詳細は分からず。人見氏の居館があり、その後、城として拡張されたようです。
予備知識なく寄ってみたが、遺構がよく分からなかった。大宮神社前に案内板が二つ並んで立つが、手書き風と汚れ、縮尺もあり図がよく掴めなかった。帰宅後、先人さんの記事を読めば、神社下のトイレ場所から赤い橋を渡れば、郭下部の堀跡があったようだ。神社から堀状へ下りれば、水の手と標示があり、水が溜まっている。案内図のうぐいすの井戸だろうか。上がれば馬が数頭描かれた馬出辺りに出る。土塁、竪堀は分かったがその他が確信持てず。東の大宮神社から西の昌見寺辺りまでが範囲とあり、神社南辺りが東郭とあり、民家前の道路脇に東郭と標示があった。
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