(年が改まっても昨年10月の城めぐりの投稿ですが…)
戦国後期に宇喜多氏への備えとして三村元親が築いた城で、西隣の撫川城と一体として機能したとされます。羽柴秀吉の備中高松城水攻めでは毛利方の備中境目七城のひとつに数えられるも落城し、宇喜多氏の城となりました。関ケ原の戦いの功により戸川達安が入ると、庭瀬城を廃して二の丸跡に庭瀬陣屋を構えました。江戸前期に戸川氏が無嗣断絶した後は、久世氏、松平氏を経て板倉氏が11代続いて明治を迎えています。
清山神社北側の駐車場から登城開始。市街化により遺構の多くは失われていますが、清山神社の境内には庭瀬城の石碑と説明板が立てられ、足守川河口の沼沢地に築かれた沼城だけあって清山神社の周囲には水堀と石垣が遺っています。
また、清山神社の北には大手門跡や庭瀬陣屋の説明板、東には戸川氏の墓所、北東には板倉氏の菩提寺があり、さらに北東に約2㎞の立成寺には表門が移築されている……ようですが、下調べ不足で全て見落としてしまいました…。
さて、すぐ近くに撫川城があるので、駐車場に車を駐めたまま、二つの城を分かつ水堀(法万寺川)を渡って撫川城に向かいます。
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