しもついじょう

下津井城

岡山県倉敷市


旧国名 : 備前

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天守台
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朝田 辰兵衛

雨男ぶり,炸裂しました。 (2023/06/12 訪問)

瀬戸大橋と瀬戸内海の絶景を眺望しようかと思っていましたが,雨男ぶり,炸裂しました。
バーターで鷲羽山ハイランドも行こうかと思っていましたが,晴れる気配を感じなかったので,断念しました。
JR児島駅から,徒歩約60分で,瀬戸大橋架橋記念公園駐車場へ。ここにトイレがありました。往路はほぼほぼ登りです。天気が良ければ疲れも飛ぶような眺望だと思います。
移築門のある正福寺へは,JR茶屋町駅から,徒歩約20分となります。

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しんしんちゃん

宇喜多秀家が築いた総石垣の城。 (2022/12/30 訪問)

下津井城は文禄年間(1592~1596)に宇喜多秀家が築城し、池田忠継が岡山藩主に
赴任した際に池田長政を普請奉行として改修させたと伝わります。
その後、城代が入りますが寛永16年(1639)の一国一城令により廃城になってしまいます。
アクセスは良く道路からすぐに城域に入れます。
まず西の丸から散策に入り、東方向に二の丸、天守、三の丸、東出丸と訪問していきます。
全体が石垣で覆われた総石垣の城で、今でも石垣が良く残り非常に見ごたえのある城です。
本丸には天守台も残り瀬戸内海と瀬戸大橋が一望できます。
天守と本丸の石垣が崩れているのは儀礼的に破城を行ったということでしょうか?
もうこの城は使わないよ‥という意志表示でしょうか。

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小城小次郎

勿体ない。 (2021/11/28 訪問)

宇喜多秀家が築き平岡頼勝が守り池田一族が入った城は慶長期の面影を色濃く残す。観光地として栄えた下津井の目玉的存在でもあったこのお城をマイナーなお城としてこのまま埋もれさせてしまうのは勿体ない。実に勿体ない。

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カズサン

石垣が良く残っている (2011/04/09 訪問)

 瀬戸内海を見下ろす山稜に築かれて居る下津井城は慶長のはじめ宇喜多秀家によって築かれたが関ヶ原後小早川秀秋の治める所と成ったが3年で改易、慶長8年(1603年)池田輝政の息子忠継28万石が岡山藩に入封、支城の下津井城は輝政の弟池田長政3万2千石が城主として一大整備が成され、城は慶長11年に現在の遺構に見るような本格的な形態を整えるに至る。後、池田由之、荒尾但馬、池田由成の歴代城主を経て一国一城令のため寛永16年(1639年)廃城と成る。
 雲を突き抜ける様な利神城を築城し、余りにも凄い城郭ゆえ幕府のお咎めを恐れた輝政より三層天守閣破却を受けた池田由之が下津井城城主でもあったのですね、息子の池田由成が最後の城主、廃城後由成は近くの倉敷市藤戸町に岡山藩家老とし天城陣屋を構え移った。(案内板抜粋、一部加筆)

 廃城後の石垣も良く残って居ましたので探訪時の残存石垣を中心に、①本丸西前石垣塁、木々が多く全体写真が良く撮れませんでしたので南側部石垣、➁二の丸北側の石塁石垣、上に多聞櫓でも在ったのでは?と思わせる幅、③三の丸南下の石垣、④二の丸南下出隅石垣、⑤二の丸南下の西側石垣と桜、⑥三の丸二の丸南面石垣を土留止石垣、⑦三の丸東面石垣、黄色い花と、⑧中の丸跡内部と桜、前の投稿で抜けて居たので、⑨三の丸東面石垣と帯曲輪手前石段、➉西の丸虎口自然石の大岩活用。
 まだまだ有るのですが10枚に絞って投稿します。
 
 景観整備、石垣の修復が進んでより良く整備保全され多くの方に訪ねて頂きたい城跡です、景色眺望も素晴らしい。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 不明
築城主 宇喜多秀家
築城年 文禄年間(1592〜1596)
主な改修者 池田長政
主な城主 宇喜多氏、池田氏
廃城年 寛永16年(1639)
遺構 曲輪、石垣、天守台、土塁、伝移築門(正福寺)、井戸
指定文化財 県史跡(下津井城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県倉敷市下津井吹上2
問い合わせ先 倉敷市役所
問い合わせ先電話番号 086-426-3030