ⅰから大手道登城口編(3/4二の丸・大手門跡編の続きです)

 二の丸の南下に3号堀の堀切を挟んで南の丸Ⅰ更に南下に2号堀の堀切南に南の丸Ⅱ更に南下に1号堀と続き麓へ。
 今回は30分程の散策散歩でしたので南の丸Ⅰまでの散策でした、南の丸Ⅰの南土塁の残存石垣を見学観察、周辺の草刈はされて居ましたが、南の丸Ⅰ内部の草は茂り、草刈前状態、東側の曲輪下散策路は草刈整備、二の丸南下と南の丸Ⅰの間の3号堀堀切は草刈整備されて奇麗に観察できました。 
 時間の関係で西の丸Ⅰ、Ⅱへは散策をパス。
 南の丸Ⅰ東から、二の丸大手門下階段を通り、本丸東崖側の石垣を見上げる、竹が茂りよく観察する事が出来ませんが一部竹の伐採が有り観察できる所を設けております、しかし暗くて見えずらい。
 3号堀から東に繋がる堀跡が北曲輪に鎮座する旭ヶ丘神社への登り階段、両サイドの灯籠、神社碑が有り、大手登城口へ、登城口には「天竜美川国定公園【二俣城址入口】」の案内板が一部朽ちかけて長い年月を感じる、浜松に来ていらの年月か?。
 更に市道通路側に平成30年に鳥羽山城と一緒に国指定史跡に成った記念に史跡二俣城跡の石碑が立っています。
 
 石碑の崖側に「天竜膳三好」の登城出入口があり細い道ですが割烹三好よりつづら道で繋がっています。
 天竜膳三好(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣932)は割烹の懐石料理店で天竜川の鮎を始め地元の食材を活かした二俣の老舗店です、高価ですが美味しい生きの良いものが頂けます、駐車場有り。

 約30分程の散策でした、4編に分けて長々の投稿ご覧頂きありがとうございました。
 

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ぴーかる

箕田館 (2024/09/14 訪問)

【箕田館】
<駐車場他>駐車場はなし。箕田館にごみステーションがあるのでその前に車をつけました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅5城目。箕田館は平安時代後期に帝の孫の源仕が武蔵守に任ぜられて東国に下り、箕田郷に館を構えたのが始まりとされます。また源仕は箕田源氏と称しこの地に土着します。
 城びとポイントの箕田古墳群と満願寺の辺りが館跡らしいのですが、館跡の遺構は無く古墳は残っています。古墳上に登り撮影し終わり。

<満足度>◆◇◇

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たか

シラス台地の山城 (2024/09/27 訪問)

小学校の社会で習ったシラス台地。
大人になって聞くことがこようとは(笑)

ミュージーアム知覧でスタンプを押して受付の方にお聞きしたところ丁寧に地図を使って説明して頂けました。
地図では西側からのルートも記載がありましたが西側は住宅地なので東側からのルートが良いですと教えて頂きました。
駐車場がありますのでそこに止めてあまり高くない城ですと言われるし、雨も降っていないので大丈夫ではないでしょうか?などと仰られたので仕事の格好のままで行ってみました。

あっ…無理だ(笑)

すぐに車に戻り用意しておいたトレッキングシューズに履き替え、服装も変更。
準備万端でいざ登城開始。

南九州特有のシラス崖の中を歩いていると、とにかく切り立った深い空堀が圧巻です。
この空堀は土砂の堆積により現在は浅くなっており、実際はさらに7mほど深かったそうです。
シラス層は傾斜をつけるよりも切り立った方が安定するとも書かれてありました。
各郭は城と名前が付いてありました。
各々結構な勾配で受付の方が言われていたような大したことないなんてとんでもない。
しっかりとわたしは息があがっていました(苦笑)

むかし、家族で訪れた知覧平和祈念館の裏にこれだけ広大なそして圧巻的な空堀のある山城があったなんて知らなかった。
有意義な時間を過ごすことができました。

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todo94

赤パスポートゲット (2024/09/21 訪問)

志国土佐 時代の夜明けのものがたりで高知駅に降り立つと、駅前のこうち旅広場にて柚子ポン酢を購入し龍馬パスポート申請書の3つ目のスタンプをゲット。青パスポートを手に入れることができました。それから徒歩にて高知城に向かったのですが、すでに最終入館時刻を回っていました。仕方がないので二の丸から三の丸に向かいNHKの「ニッポン不滅の名城」で紹介された排水溝をじっくりと拝見させていただきました。その後は、高知城歴史博物館とひろめ市場で青パスポートにスタンプを押してもらい、翌日、献血前に龍馬の生まれたまち記念館、献血後に土産物店をはしごして無事、赤パスポートを手に入れることができました。

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しんちゃん

立入禁止 (2024/09/28 訪問)

坂手村砲台は幕末に鳥羽藩主稲垣長明の命で築かれたとされ、他にも菅島や安乗崎などにも築かれたようです。
坂手島には西北の田崎と東北の丸山の二ヵ所に築かれ、丸山の方は海風に浸食され崩壊してしまっているようです。城びとの城に登録されている田崎の砲台跡はホテルの建設のために遺構は残っておらず、ホテルも廃業となり立ち入りが禁じられているようです。
しかたがないので、遠くから砲台跡をパシャリ。
ちなみに私、船や飛行機は結構好きなんですよ。普段車中泊で車で移動しながら城めぐりをしているので、電車やバスの御世話になることはあまり無いのですが、船や飛行機は車ではいけない所に連れてってくれますからね。

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しんちゃん

「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」 (2023/05/07 訪問)

横浜・山下埠頭の「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」は「動くガンダム」の展示が終了した時点でその役目を終了しました。その存在そのものが「動くガンダム」に特化した内容だったので仕方が無いのですが、横浜に行ったついでに珍しいガンプラを買えなくなるのは、少々残念ではあります。屋内展示では動くガンダムを人体に見立てた展示が成され、ロボットなどの展示も充実していました。動くガンダムで見せてくれた、腕部や指先などを稼動させる技術が、いずれ義手などに活用されてくれれば良いなと思います。
一見、ただのでかいオモチャのようにも見えますが、実は最先端の工業技術が詰まったすごい工業製品でした。まだ完全な自立と歩行は出来ませんが、上半身の動きは人体を確実にトレースしつつあると思います。次は何を見せてくれるのか、楽しみにしています。

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