しずはらじょう

静原城

京都府京都市

別名 : 城谷山
旧国名 : 山城

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堀切
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南曲輪群(南城) (2025/01/25 訪問)


 現地の縄張り図では二の丸と表記されていました。ただ二の丸というにはかなり離れています。明智光秀がこの城を攻めいたときに築いた相城という説もあります。北側に見事な堀切があり、城内には石垣も少し残っていました。倒木がありますが、散策には概ね支障はありません。

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北曲輪群(北城) (2025/01/25 訪問)

 鞍馬街道と敦賀街道とを押さえる要衝の地にある城で城谷山の山頂部にある北曲輪群(北城)と東部尾根部分(シロヤマ)にある南曲輪群(南城)に分かれています。文明年間に山本佐渡守尚親が築いたとも、明応年間に山本対馬守資幹が築いたともいわれていますが、詳細は不明です。
 北曲輪群(北城)は現地の縄張り図では本丸と表記されていました。
主郭周辺より3方の尾根に曲輪が展開しています。北西の曲輪に浅くなった堀切がありました。石垣が残っていると書かれた本もありましたが、よくわかりません。

 静原神社付近より北曲輪群へ登城するルートもありますが、自分は静原小学校跡より南曲輪群へ向かいました。右参道静原山の石碑より歩いて行くと城跡の標識があり、それに従って山へ向かいました。すぐに道がわからなくなり右往左往しながら麓に辿り着きました。登城口がわからず仕方なく直登始めると、すぐに京都洛北ライオンズクラブと左京消防団静原分団設置の標柱を見つけ見上げると木にピンクリボンを見つけました。標柱は山岳ルートへの救助用標識だと思います。そこにはそれなりの踏み跡があり、ほっとして、その道(踏み跡ですが)を登りました。ところが途中でピンクリボンを見失い、また直登。しかし少し登って見上げると石垣があり、何とか城域に辿り着きました。南曲輪群から北曲輪群へはなだらか坂で倒木はありましたが、ストレスは少なかったです。帰りは静原神社側へ下山しましたが、こちらは急坂でトラロープたよりに降りて行きました。登城口さえわかれば南曲輪経由で登城した方が負担は少ないと思います。

 地下鉄国際会館駅より静原までバスがありますが、本数が少ないので注意が必要です。

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直球勝負に感謝

無事に登城 (2023/12/10 訪問)

静原神社の脇道から登城しましたが急な坂道、整備されていないところが良かった。

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京都一周トレイル道 (2023/01/03 訪問)

京都一周トレイル道は、京都盆地南東の伏見桃山から東山・比叡山を経て、大原に北上。西進して、鞍馬・高雄・嵐山へ。南下して上桂駅というルートです。盆地を囲む山城を訪れる際に、結果的に、このトレイル道を利用することが多いです。
静原城は、大原を通る敦賀街道と鞍馬を通る鞍馬街道を結ぶ道(かつトレイル道)沿いにあります。城びと先人、おっちゃんさんとtodo94さんのレポートを参照して、静原神社脇から登城。谷沿いから尾根に上がるつずら折れを登りきると、本丸まで急で真っ直ぐな尾根道。ここまで、滋賀県坂本から比叡山越えでかなり歩いてきたのできつかったです。
山深い場所と思ってましたが、南の低い山越しに、本丸から京都市街地が望めました。北へ向かう二つの街道の押さえもあり、三好長慶や明智光秀が、利用・増強したのも宜なるかな。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 三好長慶
築城年 弘治3年(1557)
主な改修者 明智光秀?
主な城主 三好氏、山本氏、明智氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 京都府京都市左京区静市静原町