タイトルは意味不明ですが、長崎の出島の投稿です。寛永11年(1634)に幕府が外国との交易とのために築造した人工の島で面積は3969坪、約15000平方メートルでそんなに広くはないようです。だいたい150m×100mの城館と同じくらいの広さです。
明治以降周辺の開発が行われ、かつて長崎港の南西に面していた出島は、北は中島川で区切られ、東西と南は埋立地に囲まれています。戦後、出島の復元整備事業が行われ商館長宅である「カピタン部屋」や水門、商館長次席が住んだ「ヘトル部屋」など様々な建造物が復元され、限られた出島のスペースの中にひしめき合っています。2016年には明治時代の建造物である「旧出島神学校」や「長崎内外倶楽部」も復元されています。
また復元作業の際に、南側の131mの石垣の修復も行われています。
+ 続きを読む