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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:塩貝城 (2025/05/22 訪問)

胡麻駅から徒歩15分くらいで、入口標識前(35.190012、135.471056)に着きました。
そこから、民家手前のネットのある墓地の裏に廻り込み少し登ると小屋掛けされた「塩見将監之墓」の墓所があります。
獣よけネットをめくってくぐって進みます。本丸まで500m~600mくらいです。

詳細は不明のようです。城主は塩貝将監晴政とその子塩貝将監晴道が伝えられ、麓に墓もあります。
1579年(天正7年)塩貝晴道は波多野氏に従っていましたが、織田の部将明智光秀によって攻められ落城したようです。

眺望はよくありませんが、城塁と竪堀は確認しました。堀切は見逃しました。
攻城時間は45分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に戻る為、胡麻駅から電車で亀岡駅に向かいました。
歩行歩数=36904歩、歩行距離=25.8Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:八木城 (2025/05/22 訪問)

八木駅から徒歩10分ちょっとで、登城口(35.065423、135.526933)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、丹波守護細川氏の守護代をつとめた内藤氏によって築かれたと云われています。
黒井城、八上城とならぶ丹波国三大城郭のひとつで、キリシタンとして知られる内藤ジョアン(内藤如安)ゆかりの城としても有名です。
1579年(天正7年)に織田信長に丹波攻略を命じられた明智光秀が落城させています。
その後も光秀により改修され、亀山城(亀岡城)を築城して以降はその支城として存続しました。
北麓にある東雲寺が八木城主の居館跡と伝えられています。

登城路は手入れされており、テープも巻いてあるので迷う事はないですが、曲輪群を巡るなら長袖長ズボンに帽子、軍手は必須です。
本丸周辺に現存する石垣を見学する際は足元注意して下さい。本丸跡からの眺望は申し分ありません
攻城時間は65分くらいでした。次の攻城先=塩貝城を目指す為、八木駅から胡麻駅へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:高雄城 (2025/05/22 訪問)

京都市営バスの槙ノ尾バス停から徒歩10分弱で、神護寺参道入口(35.055154、135.672918)に着きました。

781年(天応元年)愛宕五坊の一つとして神護寺の前身が築かれたとされる説や延歴年間(782年~806年)に和気清麻呂が神護寺を創建した説などがあります。
どちらにしても、高雄城の築城時期は不明のようですが、南北朝時代、神護寺により築かれ、戦国時代には城郭寺院となった神護寺の詰の城と云われ、細川氏により使用されたようです。

本堂裏手の多宝塔横から遊歩道が性仁親王・文覚上人の墓まで通じていて、この墓地が高雄城の郭の始まりのようです。
墓の裏手へと登るとすぐに三段の郭が現れますが、城域は整備されておらず、倒木やシダなどが生い茂ってます。
主郭の北には三日月状で土塁が残り、その向こうには大きな堀切がありました。 
主郭東下の郭から斜面に竪堀がありましたが、シダに覆われていてよくわかりません。
文覚上人のお墓の位置から京都市内が望めます。(写真撮り忘れました)
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=八木城を目指す為、槙ノ尾バス停から西日本JRバス➡JRを乗り継ぎ、八木駅へ向かいました。
本当は、次の攻城先=神尾山城を目指す為、槙ノ尾バス停から西日本JRバス➡JR円町➡JR千代川駅➡京都府亀岡市ふるさとバスを乗り継ぎ、宮川バス停へ向かう予定でした。
しかし、西日本JRバスが遅延した為、電車に間に合わず60分待ちとなった為、神尾山城攻城は諦め、次の八木城に行くことにしました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:備中高松城(移築城門 浄土真宗遣迎院 京都市北区鷹峯) (2025/05/22 訪問)

京都市営バスの鷹峯源光庵前バス停から徒歩2~3分くらいで、浄土真宗遣迎院の移築城門前(35.054097、135.731623)に着きました。

備中高松城(岡山県岡山市)の移築城門(長屋門)と書院がある遣迎院にやってきました。備中高松城で投稿します。
備中高松城は今回2回目(2回目というと心苦しいですが、投稿という観点でお許し下さい。。。)の攻城です。岡山県岡山市の1回目攻城は2019年11月10日に行ました。
長屋門に薬医門が埋め込まれるように建っています。薬医門が移築城門のようです。

遣迎院(けんこういん)は1194年(建久5年)に関白・九条兼実(くじょうかねざね)が別邸・月輪殿に釈迦・阿弥陀を安置したのが起源と言われています。
その後、1201年(正治3年)に九条道家(くじょうみちいえ)が伏見大路の東に浄土宗西山義の派祖・証空(しょうくう)を開山として創建しました。
遣迎院は四宗兼学道場になり、廬山寺・二尊院・般舟院とともに四箇本寺に数えられました。
その後、1575年(天正3年)に定額寺となるが、1583年(天正13年)に関白・豊臣秀吉によって寺院は二分され、京都御所の東方に移って天台宗に改められました。
なお戦後、現在の場所に移り、天台宗から浄土真宗遣迎院派の本山になりました。
ちなみに、遣迎院の道路反対側にある源光庵は本堂の天井が血天井で有名です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高雄城を目指す為、京都市営バスの鷹峯源光庵前バス停から京都市営バスを乗り継ぎ、槙ノ尾バス停に着きました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:嵐山城 (2025/05/22 訪問)

嵐山観光(渡月橋や多宝搭、電電宮など)した後、登城口付近(35.009277、135.680008)に着きました。
嵐山駅から嵐山城の登城口であるトレッキングコース入口(京都一周トレイル西山コース)に着くまでに嵐山観光をした為、40分かかりました。

嵐山城は1497年(明応6年)に山城国下半郡の守護代・香西元長によって築城されたといわれています。
1507年(永正4年)元長は主君である室町幕府の管領・細川政元を暗殺し、政元の養子・澄之に家督を継がせようとしました。
しかし、同じく政元の養子であった澄元や高国の反撃を受けて元長は敗死。嵐山城もその際に炎上したそうです。
ただし、その後も細川晴元が1539年(天文8年)など数度にわたり在城した記録もあり、細川氏が引きつづき利用していた可能性もあり、廃城時期については不明のようです。

トレッキングコース入口付近には嵐山城址の登山口を示す標識は一切ないので注意。
「京都一周トレイル西山コース26」の標識がある細い道を入って行きます。
展望台を過ぎ「西山33」のところで京都一周トレイルから外れ、嵐山城址を目指します。
途中で大岩が道を塞いでいる場所で雨がポッポッ降りはじめ、かつ予定のバス発車時間のタイムリミットが迫っていた為、ここで断念して引き返しました。
嵐山観光(渡月橋や多宝搭、電電宮など)の時間が悔やまれます。
登城途中に桂川・渡月橋を見下ろすことができました。
攻城時間は80分(嵐山城のみ)くらいでした。次の攻城先=備中高松城の移築城門を見る為、阪急嵐山駅前バス停から京都市営バスを乗り継ぎ、鷹峯源光庵前バス停に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:嵐山観光 (2025/05/22 訪問)

宿泊先ホテルの最寄り駅(亀岡駅)から電車で嵯峨嵐山駅に着きました。
そこから、渡月橋を渡り、多宝搭前(35.0099860、135.677583)➡電電宮付近(35.009874、135.677743)に着きました。
嵐山観光名所の渡月橋を見たかったので、嵐山城へ行く前に寄ってみました。
電電宮はテレビのクイズ番組で見たので、寄ってお参りしました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=嵐山城へ徒歩で向かいました。

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にのまる

春の18きっぷ初日④ (2025/03/22 訪問)

日没まで1時間くらい滞在できそうだったのでこの日の最後に宮島上陸してきました。

【👈要害山 厳島合戦史跡】の案内に従って石段を登ります。ちょうど日の入りの時刻であたり一帯オレンジ色に包まれとても神秘的でした。古戦場であり日本三景。限られた時間の中でしたが目に映る景色をしっかりと記憶しました。

宿泊はカープロードにある赤い東横イン『東横INN広島駅スタジアム前』です。
ローソンも赤い(^^)
お部屋は普通の青色でした😊

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しんちゃん

変形武者走り (2024/12/31 訪問)

小幡城の築城に関しては諸説ありますが、戦国時代の文明年間以降は水戸城を手中に納めた江戸氏の支配下に置かれ、水戸城の支城となりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、本領を安堵された佐竹義重は一気に南下し水戸城を落とします。この時に小幡城も落城したと見られ、江戸氏は結城氏の下に落ちのび、大名としての江戸氏は滅びますが、後に世界一の大都市となる江戸にその名前が残りました。
久しぶりに小幡城にやって来ました。以前訪問した際に比べ、立ち入り禁止の箇所がいくつかあり、見学のルートも限られているようです。堀底道をしばらく歩きまわるのですが、左右の堀底道を進む敵を高所から攻撃できる、変形武者走りはなかなか面白い遺構です。

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しんちゃん

思ったより遺構が良く残っている (2024/12/31 訪問)

見川城は水戸城を築いた馬場資朝の四男・長幹により築かれ、後に江戸氏の家臣・春秋氏の一族が城主となり水戸城の支城として機能しました。城址は桜川沿いの丘陵上にあり、思ったより遺構が良く残っています。
遊歩道が城址に続いているので、途中から直接主郭に向かっていけば城址に入ることが出来ます。東側にある大きな郭が主郭で周囲を土塁で囲まれ、その周囲には堀が配されています。西側の土塁は高く、外側の堀も良く残っています。西の土塁の上には祠が有り、主郭北東部は枡形の様な形状をしていて、そこが虎口となっているようです。二郭・三郭は藪化が進んでいて全容は良く見えません。
三郭の北側は荒人神社になっていて、周囲は柵で囲まれています。

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しんちゃん

各所に土塁や堀が残っている。 (2024/12/31 訪問)

河和田城は建武3年、大掾氏の家臣・鍛冶貞国によって築かれ、水戸城の支城として機能しました。嘉吉元年(1387)の難題山合戦の際、大掾氏の当主は幼かったため、大きな働きが無く、鎌倉公方の命で合戦で大きな働きのあった江戸道高に河和田城は与えられました。
後に、大掾氏が水戸城を留守にすると、機を伺っていた江戸道房は水戸城を占拠し、河和田城には家臣の春秋氏を入れて防御を固めました。これにより大掾氏は石岡地方の一勢力に衰退しますが、天正18年(1590)佐竹義重・義宣父子による水戸城攻略の際に河和田城も落城し城郭は破壊されました。
城域は広く、天徳寺には立派な土塁や堀跡が残っています。南の中城幼稚園から河和田小学校のあたりが本丸跡で、小学校に城址碑が立ち、道路脇にも大きな堀跡を見ることが出来ます。各所に堀跡や土塁が残っていて、水戸市動物愛護センターの脇にも土塁が残っています。

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カズサン

石岡城は外城とも呼ばれて大掾氏居城 (2025/06/07 訪問)

 孫の運動会観戦の後、多賀城外郭復元南門を訪ねた翌日浜松へ帰る午前中を、昨年11月10日柿岡城探訪で時間切れと成り断念した石岡城を初登城しました。早朝北関東道常磐道経由千代田石岡ICを降りて、国道6号線水戸方向へ約3.4km程の貝地交差点1本手前の細い道を南方向へ約500m程、岡田稲荷神社の鳥居に到着します。ここが石岡城1郭北の堀土塁の残る城域に当たる。

 駐車場:特に無し、岡田稲荷神社鳥居前に1台可能。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 余湖図コレクションの縄張図で当たると岡田稲荷神社、裏の札掛神社辺りが1郭北側の土塁上に鎮座、北側に藪に成って居ますが空堀が廻っている。神社から南へ50m程の民家の北側に切岸、土塁のような形状が見て取れる。
 周りは畑、ビニールハウスと成っており、縄張図と比較できないが、グーグルマップの航空写真で見ると、何となく石岡城の輪郭が分かって来る、丘陵部南端に城郭を築いたことが分かますし、宅地化されて無く、畑として残ってるのが幸いです、丘陵地の高低差が城塁の境の様子。

 案内板に依ると
 建保2年(1214年)常陸大掾を継承した大掾資幹は鎌倉幕府から府中の地頭職をあたえられ、この地に居館を構えた。南北朝時代大掾氏の拠点として城郭整備し大掾高幹の居城とした、高幹の子詮国の代に大掾氏は常陸国衙を拡張して府中城を築き、本拠を移し、石岡城は外城と呼ばれた。天正18年の秀吉の小田原征伐時に大掾氏滅亡とともに外城石岡城は廃城と成って居る。(抜粋)

 この後は時間も有り北西4.2km程の志筑城を目指す。
 

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ぴーかる

三内丸山遺跡 (2025/04/27 訪問)

【三内丸山遺跡】青森県青森市
<駐車場他>無料駐車場あり
<交通手段>車

<感想>3泊4日東北さくらまつり旅2日目。高屋敷館跡のあと行きました。青森県に行ったら必ず行こうと思っていた史跡です。運良くちょうど入場料無料の期間で入れました。三内丸山遺跡は縄文時代、約5900~4200年前の大規模集落跡です。遺跡内部は復元建物や発掘状態をそのまま建物で覆って保存施設があり見応えがあります。巨大な6本の柱で復元した6本柱跡は圧巻です。また出土品を展示した「さんまるミュージアム」は撮影OKで、SNS等にあげてもいいという事で撮りまくりました。出土展示品も多くて、ゆっくり堪能しました。弥生時代の吉野ヶ里遺跡との遺構の時代変遷が分かる史跡で、体感できるかなりいい史跡でした。

【ねぶたの家ワ・ラッセ】青森県青森市
<駐車場他>ねぶたの家ワ・ラッセ駐車場あり。入館したら1時間無料になります。
<交通手段>車

<感想>3泊4日東北さくらまつり旅2日目。ねぶたも見たことがなかったのでプランに入れて訪れました。入館料は大人620円です。有料なので添付写真は無料ゾーンのミニねぶた模型でご勘弁を。館内はねぶた祭りの歴史写真とか、ねぶたが7基程展示されています。実物のねぶたが見れて感動しました。

<グルメ>2日目夕食はお食事処「おさない」にてホタテの刺身定食とイカメンチをいただきました。TVで知って行ったので1時間並びました。ホタテのヒモの刺身は初めて食べて、コリコリした食感で美味しかった。

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朝田 辰兵衛

ここに来たら晴れてきた…☀ (2025/06/15 訪問)

雨天時の第2案で予定していたパーツです。ここに来たら晴れてきたのが少しうらめしかったのですが,これも結果論。また,岩手県に来る理由がついたということで,プラスに考えたいと思います。
岩崎城ですが,本丸手前の空堀が見事です。今回は,草木の繁茂と雨上がりということで,空堀突入は断念しました。

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駿府城

『「駿府城」まるわかり』再入荷!現地限定の人気ガイドブックを手に入れよう

ご好評につき完売していた大人気ガイドブック『「駿府城」まるわかり』が再入荷しました!
本書は、江戸時代の絵図や文献、30回以上にわたる発掘調査の成果をもとに、駿府城の歴史や構造をわかりやすく解説した一冊です。最新の天守台跡発掘調査の情報も反映されており、全ページフルカラーで、絵図や写真などの貴重な歴史資料も豊富に掲載されています。
購入できるのは現地だけ!発掘調査現場に併設された「発掘情報館きゃっしる」の隣の事務所にて販売しています。

◆販売書籍名:「駿府城」まるわかり
◆販売場所:駿府城跡天守台発掘調査現場
◆販売時間:9時00分~16時30分(入場は16時00分まで)
◆販売価格:500円(税込)※支払方法は現金のみ

ぜひこの機会に『「駿府城」まるわかり』を手に取っていただき、駿府城跡天守台発掘調査現場の見学をお楽しみください。皆さんのご来場をお待ちしております!

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イオ

鷹山氏の居城 (2025/02/23 訪問)

興福寺一乗院方衆徒の鷹山氏が室町期に築いた城で、戦国期には畠山氏、次いで松永氏や筒井氏に従い、筒井定次の伊賀転封に伴って廃城となったと考えられます。

北側の登城口前に駐車して登城開始。登城口からは遊歩道が城域の東側を回り込むように整備されていて、8分ほどで九頭龍王社を祀る十三重塔が建てられた南西曲輪に到達。南西曲輪には高山城跡の説明板が立てられており、手持ちの縄張図がなければここが主郭かと思ってしまうところでした。南西曲輪の北面には竪堀らしき地形が見られますが、後世のものと考えられるようです。南西曲輪から谷を挟んだ南側には出曲輪があるようですが、南に下りる道は立入禁止になっていたので断念し、遊歩道を北に外れて主郭部に向かいます。

主郭部は主郭と周囲の曲輪群からなり、主郭の北辺には櫓台状の土塁が、南西部には井戸跡らしき窪みがあります。櫓台から北裾に下りて行くと鞍部に浅い堀切が設けられていました。堀切の西側には竪堀状の地形が見られますが、こちらも後世の改変または自然地形のようです。堀切から東側に回り込むと、主郭部東側の帯曲輪北端に土塁を設けて北側からの侵入を阻んでいます。帯曲輪の南端から上った先の主郭部南東の曲輪は水道施設により改変されていました。南東端の虎口も水道施設建設時に改変されたものかもしれません。そして主郭部の曲輪群に三方を囲まれた南帯曲輪で主郭部をひとめぐり。

南出曲輪に行けなかった上に、いろいろと改変を受けていて、城自体にはあまり見応えはありませんでしたが、あれこれ調べてみると、多聞山城の戦いで焼失した東大寺大仏殿の再建に尽力した公慶上人は鷹山氏の出であることや、帰農した鷹山氏旧臣が作った茶筅が高山の伝統工芸品として現在も茶筅の全国シェア80~90%を占めているなど、鷹山氏の存在は意外なところで現代に影響を与え続けているんだな…などと、むしろ城以外のほうが印象的でした。
 

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赤い城

本丸跡は農耕地 (2025/06/08 訪問)

この日四国は雨予報(梅雨入りした日)だったので橋を渡り本土へ。
鳥取県まで来ました。こちらはいい天気☀️
ぴーかるさん記載の駐車場が最寄りですが江尾駅駐車場のフリースペースを利用しました。
駅舎内にパンフレットが置いてあります。

町内には案内板もあるのでわかりやすいです。
まずは本丸へ。
本丸と西の丸の間には深い堀切があります。
本丸は農耕地で現在の城主さんが作業をされていました。
挨拶をして見学、天守台跡が残っています。
その先は東祥寺に向けて落ちる深い堀切が守っています。
(墓地になっているので写真は撮りませんでした)

お礼を言って引き返します。
西の丸の北側には人枡形があり、高い土塁が残っています。
ただ時季的に藪で形は不明瞭でした。

八幡丸跡には模擬天守。
歴史民俗資料館ですが見学するには事前の連絡が必要だそうです。
さらに奥に進むと裏門跡があります。

麓の上ノ段広場の下には横穴が残っています。
他にもいくつかあるようですが城に続く抜け穴だったと言われています。

尼子家家臣の蜂塚氏の居城でしたが毛利氏に攻められ落城しました。
城はそれぞれ川を挟んで兎丸、城ノ尾丸と並んでいますがこの日はパス。
また来ることがあれば行ってみようかな。

【見どころ】
 ・天守台跡
 ・天守台背後の堀切(墓地になっている)
 ・人枡形

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昌官忠

(東海&関西)遠征7日目:三雲城 (2025/05/21 訪問)

三雲駅から、徒歩40分ちょっとで、登山口手前空スペース(34.9815930、136.0952334)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、三雲城は六角氏重臣であり、甲賀五十三家に数えられる三雲氏によって築かれたようです。
一説に1487年(長享2年)三雲典膳が六角高頼の命で築いたとも云われています。
観音寺城の奥城とも呼ばれ、1568年(永禄11年)に織田信長によって攻められた際に六角承禎、義弼の亡命拠点として山深い甲賀地方でゲリラ戦を展開していたようです。
1570年(元亀元年)織田信長の武将佐久間信盛によって攻められ降伏開城しました。三雲氏はその後、蒲生氏や徳川氏に仕え江戸時代は旗本として存続したようです。

登城口にはパンフレットも置いてありますし、しっかり整備されていおり説明板もあるのでわかりやすくよかったです。
ただ、登城口に向かう途中で天気予報通り、大雨になり、傘を持ちながらの撮影はブレまくりです。
八丈岩の写真、雨で上を見ることが出来ず、大きさが全然わからないですね。
攻城時間は30分(大雨の為、早めに撤退)くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、三雲駅から石山駅に向かいコインロッカーから荷物を取り出した後、石山駅から電車で亀岡駅に向かいました。
三雲駅に着くころには、雨はやみました。三雲城でもう少し粘ればよかった。
歩行歩数=33953歩、歩行距離=23.8Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征7日目:多喜山城 (2025/05/21 訪問)

東宝ランドバス停から徒歩20分ちょっとで、日向山登山口駐車場(35.0239757、136.0220752)に着きました。

多喜山城はいわゆる「元亀争乱」の際に六角氏などの抵抗勢力に備えるために、織田信長の家臣である佐久間信盛が築城したと伝わっていますが定かではありません。
この地は奈良興福寺領であったことからそれ以前に地頭代によって城が築かれていたという説もあります。

現在城址は公園として整備されていますが、とにかく石段が多いです。
主郭まで721段の石段を登ることになりますが、とても歩きやすかったです。
主郭に土塁や枡形、石垣などの遺構が見られました。
手原駅に向く途中、旧和中散本舗大角家住宅の前を通りました。奥に庭があるそうですが、24時間営業のはずが、門が閉まってました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=三雲城へ行く為、手原駅から電車で三雲駅に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征7日目:関津城 (2025/05/21 訪問)

公民館前バス停から、徒歩5分くらいで、国道422号線城址入口(34.927148、135.922820)に着きました。

築城年代は定かでないようですが、宇野氏によって築かれたようです。
宇野氏は、清和源氏の流れをくむとされ、宇野守治が1221年(承久3年)承久の乱での功により、関津の地を与えられたそうです。
その後、代々この地を支配し、戦国期には佐々木六角氏の一族である青地氏の旗頭として草津・守山付近で勢力を伸ばしたとされます。

国道沿い西側土塁を確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=多喜山城へ行く為、岡の平バス停からバス➡電車➡バスを乗り継いで東宝ランドバス停に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征7日目:膳所城(滋賀県大津市内にある膳所城移築建物巡り) (2025/05/21 訪問)

宿泊ホテルのびわ湖浜大津駅から電車で京阪石山駅に向かい、JR石山駅のコインロッカーに荷物を預けました。
その後、ミディレンタサイクル石山駅北口で自転車を借りる予定でしたが、午後から雨予報の為、自転車を諦めてバス&電車で攻城することにしました。。

膳所城は今回2回目の攻城です。1回目は2018年9月22日に来ました。
前回は膳膳城跡公園と膳所神社付近を攻城したので、今回は滋賀県大津市内にある膳所城移築建物巡りを目的に攻城しました。

膳所城移築建物巡りは以下の順番で巡りました。まずは、膳所本町駅から徒歩10分ちょっとで、①に着きました。
①:芭蕉会館(旧膳所城本丸東側二重角櫓)(34.991611、135.884418)
②:膳所神社 南門前(34.994575、135.890438)
③:膳所神社 表門 鳥居前(34.994872、135.891113)➡鳥居奥にあります
④:膳所神社 北門前(34.994956、135.890430)
⑤:六体地蔵尊前(34.996794、135.887623) 
⑥:響忍寺 家老屋敷長屋門前(34.999674、135.889979)
⑦:和田神社 藩校門(34.997946、135.891935)➡鳥居奥にあります
⑧:膳所城城門(34.995022、135.894416) ➡写真の枚数の都合上、今回は投稿しません。
⑨:大養寺 家老屋敷長屋門(34.994368、135.891943)
⑩:篠津神社 北大手門(34.990634、135.893899)➡鳥居奥にあります
⑪:若宮八幡神社 本丸犬走門(34.987488、135.894824)
⑫:御霊神社 本丸黒門付近(34.972384、135.901854) バス&電車での攻城の為、断念
⑬:幻住庵駐車場入口(34.966735、135.890081)➡近津尾神社米倉門へ バス&電車での攻城の為、断念

攻城時間は80分(移動時間含む)くらいでした。次の攻城先=関津城へ行く為、瓦ヶ浜駅から電車➡バスを乗り継いで公民館前バス停に向かいました。

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