しちろうじょう

七郎城

広島県広島市

別名 : 七郎古城、古川城
旧国名 : 安芸

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①堀切(東側より)
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征25日目:七郎城 (2026/06/04 訪問)

日下津城から車で25分くらいで、説明板登城口付近空スペース(34.521384、132.623004)に着き路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、三田氏によって築かれたと云われています。
三田氏は藤原姓で永井庄七郎が祖と伝えられますが、その出自は詳らかではなく、代々三田および永井を称したようです。
天文年間(1532年〜1555年)三田能登守元吉の頃には毛利氏に従っており、1556年(弘治2年)には佐東銀山城番を務めています。元吉の後は弟の元親が家督を継いで厳島合戦などに参陣しています。
元親の家督を付いだのは三田少輔七郎元実で1591年(天正19年)の八カ国御時代分限帳で1220石余を知行しています。
元実の後は三田五郎右衛門吉秀で朝鮮の役に従軍しましたが、帰国後伏見で没しています。
吉秀の後は三田久七郎で関ケ原合戦の後に防長二カ国に転封となった毛利氏に従ってこの地を去っています。

最初、案内標識を見落とし林道のような所まで登ってしまいました。赤テープを捜すが見つからず諦めて下山。
下山中のタンク50m先で案内標識を発見して登城できました。
登山口入口に説明板が設置されています。
堀切や巨大な二重空堀、崩れた高石垣跡らしき痕跡が確認できます。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=恵下山城に向かいました。

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ろっし

お城探訪 (2025/01/26 訪問)

石がゴロゴロしてるから、足元の注意は必要だが比較的登りやすい城跡。

石垣跡、大堀切、連続の堀など見れます。

帰りは害獣避けの柵をしっかり閉めてかえりましょう。

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小城小次郎

絶望的に楽しい堀切底の横断ルート (2023/11/23 訪問)

毛利氏と古くから姻戚関係にあったことが知られる三田氏のお城で尾根を断ち切る長大な多重堀と石段・高石垣を伴う主郭周辺の技巧が見どころ。主郭部に向かうには堀切底を横断するしかないがこれがなかなか絶望的に楽しい(笑)。

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ぴーかる

鉄壁の三重横堀と高石垣 (2023/04/08 訪問)

【七郎城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口の横の墓地<34.521426, 132.623027>に1台駐車できそう。または橋の傍<34.520942, 132.622751>
<交通手段>車

<見所>横堀・堀切・石垣
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅1城目。七郎城は現地標記は古川城となっています。現地説明板には古川城は東にある萩原城(城びと未登録)の保砦であり本城の見張りの役割だったとされる。城主は代々三田氏が支配していたそうです。最後にこの城に居たのは天正年間(1573~1591年)に三田備前守元秀というもので子孫は帰農したようです。
 先達の投稿記録の登城口近くの橋は新しく架け替えられて迂回する必要はありません。北麓の登城口から南に登って行くかんじで北の虎口っぽい場所に着きます。城跡の東向こう側の岩場の方がやや微高地になっているので主郭の東側に南北に走る長大な3重横堀があります。横堀土塁には石塁が残る箇所もあります。横堀は南側・西側まで回り込んで竪堀となって落ちています。とにかく圧巻の見応えで、「なんじゃこりゃぁーすごい‼」と声が漏れました。これまでの山城最強の横堀です。主郭の北側の大堀切からロープ伝いに登り西側の曲輪群に出ます。西側は斜面に沿って広がる横長に段曲輪があり、主郭の北側に堀切を挟んで3段連段曲輪があります。主郭の北西側下段に石積み虎口跡、主郭北西側の曲輪壁に高石垣が残っています。この辺りも見応え充分です。主郭は縦長で南奥が1段高く櫓台だったようです。
 横堀だけで縄張りの半分くらいの面積を占めた特異な城跡で石積み・高石垣も残っていてかなりの見応え、先達がお一人しかいないのが不思議。超お勧めの城跡です。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 三田氏
遺構 曲輪、堀切、横堀(空堀)、帯曲輪、石塁
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県広島市安佐北区白木町三田
問い合わせ先 (財)広島市文化財団文化科学部文化財課
問い合わせ先電話番号 082-568-6511