前九年の役を記録した「陸奥話記」に記載のある比与鳥柵は正源寺から北の台地に築かれていたとされています。
安倍則任の守護した城館とされ「前太平記」や、白鳥村、稲瀬村の伝説にある「則任の恋物語」発祥の地ともされています(案内板より)。
慶長10年(1605)ごろより仙台城普請総奉行を歴任した後藤肥前守信康の居館となり、五藤寿庵隠棲の地とも伝えられています。
柵跡は北上川の東岸に位地し南の正源寺・墓地あたりが兵部舘、北の田畑になっているあたりが俵岩城とされています。厨川柵も北上川沿いに築かれていたし、北上川沿いに築かれている城郭は結構多いです。
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